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Apple -こんなにも身近な死-

作者: 7792

長いです、いや、ほんと長いです。

短編といえば短編ですが、長いです。

ただ、多くの人に読んでもらいたいと思います。

死というものは、普段気にはならないかもしれませんが、こんなにも身近なものなんだってことを少しでも思っていただきたい、同じ後悔をする人が少しでも減って欲しいです。

2月5日、その日は前日一睡も出来なかったため夕方まで熟睡していた。スマートフォンはサイレントマナーモードだった。バイブレーションすら鳴らない。


午後5時20分頃、旦那さんが帰ってきて目が覚めた。いつも通り起きたらまずLINEを開く。最近の若者は、と言われそうだがあたしには友達なんて居ないからいつも確認するのは弟とママのLINEだけ。


その時の「ママのスマートフォンなのに弟から来た」メッセージは今でも忘れられない。


ちょうどスマートフォンを開いてLINEを確認すると、朝の8時30分にママから不在着信があった。その週は弟が学校で実習があり、ママは6時に起きて弟のお弁当を作っていた。めんどくさそうに言っていたが、後に実家に行った時お弁当のデコレーショングッズがたくさんあり、弟の成長を楽しみにしてた事がわかった。


その後7時に弟を送り出し、8時まで2度寝する。だから、不在着信の時間を見てあたしは「シャワーを浴びた後に仕事の準備中少しでも話そうとしてくれてたんだ」と分かった。


いつも精神病のせいでメンタルが安定せず、10時間以上電話してもらったり、突然泣き出して暴れて話も通じないあたしをめんどくさがらずに話を聞いてくれて、助けてくれていた。だからお互い少しでも時間があればメッセージを送ったり電話をかけたり、世間一般的な母娘関係じゃなく、あたしたちは唯一本音を言い合える親友のようだった。


電話に出れなかった事をその時は罪悪感なんて感じるわけもなかった、だって午後5時45分にはいつも仕事から帰ってきてメッセージを送ってきてくれるから、もうすぐしたら帰ってくるかな、と思っていた。



突然スマートフォンの画面が光ったのは午後5時30分過ぎ。


「身が固まって反応ないんやけど…」


意味がわからなかったが、咄嗟に頭に浮かんだのは実家に置いてきたオスのアルビノのモルモット。「つついてみた?目は開いてる?」と送ろうとした時だった。


「ママが固まって動かん…」


頭が真っ白になった、というよりフリーズしたPCのようになっていた。文章の意味を理解出来なかった。


そこからはパニック状態でなんどもメッセージを送り、電話もかけまくった、しかしママも弟も出ない。この時点でママのLINEだけど文章を打ったのは弟だと分かっている自分も居たが、分かりたくなかった、だから一心不乱になんとか連絡を取ろうとしていた。


1時間程した午後6時30分頃、弟から電話があり、SIMカードを契約していなくて警察を呼べないから祖父母の家に向かってるとの事だった。何故この時こんなことを思ったのか今でもわからない、理解したくないはずなのに理解していた。


「知的障害のある弟でも、‘死んだら’警察だと分かっているのか」


そう思った自分がいた。



正直そこからはあまり覚えていない、祖母から電話があり、その時言われたことは単語でしか覚えていない。


「病斑」

「司法解剖」

「お通夜」


これ以外思い出せない。


少しして、弟から1件のメッセージがあった。



「亡くなったって警察から聞いた…」




その時のあたしは気味が悪かったと思う。不気味な笑いをあげながら、涙を流し、震えながら旦那さんに言った。


「ママ…死んじゃった…弟、心配…今から、大阪、行く、車、カギ…」


その前の半狂乱になって通話しているあたしを見ていたからか、旦那さんはそんなに驚きはせず、落ち着いてこう言った。


「弟が心配ならちゃんとご飯食べてからお薬飲んで、それから、そんな状態で運転させられないよ。」


放心状態で旦那さんが簡単に作ってくれたご飯を食べたが、半分も食べれず薬を飲んだ時に副作用で胃痛が酷かったが、それどころじゃなかった。それなのに、車に乗って国道から高速に乗る頃には、「司法解剖」と聞いたはずなのに頭の中は「2週間も経たないうちにまたママに会えるんだ、熱燗呑もって約束してたしね」なんて思いながら旦那さんに笑顔で話しかけ、音楽をかけて陽気に歌っていた。





