表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

♯2 騎士の話




♯2.1


 

 開戦後、予想通り厳しい戦いになった。

 前線では多くの死傷者を出し優秀な、未来ある若者たちが犠牲となった。戦争で荒稼ぎ出来たのは一部の者達だけで、冷夏が重なったこともあり防戦一方の国は一気に貧しくなった。

 乏しい食糧に不安が残るまま、例年より厳しい冬がはじまり敵国は引き上げていった。しかしこれは一時的なものであるのは誰にとっても明らかで。僅かな猶予の中、再びの戦争に備えるべく人々は奔走しはじめた。

 前線に駆り出され、肉体的、精神的にもボロボロになっていたルイス・ジャレッド・ローランズも王都への帰還命令が下された。

 





 彼女はいつも一人だった。

 けれど星空のような輝きを含んだその瞳は誰よりも意思が強くて。

 俺は、憧れた。

 



「おい! おまえキノコの魔物か?」

 はじめて木の下に生えている……座っている彼女に出会った時の第一声はとても最悪で失礼なものだったのは今でも覚えている。

 ジトッっと藍色の目で俺を見た彼女は 「ヒトです」 と一言発したあと図鑑に目を落として。

 俺はさらに暴言を重ねた気がするが彼女は全てさらりと無視をした。

 


 当時彼女は怪我で血に染まった髪を切ったばかりで、その後俺が殺しかけたせいでずっとその個性的な髪型のまま過ごす事になる。

 あの時何故そんな酷い事を言ったのか、自分でも分からない。ただ相当にテンパっていた。今思うと一目惚れだったのだろう。そのまま拗らせた初恋は後悔しかない。

 

 それでもいつか彼女に謝って、笑い話にしたいと思っていた。それが二度と叶わぬと知ったのは、地獄から王都へ束の間の帰還を果たした時だった。

 

 




「どういうことだよっ!?」

 

 銀髪の幼馴染、義兄となった男の胸ぐらを揺さぶる。城の廊下であったため、何事かと人が集まってきて無理矢理引き離された。邪魔しないでくれ。説明を求め、食って掛かる。

 

「言った通りだ。敵国の工作員であろう集団にアデイン本家の邸が襲われ燃やされた。父や弟、母は無事で幸い使用人にも死者はでなかったがセシリー・アリス・アデインは行方不明らしい」

「だからっ」

「二ヶ月も前の話だ。焼け跡から車椅子は見つかったが遺体は出てない。攫われたか、魔法で消し飛ばされたかも分からない。要求も手掛かりもない。どちらにせよ、このご時世だ。諦めるしかないだろ?」

「訳が分からない、何故セシリーが」

「俺にも分からない。とにかく、結婚したばかりで悪いけどセシリーは死んだと思った方がいい。お前も早く仕事に戻れ」

「おい……待てよ!」

 それだけか、と呆然とした。

 



 戦が忙しい中、二ヶ月前の公爵領での不幸を詳細に覚えている者は少なく、王都にある義兄の屋敷で働く昔馴染みの使用人からようやく詳しい話を聞く事が出来た。

 

 曰く、辺境とはいえ国境に接している訳でもない領地がなぜ狙われたのかはわからない。考えられるのは王太子妃の生家である事位か。

 襲った者達はその場で死亡。一部逃げた可能性は高いが情報はない。不自然な点は多いが死亡した者達の装備と話していた言語から敵国の兵であると断定された。被害としては交戦した警備兵数名が重軽傷を負い、邸は全焼。またアデイン領のシンボルであった古樹も焼けたという。


 セシリーがいないと騒ぎになったのは事件から丸一日経った頃。その時点で色々とおかしいが。

 セシリーには専属の手伝いが一人いたが、前線に出ていた息子が戦死し実家に戻っていたため、事件発生時、彼女についている者はいなかった。

 セシリーを避難させようとした使用人は部屋に誰もおらず、車椅子もなかった為に既に他の使用人が逃がしたのだろうと、混乱の中で誤解した。実際は彼女の安否を気にした使用人はその人だけで、誰も一緒に避難していなかったという。

 セシリーは放浪癖があったから自分で部屋を抜け出していた可能性が高く、そのまま戦闘に巻き込まれたのであろうという結論がされ。事件から数日後には、焼け跡の調査で車椅子が見つかったと報告が入ったそうだ。

 





