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黄泉がえりの東條英機  作者: 広田昭和
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第4章 組閣

 東條英機は、損な役回りだ。私が関東軍参謀長だった時、ドイツから逃れてきた2万人のユダヤ人が満州国を経由してアメリカに逃れるため、ソ連の満州里に大挙してやってきた。ユダヤ人は、関東軍の樋口少将に助命嘆願を行った。これを受けて樋口少将は満州国外交部と交渉し、ユダヤ人の入国を認めさせた。樋口少将に許可を与えたのが、上官であった私だ。当然、ドイツ政府から日本政府に対し激しい抗議があったが、私は「当然なる人道上の配慮から行ったものである。日本はドイツの属国ではない」と毅然とした態度で一蹴した。

 多分、A級戦犯にならなかったら私は、イスラエルから杉原千畝と同じように顕彰されたかもしれない。

そうならなかったのも近衛総理大臣を大真面目に駐兵問題で追い込んで、総辞職させ、総理大臣の職が自分に回ってきたからだ。


 私が、官邸に戻った時、すでに大命降下のニュースは伝わっていた。陸軍省詰めの新聞記者と報道部の人たちが気勢を挙げていた。

 木村兵太郎次官、武藤章軍務局長の出迎えを受けると、

「聞いてのとおりだ。大命を拝し、神様と相談してきたので遅くなった。」


黄泉がえりの自分が叫ぶ。

(ここで、東條は、変節したと思わせろ。大声だ。)と頭の中でこだまする。

「お上の叡慮は、和平だ!対米戦は回避だ。」

 私は、官邸内に響くように大声を上げた。木村、武藤は、ビックリしたようだ。

 直ちに稲田周一内閣総務課長を呼ぶように赤松秘書官に指示し、木村、武藤の2人を伴い、大臣室の和室に入った。


(おい。黄泉がえりのことを確認してみろよ。)

(なんて言えばいいんだ。気違いと思われるぞ。)

「武藤君、木村君。唐突で驚くかもしれないが、例えば誰も見てないところで30円を拾ったとして、警察に届けるべきだという気持ちと、いや誰も見てないからもらってしまおうという気持ちが脳内で戦うことがあるだろう。それが脳内で声として聞こえることがある。そんなことが実際にあると思うか、君たちはどうだろう。」

「ハッ、閣下、回りくどいであります。私も黄泉がえりです。私には使命があります。こう言えばお分かりいただけると思いますが。」

「私も黄泉がえりです。閣下、一緒に陸軍をなんとかしましょう。」

「そうか。君たちも黄泉がえりの自分が頭の中にいるんだな。」

「はい、今朝、5時頃、急にそうなりました。他の6名も私の中に感じます。」

「ええ、死後のことも分かります。日本の敗戦も教えてくれましたし、東條閣下に逆らって近衛師団長に転出させられることも知っています。しかし、頭の中がだいぶ騒がしくて困りますな。」

「武藤君、私も君と一緒に死ぬ未来だ。生まれ変わった気持ちで、過去のこと、いや未来のことは水に流してくれ。これからは協力してやっていかねばならない。それに木村君、君は次官だったばかりに私と一緒に死刑になり済まぬ。」

「閣下、こちらこそよろしくお願いいたします。」


 私たち3人は、再出発に興奮気味になった。

(黄泉がえりの私。今後の考えを2人に話してください。)

(お前の身体をちょっと借りるがいいか。)


「武藤君、木村君、私は黄泉がえりの東條英機だ。大東亜戦争は、原爆投下・ソ連参戦で日本の完敗となった。」

「それは、二人とも知っています。米国は、卑怯にも戦争準備が整うまで外交交渉を遷延させ、ハル・ノートで日本が絶対飲めない3項目を突き付けた。日本に先に攻撃させ、米国を欧州の戦争に裏口から参戦させるため。」

「そうだ。だから死刑囚7人が集まって、米国との避戦のためそれぞれ役割分担をしようと思っている。」

「分かりました。それでは、我々は、残りの4人に連絡をします。」

 その間、自分の意識は、五感から遮断され、意識の深みから『声』を聞いていた。そこは、薄暮のようだった。黄泉がえりの私が自分の五感から離れると自分は、再び意識の表層に出て、明るい世界に帰って来た。


 赤松秘書官に武藤は、声をかけた。

「大臣は、組閣でしょうから、我々はこれで失礼します。それから、大臣これは組閣のための陸軍の要望する人選リストです。」

「分かった。だが、私は、陸軍だけの代表ではない。今日から首相の立場でも万事処理をしなければならない。まあ、しかし、そっちも立場だから置いといてくれ。」

 稲田課長が来ると、私は、日本間に稲田課長、赤松秘書官と一緒に入った。

 書記官長となる人物と稲田課長との間が上手く回るようにと思った。

「まず、稲田課長、内閣書記官長を決めなければならないが、誰が良いだろうか。私としては、星野直樹氏か、塩原時三郎氏かどちらかを選びたいが。」

 私は、仕事一辺倒で、酒は嗜む程度だったから余り付き合いが広い方ではないので、人脈は少ない方だった。少ない中でも満州国時代に知己を得た星野直樹、岸信介とは親しかったのだ。今度の組閣に当たっても当然彼らに期待した。

