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♯3 英雄と巫女の話


♯3.1 英雄の話




 気付くと、深い森の底にいた。鳥の声や風の音がする。自分は、たしかに死んだ筈だが。何に助けられたのか。左手を僅かな木漏れ日にかざす。

 

「あれ」

 

 肘から先が無い。

 

「あちゃあ」

 不思議と頭はスッキリとしていた。暗くてわかりづらいがよく見ると残った腕も透けて木々が見える。

 

「やっぱり死んだかな」

 

 アンデッド、いや幽霊にでもなったのだろうか。ゾンビでないだけマシだが。

 自分の体を確認する。右手は小指がなくなっていた。これは記憶がある。砦で部下を庇った際に骨が見えるまで深く切って、時間もないから御守りに身に付けていたセシリーが刺繍したハンカチで止血したのだけど。体が欠けた事よりもハンカチを失くしたらしい事の方が堪える。


 親指には爪が無い。幽霊になったのだからもう生えてはこないかな。顔に触れる。ザラザラした傷跡が確認てきる。右眼の視力も失ったままだ。

 それにしても、どうせなら五体満足に戻した姿で幽霊になれたら良かったのに。両足はあった。足こそ透明なんじゃないかと安易な幽霊のビジュアルを思いだしたがブーツの先まで確認できる。

 これ、脱げるのか? 体を起こし、片手で苦労したが脱げた。

 靴擦れのひどいタコだらけの足は取り敢えず指先まである。ブーツは透けていて、ボロボロだが装備し続けなければならないと主張しているようだ。まさか幽霊ものも扱う衣料販売店なんてあるはずがない。

 そもそも草などは通り抜けてしまう。恐らく触れて、感触があるのは透けているもの、自分の体と死んだ時に装備していた衣服だけなのだろう。

 

 自分は硬い、岩の上に寝ていたようだ。大きな木々でよく見えないが多分昼間。

 で、一体どうして幽霊になって森にいるのか。

 

「ここはどこかな?」

 当然だが返事はない。

 

 目が覚めてから一週間、分かったことがある。まず、この森だが出口はない。いや、あるのかもしれないが広大すぎて森しかない。人の気配もない。

 またここは母国の跡地らしい。骨などは土に還ったのか見つけられなかったが、俺が横たわっていた岩だと思ったのは砦の残骸だった。こんなにも深い森になるなんてあれから何百年時が経ったのか。帝国はこの地を放置したのだろうか。

 他にわかったことは、動物達はどうやら俺のことが見えているらしいこと、魔法は使えること、物体には触れられないが、通り抜ける時にゾワゾワと不快な感覚がする為、直前で風のような圧力をかけて避けることを覚えた。あとは腹も減らず睡眠も欲しない、便利な体になったというくらいだ。

 それにしても。これから何をすればよいのか。途方に暮れた。

 

 





 再会は奇跡的であり、必然でもあった。これは運命以外の何ものでもない。

 



 何年経ったのか。ある日突然現れた勇者一行。彼らはこの森を【嘆きノ森】と呼んでいた。

 己の生を振り返り、死んでいった者達を供養するだけの退屈な日々に限界が来ていた俺は勇者一行の前に姿を見せた。

 見えないのではという一瞬感じた不安は、

いきなり攻撃されたことにより杞憂に終わった。これで、本当に死ねると喜んだのも束の間、攻撃は物の見事に俺にダメージを与えなかった。

 

「なんだ。勇者も大したことないね」

 

 攻撃の仕方を見るに、これなら俺の部下達の方がよっぽど強い。挑発とも取れる言葉に激怒した勇者一行は猛烈に攻撃を仕掛け、勝手に燃料切れになっていた。

 

「こんなレベルで魔王を倒せると思ってんの」

 

 俺が死んでから随分と世界は甘くなったらしい。この勇者達は紛い物かと疑ったが勇者の印やら聖剣がうるさい程に本物だと主張していて。世界の行く末が心配になった。

 勝てないと、もはやここまでかと死を覚悟した彼らに今更ながら俺に攻撃の意思はないことを伝える。

 そんなの信じられるわけないでしょと幼女が喚いていたが華麗にスルーし、フワフワと漂いながら話しかける。

 

 そもそもなんでいきなり攻撃してきたの? あーゾンビだと思った? やだなあ俺透けてるから違うよ。ゴースト? うん、そうそう多分似たようなものかな。俺の地元だと幽霊って呼ぶんだ。みんな出身どこ? 