結局、当たり前だがママは死んでいた、喪服を買いに行ってもまだ信じられていなかったし、葬儀場について最初に放った言葉は「なに、そんなお高そうないい布団で寝てんの…はよ起きてや会いに来たで。」誰も何も言わなかった。


お通夜、告別式、納骨と終わって、お通夜の夜には旦那さんはペットの世話があるので愛知に帰っていた。なので納骨が終わったらママの遺影と49日まで使う白の仏具を丁寧に新聞紙に包んで紙袋に入れて、早めに祖父母の家を出た。


ママが亡くなってから祖父母のあたりが強く、精神的に辛かったからだ。特に祖母はあたしが毎日ママに話し相手になってもらってた事を知ると、あたしが殺したかのような言い方をしてきた。それからというもの、未だにあたしは、あたしがママを殺したと思っている。別件なのでサラッと書くが、旦那さんの人格すら殺してしまっているのだから。


優しくて面白い、いつもファミコンやゲームボーイといった、あたしの世代では目にすることも滅多にないゲーム機で遊ばせてくれて、18歳になった時一緒にパチンコに連れてってくれたママのひとつ上のお兄ちゃんも祖母に何を言われたのか連絡を取ってくれなくなった。


ママの10歳くらい上のお兄ちゃんは、優しくて頼りにしてって言ってくれたけど連絡先を聞くのを忘れていたから祖母に聞いたら「教えたくない」と言われあたしは今誰にも何も頼れない。父は弟が生まれてすぐにDVと虐待、ギャンブル癖が酷く離婚して消息不明だ。





1ヶ月経ってようやく少しメンタルが安定してきたので、最近昔使っていたガラケーやスマートフォンを充電して中を見たが、ママとのツーショットは無かった。亡くなる少し前、1月13日に成人式で大阪に帰った時にチェキを持って行ってたので一緒に撮ろうと言ったのにメイクしてないから、といって撮ってくれなかったママ。今更どうしようもないが、その時「じゃあ今からメイクして写真撮ろうよ」と言えばよかったと後悔しかない。


仏壇を置けるほど広い家に住んでいないので、簡単な仏壇みたいなものを作ってあげていつも同じご飯を食べて朝はママとおそろいのコーヒーカップでコーヒーを飲む。1人で居る時、家の中でも車の中でも、時々ママが見える。たまに返事もしてくれる。けど、答えてくれない事も多い。


「いつも死ぬ時は2度寝してる間にぽっくり逝きたいって言ってたけど苦しまんと逝けたん?」


「あたしがストレスかけすぎたから死んでもうたん?」


「年末に大喧嘩した時、ほんまは言うてないだけでだいぶ体調悪くなってたんちゃうん?」


聞きたいこと、1番知りたいことは答えてくれない。それでもママが見えて、たまに声も聞こえるからメンタルを保ててるのかもしれない。無宗教だから仏具の使い方とかよく分かってないし、霊感はないのに死人が見えるのは何故かわからないし、49日を過ぎたら見えなくなってしまうのかもわからない。


それでもママが見えない時はママとの思い出を一つ一つ掘り返す。ずっと忘れていたような昔のこと、毎年お花見に行ってたこと、行事がある日は貧乏なりに子供のあたしたちを楽しませてくれてたこと、毎日バカみたいに親子3人で騒いでたこと、撫で回されて嫌がってるふりしてたけど本当は嬉しかったこと。




寝る前にいつも頭に浮かぶのは、


「18歳になってすぐ、派遣会社に登録して北陸地方で一人暮らしを始める日、大阪駅まで着いてきてくれて電車のドアが閉まる前に涙を流して抱きしめて「頑張ってね、いつでも連絡してきてね」と言ってくれた記憶」


