第2話 世界を見るために
ウェル達が住むプラナ村はアインツ国の最東に位置している。もう少し東側に行くと隣国フォスレト国の領土となるが険しい山脈が連なっているため、国境付近にありがちないざこざとは無縁の平和な村であった。そんなのどかな村も今日はダンジョンが攻略された事によって盛大な宴を催されており、村民は浮かれに浮かれ、普段は真っ暗な夜の村もあちこちに松明が焚かれて全体が明るく照らされていた。
一際大きな焚き火のある広場で、ウェルは座り込み数人の子供達に囲まれていた。
「……んで、ようやくダンジョンの一番奥の部屋に俺はたどり着いた。だけどそこにはとんでもない魔物が待っていたんだ……」
沈黙の中、話を聞いている子供達の唾を飲み込む音が聞こえる。
「そいつは俺が部屋に入ると低い声で語りかけてきた……『貴様……この俺が誰か分かっているのか?』ってな……」
子供達の中からヒッと小さく悲鳴が上がる。
「俺は『お前なんか知らない。俺はダンジョンを攻略しにきたんだ』って答えたら、奴は『愚かな者よ……その行為万死に値する!』って言いながら立ち上がった!」
「それで!?それで!?」
怯えたリリに袖を引きちぎられそうなぐらいに握りしめられたロロが身を乗り出す。ウェルの語りにも熱が入り始めた。
「そいつが立ち上がると部屋の明かりが少しずつ灯ってようやく姿が見えたんだ。なんと身長は3メートルぐらいあったぞ」
「えぇー!」「でかっ!」
「そんで顔は凶悪な山羊ヤギみたいでな。腕が4本も生えてたんだ!しかも回りにあったでっかい剣やら鉈を持ち始めて、俺はいよいよ戦う覚悟を決めた!」
語るウェルは拳を握る。
「奴は大きな雄叫びを上げながら握った剣と鉈を振り下ろしてきた……!……引いたらやられると感じた俺は思い切って相手に向かって飛び込んで握った拳を突き出した!」
再現するかの様にウェルを拳を突き出す。あまりの拳速の速さに子供達の髪がなびいた。
「そしたら!」
「「「「「そしたら!?」」」」」
「……そのパンチ1発で倒しちゃったんだよなー」
アハハと照れたようにウェルは笑った。
「「「「「またーーー????」」」」」
子供達は溜めていた息を吐くとワイワイガヤガヤと話し始めた。
「また1撃かよー」「兄ちゃんが1撃で倒せなかった奴っていたっけ?」「いつもオチがなー」「兄ちゃんが怪我したところとか見たことないよねー」
各々の好き勝手に感想を話し合う子供達に向かってウェルはパンパンと手を叩いた。
「んじゃ、俺のお話はおしまいな。せっかくのお祝いなんだからお前らもご馳走食べてこいよ」
はーい!と、元気な返事を残し子供達は散り散りに走って行った。それを見届けたウェルは、
「……さて、じゃあ俺も話をつけに行きますか……」
1人覚悟を決めていた。
ウェルが向かったのは村長と2人で暮らしている自宅。中に入ると外の宴の喧騒とは裏腹に村長は1人テーブルに座り酒を飲んでいた。
「まったく……村のみんながお祝いムードなのに何1人でしんみり飲んでんだよ?」
「ふんっ、酒の味も知らないガキが。大人ってのは1人で飲みたい時があるんだよ」
やれやれと言わんばかりに呆れたようなジェスチャーをするとウェルは村長の対面に腰掛けた。
「……じいさん約束だ。俺は3日後に村を出る」
ふと、酒をあおる村長の手が止まった。
「『20歳を迎えるか、ダンジョンを1人で攻略したら冒険者になる許可をやる』……そういう約束だったな」
「ああ、約束通り俺はダンジョンを攻略した。だから村を出ていいだろ?」
村長はふと目線をウェルの方へ向けた。しかし、真剣なウェルの眼差しに思わず目をそらして俯いた。
「たしかに約束した……だがお前はまだ17の子供だ。成人まであと3年待てないのか?」
「……俺は待ちたくない……」
「何故だ?何故そんなにも急ぐんだ?……そんなにこの村に居続けるのが苦痛か?」
その村長のセリフにウェルは、カッと目を開いた。
「違う!そんなわけない!俺はこの村が大好きだ!」
勢いで立ち上がったもののすぐに冷静になったウェルは椅子に座りなおして静かに語り出した。
「俺は……本当に感謝してる。捨て子だった俺を拾って本当の家族のように育ててくれたじいさんにも、村のみんなにも……今更べつに本当の親に会いたいとも思わない」
テーブルの上で組んだ両手にグッと力が入る。
「ただ俺は見たいんだ。俺が捨てられていたこの村だけじゃなくて、俺が生まれてきたこの世界を!」
村長は、そう真摯に言い放つウェルの眼差しを今度はそらせなかった。
「……なんでかな。血も繋がってないのに言ってる事が昔の俺そっくりだ……」
「えっ?じいさんなんて言ったんだ?」
聞き返したウェルをハッと笑い飛ばすと村長は立ち上がり背を向けた。
「なんでもねぇよ!……ウェル……」
「……なんだよ?」