 どこかで生きているのかもという淡い期待に諦めろと囁く。

 セシリーを探したくとも敵は待ってくれない。仕事と、学ぶべきものは山ほどあった。一個中隊の指揮を任されたのだ。俺には全てを投げ出せるほどの覚悟は無い。

 

 こんな二年目のペーペーの下に配属されてしまう奴らには申し訳ない。指揮官ごと消し飛んだ隊が幾つもあった為に再軍備の際、二年目も目立った戦争を経験していなベテランも大して変わらないという暴論で、そこそこ優秀だった俺に押し付けられた。

 しかも隊員の中に未だ学生であるはずの学園時代の後輩達の姿を見つけた。彼らを無駄死にさせる訳には行かずヤケになって突撃することも許されなくなった。

 



 傾き掛けた国で一体何ができるのか。先は見えない。

 

 



 再びの戦争の中、俺は指揮に従わない兵達に苦しめられていた。

 そりゃそうだ。よく知らない自分より歳下の若造を信用しろなんて無理がある。

 

 その結果、別の中隊との合同作戦の際、向こうの隊長と意見が衝突し自分の隊員達の多くが向こうの隊長に従うという些細な問題が起こった。演習なら気分を害し、俺の指揮管理能力を問われる程度で済む。個人の問題で終わる。けど。

 

 作戦は失敗。向こうの中隊と俺に従わなかった隊員達は吹っ飛んだ。

 

 ざまぁみろ。だから言ったのに。俺のせいじゃない。そんな言い訳を心の中で呟いてみたが罪悪感は消せない。俺にもっと信用があったら。向こうの隊長を説得出来る能力があったら。重い後悔を引きずるばかりだった。

 生き残ったのは学園時代の後輩や去年共に戦った戦友や、何故かわからないが自分に付いてきてくれた者達など。皆優しかった。部下に慰められる隊長だなんて情けなくて。小隊規模になってしまった後は新たに編成されることもなく、地獄で戦い続けた。

 

 

 ある星が綺麗な珍しく静かな晩、交代で行う見張りの最中に大きな木にもたれながら、故郷とキノコのような少女を思い出していた。

 

 故郷であるローランズ領は国境と接しており、アデイン領より田舎で、親戚以外の貴族はおらず、また親戚は皆大人だった。

 兄とも八つ離れており、農民の子らは野良仕事で忙しかった為、遊び相手がいない寂しい幼少期を過ごした。普段は剣の稽古をするか勉強するか大人と話すかしかやることがなかった。だから歳の割にはだいぶ大人びた子供だったと思う。

 流石にかわいそうに思ったのか、父は年に数回出かけるアデイン領へは毎回一緒に連れていってくれた。アデイン家の子供たちと遊べるのは特別楽しみだった。

 

 そんな、自身もぼっちな生活を送っていたからか、いつ行ってもぼっちで木の下で本を読んでいる少女が気になった。

 兄妹曰く、病気ですぐ倒れるから一緒に遊べないと。理由はわからないがこの家族は少女のことを嫌っていた。詮索はしなかったがなんとなく、この少女はとても性格が悪いから嫌われているのではないかと予想した。嫌われるような容姿はしていなかったし、故郷で嫌われている奴らは大抵、嫌な性格をしていたから。勝手な憶測にも程がある。

 

 話をしてみたいと思ったのは興味本位で、本当は優しく話しかけようと思ったのに、どういう訳か口から出たのは暴言だった。女の子に向かってキノコの魔物なんてそりゃあない。嫌われたのは当然だった。

 今思えばその時から惹かれていたのだろう。けれど幼い自分は初恋を認められず捻くれた。大人びてはいたが恋愛に対しては全くのクソガキであった。

 

 ある日、アデインの邸に行くと演奏会で兄妹は留守だった。数ヶ月に一回の楽しみが取り上げられてショックを受けているとセシリーと遊んであげなさいと父に言われた。そこではじめて少女の名前を知らなかったことに気づいた。

 一つ年上なだけとは思えないくらい大人びた少女に、いつもどぎまぎしてしまい話しかけたのは形式的な挨拶を除けばあの最悪な初対面だけだった。

 だからとても、とても緊張しながらそうとは見えないように意地張って。

 

「なんの本読んでんの」

 

 乱暴な口調になって、しまったと思う。顔には出ないけど。

 黙って彼女は表紙を見せる。

 “天才オズワルドの魔法一切不要シリーズ6! ナイフ一本で生き延びる99と101の方法~サバイバル編in大陸内に広がる荒れた森〜”

