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黄泉がえりの東條英機  作者: 広田昭和
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第3章 大命降下

 永かった大東亜戦争が終了した。今、自分の頭の中にもう一人の東條英機がいる。彼が言うには、この戦争が終了した以上、彼は消える運命にあるらしい。もう一人の「黄泉がえり東條英機」(自分は、そう呼ぶ。)の記憶が消えてしまわない内にこの話を終えてしまわなければならない。我々「殉国七士」の戦記を聞いてくれ。


 昭和16年(1941年)10月15日午後5時、近衛文麿が、内閣辞職の意向を示した。私も、彼の求めに応じ、陸軍大臣の辞職届を提出した。

 近衞内閣総辞職の責任の一端は、私にある。近衛は、日米交渉の行き詰まりを打開するため、支那撤兵で陸軍の妥協を求めたが、私は、断固拒否した。近衛は、9月3日に決定した帝国国策要領のやり直しを言い始めた。

 私は、御前会議の決定をやり直すなら、その時のメンバーは、総辞職すべきで、後任は、東久邇宮を首班に推すのが良いと考え、企画院総裁の鈴木貞一に近衛にそのように提案するよう依頼した。10月15日、近衛は、天皇に近況報告し、東條が東久邇宮内閣を言い始めていると辞職をほのめかし、16日には、総辞職を固めたのだった。


 翌日17日は、金曜日だった。午前5時頃だろうか。私は、嫌な夢にうなされた。どういう訳か、絞首刑台の前に自分が立っているのだ。刑務官に床の○印の場所に進むよう促された。すると黒い袋を頭から被された。そして、カタンと音がして、私の意識は遠のいた。


 そこで、私は、思わず起き上がった。驚いた勝子が、

「あなた。どういたしまして?」

「大したことはない。夢見が悪かったのだ。水を一杯くれ。」


 カツ子が持って来た水を飲み干した。

「あなた。最近、遅くまでお疲れですわ。まだ、起きるには早いので、お休みくださ

いませ。」

「そうだな。寝なおすか。」

 目を閉じたが、私は、なかなか眠れなかった。意識の中に何か潜んでいる気がした。その正体が分からないので、意識を研ぎ澄ませたので、ついに寝なおすことはできなかった。

 朝食を食べると妻のカツ子に「今日は、遅くなるかも知れん。」と言って迎えの車で家を出た。午前中、天皇陛下からのご下問に備え、軍務局に、日米交渉の資料をまとめ、支那撤兵に対する譲歩案の上奏文を用意するよう指示し、大臣官邸の荷物の整理を始めていた。


「赤松秘書官、私もこれで政治向きのお役目から解放されるだろう。肩の荷が降りた気分だ。陸軍幼年学校に入ってから42年、よく陸軍大臣まで登りつめたものだ。」

「いやいや、閣下は陸軍の柱石ですからまだまだご活躍を願わねばなりません。」

「近衛内閣を総辞職させたのは、私だ。大臣留任はない。」

「陸軍大臣になったあとは陸軍参議官、陸軍大将で予備役だ。」

「いやいや、閣下にはまだまだ頑張ってもらわねばなりません。」


 最近、父英教の事を良く思いだす。

私が東京陸軍幼年学校に在学中、土曜日に実家に帰った私に、父はつぶやいた。


「腹背に敵の攻撃を受けた。負けて堪るものか。」

「長州閥には負けないぞ。」 

あるときは、こうも言った。

「山県有朋が陸軍をダメにする。」

 

 1901年5月、父は陸軍少将に昇級するとともに陸軍参謀本部第四部部長から姫路の第八旅団長に転属になり、陸軍中枢から外された。私は陸大首席の父が重用されないのは、長州閥のせいだとの思いを強く持っていた。父の養護者であった参謀総長川上操六大将が逝去してから2年経っていた。川上は、薩摩出身にも関わらず本人は派閥意識を持たず、出身藩にこだわらず幅広く人材を登用した。