「……好きにしろ」
そう言い残し村長は部屋から出て行った。ウェルはその言葉を理解すると同時に笑みをこぼし、
「……ああ、好きにするよ……ありがとうじいさん……」
村長が出て行ったドアに向けて、深く頭を下げた。
――3日後。
村の入り口には早朝にも関わらずちょっとした人だかりが出来ていた。
「よし、忘れ物なし!」
自分の荷物を背負い込むとウェルは村のみんなに向き直った。
「みんな今までお世話になりました!」
大きな声でそう言いながら、ウェルは深々と頭を下げた。
「お世話になったのはこっちの方だ!お前さんが魔獣や魔物を討伐したり、ダンジョンを攻略したおかげで俺たちは安全に暮らせるんだからな!」
牛飼いの言葉に皆がうんうんと賛同する中、群衆の中から1人の恰幅の良い女性が歩み寄ってきた。
「ララさん…」
その女性はロロとリリの母だった。ララは手に持っていた包みをウェルにそっと差し出した。
「今日のお弁当と日持ちするパンが入ってる。ちゃんと食べるんだよ」
「おー!ありがとう!」
「それから家に帰ったら手を洗う事。寝る前には歯を磨く事。これから暖かくなるけど寝る時にお腹出さないんだよ。それから……」
「ちょっ!待った待った!ララさん、俺はもう子供じゃないだから!」
「子供だよ……」
ララはそっとウェルを抱き寄せた。
「あんたも私にとっちゃロロとリリと同じ家族なんだよ。子の心配をしない親がいるもんか。ちゃんと元気にやるんだよ……」
「ララさん……」
初めは恥ずかしそうに体を強張らせていたウェルもララの体を優しく抱きしめ返した。
「ありがとう……俺は大丈夫だよ。手も洗うし、歯も磨く……ちゃんと暖かくして寝るから心配しないで」
そっと2人は離れるとララの目から涙が溢れていた。
「だから泣かないでくれよ」
「誰が泣くかい!」
取り出したハンカチで目元を拭うとララは振り返り「ほらっ」と促した。
それを合図に小さい影が2つウェルに駆け寄ってくる。
「兄ちゃーん!」「お兄ちゃん!」
ウェルは膝をつき駆け寄って来た2人を抱きしめた。
「兄ちゃん!俺寂しいよ!」
「行かないでよ!お兄ちゃん!」
ボロボロと涙を流す2人の頭をウェルは優しく丁寧に撫でた。
「お前らなー、なにも最後の別れじゃないんだぞ?俺はまた帰ってくるし、手紙も出すからさ」
「「本当?」」
「ああ!男と男の約束だ!」
「……私男じゃないもん……」
「あー、うん、言葉のあやってやつだ」
むくれるリリをウェルは「ごめん、ごめん」と言いながら撫でる。
「まぁ、とにかく俺は行くけどさ。ロロ!お前はちゃんと母ちゃんとリリを守るんだぞ!リリはお手伝いをする事!いいな!?」
「「うん!!」」
「よしっ!」
元気良く笑顔で頷く2人の頭を最後に思い切りグシャグシャと撫でると、2人はララの方へ歩いて行った。
ウェルは立ち上がると最後に別れを言うべき者に向き直った。
「……」
「……」
村長と鋭い目つきで見つめ合うウェル。周りの村人がそれを不思議そうに見守る中、やがて堪えられなくなった様にお互いにフッと吹き出した。
「行ってくるよ」
「ああ、行ってこい」
2人は最後にそれだけ言葉を交わした。
村の入り口から小さくなっていくウェルの背中を見送る村長。
「よかったのかい?別れの言葉があれだけで」
ララが少し心配そうに話しかける。
「良いもなにも、他に話すことなんてねぇよ」
強がる様に吐き捨てる村長に、ララと牛飼いは顔を見合わせて苦笑する。
「それに……」
「うん?」
「あいつには俺が今までに培って来た技術の全てを叩き込んだ。戦闘に関しては誰にも負けねぇし、危険な事もないだろうよ」
少し誇らしげに言う村長。
「そもそもだ。1人でダンジョンを攻略出来るようなやつは世界中どこを探してもいねぇよ。正直あいつの強さは普通の物差しじゃ測れないんだよ」
その言葉を聞くと、ララの表情が曇った。
「私はそれが心配だよ……あの子は強くて、何より優しい。それを悪意のある人に利用されたりしないかい?」
「……あいつは馬鹿正直だが愚か者じゃない。善悪の区別はちゃんとつくさ。それにこの村にいただけじゃ得られない常識もある……だが、正直成人まで手元に置いておきたかったがな」
やはり寂しげに語る村長の肩にララはそっと手を置いた。
「でも、今はほんの少しだが楽しみでもあるな。あの馬鹿がこれから何を為してどうなっていくのかが」
そういうと村長はララに笑い返した。
「全く……あんたも十分に親バカだよ」
ララは微笑むとウェルの無事を祈り、進んだ街道に向けて、
「いってらっしゃい」
と、一言小さく別れを告げた。
――こうして1人の少年は旅立った。しかし、彼はまだ知らない。これから自分が何を為すのかを。
そして、その行いがこの世界の理を根底から覆してしまうという事を――