「告別式の日、棺を閉める、最後の最後、葬儀屋の人が「本当にこれで最後なので、沢山話しかけてあげてください。」と言った瞬間崩れ落ちるように棺にしがみついて「大好きだよ」と何度も何度も叫んだ記憶」


このふたつの記憶はいつまで経っても毎晩寝る前に思い出す。20年もあったのに、成人式の時前夜祭としてカラオケで1番高い飲み放題付けてベロベロに酔った時にでもよかった、生きてる時に「大好き」「産んでくれてありがとう」って言えなかったからそれを思い出すと寝る時いつも大泣きしてしまって、旦那さんを起こさないようにお風呂場に隠れてワーワーと泣いている。



リンゴ、これは思い出の食べ物だ。

生活保護を受けながらも働いていたがそれでもギリギリの生活だったけど、お給料日にはいつもママは笑顔で「1番美味しそうなリンゴ買ってきたよ!」って帰ってきた。


リンゴ、これは特別な日の食べ物だった。

お給料日、風邪をひいた時、誕生日、今思えばいちごやスイカ、メロンといった高い果物は買えないからリンゴだったんだと思う。それでもあたしはママと弟と食べるリンゴが大好きだった。





弟の親権は祖父母に奪い取られてしまった。旦那さんとも仲が良くて、これから一緒に暮らそうと言っていたのに、祖母が「あんたは精神がおかしいし、旦那は男やから働かさなあかん、誰が面倒みるねん。」と言っていた。


それなのに、次の日祖母から電話で「私も体が弱いしもう歳だから弟は施設に預ける。」と言われた。



ママが死んでしまって、日常の全てが狂っていった。


毎日毎時間ママとLINEしてたのはもう出来ない。

弟からTwitterをブロ解されていて聞いたら祖母に連絡を取るなと言われたかららしい。

単発の仕事に復帰出来ず、借金の催促状で机は埋もれている。

楽しかった小説を書くこともなくなった。

音楽を聴くのも楽しいと思えなくなった。

絵を描くのも楽しいと思えなくなった。

人生の何もかもが楽しくなくなった。



リンゴを食べた。旦那さんがペットのモルモットの為に買ってきたものを1つ貰ったのだ。そしてリンゴの味が、甘くて少し酸っぱくて、汁が出てくるのを感じている時、記憶障害で忘れていた記憶も全て思い出した。


ママが大好きだった小説、特に小説家になろうは隅々まで読んでいた、それがあってあたしも執筆するようになったことを思い出した。多分、ママは更新を待ってる。


そう思ってこの話を書いた。実話だから小説とは呼べないが。

また、ママが次話を楽しみに寝れなくなるような小説を書くために、1度だけこうやって、実話を書きたかった。


ママの死を悲しみ続けるのではなく、天国でもきっと携帯小説を読んでいるだろうからあたしの作品も読んでもらう。そのために頑張って、48歳と若くして亡くなってしまったママの分まで頑張って、頑張って生きなきゃいけないと思った。



もしもどこかであたしのように悲しんでいるなら、忘れないで、でも、悲しむのはやめて、あたしは元気に生きてるから。


亡くなってからもこんな難しいお願いをしてごめんよ。

もうこれは性格なんだ、ママに甘える癖は、まだ治らなさそうだよ、でも大丈夫、あたしも忘れないし、忘れるわけがないし、毎日話しかけるから、寂しい思いしやんでや。




リンゴ、それはあたしを立ち直らせてくれた果実。


すごく暗い話ですが、現在こうして執筆できているので、私のメンタルはだいぶ良くなってきています。意味不明な文章があったら、恐らくそれは病気のせいなので誤字とかではないと思います。


あ、しれっと死んだはずのママが見えてると書いてますが、本当に見えていて、旦那さんには見えないみたいですが、ここに居るよと教えると話しかけてあげたりしてくれてます。


霊感は恐らく無い、というか絶対無いのでホラーの部類には入れませんでした。

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