モルモットな僕を殺して
一度私の不手際により全てが消えてしまいましたが、執念によって完成させました。
医学的に見ていろいろおかしいところが多いかと思いますが、「未来なんだから」と深く考えないでいただけたら、と思います。
人によってハッピーエンドに見えたり、バッドエンドに見えたりするようにしました!
「惜しい子を亡くしたわね……」
「ああ、あの子はとても優秀だったのに。確か、全国模試で一番だったんだろう?」
「何度も一番を取ったらしいよ。そんな子がなぜ……」
「聞いた? 親御さん、あの子を冷凍バンクに預けたんだって」
「冷凍バンク?」
「遺体を冷凍して、技術が発達した未来で生き返らせるのよ。既に何人かの偉業者が預けられてるみたい」
「おいおい、あの子は確かに優秀な子だったけれど、まだ何かを成し遂げたわけではないぞ。そんな人でも預けられるのか」
「お金を渡せば、多分」
「……生き返る、ねぇ。そんなのSFの話だと思ってたけど。もしかしたら、それが現実になるのかもな」
気持ちのいい目覚め。大きく欠伸をして、腕を伸ばす。とてもぐっすり眠った気がする。まるで、何年も眠ったみたいに。
目を開けると、まず見えたのは、白い天井だった。まるでペンキをさっき塗ったばかりのような、真っ白すぎるくらいの天井。普段よりも真っ白だったけれど、まだ起きたばかりで目が慣れていないせいだと思って気にしなかった。
しかし、耳に入ってきたのは心電図のフラット音だった。よく医療ドラマで見る、あの無機質な音。
どうして、携帯のアラームはかけてないし、そもそもこんな音、テレビでしか聞いたことない。
慌てて体を起こすと、目に映ったのは、異様な光景だった。
まるで、病院。真っ白な壁、真っ白なベッド、ただ無機質に時間を刻む時計。
どうして?
僕は慌てて記憶を呼び起こす。たしか、たしか眠る前は……。
そう、学校に行く用意をしていたんだ。いつもみたいにパンを食べて、苦いコーヒーだって頑張って飲んで。お母さんとお父さんはもう仕事でいなかったから、きちんと戸締りをして。
それで、いつもみたいに英単語帳を片手に交差点を渡ったら──
そうだった、車と、ぶつかってしまったんだ。
たくさんの血が僕から流れて、たくさんの人が僕の周りに駆け寄って。でも薄れゆく意識を元に戻すことはできなくて、それで、目を閉じたんだ。
なら、僕は搬送された病院で、意識を取り戻したのだろうか。それなら、あの心電図のフラット音だって納得できるし、この見知らぬ部屋にいるのだって納得できる。
こういう時って、どうするべきなのだろうか。この前見たドラマなら、すぐ近くに親がいて、すぐにナースさんを呼んでいたんだけど。僕の周りには誰もいないし、ベッドにありそうなナースコールだってない。
外に出て、自分で呼びに行けばいいのだろうか。ゆっくりとベッドから降り、裸足でヨロヨロと歩き出す。
扉の前まで来た時、突然扉が開き、女の子が僕に突進してきた。
「うわ」
「きゃっ」
お互い驚いて、よろけてしまう。僕はバランスを崩して尻餅をついてしまった。女の子は平然としているというのに、情けない。
女の子は、僕より年下の、中学生くらいの見た目だった、少し長い髪をしていて、一部の髪をサイドにくくっている。パッチリとした目や、綺麗な肌は僕と正反対だった。
突然のことに何もできない僕を見て、彼女はそっと手を差し伸べてくれた。
「ごめんなさい、前をしっかり見ていなくて……。大丈夫ですか、立てますか……?」
「う、うん。こっちこそごめん」
彼女の手を借りて、僕は立ち上がった。彼女の手はとても細くて、簡単に折れてしまいそうだった。
「あの、ベッドに戻っていてください。私、お父様を呼んできます」
彼女がベッドまで僕を支えて行き、くるりとドアの方を向いたとき、僕はとっさに彼女の腕を掴んだ。
「えっ」
驚いて振り向く彼女。可愛くて人形のような顔に少し恥ずかしくなって、僕は少しうつむいてしまう。
「あの、ここ、どこ? 病院、なのかな」
「……話は、お父様が来てからです」
「お願い、教えてよ」
僕は頑張って彼女の目をじっと見つめる。彼女は少し気恥ずかしそうに、重たい口を開ける。
「なら、私が話したってことは内緒にしていてください」
「うん、約束する」
「ここは、あなたから見れば未来になります。遠い未来。あなたが交通事故で死んで、100年経った未来です」
「僕が、死んだ? でも、こうやって生きてるじゃないか」
僕の言葉に、彼女は何の反応も示さない。ただロボットのように、淡々と言葉を続ける。
「あなたは2019年に死んだ。自家用車との接触によって。ただ、あなたの親御さんは莫大な費用をかけて、遺体となったあなたを冷凍バンクに預けた。そして、医学的技術が発達した2119年にあなたは目を覚ました。つまり、生き返ったわけです。そして
「ま、待ってよ」
僕は頭がパンクしそうになって、彼女の言葉を遮った。
それでも彼女は無表情だ。彼女はロボットなのか? そんな疑いさえ浮かび上がる。
「よく、分からない」
「でしょうね」
「……でしょうね、って……」
僕が呆れた顔をしたって、彼女は無表情。笑ったら可愛いだろうになぁ、なんて考えてしまう。
「えっとさ、」
僕が話しかけようとした途端、ドアが音を立てて開いた。
そこに立っていたのは、ふくよかな白衣を着た男の人だ。
「ナズナ、また会いに来てたのか」
彼はズカズカと部屋に入りながらそう言った。ナズナと呼ばれた彼女は、彼を見ることもなくドアの方へ駆けて行く。
「さっき目を覚ましたところです。少し混乱しているようですが、健康そうです。では、これで」
「ま、待って」
僕の声はナズナに届かず、ナズナはドアを大きな音を立てながら閉めた。
部屋には、僕と彼の二人になってしまった。彼は僕のベッドの近くにある椅子に腰掛ける。
「スズナくん」
「は、はい」
名前を呼ばれて、僕は彼をじっと見る。優しそうな人だ。
「ナズナはどうだね」
「ナズナって、彼女のことですか」
「ああ。私の娘さ。どうだい」
「どう、って……。まぁ、可愛らしい子だとは思いますけど、あまり、笑いませんね。まぁ、初対面だから当たり前っちゃあ当たり前ですけども」
「確かに、少し無愛想だからなぁ。でもあれは君のことを気に入っているようだよ」
「……そうですか」
「まぁ、余談はさておき。本題に入ろう」
彼はそう言うと、僕のほうをじっと見つめなおした。彼はナズナの父親らしいが、ナズナに似ているところは一つもない。髪の色さえも違う。ナズナの整った顔立ちや、髪の色はすべて母親譲りなのだろうか?