 父東條英教は、南部藩士英俊の長男に生まれ、陸軍大学校1期生を首席で卒業し、1886年30歳で陸大教官となった。将来の陸軍幹部が約束されたのも同然だった。

 独力で将来の陸軍幹部の地位を得た父は、祖父英俊にとって自慢の息子だっただろう。祖父は、南部藩士野村家から養子として南部藩能楽師宝生家に入ったが、藩政改革の中で能楽師の地位を失い、明治維新で、藩士の禄を失い、能楽伝授と儒学の東條学の塾により辛うじて生計を立てた。暮らしは、楽ではなかった。

 1873年、父は上京し、下士官養成機関の陸軍教導団歩兵科に入団し、西南戦争で武功をあげ、1880年参謀本部勤務を命じられた。陸軍大学校ができると14名の第1期生に選抜された。

 父の人生設計が狂い始めたのは、ドイツに留学した時、1889年だろう。陸軍卿、参謀総長を歴任した山県有朋が、欧州視察の途中ベルリンに立ち寄った。父英教と同期の井口省吾は、山県に対し、長州閥人事を是正するよう直言した。30歳の若造に対し、山県は、大人な対応をしたらしいが、その時の鬱憤は忘れていなかったらしい。川上操六が逝去すると父は、参謀本部から追い出されたからだ。日露戦争が始まると1904年5月、父は、第八旅団長として満州に出征した。しかし、9月、父は師団長のまま姫路に呼び戻された。父は語らないが第10師団長川村景明と用兵の問題で衝突したらしい。日露戦争のあと1907年11月、1日だけの陸軍中将を最後に53歳で予備役となった。

 父が予備役となった1か月後、私は中尉となり、近衛歩兵第三連隊に配属された。近衛師団は宮城を守る師団、そこに配属された私の気持ちは、誇りに満ちた。しかし、一方で、私は、父のようにはならないと長州閥が幅を利かせる陸軍で、人に漬け込まれる隙を見せないように気を配った。もちろん反長州閥、山県有朋の悪口は、一切隠した。


「赤松君、この額縁を君に送るよ。」

『努力即権威』と墨書された額を手に取った。

「これを座右の銘として、今後は君が頑張ってくれ。」


 私は、努力を重ね、慎重に立ち回ってきたつもりだ。そんな私の座右の銘が、「努力即権威」だ。しかし、東京陸軍幼年学校では、成績は振るわなかった。努力の仕方が中央幼年学校に入ってから分かったのだ。


「赤松君、私の努力のやり方は、学生の時は、教科書を丸暗記し、士官になってからは、配属された部署の例規を丸暗記するというものだ。こうすれば、上司から何を聞かれても即答できた。むしろ、上司の命令が間違っている時には、即座に指摘できたのだよ。それに、知っての通りの私はメモ魔だ。」

「まさにカミソリですね。」

「しかし、これを実行したから大臣にまで昇進できるとは思っていなかった。本当に運が良かったのだろう。」


 午後1時になると次期首班を決める重臣会議が始まった。自分の推した東久邇宮内閣が誕生するのか、落ち着かない時間が流れた。午後4時半頃、宮内省より至急参内するように電話があった。