 

 根気強く話しかけてみると単純な事に勇者一行は気を許したらしく外の世界のことも教えてくれた。驚くべきことに、我が国が滅びて十年ほどしか経っていないという。

 戦争に勝利した帝国軍は更地になってしまった我が国では冬を越せないと一時撤退し、そのまま帝国内で起きた内紛に対処している間に我が国は瞬く間に森に飲まれてしまったそうだ。

 何の魔法もしくは呪いで森になったのか解明出来ないでいるうちに帝国は瓦解し、魔王が現れ世界は混迷状態にあるそうだ。

 彼らは予言に従い復活した魔王を倒すために旅をしているという。精霊信仰に詳しくない俺だったが聖魔教は一般常識として知っており、予言についても軽くだが教わっていた。まあ俺はもう死んでるし、守りたいものも、もう無いから勇者一行が勝とうが魔王が勝とうがどちらでもいい。


 勇者のメンバーはリーダーである元平民のイケメン剣士、屈強な元剣闘士、魔法使いの幼女、王族である聖女、弓使いであるエルフの女の五名だ。エルフなんて初めて見た。だが、さっき戦った感じだと魔王が余程弱くない限り勇者一行は負けるだろう。

 

「それで? どうしてこの森に?」

「実はこのままだと魔王に勝てないと考えまして、巫女に精霊達の力を借りてもらえないかと頼んだのですが。協力的ではなく無視され続けまして、漸く貰えた返事が乗り気でないの一言。ですから直接会って巫女を説得しようと。どうやらこの森にいるらしいのです」

 疲れた様子で聖女が説明してくれた。

 

「巫女?」

「ええ。妖精や精霊と言葉を交わせ、使役することすら可能な世界で唯一の存在です。世の均衡が崩れると現れ、我々を救うと伝えられてきました」

 

 どこかで聞いたことがあるような話に、予感と期待に溢れる心をそんなわけないと落ち着かす。

 聖女は懐から拳ほどの歪な石を取り出した。表面が発光し、銀河を含んだような不思議な輝きを放っている。昔、城の温室で見た石に似ている気がする。

 

「これは、巫女とやり取りするための石です。詳しい使い方は言えませんが、これを使えば魔力を妖精を見る力に変換することも可能です。この石を使い、この森に妖精達が多くいることを突き止めました。その反応から巫女もこの森にいるのでは、と」

「残念だけど俺もこの森広過ぎて詳しくないから、巫女って奴がいるのかは分からない」

「そうですか……」


 落ち込む勇者一行。だが俺はそれより気になることがあった。

「あのさ、もしかして。石を使えば俺でも妖精が見えたりする?」

「ゴーストに効くかはわかりませんが……試してみます?」

 

 聖女はあっさりと石を差し出してきて。通り抜けないように、慎重に石に手を近付けて魔力を流し込む。ブワッと風に包まれ。目を思わず瞑り、開けるとそこは世界が違っていた。

 色とりどりの羽根の生えた、手の平程の妖精達が楽しげに、クルクルと風に舞う。花の上に座るもの、キノコの上で寝ているもの、勇者一行の真似をして笑い転げるもの。服を纏わぬ性別不明な出で立ち。無邪気な笑顔。不思議な光。皆、実に愛らしく可愛らしい。

 

「これが、セシリーが見ていた世界」

 

 彼女に一瞬近づけた気がしたのはただの幻想か。それとも。

 知らず、涙が零れ落ちた。

 




「ありがとう」

 そう言って石から離れる。

「いえ。そういえばあなたの名を伺っていませんでした」

「ああ。俺はこの地にあった国で騎士団長をしていた。ルイス・ジャレッド・ローランズだ」

「はっ? てめ、ひょっとして哀色の終焉閃光か?」

「なにその痛々しい名前絶対違う」

 

 それまで黙っていた剣闘士の大声に、即突っ込む。

「間違いねえよその隻眼に藍色の髪! 王都前の砦で一人で数万の帝国軍相手に三日三晩、ゾンビのような姿になっても戦い続けた神出鬼没な死の悪魔! まさに鬼畜っ!」

「酷い言われようなんだけど」

 俺だった。

 

