第81夜 F機関・国境の街で
「今晩は、東條閣下。ご機嫌はいかがでありますか。」
「頗る良い。」
「雨が珍しく続きますね。嫌になります。」
「気の持ちようだぞ。雨は気が落ち着く。そうではないか。」
「しかし、雨が続きますと万物がジメジメして気持ちが萎えます。」
「まあ。今年は空梅雨だ。それでは、話を聞いてもらおう。」
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1月17日、15:00、藤本少佐は、ヤーコブ司令官の宣伝班3名と、山口中尉が運転する自動車に乗り、約30km先にあるタイのハジャイに着いた。
ハジャイは、客家のクン・ニパット(謝枢泗)が1912年頃、8ヘクタール程度の土地を購入し、6軒のみすぼらしい木造住宅を建設したことに始まる。1924年のハジャイ駅開設にともない、徐々に市街地が形成された。
藤本少佐の自動車は、ハジャイの中心地にある大南公司の前で停まった。大南公司は、熊本県天草町出身の松下という日本人が1922年に創業した商社で、本社をサイゴンに置き、ベトナム、タイ、マレー、ビルマ、海南島に支店9、出張所32を展開する大商社であった。同社は、木材、塩田、窯業、家電、バイク、農機具はじめあらゆる分野で活躍していたが、日本軍が仏印に進駐すると日本軍の仕事を引き受け、海軍が依頼した飛行場の建設も請け負っていた。
「この事務所をF機関の本部とすることで、大南公司から了解を得ております。」
「それは、有難い。小綺麗で、なかなか立派な建物ではないか。」
室内に入ると人でいっぱいだった。すでに、F機関のメンバー、IILの面々が揃っていて、それに大南公司の社員と思われる人がいた。
「こちらは、大南公司の社員で、台湾出身の謝さんと許さんです。それから、タイ人の社員で、テーパニットさんとチナワットさんです。F機関の趣旨に賛同し、ボランティアを希望しております。」
謝さんが代表して挨拶した。
「社長の松下光廣から日本軍のお手伝いをするように仰せつかっています。」
「ご協力、感謝に堪えません。お互いに協力してマレー解放に努力しましょう。」
藤本少佐は、華人の二人を見て、この二人は、天が与えた配材だと思った。
「少佐殿、それからこちらは、マレーから避難してきた日本人の方々です。F機関の趣旨に賛同し協力を申し出られております。」
「鈴木です。アロルスターから来ました。」
「太田です。ジットラから来ました。」
「山下氏です。アロルスターからです。」
「ご協力に感謝いたします。現地の言葉が分かるあなた方は、心強い味方です。」
マレーのイギリス官憲は、日本軍が進行すると日本人を拘束していたので、鈴木らのように気転の聞く人はいち早く非難してきた。
F機関は、コタバル方面に米村少尉を派遣していた。南タイのハジャイには、マレー工作の残りのメンバー土持大尉、山口中尉、中宮中尉、瀬川少尉、小川少尉、滝村軍曹、野々村軍曹、坂井伍長、倉田伍長それに通訳の増淵佐平氏、大石藏造君、華僑担当の田代重遠氏、ハリマオ担当の神本利男氏の13名が集まっていた。たったこれだけの人数でインド軍創設、マレー臨時政府樹立、華僑工作、サルタン保護の多方面の工作をしなければならないと覚悟していたところ、マレー語の分かる大南公司他諸氏の協力が得られたことは今後の工作に期待が持てた。
藤本少佐は、全員を集め、訓示を行った。
「今回の戦争は、大本営により大東亜民族解放闘争と名付けられた。英蘭の植民地支配から脱却し、マレー民族・インドネシア民族、インド民族そして日本民族の自尊自立のための戦争である。日本陸海軍の作戦は、順調に推移しているが、我々は、工作に当たって、日本人ということを嵩にかかって、市民に対応してならない。特に、インド兵を独立軍に参加させることは、敵中に同志を求めるもので、勇敢な行動と口先の宣伝よりも実行による率先垂範が必要である。約束したことは必ず実行し、誠意と親切と情義を第一としなければならない。