「私はイバラ。ここの、まぁ……お偉いさんさ。そして、君は単刀直入に言うとね、生き返ったのさ」
「……」
「おや、驚かないね。ふむ、やっぱりナズナは君に話したんだね」
彼の目が鋭くなる。まるで、僕の心を見透かしているみたいだ。
「えっ」
「君の反応を見れば丸分かりだよ。それにあれは話したがりだからな」
「ち、違うんです。僕が、無理に話せさせただけです。彼女は、何も悪くない」
「ふむ、まぁいい。ナズナはどこまで話した?」
「……僕が生き返ったことと、今が100年後の未来だってことだけ、です」
僕が恐怖で震えた声で話すと、彼は少し考える素ぶりをしてから、軽く頷いた。
「なるほどな。分かった。とにかく今日はここでゆっくりしておいてくれ。明日は異常がないかの検査などで忙しいからな」
「は、はい……」
「そうだ、一人じゃ退屈だろうから、ナズナを寄こそう」
「ありがとうございます」
僕は小さな声で言うと、彼は満足げに微笑んで部屋から出て行った。
また、部屋に一人。今が未来だなんて。100年後の未来だから、きっと僕の親や友達なんてみんな死んでいるだろう。
部屋に一人なんじゃなく、ずっと、一人。
「なんで、なんで……生き返らせた?」
少し、親が憎い。親はきっと、早くして死んでしまった僕のためを思って冷凍バンクに預けたんだろうけど……。
「こんな一人の世界じゃ、意味ないよ……」
一人、1人、独り。こんな一人の世界で、どうやって生きていけばいい?
涙がじわりと出てくる。すると突然扉が開いて、ナズナが入ってきた。
泣いているところなんて見られたくなかったから、布団にくるまって隠れた。
ナズナが優しく語りかけてくれる。
「スズナさん、どうしたんですか。どこか、痛いんですか? 泣いているように見えたのですが」
「関係ないよ。……少し、一人にしてほしい」
「……もしかして、生き返ったことを、嫌に思ってるんですか」
「……そうだよ‼︎」
僕は布団から勢いよく出て、ナズナをじっと見る。何故か、関係ないナズナさえ憎い。すべての人間が、世界が憎く感じる。
涙が溢れている僕を見たって、ナズナの顔はピクリとも動かない。相変わらずの無表情。まぁ、憐れむ目を向けられるよりは何倍も良い。
「そうですか。きっと今のあなたには、全てのものが憎らしく感じるのでしょうね」
「……」
全てを見透かしたような、強いナズナの眼差しに負けて、僕はうつむいてしまう。
「私も、同じですよ。私もこの世界が憎い」
「え?」
初めて、ナズナに感情というものが見えた気がした。声に力がこもっていて、目は鋭い獣のようだ。
「だから、あなたは一人じゃありません。私が、ついてますから。あなたの苦しみは全部私の苦しみと同じですよ」
初めて、ナズナがにっこりと笑った。向日葵のような顔。思わず顔が赤くなる。
「どうして、どうして同じだって言えるんだい?」
「私も、貴方と同じような立場ですから」
「君も、生き返ったのかい⁉︎」
僕は興奮して、ナズナの腕をぎゅっとつかむ。ナズナも僕みたいに生き返ったのなら、なんだか一人じゃないように感じる。それだけで、とても、とても嬉しい。
しかし、ナズナは首を横に振った。
「いえ、私はあなたみたいに生き返ったわけではありません。でもまぁ、同じようなものですよ」
「どういうこと……」
僕は失望の虚ろな目でナズナを見る。そんな僕を見かねて、ナズナは微笑んだ顔を保ちながら、いつになく明るい声で話しかけた。
「ねぇ、せっかくだから明るい話でもしませんか? さっきから暗い話ばっかり。ねぇ、明るい話しましょう」
「明るい話って言われても、そんなのないよ」
僕のその言葉にナズナは少し悲しそうな顔をして、うつむいてしまった。
女の子を悲しませてしまった……。でも、明るい話がないのは本当。
「なら、ナズナの話を聞かせてよ」
「私の?」
僕が頷くと、彼女は深く考え込んだ。眉をひそめて、必死に考え込む姿は少し子どもらしくて、なんだか新鮮だった。今までの無表情は、彼女を大人らしく見させていたから。
「あ、この前ですね、廊下で小鳥を見つけたんですよ。青くて、小さな鳥。とても、可愛かった」
嬉しそうに語る彼女の顔はとても輝いていて、聞いている僕まで嬉しくなる。僕がうんうん、と相槌をうつと、彼女はまた嬉しそうに話し続ける。
「それでですね。頑張って捕まえて、窓からお外に出してあげたんです。そしたら、とても嬉しそうに飛んでて……。
なんだか私まで嬉しくなっちゃって。私にも翼があればいいのにな、って思いました」
「放してあげたの?」
「はい。鳥は外で生きるものですから。ここにいるのは、可哀想で……」
「優しいね、頑張って捕まえて放してあげるなんて」
「そうですか? 当たり前だと思いますけど」
ナズナがそう言うと、僕は黙り込んでしまった。
正論を言われてしまった。確かに、鳥がいたら外に出してあげるのは当たり前か。
しばらく二人は無言のまま居続け、僕の体感で30分くらい経ったころ、ナズナは何も言わずに部屋から出て行ってしまった。
やっぱり、何か話すべきだったよね……。そんな後悔を胸に、僕はベッドに横になった。
疲れていないのに、ぐっすり眠ることができた。
僕の目を覚ましたのは、ナズナの声だった。
いつになくパッチリと目を開け、ナズナの顔を見る。ナズナは無表情だった。
「スズナさん、おはようございます。お父様が、お呼びです」
「お父様? イバラさんのこと?」
「はい」