「本当にゾンビになってやがるとは」

「だから幽霊だって」

 溜息をついた。

 

「とにかく、俺もその巫女に会いたいからついて行くね。この体、巫女なら浄化できるかもしれないし」

 巫女ならばセシリーの最期を知っているかもしれない。もしくは巫女自体が彼女の可能性だって僅かだがあるのだ。

 向き合うのは凄く怖いけれど、いい加減歩き始めなければ。

 

「ちなみにその巫女の名前は?」

「確か……セス。セスと名乗っていたわ」

「セス。ね」

 

 勇者一行に付いて、森の深くに進む。途中現れる魔物は勇者達が倒していく。なんとも無駄の多い戦い方に呆れはしたが手助けも指導も行うことはしなかった。

 同行を許してくれた礼にそれくらいしても良かったが何となく気に食わなかったから。また、勇者一行を見ていると自分の親友や幼馴染達、死んでいった仲間を思い出して苦しくなるから。なるべく関わらないように距離をとってついて行った。

 




「くそっ魔物がだいぶ増えてきたな」

「本当に道はあっているのか?」

 幼女が疑わしげに聖女を見上げる。今までに遭遇したよりも少し強い魔物と一戦闘終え、なんとか倒すことが出来た勇者一行はボロボロだった。

 

「石は確かにこの先へと導いていますが……」

「ねえ、おかしくなぁい? どうして巫女は魔物が沢山いるところにいるの?」

「確かに妙だ。非協力的な事といい、魔王側についたんじゃ」

 エルフの疑問にイケメン勇者が随分と見当はずれなことを言う。

 

「何もおかしくないよ」

 流れ聞こえてきた会話に我慢出来ず思わず口出しした。

 

「魔物がいるところに巫女がいるんじゃなくて巫女がいるから魔物が寄ってくる」

「どうしてそう思う」

「俺の国があったこの地には魔物が少なかった。十年でいきなり増えたのにはそれなりの理由があるから」

「それは魔の森になったからじゃ、」

「ここは精霊の森だ。魔法じゃなくて精霊の力で出来ている。この森が魔の森でない事は魔素の量からわかる」

「わらわには解らぬが。それに何ゆえ精霊の力だと思う」

 幼女は優秀な魔法使いだと聞いていたが。経験の差だろうか。

 

「学生時代に魔の森に遠征した事がある。感覚だけど魔素はもっと濃かったよ。そもそもここに生えている植物が魔素の影響を受けたものじゃあない。成長が早すぎるだけで普通の植物だ。精霊の力だと思うのは……」

 一瞬躊躇った。もう無いとはいえ国の機密を話すにはまだ迷いがある。

 

「国を己等の手で終わりにすると決めた時、この地を精霊に返還する計画があった。結果どうなるか俺も、多分誰も分からなかったけれど、ここが森になったのは精霊達に無事返せたからじゃあないかな。そして巫女が精霊と縁深いならここを住処にしてもおかしくない。それを嗅ぎつけた魔物達が集まってきたんだろう。彼らは好戦的だし精霊達は敵であるからね」

 

「なるほど……。でもなんで巫女は人間に非協力的なんだ? 魔物に困っているなら手を組むべきなのに」

「困っていないからだろ」

 若いなぁと笑う。

「魔物よりも精霊達の方が強いんだろ? 妖精は逃げるのがうまいと。だから煩わしいかもしれないけど彼らは自分達で十分対応出来る。俺達と共闘なんて範囲も広がるしメリットもないじゃないかな」

「でも、私達は困ってて」

「勇者一行さん達は正義感が強いから分からないかもしれないけど、世の中損得勘定で動くからね。その方が合理的だし巫女もそうしているだけだろう」

 

「やあねぇ人間って」

「エルフはどうだか知らないけどね。自然界は多くがそうだ。生き残るためにみんな必死なのさ」

 打算無しで動けるのは愛だろう。俺は国を愛することは出来た。誇りに思えないのは国よりも大切なものを愛せなかったから。

 



 強い魔物が増え、苦戦している勇者一行に見かねて手助けするようになった。絶対絶命の時まで待ってからだが。どうしてこんなに苦戦したのか不思議に思うほど軽々と倒せる。幽霊になって防御力はあがった (そもそも防御の必要がない) ものの攻撃力は生きていた頃と変わらないのに、だ。


