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黄泉がえりの東條英機  作者: 広田昭和
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第5夜 黄泉がえり

「今晩は、東条閣下、ご機嫌はいかがでしょうか。」


「頗る良い。」


「それは、結構です。」


「さて、昨日は、大命降下が下ったという所で話が終わりましたね。今日は、その続きです。」


「そうだったね。では、黄泉がえりの話を聞いてくれ。」


「お願いします。」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 私は、宮城を退出すると秘書官の赤松君に告げた。

「明治神宮に参拝する。」

社殿に着くと、私は、一身を捧げる誓願を申し上げ、明治大帝に加護を祈った。少し、気分が落ち着いた。


「東郷神社に参拝する。」

赤松君にそう告げた。

私は、ここでも一身を捧げる誓願を申し上げ、大元帥に加護を祈った。私の気持ちは固まってきた。


「靖国神社に参拝する。」

赤松君にそう告げた。


 私は、終始車の中で無言だった。思いがけなく日本国の舵取りを任されたのだ。日米交渉、対米英蘭戦、支那事変など日本国の命運を左右する問題をどうすべきか。天皇陛下は、この私に期待し、首相の大任を託されるというのだ。臣下としては、粉骨砕身、ご信頼に答えるしかないと自分を奮い立たせ、覚悟を決めたのだった。


 そうした思案をしている時、赤松秘書官の声がした。


「閣下、どうされたのですか。」


「大命を拝したのだ。及川海相と木戸とよく相談して組閣を準備するようにと言われ、ただ恐れ入り、この上は、神霊のご加護によるほかないと信じ、まず、このように参拝しているわけだ。」


「そうでしたか。おめでとう存じます。」


 夕刻の遅い時間に陸相の参拝に、神主たちは驚いていた。私は、靖国神社の本殿に一人で昇殿し、玉串を奉納した。そして、この身を捧げる誓願を申し上げ、日本国に神のご加護があるようにと一心にひたすら祈っていた。


 突然、すーっと意識が薄らぐ感覚があった。意識が落ち着くと自分の後頭部の上1尺位から自分を見下ろしていた。自分の身体をよく見ると半透明だった。


(私は、死んだのか。)


すると別の意識がすぐに答えた。


(お前は死んでいない。死んだのは昭和23年の俺だ。それより、別の意識の塊が感じられる筈だ。それに意識を集中させろ。)


自分の意識のなかに意識の塊があり、その塊から聞こえた。


(東條君、板垣征四郎だ。君とまた仕事ができるな。)


(土肥原賢二だ。私もお前の意識を感じる。)


(閣下、武藤章です。東京裁判は出鱈目です。我々には使命があります。)


(東條君、広田弘毅だ。君たち軍人が帝国をめちゃめちゃにした。)


(東條大臣、木村兵太郎です。同じ過ちを繰り返すことはありません。何でも言いつけて下さい。)


(松井石根だ。支那を何とかしよう。なんでも協力するぞ。)


 6人の意識の塊から私の意識を遠ざけた。すると私の意識も遠のいた。そして、様々な感情とともに夢を見ているようなイメージが駆け巡ったのだ。

 陸軍大臣になった時の祝賀会。陸軍幼年学校で体躯が丈夫でなく教練がきつかったこと。絞首台に足を乗せた時の怖さ。親父が能を舞った時の顔。関東軍憲兵司令官となって権力を振るった時の快感。サイパンが玉砕して総理大臣を辞職したてからの空虚感。米軍が逮捕に来て拳銃で撃った時の胸の痛み。最後に天皇陛下が殉国七士の墓を親拝してくれたもったいなさ。

 それらが何の脈絡もなく、次から次へと脳裏に浮かんだ。


(私は、死ぬのか。)


 拝殿の板の間にうつ伏せでいる自分に気が付いた。


「今のは何だったのだ。」

ボソッと独り言を言いった。すると意識の中の別の意識が、私に話かけた。


(見ただろ。絞首刑になるんだよ。お前は。米国との戦争を開始した総理大臣として、敗戦の責任を負って絞首刑になる。)


「お前は誰だ。」


思わず私は声を出した。誰もいない拝殿に私の声が響いたので、びっくりした。すると再び頭の中で声がした。


(俺は、黄泉から来たお前の霊魂だ。)


(霊魂?)今度は、声を出さずに意識の中の声に聞いた。


(そうだ。死刑になって、骨を砕かれ、海に捨てられた7人の無念が今お前の頭の中に蘇ったのだ。)


「気が狂ったのか。」


また、声を出してしまった。


(いや、正気だ。それより、後頭部の1尺の高さに精神を集中させろ。なにか感じる筈だ。)

そう言われて私は、後頭部に意識を集中させた。すると何個かの魂が一つになった塊があるような気配を感じた。


(それは、お前と一緒に死刑になった6名、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、広田弘毅、松井石根、武藤章だ。7名分の骨灰が一緒くたに取集されたので、今頃、お前と同じように各自の頭の中に本人の霊魂が蘇って、他の6名の霊魂を感じている筈だ。)


(6名の霊魂が各自の頭の中に蘇った。)


(いいか。このままでは、日本は、対米英蘭戦に敗け、国土は焦土となり、軍人軍属200万人、民間人100万人が死ぬことになる。米国は、少し敗けたくらいでは戦争を止めないぞ。なんとしても米国との戦争は阻止しろ。)


「閣下、なにかございましたか。」


「いや、なんでもない。」


「そうですか。本殿の屋根が青白く光るので、心配になって来ました。」


「そうか。そんなことがあったか。」


霊魂がじっと頭の中にいるのを感じながら、私は辛うじてそう言った。

本殿を後にして、車に戻った。


「閣下、お顔の色が悪いようですが、ご気分でも悪いのですか。」


「いや、大丈夫だ。さて、官邸に戻ろう。これから忙しくなるぞ。赤松君。」


「それなら、安心しました。今日は気苦労が多かったので、ご気分が悪ければ言ってください。」


「ああ、分かった。そうするよ。でも大丈夫だ。」


(そうだ。俺よ、大車輪で組閣をしなければならないからな。)


『私』:(黄泉がえりの私は、先の世界を生きたから『先生』と呼んでいいかな。)


『先生』:(『先生』か?まあいいだろう。)


『私』:(先生、このままでは、死刑だから、型破りなことをしますか。)


『先生』(ああ、賛成だ。総理大臣の私はゴミ箱をあさりしたものだ。いくら役人が配給をごまかしていないかを見るためとは言ってもやりすぎだった。)


『私』:(そんなことをしたのかい?私がやりそうだな。はははは。)


『先生』:(いかにも。はははは。)


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 不思議な話ですね。死刑になった人が黄泉がえり、頭の中にいるなんて。ですが、もうじき見回りの時間ですから今日はここまでにしましょう。明日、私は休日ですから続きは、明後日、お話します

 墓から死者が蘇るのでなく、自分の頭の中に、未来で死んだ自分が黄泉がえり、同居するなんて聞いたことがない。精神病患者とはいえ、よくも考えたものです。

 この1週間は、長かった。精神病院の患者は、一般病院の患者よりある意味では扱い易い。自分の我が儘で用事を言いつけることもない。しかし、相手が相手だから相手の思っていることを否定したりするとまるで子供のように手が付けられない程怒るから大変です。




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