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エッセイ

海の水着を山で脱ぐ

作者: 仲山凜太郎

 夏である。温暖化の影響か、連日体温並の暑さが続いている。

 体温なみの暑さ。想像して欲しい。全裸のむさ苦しいおっさんがピッタリ抱きついて顔をペロペロなめている姿を。不快極まりない。それだけ今の夏は不快な季節なのだ。

 もっとも、それも気分の問題ではある。想像して欲しい。裸の若い女の人がピッタリ抱きついて胸を押し当て体中にキスしてくれる姿を。極楽である。この酷暑も、気分次第で克服できるかも知れない。


 先日、海水浴客が毎年減少し続けているというニュースを見た。レジャーの多様化とか、日焼けを嫌って屋内プールに流れたとかいろいろ理由が書かれていたが、私的には子供心の減少が一番大きいと思っている。子供の減少ではない、子供心の減少である。

 以前、どこかで「若者は海を好み、年を取るに従って山を好むようになる」というのを読んだ記憶がある。

 実際、海には若者がよく似合う。「元気」が似合うと言い直してもいい。体の内にたまったパワーを思いっきり外に向かって放出する姿が似合うのが海だ。

 だからこそ人は海辺で生殖相手を探すべく肌を見せ、夕日が照らす砂浜を走り、男同士は拳で友情を育み、沈む夕陽にむかって「バカヤロー」と叫ぶのだ。

 これが山ならどうだろう。肌を見せれば虫に食われ草で傷つけ、田んぼのあぜ道を走っては肥だめに落ち、牛舎の前で殴りあっても見ているのは牛だけだ。山に向かって「バカヤロー」と叫んでも「お前がなー」と山彦が返ってくる。

 元気が似合わないとは言わないが、海に比べるといくらか落ちるのは否めない。

 やはり海には若さが似合う。


 では、山に似合うのは何だろう? 海の内なるパワーの発散に対し、山に似合うのは外部からのパワーの吸収である。海水浴と森林浴の差と言えばわかりやすいだろうか。

 天に向かって両手を広げ「山に育む草木よ小動物達よ、オラに元気を分けてくれ」である。

 失った元気を吸収し、体内の疲れを浄化する。それが山にはよく似合う。

 食べ物だってそうだ。山はキノコ、木の実、その多くがちょっと手を伸ばせば届く場所にある。山で生きるのに必要なのは若さよりも経験である。

 しかし、海の食べ物はその多くが手に入れるのに激しい動きを伴う。魚はもちろん、海草だって海に潜らなければならない。

 海で生きるにはパワーが必要なのだ。そしてパワー溢れる生き物ほど海が似合う。山にもパワーある生き物はいるが、海の生き物には叶わない。

 熊や虎がクジラや鮫に勝てるだろうか。いや、住んでいる場所自体が違うから比較のしようがないか。

 海で戦えばクジラや鮫の圧勝だろうが、陸で戦えば熊や虎の方が強い……いや、もがき暴れるクジラに押しつぶされて終わりかも知れないが。


 話を戻そう。

 人はなぜ、海に向かうのか? 若さがそうさせるのだ。若さが自分たちが活躍できる場を求めて海へ足を向けさせるのだ。海へ行ってナンパして、目指す異性を求めて砂浜を走り、目当ての異性を取り合い夕日の中で拳を振るい、負けて海に「バカヤロー」と叫ぶのである。

 そして、それが出来る若者が減少したからこそ、海水浴客が減ったのである。

 海水浴客の減少。それは、日本が若さを失ってきた証拠なのだ。海辺で遊びたい。上下する波のエレベーターを楽しみたい。砂でお城を作りたい、スイカをたたき割りたい。首から下を砂で埋めたい。そんな子供心を失った結果が海水浴客の減少なのだ。たぶん。

 海に行かなくてもプールがあるという意見もあるだろうが、プールには海に比べ「元気一杯遊びたい」という要素が少ない。むしろ夏のファッションのひとつとしてプールを見ているんじゃないかと思う時がある。プールサイドでスイカ割りをしている人がいるか? 首から下をコンクリートで埋めて遊んでいる人がいるか? 床を砕いてお城を作る子供はいるか?

 違うのだ。海とプールは違うのだ。カレーだって焼きそばだって氷イチゴだって、プールサイドよりも海の家の方が似合うのだ。


 海に行かなくなった人達はどこに行くのか?

 山である。温泉である。若者ですら海ではなく温泉に浸かりたいという人がいる。幼児に将来の希望はと聞けば「安定した老後」、今の心配なことは「年金問題」という返事がくる。今や海よりも山が娯楽の中心となりつつある。

 漫画だって、今や読者サービスは海での水着姿より温泉での入浴シーンの方が多い……気がする。

 思い浮かべて欲しい。海の水着姿対温泉の全裸……ふっ、温泉の圧勝だ。

 だが、水着のサービスにも全裸を上回る点がある。水着は動きを伴い、不特定多数の人に見せるが、温泉は浴室という閉鎖空間で動きはほとんどない。温泉の脇で全裸バレーをしている人など、企画もののAVぐらいでしかお目にかかれない。

 この差を生み出すのは何か? そう、若さである。パワーである。水着のサービスが若者限定なのも、それがパワーを必要とするサービスだからだ。そして今やこのパワーを持つ若者が減っている。

 若さに欠けた人達がパワー溢れた行動をするには、よそからパワーをもらわなければならない。

 だからこそ、パワーを補充できる山に向かうのだ。

 しかし、それは日本人が若さを失いかけている証拠でもある。

 日本では「精神年齢の高齢化」が進んでいるのだ。

 人々は海水浴客の減少に、もっと危機感を持つべきなのだ。


 ……なにやら力んだ文章で書いてて疲れた。スーパー銭湯にでも行ってマッサージしてもらって来るか……

 どっこいしょ。


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