 また勇者一行を助けることには葛藤がある。どうせ助けてもらえるという慢心が勇者一行を強くしないからだ。安心と慢心は違う。このままでは魔王になんて勝てないだろう。勇者一行が死んでしまっては巫女にたどり着けないから手を出さざるを得ないが果たしてこのままでいいのか。

 俺に世界を救う必要も勇者一行を育てる義理もないし、利用するだけ利用してやれと思うのだが良心の苛責を感じる。自分はもっと非情な人間だと悟っていたのだが死んで甘くなったのか。

 

 そうこうしているうちに魔物達にぱたりと会わなくなった。聖女が言うには前線を抜け精霊達の支配圏に入ったらしい。だいぶ奥まで来た。どれくらい進んだのか。勇者一行が作っていたMAPを眺め、現在位置と故国を重ねる。

 

「っ、」

 

 ――ここはアデイン領があった場所だ。

 

「このあたりだと思うんですが……。精度がイマイチで」

「地道に探索するしかないか」

「いや、」

 まさか牧場やら畑だったところにはいないだろう。アデイン領は人知れず精霊信仰に縁深かった地だ。

「心当たりがある」

 





 巫女は一人、本を読んでいた。大きな幹は燃え落ちてしまったもののかろうじで残っていた根に腰掛け、切り株に寄り掛かって。金の髪は長くて、風もないのに揺れていた。

 星空のような輝きを含んだ藍色の瞳は誰よりも意思が強くて。

 

「なんの本読んでんの」

 

 乱暴な口調になって、しまったと思う。顔には出ないけど。どうして俺は成長しないのか。

 黙って彼女は表紙を見せる。

 “天才オズワルドの魔法一切不要シリーズ16! 亡国の英雄みたいな鬼畜相手に生き延びる99と101の方法~戦争編in都市部付近の砦周辺〜”

 

「……。えと、面白い?」

 ジトッっと藍色の目で俺を見た彼女は無言で頷く。

 

「――セシリー・アリス・アデイン」

「……なに」

「っ、」

「なんで泣いて」

「セシリー、セシリー」

「なに、ていうかちょっ、え。泣かないでよ」

「ゼシリぃっ」

「え、うえぇえっ?」

 

 彼女はおろおろしていた。ガキのようにしゃがみ込んでみっともなく泣きじゃくる女々しい俺に戸惑いながら、そっと、頭を撫でようとして。できなくて。困ったように微笑まれた。

 俺はただ、ただ泣き続けた。

 




♯3.2 巫女の話


 

 わすれてた、と少し落ち着いた彼はつぶやいた。

「なに?」

「勇者一行を君の元に案内してて、置いてきた」

「それなら」

 ひゅるりと妖精を呼び寄せて代わりに案内するように頼む。

 

「私たちも移動しましょう」

 先に歩き出して、彼がついてこないことに気づく。訝しげに振り返ると彼は困ったように笑った。

 

「もう、車椅子は必要ないんだね」

「ええ。突然倒れたりしないから」

「そっか。よかった」

 心からの言葉にどう反応していいか分からない。

「行かないの?」

「いや」

 彼が歩き出し、私も進む。

 やりにくい。彼に気づかれぬよう、小さく溜息をついた。

 

 

「随分と傲慢なのね」

 かつて式を挙げた聖堂。導師が立っていた祭壇に設置した木の椅子に腰掛け微笑む。

 勇者達の要請に応じるつもりは一切なかった。

 

「なぜです! 多くの人が苦しんでいるというのに」

「慈悲の心はねえのかよ!?」

「理解できないわ」

「……ひどい巫女」

「あんたも人間だったはずだ。協力は全人類の義務だ」

 

「欲しいのは私の協力てはなく精霊の協力でしょう。人の問題は人が解決すべきです。我々神の生き物達は中立を保つことを選びます」

「魔族は、精霊にも危害を加える!」

「そうしたらその分の制裁を行いますが、人と共闘はしません。手は煩わせませんし自分達で始末をつけます。あなた方もそうすれば良い」

「だが、かつては手を貸して下さった!」

「その時とは状況も変わっているかと」

「どうして、助けてくれない」

「少しは考えたら? ここまでの旅、ご苦労様。でも無駄足に終わって可哀想だから送ってあげるわ」

 

