思う日
朝日に照らされ、泥の中から私を引き上げる。朝日は私のことなどお構いなしに動くように急かしてくる。お天道様には敵わないと思い、微睡ながら布団から出る。顔を洗うために鏡の前に立つものの頭がはっきりせず何が鏡面に映っているかよくわからないが、とりあえず顔を洗い、拭くとやっと自分の顔を認識する。身支度を整えて家を出ると、日の光が顔を照らし眩しさを覚えた。晴天であり、日の光を遮るものは何もなかった。今は露も見られ、朝でも涼しく過ごしやすい気温である。暑さが苦手である私にとっては大変ありがたい季節であり、これから始まる一日に対する憂鬱が払われるようであった。
目的地へと向かう道すがら野辺の変化を探していると一輪の花が咲いているのを見付けた。その花は塀の脇に根付いており、気高さを匂わせ、日の光を纏っていた。何故そのように見えかはわからない。燦燦と差し込む光の中に一人佇み、涼風を受けている様からそう感じたのだろうか。朝夕に関して言えばもう秋になったようなもので、遠くには所々稲刈りを済ました田が見受けられる。花とは縁遠い季節のが近づいているのを感じさせ、仲間達が去っていく中その花は季節に抗い、その生命を誇示している。周囲の草木はどのように見ているのだろうか。感心しているのか、はたまた無駄な抗いと嘲笑っているのか。どちらにしてもこの花が気高いのは変わりない。少し視野を広げてみると遠くには連山を望むことができる。青く染まる空に連なる姿はこの花に重なる。この両者の違いは儚い姿と悠々とあり続ける姿である。この対比が花の儚さを強調し、刹那の生命の時の流れに対する抵抗を感じさせてくれる。この事実は命の儚さよりもその中で迸る命の輝きを我々に映し出す。一輪の花からこの考えに至るは自分独りであろうが。この半端に文人ぶった考えに辟易するも、これが自分と納得してしまう。
さらに目的地に近いところに行くと田園の傍に行きつく。そこには稲刈りが済んでいる田と済んでないものが存在している。昨日の田園は半分が穂をたわわに実らせており、私たちに頭を垂れてその恵みを差し出してるかの様であった。その甲斐があってか今日には望み通りその供物を受け取って貰えた者たちがいたようだ。まだ稲刈りがされていない者達はいつになったらその恵みを差し出すのだろうか。美しく頭を垂れ、私たちにかしずく姿が楽しみだ。過去から連綿と行われ続けるこの営みは孤独を忘れさせ、己がその営みの一部にいることを感じさせる。周囲のものから引き離されて一人無聊を慰めている心地でいる私にこの繋がりが縁を集めて来てくれる。
目的地に着いた。朝の廊下は閑散としていて、この空間が自分のものになったような錯覚を起こす。もしくはこの世界に自分だけのような錯覚を。静寂が今この時を支配している。しかし、ガラス一枚隔てた外では風で葉が擦れる音、鳥のさえずりがあり、静寂の支配は届かない。しかし、どちらの世界にも誰もいない。誰もいないというだけでここまで静謐、清らかなものになることに驚きを隠しえない。人工物が存在しながら人がいない様は退廃的で、耽美だ。そして、私に無の誘惑が迫る。私がいなければこの空間はさらに素晴らしいものになるだろう。その邪魔をしている自分の存在が忌まわしい。この自傷の感情は人と会うまで消えないだろう。己を最も愛するはずの己が破滅を望んでいることにもの悲しさを感じる。自愛を取り戻してくれる人が恋しくて仕方がない。
正午になった。太陽が天高く南中高度から私を見下ろしている。野辺の花も、鳥も、虫も照らされ活動的になっり、かく言う私も例外ではなく、日の光を受けて気分が明るい。光を浴びるだけでここまで晴れやかな気分になるとは日光の効能もたいしたものだ。日に焼けるのを厭い、体を晒すのを避ける傾向にある者もいるがもったいなく思えて仕方がない。世の中こんなに楽しい気分になれる物事などなかなかないのに。静まり返っていた心を賑やかにされた私は散歩をする。中庭に植えられた樹木、木陰、木漏れ日、風で葉が擦れあう音が視覚と聴覚を通して劇を見せつけ、残りの生命を見せつけている。まだ雲は高いが確実に終わりが来ることを遠回しに伝えてくれる。自然は歩み寄れば優しく時の流れを教えてくれ、その時の流れの中に入れてくれる。自然は常に悄然と柔和な笑みを湛えて待っている。母のように柔らかい体で抱きしめ、父のように抱き上げ、手を引いてくれる。人は成長に従い親兄弟達等様々なものと疎遠になる。だが自然は決して離れず、常にそばにいる。
帰り道、黄昏時、虫の音が響くがその中に蝉の声は聞こえない。蜻蛉が私の周りを飛び回り、私を夢と現の狭間に誘う。その世界は静かで、やさしく、寂しい斜陽の世界。虫の音は去り行く夏の挽歌を歌うかに思え、幽玄の世界に誘われる。自己と外界との境が溶けていき、そこには意識のみが残る。自我と外界を隔てるものがなくなり、意識さえ外界と一続きとなる。そして、自我をも幽玄となる。しかし、風が顔を撫でて元の世界に引き戻そうとする。いつまでも幽玄の中に囚われさせてはくれず、そこに深入りするの許してくれない。沈みゆく太陽が優しく帰るように囁き、風が手を取り帰り道へと手を引いてくるのでもうここから離れることにする。離れる前にまた来てよいかを尋ねるも誰も答えてはくれない。気が付けば今いるのは変哲のないいつもの帰り道で、残り香である蜻蛉が私の周りを飛んでいる。太陽はもう何も言わず、ただ草木を照らし微笑むばかりで寂しさを感じさせる。
日が没すると空には星が姿を現す。日ごとに数を増していく星々は地上から日ごとに消えていく命であり、夜空は命を吸いげて美しくなっていく。また、命たちが地上に戻るまでどこかに行ってしまわないようにその揺り籠の中に大切にいれる。聞こえてくる虫の音は天上に恋焦がれている者たちの泣き声である。その叫びは哀愁を匂わす。彼らを満足させることができるものは未だ来ない、その事実に目を背けながらまだ求め続ける。切実なる願いは夜に吸い込まれていき、無情の響きを反芻させる。しかし、この叫びはその生の美しさをも内包し、心に語り掛ける。眠気が頭を鈍らせ、抗うことなく瞼を閉じる。彼らと同様の願いを抱きながら、月に見守られながらもう起きないことを願いながら。