僕はのっそりベッドから出て、前を歩くナズナについて行く。
初めて部屋の外から出た。廊下は、僕の想像と全く違う。病院らしさがない。
暖かみのない、無機質な白い廊下。廊下を歩くのは白衣を着た人ばかり。
「ナ、ナズナ……。ここは、病院じゃないの?」
「……」
「ねぇ、ナズナ? ねぇ、ねぇってば」
僕がどんなに声をかけたって、腕を掴んだって、彼女は何も話さなかった。ただただ同じペースで歩き続ける。それは何の狂いもなくて、まさにロボットそのものだ。
彼女に話しかけても無駄だ。僕は話しかけるのをやめて、ただ黙々と彼女の後に続いた。
「ここです。入ってください」
僕たちは、大きな扉の前にいた。扉には『第五研究室』と書かれていた。
「……研究室?」
「はやく」
ナズナに急かされ、僕は重い扉を開けた。
「ようやく来たか、スズナくん」
そこにいたのはイバラだった。彼は立派な椅子に腰掛けていて、僕とナズナをじっと見た。僕はイバラに近づくが、ナズナは扉の近くに立っていた。
この部屋は、病院にあるような器具がたくさんある。レントゲンを撮る機械や、たくさんの薬が入った棚。なんだか空気も重い。
「昨日も言ったように、君には検査を受けてもらわないとね」
「検査……?」
「そう。まぁ、君の体は長いこと冷凍されていたからね。きちんと内臓や筋肉が動いているか確認するんだ。それが終わってから食事でもしよう。まずは……そうだね、ここに横になってくれ」
それから僕は、たくさんの検査を受ける羽目になった。血液検査や脳波の検査。僕は少し怖くてナズナを見たけれど、やっぱりナズナは無表情だ。
検査が終わり、三人揃って部屋を出ようとしたとき、白衣をまとった、痩せ細った男性がイバラにこそこそと話しかけた。イバラは「わかった」とうなずき、僕の腕をつかんだ。
僕は驚いて「わっ」と大きな声を出してしまった。静かな廊下に僕の声が響き渡り、たくさんの人が僕のことを見た。
「スズナくん、食事はあとだ。急用が出来たみたいでね。ナズナは先に行っておけ」
「はい」
ナズナは彼をチラリとだけ見て、遠くへと行ってしまった。
彼は僕の腕を引っ張って、ナズナとは逆方向へ進んで行く。彼の力は思いの外強くて、彼に引きずられるようにして僕は歩く。
ついたのは、『会議室』と書かれた部屋の前だった。中から人の声がする。イバラは軽く咳払いをして、勢いよくドアを開けた。相変わらず僕の腕を掴んだままで、僕の腕にアザが出来てしまいそうだった。
「みなさん、ご足労いただきありがとうございます」
部屋の中には今まで見たことのないくらい小型のカメラらしきものを持った人がいた。皆礼儀正しく机について、カメラを僕たちに向けてくる。
そして僕は、これが記者会見だと気づいた。
僕は彼に引っ張られ、彼らの前の椅子に座った。彼らは僕をじっと見ている。それが、とても怖かった。彼らの目は、獲物を見つけた獣そのものだ。
「前置きはさておきですね、本題に入ります。
我々は、ついに実現いたしました!
そう、『復活』を!」
彼が大きな声でそう言うと、彼らはわっと大きな歓声を上げる。ある者は嬉しそうに拍手し、またある者は必死にペンを滑らせる。
「この子は100年前──2019年にに命を落とした少年、スズナくんです。彼の亡骸は冷凍バンクに預けられ、ずっと冷凍されてきました。
そして彼が眠っているその間、我々は技術を向上させ、一昨年にはモルモットで生き返りに成功し、そしてその技術を彼に使ったのです。
そして彼は昨日目を覚まし、今のところ何の異常もありません。まぁ、しばらくは彼を見守りつつ、何の異常も発見されなければ、この技術を他の方にも使うつもりです。詳しいことは書類などを作成してから説明しますので」
僕がイバラを横目で見ても、何か話そうと口を開けても、ただ彼は自信満々に話し続ける。
しばらく悠長に話し続けたあと、記者の一人が挙手して、イバラが話すことを許可したあと、記者は目を輝かせて話し始めた。
「あの、そのスズナくんにインタビューしてもよろしいですか?」
「ああ、どうぞ」
「あの、スズナくん、眠っている間はどんな感じでしたか? 三途の川は見ましたか?」
「え、えっと、見てません」
僕がオドオドした声で答えると、それを機にたくさんの記者が僕の周りに群がって、マイクをたくさん向けてくる。イバラは記者たちの迫力に負けて、部屋の隅まで追いやられた。
記者たちはイバラなんかより、僕に興味があるようだ。
「起きてみて、どうですか? 違和感は?」
「人類に貢献した気分はどうですか?」
「スズナくん、君を冷凍バンクに預けてくれた親御さんたちに言いたいことは?」
「イバラ所長に言いたいことは?」
矢継ぎ早に質問してきて、僕は何に答えたらいいのか分からなくなる。ただ、僕を見つめる彼らの目は、人に向けるものではなくて、まるで見たことのない動物に向ける眼差しだ。
こわい、こわい。逃げ出したい。
でも僕一人の力がたくさんの大人に勝てるわけなくて、僕はただ椅子に座り続ける他なかった。
「スズナくん! 一言‼︎」
叫ぶ記者の唾が飛んでくる。怖くて肩が震え、ついには涙が溢れてきた。
そこでイバラが彼らをかきわけ、僕の前に立った。少しだけ、頼もしく見える。
「まぁまぁ、彼は目覚めたばかりで、混乱しているんですよ。また次の機会してください。では、我々は失礼します」
そう言うとイバラは僕の腕を引っ張って、押しかけてくる記者を払いのけながら部屋を出た。