 指をパチンと鳴らすと勇者一行は消えた。これで旅の手間がかなり省けたのだから感謝してほしい。

 





「勇者一行をどうした」

 一人残った幽霊に微笑む。

「魔王城の目の前」

「いや、あいつら死ぬぞ」

 でしょうね。

「ふふ。ならあなたも行く?」

「……いや。あんな所行ったら悪霊化するからね」

 

 どうして神の世界の生き物達が人の味方だと勘違い出来たのだろう。神の悪戯で亡くなった人も沢山いる。確かに人に協力した巫女もかつてはいたようだが、昔と今は違うのに。

 手助けしたいとは、思う。前世の正義感が強い私ならそうした。出来ないのは私が変わったからだ。

 

「それで、あなたはどうしてここに来たの?」

 まさか無条件で勇者一行の案内を引き受けたわけではあるまいし、私にただ会いに来たと考えるほど自惚れてもいない。

 

「……浄化を」

「そっか」

 だろうとは思った。やり方は知っている。改めてボロボロの彼を見つめる。

 

「今すぐに?」

「三日、待ってほしい。超えたら無理にでも浄化して」

「わかったわ。でもその前に」

 パチンと指を鳴らす。ふわりと光が彼を包む。

「右眼を戻すことや腕を生やすことは無理だけれど。せめてこれくらいさせて」

 

 伸び過ぎたり欠けたり、無くなっていた爪が四枚綺麗に揃う。膿んでいた箇所や細かい傷は大部分が癒え、跡を残した部分も古傷となり生々しさが消える。髪も清潔に整えて、身体中を洗い、服も新品同様に。無精髭は迷ったけれど無くす。光が消えるとゾンビのような落武者姿は見違え、若返ったような気さえする。それでも。

 

「背、伸びたね。逞しくなった」

 私が知っている彼とは違う。

 

 躊躇いながら右眼の傷にゆっくりと触れる。もちろん感触はない。

 

「っ」

「ごめん。嫌よね」

 謝りながらも傷をなぞる。

「三日間どうするの? 行きたいところがあれば送る」

「いい。ただ、そばに居てもいいかな?」

「構わないけれど。きっとつまらないわ」

 退屈なことに最後の時間を費やしていいのか心配する。彼は答えず、柔らかい笑顔を浮かべる。軽薄な、嫌いだったあの表情だ。

 

「そうだ。お昼にしましょう。ルイス様もどう?」

「申し訳ないけど……俺は食べれない」

 そうだった。少し考えれば分かるのに。慣れないのに余計な気回したから失敗した。

「でも気分だけ味わいたいかな」

 私にはできないであろう気遣い。彼は相変わらず優しいのに。





 

 一日目は静かに寄り添って、ポツリ、ポツリと話しながら過ごした。聖堂脇の住処にしている小屋で私が昼食のを作っている時、彼は興味深そうに眺めていた。

 

「料理出来るんだ」

 確かに私の家族は料理なんてしていなかったし、貴族はやらないのだろう。

「精霊たちは食べないから。自分で作らないと」

 うどんの様に太い麺を苦笑して眺める。前世にはきしめんみたいなパスタあったからセーフセーフ。

「そっか。……俺も軍にいた頃仲間はみんな下手でさ。作戦中、隊長なのに作らされていた」

 懐かしそうに笑っている。こういう顔は嫌いじゃなかったって、そんな気がした。

 




 

 てっきり私が消えてからの事聞かれるかと思ったけど彼は一切そこには触れてこなかったし、私も言わなかった。ただどうでもいい日常をお互いに話した。阿呆阿呆罵る殿下のこと、面白かった本のこと、部下の恋を実らせる作戦に巻き込まれたこと。

 


 夜になり、寝る前に彼を連れ出す。夜の散歩だ。

「そんなに警戒しなくて大丈夫。襲ってくる魔物がいたら妖精たちが知らせてくれるから」

「ああ。いや、癖だ。つい、ね」

「そう」

 

 ランタンが揺れる。夜の森は月の光も届かず漆黒に塗りつぶされている。転ばない様に気をつけながら揺れる草木の間を進む。

 古樹があった丘に出る。白く発光する丘。空には満天の星。月が静かに見守るお気に入りの場所だ。

 いつものところに腰掛ける。

 