 ちょうど杉山元参謀総長も来ていたので、参謀本部として、陸軍の要望事項、対米交渉の打ち切りを説明できるようにと依頼した。

「杉山さんにもお召がある筈だから予め準備をした方がよい。」


 私は、日米交渉の資料と支那撤兵可否の上奏文をカバンに入れ、赤松陸軍大臣秘書官とともに、参内した。

木戸内大臣から「本日はお椅子を賜らない。」といわれた。いつも奏上の後は、ご懇談の椅子が賜られるので、これは叱られるなと思っていた。


「東條英機、ケイに組閣を命じる。」

 天皇陛下の甲高い声が上から降ってきた。雷に打たれたような戦慄を感じた。

「憲法の条規を遵守するよう。事局は極めて重大なる事態に直面せるものと思う。この際、陸海軍はその協力を一層密にすることに留意せよ。」


 私は茫然としてしばらく奉答するのも忘れていた。

「暫時猶予を与える。及川も呼んであるので、木戸内府とよく相談して組閣せよ。」

 その時、私の口が勝手に動いた。

「陛下の大御心は、和戦いずれにありますか。」

天皇陛下は、一瞬、目を見開かれた。

「朕の心は、明治天皇御製の歌と共にある。」

「四方の海 皆はらからと思う世に など波風の立ち騒ぐらむ」

陛下は、この歌を二度朗読あらせられた。

「自分は常に明治天皇の平和愛好の精神を具現したいと思っておる。」

 この歌は、9月の御前会議でも天皇陛下は、同じように二度朗読あらせられた。


 畏まって御前を退出し、控室に戻って、じっと待っていると及川海軍大臣と木戸幸一内大臣が入ってきた。木戸内府は、自分と及川海相に陛下の言葉を伝えた。 


「ただ今陛下より、陸海軍協力云々のお言葉がありましたことと拝察しますが、なお、国策の大本を決定せらるるについては、9月6日の御前会議決定に捉われることなく、内外の情勢をさらに広く検討し、慎重なる考究を加えるを要す、との思召しであります。命によりその旨申し上げます。」

 私の顔面は、蒼白になっていただろう。手がぶるぶる震えて、木戸の言葉の意味を反芻していた。

 近衛文麿総理大臣も陸軍大臣の自分も東久邇宮稔彦王殿下を後継首班に指名しておいたのに思いもかけず、天皇陛下は、なぜ自分を指名されたのか。難しい時期にこれは、大変なことになったものだと思った。

 難しい時期というのは、日米交渉が、暗礁に乗り上げた形になったことだ。アメリカは、9月25日の日本側の提案にダメを出し、近衛の提案した首脳会談も時期尚早と拒否したからだ。


 宮城を退出すると秘書官の赤松君に告げた。

「明治神宮に参拝する。」

 社殿に着くと、一身を捧げる誓願を申し上げ、明治大帝に加護を祈った。少し、気分が落ち着いた。


「次は、東郷神社に参拝する。」

 赤松君にそう告げた。

 ここでも一身を捧げる誓願を申し上げ、大元帥に加護を祈った。自分の気持ちは固まった。


「靖国神社に参拝する。」

 赤松君にそう告げた。

 終始車の中で無言だった。思いがけなく皇国の舵取りを任されたのだ。日米交渉、対米英蘭戦、支那事変など皇国の命運を左右する問題をどうすべきか。天皇陛下は、先の御前会議の結果を白紙撤回し、総理大臣の大任を自分に託されるというのだ。臣下としては、粉骨砕身、ご信頼に答えるしかないと自分を奮い立たせ、覚悟を決めたのだった。

 そうした思案をしている時、赤松秘書官が声を掛けた。

「閣下、どうされたのですか。」

「思いかけず大命を拝したのだ。」

 今度は、赤松秘書官が沈黙した。

「及川海相と木戸とよく相談して組閣を準備するようにと言われ、ただ恐れ入り、この上は、神霊のご加護による他ないと信じ、まずは、このように参拝しているわけだ。」

「そうでありましたか。おめでたく存じ上げます。」


 夕刻の遅い時間の陸軍大臣の参拝に、宮司たちは驚いていた。赤松君を残し、靖国神社の本殿に一人で昇殿し、玉串を奉納した。そして、この身を捧げる誓願を申し上げ、皇国に神のご加護があるようにと一心にひたすら祈っていた。


 突然、すーっと意識が遠のいた。ぼんやりした意識がはっきりしてきた。自分は、自分の後頭部の3尺位上から自分の身体を見下ろしていた。その身体をよく見ると半透明だった。死んだ人の霊魂が自分の身体から離れる時にこうして自分を見ると聞いたことがある。

(自分は、死んだのか。)

(お前は死んでいない。死んだのは7年後のお前だ。昭和23年のお前だ。)

(えっ。昭和23年の自分が死んだ?)

(そうだ。昭和23年にお前は、絞首刑にされ、死ぬ。)

(そうか、今朝の夢はお前の仕業か。)

(そうだ。それより、別の意識の塊が感じられる筈だ。それに意識を集中させろ。)


 自分の意識のなかに突き当たる塊があり、その塊から声が聞こえた。

(東條君、板垣征四郎だ。貴様とまた仕事ができるな。)

(土肥原賢二だ。私もお前の意識を感じる。)

(閣下、武藤章です。東京裁判は出鱈目です。我々には使命があります。)

(東條君、広田弘毅だ。君たち軍人が帝国をめちゃめちゃにした。)