記者たちは廊下で待機していた警備員らしき人に止められて、誰も僕たちの後をついてこれなかった。
鼻水をすすりながらイバラと歩いていると、廊下の曲がり角を曲がったところで、ナズナに会った。
泣いて不細工になった僕の顔を見ても特に表情を変えることなく、スズナはただじっと僕だけを見つめていた。
「おおナズナ、彼を食堂に連れて行きなさい。それから、あそこへ」
「……はい」
小さく返事をして、ナズナは僕の腕を引っ張った。
イバラは僕たちと別の方向へ進んで行く。ナズナは彼に目もくれず、ただいつかのように規則正しく歩いて行く。僕の腕をつかむナズナの手には力が込められていて、少し不思議な感じがした。
「えっとさ、ナズナ
「スズナさん」
僕が話しかけようとすると、すぐにナズナが声を出し、それを遮った。
「スズナさん、泣いてるんですね、男のくせに」
ぶっきらぼうに吐き捨てるナズナの顔は見えないが、震えている声だけを聞くと、悲しそうな顔が浮かび上がる。
「男だとか、関係ないだろ……」
僕の声が情けなく震える。
「……たしかに、そうですね。すみません」
ナズナがゆっくりと振り向き、僕の顔をじっと見た。整った、綺麗な顔には涙がつたっていて、僕は驚いた。こんなことを思うのはどうかしているんだろうけど、泣き顔のナズナはとても綺麗。僕が触れたら、壊れてしまいそうな繊細感。
そんなナズナの顔を見つめることもできなくて、僕はうつむいて話した。震える声を元に戻したかったけれど 、無駄だった。
「だって、あんなに多くの人が、僕のことをジロジロ見るんだ……。いっぱい質問してきて、いっぱい唾を飛ばして……」
僕が手で顔を覆うと、ナズナは温かい手で僕の手をどかし、じっと僕の顔を見た。
顔が、近い。
「これからずっと、あんな風ですよ。実験という名目のもと、四六時中誰かに監視される。あなたは、生き返った第一号ですから」
「それは、嫌だ」
「仕方ありません」
ナズナはまた僕の腕を引っ張ってまた歩き出す。
ナズナの言ったことは本当なのだろうか? 何も、考えられない。ご飯を食べたけれど、何も味がしなかった。ナズナはただご飯を食べる僕をじっと見ているだけだった。
ご飯をなんとか食べ終えたあと、ナズナに連れてこられたのは小さな部屋だった。大きな窓からは綺麗な空が見える。太陽は真上で輝いていて、空は昔と何にも変わっていない。空を遮るものは何もなかったから、きっとここは結構上の階の部屋なんだろう。
「ここは?」
僕がナズナの方を見ると、ナズナは机にノートとペンを置いていた。
僕がナズナの方に近づいて、机を覗き込む。ナズナが丁寧にノートとペンを二つずつ置いている。ノートにはそれぞれ名前が書かれていた。
『スズナ』と書かれたノートは新品だが、『ナズナ』と書かれたノートは使い古されていて、たくさんのプリントが挟まれている。
「ねぇ、これは何?」
「ノートです」
「それは見れば分かる」
「……自分の容態や、その日にあったことを書くんです。まぁ、日記のようなものです」
僕はただへぇとだけ言った。正直、興味はなかった。日記だなんて書いたことないし、書くつもりもない。
それより僕は、少し小さなベッドに横になった。少し軋むけれど、あまり気にはならない。
「ねぇ、ここが僕の部屋? どうしてベッドが二つもあるの?」
「……私の部屋もここだからです」
「えっ」
僕は驚いて目を丸くする。ナズナは相変わらず無表情で、窓から外を眺めていた。
「一緒に生活するんですよ。私のことは気にしないでください。静かにしますし。この部屋にはトイレもお風呂もついてますから。
あと、お父様の許可がある時以外は外に出てはいけませんので。
……それと、個人的なお願いなのですが、私のノート、見ないでくださいね」
ナズナは外を眺めたまま、独り言のように呟いた。僕は小さく返事して、ベッドに横になった。
気づけばもう夜中だった。何故か昼間からぐっすり、目覚めることもなく寝たようだ。
ナズナは隣のベッドで眠っていた。小さな寝息が聞こえて、よく寝返りをうっている。
(えっと……トイレは、こっちかな)
暗い部屋を手探りに進む。明かりをつけるのはナズナに悪いから、何度も壁にぶつかったけれど、ようやくトイレにたどり着いた。
多分、たんこぶが何個かできてると思う。
スッキリした自分はようやく暗さに目も慣れて、今度は何事もなくベッドにたどり着いた。
寝ようとした時、ふと机に置いてあるノートに目が行った。
『私のノート、見ないでくださいね』
ナズナの言葉が思い浮かぶ。しかし、ナズナのノートを見たいという気持ちも浮かんできた。
ただ純粋に、ナズナという少女を知りたかったから。
ナズナがぐっすり眠っているのを確認して、僕はゆっくりとノートに手を伸ばす。
ノートにはとても丁寧な字で、僕が目覚める前のことを綴っていた。僕はそれを、飛ばし飛ばしで読んでいく。
『5月3日
日記を書くように言われたので、書こうと思ったけれど、書くことなんて何もないわ。だって、何もないんだもの。誰か、遊び相手がいればいいなぁ』
『8月18日
もう、今が何時か分からないわ。時計が欲しいわね。お父様が、私はたくさんの人で出来てるって言っていたわ。それってどういうことかしら? ……でも、お父様が落としたレポートで、全てが分かってしまったわ。……生きたくない。私なんかより、もっと生きるべき人がいるはずよ』
『10月20日