「セシリーは」

「なに」

「自分は変わったって思う?」

「そうね。髪が伸びた」

「そうじゃなくて」

 

 可笑しそうに言われた。隣に腰掛けた彼の表情は見えない。

 

「どう思う? 私は変わったのかな」

「前の君のことよく知らないからなんとも言えないかなあ」

「そう?」

「でもいきなり勇者一行を飛ばしたのには驚いた。君なら勇者一行の為に手を貸すだろうって思っていたから」

「酷い女だってがっかりした?」

「いや、安心した。ちゃんと理由もあるんだろ? それに俺は勇者一行が不快だったし助ける事に迷いがあったから」

「迷い」

「俺は汚いから。自分の手を汚さずにあいつらの不幸を見れて喜んでさえいる。……自分がこんな奴だなんて戦争前までは思わなかったから。俺は変わったなあって」


「成長したからでしょ」

「え?」

「変わったんじゃなくて。大人になって、辛いこと沢山経験して、汚い世界を見て、純粋じゃなくなったからよ」

「……厭な大人になっちゃったなあ」

「でもほっとした」

「ん?」

「自分だけが醜くなったわけじゃないって」

「んー。喜んでいいのか微妙かな」

「そうね」

 私達は悪い人なんだろう。けれど。ずっと不幸だったのだから最後くらい世界に復讐してもいいじゃないか。

 





 二日目。何をしたいかと聞くと私がしたいことと言われたので、古樹があった丘に本を読みに行った。つまらないなら去るだろう。案の定、しばらくすると彼はどこかへ行った。側にいられると気が散って集中できなかったから少しほっとした。

 

「セシリー」

 日が傾き、そろそろ帰ろうかなと思っていたら声をかけられた。

「なに」

 パサっ

 頭に何が乗せられ、彼は満足そうに笑う。

「妖精みたいだ」

「えっ?」

「花冠。綺麗だよ。ねえ、左手出して」

 


 魔法を使ったのか、いつの間にか私の左薬指に木のリングが嵌っていた。

 

「あの日、間に合わなかったから。ねえ、セシリー。セシリーはまだ俺の奥さんかなあ?」


「そんなの知らないわ。まあ違うと思うけれど。私達が夫婦だった瞬間なんてないじゃない。……結婚式で誓ったの、覚えてる? 健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすこと。只一つも守れないまま命を失った。共に過ごす時間がなかった私達は家族とはいえない。そもそも夫婦であるのはお互いに生きている間だけ。そうでしょう?」

 

「悪かった」

「戦争だもの。仕方ない」

 左薬指のリングをくるりと回す。魔法で作ったのだろうか。器用だ。

 

「ちゃんと、言えなかったから。俺のお嫁さんになってください」

 

「……嫌よ」

 

 彼の意図が分からない。今更夫婦になってどうするというのだ。

「どうして。やっぱり俺が嫌い?」

「そうじゃなくて。そもそもあなたは妹が好きだったでしょう」

「王妃のこと?」

「そ。私を売った女」

「売ったって」

「あなたの親友様から聞いてない? 帝国に情報を渡して私とアデイン領を襲わせたの。因みにお馬鹿な妹に余計な知恵をつけたのは兄よ」

「何言って」

「なんの取引のつもりだったのかまでは知らないけどね。二度目の流産で勝手に私の呪いだって騒いでいたらしいわよ。それで王にバレて粛正された」


「……殺したのは俺だ」

「知ってるわ。てっきりすべてを明かした上での任務だと思っていたのだけれど」

「俺に仇を打たせるつもりで命じたのか、だけどじゃあなぜあいつは言わなかった」

「そんなの知らないわよ」

 王と話したのは温室でただ一度だけ。親しくもない人の心なんて分かるはずもない。

 


「まあそれよりも。何が目的なの? 分からないのよ。どうしてあなたと夫婦にならなければならないのか。もう政略婚の必要ないでしょうに」

「それは。単に君が好きだから」

「誰を?」

「えと。俺が、セシリーを好きだから」

「何言ってるのよ」

 

 呆れる。急にどうしたというのだろう。

「本気なんだけどなあ」

 新手の復讐か。なんの嫌がらせかは理解できないが言いたいことはわかった。

「つまりあと二日、夫婦ごっこをしたいと」

「まあそういうこと」

「いいわよ」

 彼の望みならば。

 