(東條大臣、木村兵太郎です。同じ過ちを繰り返すことはありません。何でも言いつけて下さい。)

(松井石根だ。支那を何とかしよう。なんでも協力するぞ。)

 意識の塊は、7人の意識の集合体のようだ。塊から自分の意識を遠ざけた。すると自分の意識も遠のいた。そして、様々な感情とともに夢を見ているようなイメージが駆け巡った。

 陸軍大臣になった時の祝賀会。陸軍幼年学校で体躯が丈夫でなく教練がきつかったこと。絞首台に足を乗せた時の怖さ。父親が能を舞った時の顔。関東軍憲兵司令官となって権力を振るった時の快感。サイパンが玉砕して総理大臣を辞職してからの空虚感。米軍MPが逮捕に来て拳銃で撃った時の胸の痛み。天皇陛下が殉国七士の墓を親拝してくれたもったいなさ。

 それらが何の脈絡もなく、次から次へと脳裏に浮かんだ。


「我ゆくもまたこの土地にかえり来む 国に報ゆることの足らねば」(東條英機辞世の首)

(どのような理由か分らぬが、自分は、再びこの東條英機の身体に魂だけが宿ったようだ。黄泉の国から返ったので、もう一度、総理大臣として指揮を採れということか。それにしてもやり難い。他の6人と一緒というのは。)


 どの位、時間が経過したのだろう。拝殿の板の間にうつ伏せでいる自分に気が付いた。


「今のは何だったのだ。」

 ボソッと独り言を言いった。すると自分の意識の中の別の意識が、話かけてきた。

(見ただろ。絞首刑になるんだよ。お前は。米国との戦争を開始した総理大臣として、敗戦の責任を負って絞首刑になる。)


「お前は誰だ。」

 思わず声を出した。誰もいない拝殿に自分の声が響いたので、びっくりした。すると再び頭の中で声がした。

(私か?もう分っているだろう。黄泉から来たお前の霊魂だ。)

(霊魂?)今度は、声を出さずに意識の中の声に聞いた。

(そうだ。死刑になって、骨を砕かれ、海に捨てられた7人の無念が今お前の頭の中に蘇ったのだ。)


「気が狂ったのか。」

 また、声を出してしまった。

(いや、お前は正気だ。それより、後頭部の1尺の高さに意識を集中させろ。なにか感じる筈だ。)

 そう言われて、自分の後頭部に意識を集中させた。すると何個かの魂が一つになった塊があるような気配を感じた。

(それは、お前と一緒に死刑になった6名、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、広田弘毅、松井石根、武藤章だ。7人分の骨灰が一緒くたにされたので、今頃、お前と同じように各自の頭の中に本人の霊魂が蘇って、他の6人の霊魂を感じている筈だ。)

(6人の霊魂が各自の頭の中に蘇った。)

(いいか。このままでは、日本は、対米英蘭戦に敗け、国土は焦土となり、軍人軍属200万人、国民100万人が死ぬことになる。米国は、少し敗けたくらいでは戦争を止めないぞ。なんとしても米国との戦争を阻止しろ。)


「閣下、なにかございましたか。」

 赤松秘書官が声を掛けた。

「いや、なんでもない。」

「そうですか。本殿の屋根が青白く光るので、心配になって来ました。」

「そうか。そんなことがあったか。」


 霊魂がじっと頭の中にいるのを感じながら、自分は、辛うじてそう言った。

 本殿を後にして、車に戻った。

「閣下、お顔の色が悪いようですが。」

「いや、大丈夫だ。さあ、官邸に戻ろう。これから忙しくなるぞ。赤松君。」

「それなら、安心しました。今日は気苦労が多かったでしょう。ご気分が悪ければ言ってください。」

「ああ、分かった。大丈夫だ。」


 大車輪で組閣をしなければならないな。

(おい。黄泉がえったという自分。このままでは、日本は敗戦なんだな。自分は、どうすればいいのか。)

(変心したと思われるくらいの大胆な方針転換が必要だ。どこの世界に総理大臣がゴミ箱あさりをするか?いくら役人が配給をごまかしていないかを見るためとは言ってもそんなのは聞いたことない。)

(そんなことをしたのか?うーむ。思い当たる節がある。)

(いかにも。はははは。やりすぎだよ。)


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