私も含め諸君が、IILとKMMの同志と生死苦楽を共にし、衣食住を彼らの風習に同調することを切望する。また、一物たりとも市民の所有物を奪うことなく、暴力の行使は厳禁である。以上である。」
藤本少佐は、新しく参加した人たちにも今後の方針と計画を平易に説明した。
「大南公司の社員諸君並びに日本人移民の皆さん。ご協力に感謝いたします。しかし、これから我々の行くところは、戦場の硝煙が未だ立ち昇る戦地です。逃げた敵兵に襲われるかも知れない。可能な限り護衛はするが、もちろん命の保証はできない。」
「我々には、その覚悟があります。」
大南公司の謝さんが代表して答えた。
F機関の新たな船出の打合せが一段落したところで、ハリマオ担当の軍属神本利夫が、5人の男を藤本少佐に紹介した。一人は、中肉中背の浅黒い顔で、マレーの民族衣装の腰巻『サンピン』、黒のイスラム帽を身に着け、拳銃を2丁腰にしていた。他の4人も同じく民族衣装で、1丁の拳銃を腰につけていた。
「ハリマオこと谷豊君です。」
「君が谷君か。F機関長の藤本少佐です。イスラム教徒の日本人ということで大分苦労したようですが、君ならマレー独立の力になることができる。第25軍司令官山下中将が、君の働きに感謝していた。今後も、日本軍のため協力をお願いしたい。」
藤本少佐は、丁寧に頭を下げた。
「頭を上げてください。私は、この国のためになるならと思い、決起しただけです。」
ハリマオは、感動した。この人は、日本陸軍の少佐なのに移民の俺に頭を下げた。日本に一時居た時に、俺に頭を下げる人は、いなかった。それだけでも、この人の誠意は伝わるとハリマオは思った。
「自分にできることなら頑張ります。」
「私も協力しますよ。」
神本が焦って付け加えるように言った。自分でも日本のために何か出来る。そう実感したハリマオだった。
「第25軍からの新たな命令だ。今、パタニーに日本軍の安藤支隊がいる。支隊の目的は、早急に、マレー国境のクローを超え、ペラク河に架かる橋梁を確保し、撤退する英軍を追尾し殲滅することにある。君たちは、至急、ヤラーに赴き、安藤支隊と合流してくれ。安藤支隊には、マレーシア独立軍の部隊もいる。」
「分かりました。頑張ります。」
「期待しているぞ。」
ハリマオは、直ちに、命令書を携え、配下の者4名とバイクに乗り、ヤラーに出発して行った。
藤本少佐は、F機関から、パタニーからベトン街道を急進中の安藤支隊の方面にIIL宣伝班を組織し、派遣することにした。小川少尉と神本利夫が連絡班としていくことになり、ハリマオたちの後から、ハジャイ駅からコタバル方面の汽車で出発することにした。
さらに、藤本少佐は、第5師団主力のアロルスター方面に宣伝班を派遣することにした。
「早速で悪いが、中宮中尉、瀬川少尉、増淵さん、鈴木さんIILのメンバー2人と宣伝班として自動車で先発してくれ。」
土持大尉は、一行が出発すると、田代氏が住んでいたハジャイの町はずれの2階建ての住宅を藤本少佐に案内した。IILのハジャイ支部として用意していた。
2階のバルコニーにIILのヒンズー語と日本語の看板が設置してあった。土持大尉の心憎い配慮に藤本少佐もブ・シン氏も満足した。
すでに現地のインド人が数名来ていた。皆が見守る中、ブ・シン氏は、民族インドの国旗をそのベランダに掲揚した。ブ・シン氏の手は感動で震えていた。サフラン・白・緑の横三色の中央に「アショーカ・チャクラ」という法輪を配した民族旗は、夕日に朱くはためいていた。
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もうじき就寝の時間ですから今日はここまでとしましょう。
続きはまた、明日、お話します。
原田節子さんの病室を見回りました。
「節子さん、今晩は。」
「達矢さん、今晩は。お休みのキスをお願い。」
私たちは、挨拶がわりのキスをしました。