 夫婦ごっこと言ったものの世間に疎かった私は夫婦というのをよく知らない。食事以外いつも一人だったので家族というものもよく知らないのだ。

 だから。ただ昨日と同じ様に静かに寄り添った。

 

 




 ひたすらに穏やかな時間。でもそれは。本音は何一つ伝わらない時間でもあった。

 

 

「このまま逝きたくない」

 

 いつもの丘の上、唐突に彼は言った。

 浄化するのは日が沈む時。そう約束した。そして今は最終日の正午。殆ど時間は残されていない。

「じゃあどうしたいの」

「分からない」

「あのねえ」

「けどなんか。このままじゃあダメだって思うんだよね」

「ダメって何が」

「うまく言えないけど」

 

 埒が明かない。こんな時、古樹の精がいてくれればって思う。彼なら的確なアドバイスをしてくれるだろうに。

 

「セシリーは俺の事、どう思ってる」

「どうって」

「俺は、セシリーが好きだ。だからホントのこと聞きたい」

「ただの元婚約者だと思う」

 それ以外に言いようがない。私と彼のあいだにあったのは婚約者という肩書きだけ。夫婦を契ったが、死んだのだから無効である。私と彼は何も無い。

 

「本気で? ねえ。いい加減俺とちゃんと向き合ってよ」

 

 向き合え。昔そう忠告されたような気がする。彼は今、私に真摯で。それに答えないのはとても失礼な話で。だけど。どう向き合えと。

 


『いつまでそうやって傍観者を気取っているわけ? セシリー・アリス・アデイン』

 


 もうないのに。古樹の葉がゆれた気がした。

 




「弟みたいな悪餓鬼」

「え?」

 するりと口が滑る

「生意気な少年。生真面目な優等生。妹が好きな当て馬野郎。軽薄な笑顔した優男。無駄に綺麗な顔した婚約者。意味がわからない幽霊。――つまり大っ嫌い。大嫌いだった」

「……そっか」

 

 不快だって、いつも本を片手に眺めながら思っていた。けれどもやもやした感情を無視して。自分には関係ないって無関心を決め込んで。

 

「でも。あなたと結婚出来るのが嬉しかった」

「え」

 


 本当は。

 

「一緒に遊んでくれたのあなただけだった。凄く嬉しかった。怪我しちゃったけど、それでも話しかけてくれるのが、とても。とても嬉しくて。婚約したから仕方なく話しかけてくれてるって、わかってるのに、馬鹿みたいに喜んで。でもそんな自分が惨めで。だからあなたが大嫌いだった」

「セシリー」

 

 彼には幸せになってもらいたかった。

 

「ごめんね。私なんかと結婚する事になっちゃって」

「なんで謝るんだよ」

「だって。あなたは妹が好きだった」

「違う! アイツは友人で。俺が好きなのはセシリーだった」

「嘘よ」


「酷いことばかり言ってたよね俺。だから好きって言えなかったの死ぬほど後悔した。助けに行けなくて、ごめん。探そうともしなくて、君より国を選んで、ごめん。ちゃんと、ちゃんと愛せなくてっ、ごめんなさい……」

 

 目が熱くて彼を見れない。


「仕方なく話しかけてたんじゃない。不器用で、へたれだったから。空回りばっかりで、セシリーを傷つけてばかりだった。申し訳なくて、何話したらいいか分からなくなって、余計に空回って。情けなかった。だけど本当に好きだったんだよ。初恋で、拗らせて。未練がましく幽霊になっても縋っている」

「私も、あのね。ずっと、神の使いになんてなりたくなかった。そしたら、結婚出来なくなるから。代償で人間じゃなくなって、一人だけ寿命のびて、あなたがいなくなってもずっと生きなきゃならないのが嫌で、それから赤ちゃん産むことも出来なくなるから。だからなりたくなかった」

「セシリー」

「なのに! お別れも言えないまま神の使いなんかになっちゃって、神達は古樹の精が死んだのに怒ってるから、なんにも出来なくて、国が滅ぶのを見てるだけしか出来なくてっ、あなたは死んじゃうし、私も死ねばよかったって、ずっと思ってた。ねえ! もう置いていかないでよっ、ずっとそばにいてよ、ごっこじゃなくて、ちゃんと夫婦になってよ!」

 