今日、見たことのない男の子が担架で運ばれていた。歴史の本に載ってたような、昔の人の顔をした男の子。お父様が、お前の友だちになるものだって言ってた。私にもお友だち、できるのかしら』
『10月21日
男の子の名前はスズナっていうみたい。昔、交通事故で一度死んでしまったらしい。かわいそうに、生き返ってしまったのね。……でも、彼が少しでも楽しく第二の人生を歩めるようにしてあげないと。どうやって話しかけたらいいのかしら? どうやったら可愛く振る舞えるかしら。長い間、笑ってもないから、笑い方を忘れてしまったわ。このままだと、嫌われちゃうわね』
『10月22日
彼が目を覚ました。少し焦っていて、綺麗な細い目でいろいろ聞くから、喋ってしまった。後でお父様に叩かれてしまったけれど、別にいいの。アザはちょうど服で隠れるから。頑張って笑ったりしたいけれど、ダメみたい。緊張しちゃうわ。だから、いっつも無表情になっちゃうわ。練習、しないと』
『10月23日
彼が、とても可哀想だわ。たくさん検査させられて、たくさんの人に囲まれて、好奇の目を向けられて。できることなら、助けてあげたい。でも、どうしたらいいの? 私に何かできる? 彼の泣いた顔はとても素敵だけど、見たくないもの。彼と同じ部屋になって、ずっと一緒にいれるけど、気まずいわ。男の子って、どういう話が好きなの? ……やっぱり、いやらしい話? ……そんな話、できるわけない。今日は少し、上手く笑えた気がするわ』
これで日記は途切れているから、この10月23日が最新のものとなる。
ナズナは無表情で、何も考えていないのかと思ったら、全くそんなことは無かった。僕が目覚める前から、僕のことを気にかけてくれていたんだ。
少し恥ずかしくなってノートを閉じようとすると、ノートにプリントが挟まっているのが見えた。そっとプリントを抜き取って見てみると、それはナズナの日記に書かれていた『レポート』なんだと気づいた。ついそれに手が伸びて、読んでしまった。
読み終えて数分経った今でも、心臓がドキドキする。だから、あの時、彼女は『私も、あなたと同じ立場ですから』って言ったんだ。
こんなもの、見るんじゃなかった。これからナズナを見る目が変わってしまう。元通りにノートを戻してベッドに戻ろうとした時、ナズナが体を起こしているのに気づいた。
しまった、バレてしまった。ナズナは何も言わず、ただじっと僕を見つめている。あの、いつもの、無表情。
「ナ、ナズナ……。起きてたの?」
声が上ずって、震えている。冷や汗が止まらない。心臓は張り裂けそうなくらいドキドキしている。
「……」
「ごめん、本当にごめん……。悪気は、なかった……。でも、でも……」
「いいですよ、別に」
「え?」
思いもよらなかった言葉に、僕は間抜けな声を出す。ナズナは音も立てずにベッドから出て、僕に近づく。暗殺者のような、無音の、無駄のない移動。
「……気にしてませんから。見るなと言われて見たくなるのが人間ですし。それに、いつかはバレることでしたからね」
ナズナは机の電気をつけると、ノートを手に取り、挟まれていたレポートを僕に差し出した。
「じっくり見ても構いませんよ。私だって、あなたのレポートを見ましたから。私がお昼に見ないでと言ったのは、心のどこかで『私は普通じゃない』ということを隠したいと思っていたからです。私は、普通じゃないのに」
「で、でも」
僕はレポートを受け取らず、ただ立ち尽くす。レポートを受け取らない僕を少し不思議そうに見て、ナズナはそっとレポートを机に置いた。そして、淡々と話し出す。
「……まぁ、そこに書いてある通り、私の体はたくさんの人でできているんですよ。私の体は少しの骨と、血管、あと一部の皮膚くらいですかね。残りは全部、別人のものです。
脳はアスナという女の子、瞳はクロバという男の子、心臓はススキという女の子、肺はホウレという男の子、あと──
「もう、いいよ」
彼女の言葉を僕は遮った。彼女は一瞬だけ驚いた顔をして、けれどもすぐに無表情に戻った。
「いいのですか? 知りたかったんじゃありませんか? ……とにかく、あなたがナズナと呼ぶ純粋な少女は、どこにもいないのですよ。ナズナはたくさんの人でできている。……ナズナは、骨と血管、そして皮膚しか存在してません」
「……でも、僕の目の前にナズナはいる」
「まぁ、そうですね。……スズナさんは、人の魂はどこに宿ると思いますか?」
突然の問いに少し考えるも、特に答えなんて出なかった。しばらく黙り込んでいると、ナズナは話し続けた。
「大体の人は、脳に宿ると考えているそうです。ですが、私はこの脳の所有者──アスナのようにならなかった」
僕は足の力が抜け、その場に座り込む。それでもナズナはただ話し続ける。まるで、見えていないかのように。僕を見下すナズナの目は、少し怖かった。
「実験台第一号の私にアスナの魂が宿っていないと気づいたお父様は、とてもショックを受けてましたよ。
だから、すぐに『代わり』を見つけたんです。第二号の彼には、脳の所有者の魂が宿りました。好み、考え方、話し方、全て所有者にそっくり。
お父様はそれはとてもとても喜んでいました。だから、失敗作の私をなかったことにして、彼を世間に発表したんです。……まぁ、関係ない話ですね」
「……」
「もう、寝ましょうか」
ナズナは僕の腕を引っ張って立たせ、優しくベッドまで連れて行ってくれた。僕はただ逆らうこともなく、そのままベッドに横になった。
僕がこんなに虚ろな気分になったのは、どうしてだろう?