 稲田課長の進言により、星野氏に内定した。赤松君が、自宅に連絡を入れようとしたので、黄泉がえり前の私が、助言した。

「星野君は、歌舞伎座に居ると思うよ。」

赤松君が、歌舞伎座に電話を入れると果たして当人が出た。

 やがて、星野君が車で官邸に駆けつけた。

「やあ、お楽しみのところすまんね。大命を拝受したのだ。」

「歌舞伎座にも号外が伝わっていますよ。」

「そうか。早いな。」

「閣下、とうとう捕まってしまいましたね。」

「私は泥棒じゃないぞ。捕まったはひどいな。書記官長を頼むよ。」

「お受けします。」


 星野君は、第2次近衛内閣のとき企画院総裁だったが、辞任してもらうことになった時、近衛は、自分で辞任のことを言うのを嫌がって、満州時代から親しかった私にその役を押し付けた。仕方がないので、私が辞任の事を言うと男らしくあっさり辞めたので、改めて好感をもったものだ。

「陛下から9月6日の御前会議の決定を白紙に戻すとの御諚があった。叡慮は、和平にある。対米交渉をなんとしても妥結に導かねばならぬ。そのための組閣をせねばならない。」

「白紙還元の御諚ですか。して外務大臣は、誰を。」


(広田弘毅と言え。黄泉がえりの仲間だ。)

「広田弘毅氏か東郷茂徳氏を考えているが、できれば広田氏と考えている。対米最終案を取りまとめ、直ちに、アメリカに飛んでもらわねば。」

「広田氏がよろしいかと。広田氏は、外交官として米国にもいましたし、米英との協調外交、日独伊三国同盟の反対でも知られています。」


 広田氏に電話をした。

「広田さん、外相をお願いしたい。もちろん黄泉がえりの『声』を聞きました。」

「東條さん、私も声を聞きました。ですが、お断りします。」

「どうしてですか。」

「陸軍のしたことを考えてください。中国との戦線不拡大を邪魔し、冀東防共自治政府のような傀儡政権を作り、国民党政府との外交交渉をつぶしたのは、土肥原賢二じゃありませんか。それに、私は高齢です。東郷茂徳君にお願いをした方が宜しいでしょう。」

「広田さん、何歳になりましたか。」

「満で63歳です。」

「まだ、老け込む歳ではないでしょう。黄泉がえりだから頼んでいるのです。あなたが死刑にならないことが、日本のためになるのです。陸軍は私が押さえます。」

「軍部は、戦争が仕事ですから、お付き合いできません。」

「広田さん、天子様の大御心は、和にあります。はっきり確認しました。米国とは絶対に戦争をしません。約束します。それでも、だめですか。」

「東條さん、対米交渉は、日本が拒否する他ないハル・ノートでお仕舞となりますが、どうされますか。」

「それについては、後日、改めて黄泉がえり7人で決めたいと思います。」


 自分から言うのもなんだが、私の仕事能力は一流だと思う。しかし、政治や外交の手腕はないに等しい。スターリン・ルーズベルト・チャーチル・ヒトラーの相手などができる器量はない。黄泉がえり達の知識で世界を相手にするしかない。

「そうであれば、まあ、受けるしかないでしょう。軍部を必ず抑えてくださいよ。青年将校に殺されるのは嫌ですからね。」

「分かりました。何度も言いますが、天子様の叡慮は和平ですから。」


 閣僚就任が、電話交渉のみで決まったのは、文相の橋田邦彦(留任、戦犯指定で服毒死)、農相の井野硯哉(留任)、厚相の小泉親彦(留任、戦犯指定で割腹死)、企画院総裁の鈴木貞一(留任、東條の三奸の一人、戦犯指定、終身禁固)、商工相の岸信介(戦犯指定不起訴)、司法相の岩村通世(留任、戦犯指定不起訴)の6人であった。

 私が、直接面談した上で決まったのは、蔵相の賀屋興宣(留任、戦犯指定、終身刑)、逓相・鉄相の寺島健(海軍推薦、戦犯指定不起訴)だった。

 海軍は難航した。当初、豊田副武を推薦してきたが、当人が、首相が東條だと知ると固辞した。私の方もご遠慮願った。すると、今度は、嶋田繁太郎大将を推挙してきた。ところが、嶋田も時局が困難であることを理由に固辞した。私は、嶋田に面談し、白紙還元の話、大御心は和であると説明し、ようやく諒解してもらった。しかし、返答は、一晩留保された。


 同日、陸軍三長官会議の決定で、異例であるが、私は首相と陸軍大臣を兼任した。首相は、勅令で現役のままでは就任できなかった。ただし、山県有朋、桂太郎、寺内正毅の前例があった。さらに、大将になるには、中将在任期間が1か月足りないことが判明したが、海軍大臣に就任する人物は、大将だろうからということで、急遽、昇進が決まった。さらに、日米交渉が成立した場合、国内の騒乱が予想されるため内務大臣を兼任することにした。


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