 叶わないってわかってる。私はもう神の使いで、彼は消えなければならない死者である。それでも。

 

「お願い、ルイス。ずっと一緒にいてよ。好きだから……」

 

「俺も、セシリーが好きだよ」

 彼はふと、あの軽薄なほほ笑みを浮かべた。

「俺のお嫁さんになって、セシリー」

「っ、うん」

「よかった。今度は断られなくて」

「本当は嫌じゃなかった」

「知ってる」

「ごめん」

「謝らないで」

 泣きながら笑う。軽薄だと思っていたあの顔は緊張した笑顔だったんだって今更だけど気づいた。

 

「あと、ハンカチありがとう」

「え?」

「藍色の刺繍の」

「どうして」

「君の弟が届けてくれた」

「うそ……」

「いい弟だよ。俺と同じでとんでもなく不器用なんだろうけど。結婚式もこっそり来ていた」

「そうなの?」

「気づかなかった? 君が倒れないかヒヤヒヤしながら見てたよ」

「知らなかった……」

 ちゃんと話したことなかった。私は言葉が足りなかったのだろう。彼に対しても、弟にも。歩み寄れやしないと心を閉ざしたのは間違いだった。ちゃんと話していたら、もしかしたら何かが変わったかもしれないのに。

 

 息が苦しい。ぎゅって、彼を抱きしめたくて、でもするりとすり抜けてしまう。彼は少し困った顔をした。神様、これは少し酷いとは思いませんか。どうして、思いが通じたときには二人とも人間じゃないんですか。やっと素直になれたのに抱きしめ合うことすら叶わないなんて。そんなに私たちは酷いことをしましたか? 心を閉ざして傷つけたのはそんなに罪ですか? 幸せでなかった私たちに、これからも幸せになれない私たちに、一瞬くらい幸福を感じさせてくれてもいいじゃあないですか。こんなに苦しいのに、どうして私たちを再会させたのですか? いっそ知らなければよかったと思うような私だから、こんな残酷な罰を与えるのですか?






 時間は無情だ。

 

 泣き崩れて、たくさん話して。この三日間は今までで一番話した。最後の数時間は言いたいことを言えて。でもまだ全然、全然足りないのに。

 

「決めた事だから。それに旅の途中、魔物達と遭遇して体が影響を受けた。そろそろ限界だってね、流石に分かる。俺は悪霊になってセシリーを傷つけたくないだから。お願い」

「うん。浄化する」

 

 嫌だって思う。だって彼は幽霊だけど生きてるみたいで、すなわち浄化は殺すと同義。愛する人をこの手で殺すなんて絶対後悔する。けど。彼の望みだから。

 

「ねえ、最後にお願いしていい?」

「何?」

「勇者一行を助けて、世界を救って」

「神たちはお怒りで、一国が滅ぶのは助けなかった。でも流石に世界が滅ぶのを止めるのは助けるって言ってたから出来ると思う。けど……。やりたくないよ。私たちの国を滅ぼした世界を救えっていうの?」

「うん」

「どうして?勇者一行が不快だって言ってたじゃない」

「ああ。アイツらは嫌いだし、世界が助かるのも腹が立つ」

「なら」

「セシリーは。来世って信じる?」

「……うん」

「神の使いが信じるくらいなら本当にあるんだろうね。俺は魔物とか動物よりも人間に生まれ変わりたい。けどさ、人間が滅んでしまったら叶わないだろう?」

「別の次元とか、時代の可能性もある」

「故郷に伝わる古いおまじないがあるんだ。この世界でまた巡り会えるっていう。現に叶ったのを俺は知ってるから効果は絶対。だから、ね? 俺とセシリーのために世界を救って」

「……わかった。約束する」

 

「ありがとう。おまじないはね――」

 そっと、額に透明なキスが落ちた。






 勇者一行は魔王城であっさりと捕まっていた。いたぶり遊ばれていると巫女が現れる。巫女は神たちを使い、七日にわたる激しい戦いを繰り広げた。そして終いには相討ちにより魔王を倒す。魔王の死に喜んだ人々は勇者を先頭に魔族の殲滅戦に乗り出した。やがて、魔族が滅びると世界から急速に魔法の力が衰える。

 今では極僅かな精霊使いと試行錯誤の末生まれた科学の力で世界は成り立っている。





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