僕がノートを見ていたのがナズナにバレたから?
ナズナが普通じゃないって知ったから?
それとも、未来の自分を見たような気持ちになったから?
僕は一睡も出来ないまま朝を迎えた。ナズナはぐっすりと眠ったらしく、大きく伸びをしていた。
「おはようございます、スズナさん」
ナズナはまるで何も無かったかのように話しかける。ケロッとした顔をしながら軽い足で洗面所まで行き、顔を洗って帰ってきた。
「スズナさん、クマが出来てますよ。眠れなかったんですか?」
「……」
口を開けるのも煩わしい。普通に接してくれるナズナでさえ、煩わしく感じてしまう。どうして。
本当に、あのノートを見るんじゃなかった。日記だけにしておけば良かった。日記だけ見ていたら、ナズナに「可哀想」だなんて感情も浮かばなかっただろうに。
僕がベッドで考えていると、大きなノック音が聞こえた。全く動かない僕を横目にナズナが駆け足でドアへ向かい、ゆっくりとドアを開ける。
「やあ、スズナくん、よく寝れたかい?」
イバラが部屋に入ってきて、彼は近くにいるナズナに目もくれず、僕の方へ近づいてくる。
「おや、クマが出来てる。眠れなかったのかい?」
「……」
「どうした、気分でも悪いのか? 顔色も良くないし……」
僕が無言を貫いていると、イバラは机に置いてあった僕のノートを手に取り、中身を見た。しかしそのノートは真っ白で、彼はすぐに元に戻した。
「スズナくん、ノートが真っ白じゃないか。日記を書いてくれとナズナから聞かなかったのか?」
「……」
「……おいおい、どうしたんだ? ナズナに何かされたのか?」
「……」
「おい、何か言ってくれ。君は生きているんだから」
イバラの言葉に、次第に怒りが含まれてくる。
それでようやく、僕は口を開いた。
「何も、ありません」
その言葉に満足したのか、イバラは微笑んで「食事は食堂で取りなさい。ナズナ、連れて行け」と言った。イバラは、僕には笑顔を向けるのに、ナズナには冷たい顔を向ける。
ナズナはただ「はい」と返事をして、僕の腕を引っ張って、食堂の方へ連れて行った。道中は何も話さなかった。
それからはずっと検査をした。身体機能の検査だとか、視力や聴力の検査。今日一日は、それで終わった。ナズナは何も話さなかった。
次の日からは、尿の検査や検便などをするように言われた。毎回しないといけないので、非常に面倒だ。イバラは僕に高校の教科書をくれた。でも僕は全く手をつけなかった。僕の代わりにナズナが問題を解いていた。相変わらず何も会話は生まれなかった。
その次の日は、また記者会見に連れ出された。僕の愛想の悪さにイバラは困惑していた。イバラは僕に「覇気がない」と言った。僕の生活を全てが監視されていると改めて知ったのは、この日だった。
また次の日は、軽く擦り傷を作り、その治癒過程を検査した。止血はきちんとできるか、皮膚はきちんと元に戻るのかという検査らしい。ナズナはこの日、初めて僕に憐れみの眼差しを向けた。教科書は全てマスターしたのか、ゴミ箱に捨てられていた。
その次の日、僕は耐えきれなくなって、イバラに「生き返りたくなかった」と言った。イバラの耳に、この言葉は届かなかった。日記を全くつけていなかったのがバレて、初めてイバラに叩かれた。ナズナに見られていて少し恥ずかしかった。でもナズナはやっぱり無表情だった。
とても、イバラが怖く見えた。だから、日記をきちんと書くことにした。
『29日
相変わらずの検査にうんざり。ずっと監視されて、モルモットみたい』
とても短いけれど、本当に書くことがない。ナズナに何を書けばいいのか聞くのもいいけれど、最近はずっと話してないから、何だか気まずい。
『30日
今日はナズナを一度も見てない。どこかに行った?』
『31日
久しぶりにナズナに話しかけた。昨日はどうしたのかと聞くと、ナズナは「ちょっと、用事に」とだけ言った。なんだか、ナズナの目は悲しそうだった』
『32日
相変わらずの検査の日々。いつになれば終わる? 早く、外に出たい。……外に出たところで、したいことも何もないけど』
『33日
知らない研究員が、本をくれた。僕は少しも見ずにナズナにあげた。ナズナはとても嬉しそうだった』
『3日
研究員に言われて、10月は31日までだと思い出した。いつの間にか、とてつもなくアホになったみたいだ。ナズナはいつも本を読んでいる』
『4日
どうやら、また一人、生き返ったらしい。可哀想だと思ったけれど、その人は生き返ったことをとても喜んでいるらしい。検査も愚痴一つ溢さず真面目に受けているんだって。抵抗する僕とは正反対だ』
『5日
今日は検査をしなかった。とても退屈。部屋から出ると研究員に怒られる。ナズナは読書に没頭してるから、話しかけるのもはばかられる』
その日から検査をする日はなくなった。誰も、僕の健康状況なんて気にしない。それに、ご飯も食堂で食べるのではなく、研究員が部屋まで持ってきてくれた。特にすることもなく、僕はゴミ箱に入っている教科書を読むことにした。
その教科書には、ナズナの字でいっぱいだった。計算式がたくさん書いてあるけれど、どれも間違っていた。
「ナズナは、計算苦手なの?」
僕が聞くと、ナズナは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「ま、まぁ……。あんまり、得意じゃないです」
「教えてあげようか」と言おうとした時、僕もこの計算が出来ないことに気づいた。
僕は教科書のページを破りとって、紙飛行機を作って飛ばした。ナズナも途中で加わって、どちらが遠くまで飛ばせるか競争した。いつかの気まずさが嘘のように、二人仲良く笑いあった。
それから一ヶ月くらい経った。僕はふとした疑問をナズナにぶつけた。
「ねぇ、最近イバラを見ないね」
「えっ」
とても驚いて、ナズナは僕を見た。珍しい慌てぶりに、僕はナズナなら何か知っているのかと思った。
「何かあったの? ねぇ、教えてよ」
「し、知りません……。私たち、最近ずっとここから出てませんし……」
ご飯を持ってきてくれた研究員に聞くと、研究員は僕を睨んで、何も言わずに去って行った。
それからまた一ヶ月経った。日に日に寒さは増し、ご飯の量も減っていく。部屋には埃がところどころ積もっていた。誰も、掃除なんてしてくれない。それが当たり前に感じるのが、また、怖くもあった。
ナズナは見る見る痩せていき、僕は筋力が衰えて、すぐに息が切れるようになった。前までは追いかけっこをしたりしていたけれど、今はもう出来そうもない。かつてナズナが読んでいた本は僕たちの落書きで埋め尽くされていた。もう誰も、新しい本をくれない。
寝て、食べて、ナズナと少し話して。ただそれを繰り返す日々だった。寒くて二人で身を寄せながら、僕が昔見たドラマやアニメの話をすると、ナズナはとても嬉しそうだった。僕も嬉しかったけれど、心の隙間は埋まりそうになかった。
新年を迎えた日の夜。僕がふと目を覚まし、トイレに行こうとすると、机の上にあるナズナのノートが見てくれと言わんばかりに開いていた。
こっそりナズナのノートを覗いた日を思い出す。少し迷ったが、少しだけ見てみることにした。
筋力が衰えたナズナの文字は細くて、震えていた。小さな文字で書かれていた文字を見て、僕の思考は停止する。
『スズナさんへ
ずっと、言わないといけないと思ってました。でも、怖くて言えなかったのです。ですが、ずっと黙っているわけにもいけないので、ここに書いておきます。
私はお父様を、イバラを殺しました。10月の30日です。ずっと殺そうと考えてました。私とスズナを、実験台にしただけではなく、殺すことなく放置したからです』
振り向くと、ナズナはあの日と同じように目を覚ましていた。
ゆっくりと、ゆっくりと僕に近づく。僕もゆっくりとナズナに近づいて、ナズナの震える手をそっと握りしめた。馬鹿みたいに冷たいナズナの手。骨が露わになっていて、僕が力を込めるとすぐに折れてしまいそう。
「そこに、書いてある通りなんです。私、殺しちゃった……。あの人が、憎くて、憎くて」
「……大丈夫、僕はナズナを責めないよ」
涙が溢れて、体を震わすナズナをそっと抱きしめる。お互いの骨と骨がぶつかり合い、鼓動が聞こえそうだ。ナズナの吐息が僕の肩に当たり、僕の吐息はナズナの肩に当たる。
しばらく抱きしめ合ったあと、ナズナはイバラのことを話し始めた。
「私は、イバラの一人娘なんです。母は、私が幼い頃に、研究に没頭する父に愛想を尽かして去りました。
それから、私は研究員に育てられたんです。お父様は、私を見なかった。それに、私を嫌ってましたから。……醜い身なりでしたので。
そんなある日、私はあなたと同じく、事故に遭いました。お父様は瀕死の私を見て、私を実験台にすると決めたそうです。もし実験に失敗しても、手術に失敗してしまったと言い訳ができますから。
私と他の人の臓器は、見事に融合しました。表向きでは実験は成功に見えましたが、お父様にとっては失敗だから。……誰の魂も、私に宿らなかったから。そして、ついにお父様は、私を人として見なくなりました。……失敗作として、扱い始めたんです。それでも、頑張って私は耐えました……。他の研究員たちは、お父様に目をつけられるのを恐れて、私と関わるのをやめました。
そして、しばらくしてからスズナさんがやって来ました。……最初は少し、あなたが憎い時もあった。あなたは、『良いモルモット』だったから。お父様が、あなたに笑顔を向けていたから……。でも、こんなことは日記に書けませんでした。だって、日記だけは、お父様、きちんと読むから。もし、そこに私があなたへの汚い感情を書けば、怒られることは目に見えてました。
でも、少ししたら、あなたが苦しみ始めた。そして、あなたも私と同じだと気づいたとき、少し嬉しかった。……ひどいですよね、私」
僕は首を大きく左右に振った。ナズナの綺麗な目が月明かりと涙で輝いている。僕の目も、きっと同じだ。
「……そして、ついに我慢できなくなったんです。スズナさんに手を出したのを見たから。
それに、あの日、お父様が言っているのを盗み聞きしたんです。
『あの二匹が早く死ねば、お金もかからずに済むのにな』
って。……勝手に生かせたくせに、そんなこと言うんですよ。とても、許せなかった。それで、私はアイツを殺すことを決めました。簡単にそれは死にました。泥酔している時を見計らって、机にあったカッターで突き刺しただけです」
ナズナは僕の服をぎゅっと握る。息が荒くなって、ナズナの心臓の音が聞こえる気がした。
僕は、ナズナを抱きしめることしか出来なかった。何か気の利いたことを言えたらいいのに、下手に言葉をかけることもできない。
「……スズナさんは、殺人鬼の私とでも、仲良くしてくれますか」
突然放たれたナズナの質問にも、僕は頷くことしかできない。何度も、何度も頷いた。ナズナを抱きしめる手の力が強くなる。まるで、くっついてしまうんじゃないか、ってくらい強く、強く抱きしめた。ナズナも抵抗することなく、同じように僕を強く抱きしめてくれる。
「……私、もう嫌。死んでしまいたいわ」
吐き捨てられたその言葉を、僕はうまくキャッチした。ナズナの体を離して、きちんとナズナの目と僕の目が合うようにした。
ナズナは僕をじっと見た。光の灯らない、虚ろな目。それでもその目は美しかった。
「僕たちは、無理やり起こされたんだ。なら、眠る時くらい、自由にしていいんじゃないかな。眠りたいときは、眠ってもいいんだよ」
ナズナはきょとんとした顔をした。
僕は、息をたくさん吸って、言った。
「ナズナ、一緒に、死のう」
次の朝、僕たちは最後の会話をした。何故か二人とも妙に落ち着いていて、まるでいつもの、たわいのない会話のようだった。
「ねぇスズナ、死んでも、一緒にいれる?」
「もちろん。ずっと、一緒にいようよ。鳥になって、外に出るんだ。大きな空を舞って、二人でどこまでも、どこまでも、ね」
「ふふ、楽しみだわ。私、スズナのこと好きよ。スズナと死ねるの、とても嬉しい」
「僕も、ナズナのこと、好きだよ。……なら、いこうか」
ナズナは優しく微笑んで、僕と一緒に椅子を持ち上げる。
もう骨と皮しかないような二人だから、椅子を持ち上げるだけで腕はピクピク震える。
「えいっ!」
全力で、椅子を窓に叩きつける。とても大きな音がして、窓のガラスは粉々に砕け散った。
窓に、二人が腰掛けるのにちょうどいい大きさの穴が空いた。僕たちはなんの躊躇いもなく、窓に腰掛ける。
僕たちは、ぎゅっと手を繋いでいた。何も怖くなかった。こんな時なのに、顔は微笑みを忘れない。外から優しい風が吹き込んで、ナズナの細くて綺麗な髪を揺らす。
二人で空を見ていると、ガラスの割れる音を聞いた研究員たちが、部屋に入ろうと扉を叩く音が聞こえた。
「おい! 入るぞ!」
その声と同時にドアが開き、何人かの研究員が入ってきた。
彼らは窓枠に座る僕たちを見て、ひどく驚いた顔をした。ただ、とても驚いているのか誰も僕らに近づかない。
僕たちは彼らに目もくれず、二人だけの世界にこもっていた。もう、彼らの音なんて、何も聞こえない。
「……ナズナ、僕も、イバラのように……殺して。
モルモットになった僕を、殺して」
「いいよ。でも、スズナも私を殺してね?」
ナズナがにっこり笑って言った。その声は僕を安心させる。
「なら、おやすみ」
ようやく状況を理解した研究員が手を伸ばしたとき、僕たちは二人同時に窓から飛び降りた。
地面につくまでの間、僕は隣のナズナの顔をじっと見ていた。とても、時間がゆっくり感じる。
僕の目線に気づいたナズナが、そっと僕の唇にキスをした瞬間、僕の意識は途切れた。
やっと、終わる。
僕がモルモットなナズナを殺し、
ナズナがモルモットな僕を、
殺してくれた。
ありがとう。
そして、おやすみ。
『1月3日 星園新聞
クスノキ研究所で少年少女が自殺 「実験台」としてのストレスからか
1月2日にクスノキ研究所にて、「生き返った少年」として巷を騒がせた少年、スズナくんと、元所長イバラ氏の娘、ナズナさんが窓から飛び降りて死んでいるのが発見された。彼らが暮らしていた部屋の窓は割られ、机の上には遺書と見られるものがあったため、自殺と見られる。
また、ナズナさんの日記からは、彼女がイバラ氏を殺したことが書かれていた。親子間のトラブルから殺害に至ったと見られている。
関係者への取材によると、イバラ氏とナズナさんの仲は険悪だったという。また、スズナさんは日々の検査が苦痛で、よく抵抗していたという。県警は彼らへの検査などが人権を無視したものではなかったかなどを調べている。(詳しくはインターネットにて)』
『1月2日
今日は、とても天気が良いわ。こんないい日に死ねるのは、幸せ者かも知れないわね。スズナも今日はすっごく機嫌がいいわ。ご飯もたくさん食べてたもの!
昨日の夜、スズナに生まれ変わるなら何がいい? って聞いたら、「ペットとしてのモルモット」って言ってた。うーん、私はちょっと嫌だなぁ。やっぱり、自由に飛べる鳥がいいかしら。でも、それだとスズナといれないし……。やっぱり、私もモルモットになろうかな? 次は、ちゃんと優しく扱われるモルモットね! 死ぬ前だというのに、なんでこんなこと書いてるのかしら?
そうね、何に生まれ変わるとしても、次の人生は一回だけで十分よ。もう……ね。
あ、でも、私がスズナに会えたのは、二回目の人生を歩めたからよね。もし、あのまま死んでいたら、スズナには会えなかったものね……。うーん、なら、生き返って正解だったのかしら?
あなたはどう思う? 生き返るのって、ステキなことなのかしら? 私には分からないわ!
まだ書きたいこともあるけれど、もういいや。手の力を使いすぎて、大切な時に使えなかったら大変だもの! それじゃあ、これで私は終わり。
バイバイ 』
夜、妄想をしていたら気づけば寝ていた! というのを幼い頃からずっと続けています。
この話も、そんな妄想から生まれた話なのです。よくもまあ寝る前にこんな暗い話を思いついたな、と自分でも思います……。
実は最初、ナズナはアンドロイドという設定でした。
話の大筋は変わらないのですが、二人が自殺した後、ナズナはアンドロイドなのでもう一度目覚めさせられ、スズナは冷凍バンクに再び預けられ、そしてまた目覚めさせられる……というものでした。
ただ、あまりにもかわいそうになったので、二人は自殺をして、幕を閉じることにしました。
そのあと二人がどうなったかは、誰にも分かりません……。
何しろ、設定上では、「医学的に発達した時代」ですから……。
ただ、胸糞の悪い終わり方かなぁ、と思ったりもします……。
私でさえ、書き終えた後はしばらくヘンな感じでしたから……。最後にナズナの日記を入れたらマシになるかな? という安直な考えも上手くいかず……。(結局入れたままにしましたが……)
兎にも角にも、こんなにくらーーーーい小説を読んでくださって、本当にありがとうございます!
もしよろしければ、感想などいただけたら幸いです……。
本当に、ありがとうございました。
評価とブックマーク、ありがとうございます!
とっても、とっても嬉しいです。
何と感謝を言えばいいのかも分からないくらい…
ものすごく励みになります!
本当に本当に、ありがとうございました。