 200でいいじゃないかとか、オズワルドとか聞いたことねえよ誰だよとか、他のシリーズが地味に気になりつつ、センスの欠片もない題名に内心ツッコむ。

 その日は不思議と、本を糸口に珍しく会話がつづいて。自然と彼女との距離が縮まることに嬉しさを覚えた。調子に乗った俺は、木登りなんて提案して、渋る彼女に無理を言って。

 

 殺しかけた。

 

 普段大人びた俺の暴挙に周囲は驚き、泣きじゃくり謝罪を繰り返していた俺はいつの間にか彼女の婚約者になっていた。そして、責任を取ると誓った時に初めて彼女の事が好きだと気づいた。でも、取り返しのつかない溝が既に彼女との間にできてしまっているように思えて。

 

 そこからは空回りの連続。学園で親友となった男には「阿呆か」と呆れられる始末。呪われてるんじゃないかと思うほど全てが失敗する。口を開けばうまく伝えられず誤解される。なんでも卒なくこなすという自信は粉々に砕けた。

 彼女に関してはダメ男そのもので、決して良い婚約者ではなかった。

 

 そして今も。

 

 本当に愛しているのなら、こんな役に立つかも分からないような所で戦っていないで彼女の行方を追うべきなのだろう。物語の王子達ならきっとそうする。許されなくとも今すぐそうしたい。

 それでも出来ないのは貴族としての責任があるから。言い訳をする俺を彼女は許してはくれないだろう。

 愛しているのなら彼女の最期を知り、遺骨を回収し、涙し、喪に服さなければならない。もし、もしも生きているのなら颯爽と助け出さなければならない。自分の預かり知らぬところで幸せになっているのであれば――。俺が幸せにしてやりたいと嫉妬を抱いた。心が狭いな。

 

 生きている可能性は皆無に等しいと気づいている。彼女には障がいがあった。薬もない状況ではとっくに亡くなっているだろう。いつもの、気絶するみたいに息を引き取ってくれていれば。最期に苦しまなかったことだけを祈るしかない。

 殆ど話したこともなかったセシリーの弟から、二度目の出陣の前に託されたハンカチを握りしめる。少し焦げてしまった、藍色の糸でローランズの家紋が丁寧に刺繍されたハンカチ。

 自分の髪と彼女の瞳は同じ色だ。そんな些細な事が嬉しかった頃を思い出す。

 ごめん、と口からこぼれる。何に対しての謝罪なのか。滲んだ涙が静かにあふれた。

 

 





♯2.2



 戦争が五年目に突入しようとしている。恐らくこの年で戦は終わるだろう。俺は期待されていた通り、騎士団長になっていた。なんて事は無い。実力ある上の者がバタバタ倒れていった結果だ。戦争がなければ俺がその座につくのは遠い未来だったろうに。

 そして自分がトップに就くということはそれだけ壊滅的な状態だという事だ。

 

「アデイン領も盗られたらしい」

「大樹を守れなかった領だぞ、当然の報いさ」

 

 街ゆく人は醜い顔で勝手な噂をする。この国はすっかり変わってしまった。生き抜くために他人を平気で蹴落とす。戦争は人の心までも貧しくした。

 

 二年ほど前に通っていた時にはまだ活気があった花街を、近道の為抜けていく。今はすっかりと薄汚くなり、かつて蝶のように美しかった女達は川辺や路地裏で客を取っている。

 後ろ姿をセシリーと勘違いした事がきっかけで当時毎晩買っていた娼婦はとうの昔に乱暴な客に首を折られたと聞いた。

 娼婦は元貴族だった。自分と同じ学園にも通っていたと。戦火から逃れる際に男のフリをする必要があったから髪を切り、栄養不足のせいで中々伸びないのが悩みだとも。自分はどうやら年上の女に弱いらしい。

 しかし、買ったにも関わらず情けないことに一度も抱けなかった。セシリーが同じように体を売って稼いでいるのではないかと否が応でも想像してしまい駄目だったのだ。

 ただ添い寝をする為に金を払うのは馬鹿らしいのに通い詰めたのは何の贖罪か。無駄な行動だ。あの頃はまだ若かったと嘲る。

 

 あれからたった二年。特に、騎士団長になってから一年で俺は変わった。セシリーと最後に会った時とは考え方も性格も別人の様だと自笑する。

 内面だけじゃ無い。顔も変わった。

 いつだったか敵の魔法使いが操る怪物と取っ組み合い、顔面を切り裂かれた。額から右眼を通り頬へと走る、醜い傷跡は箔をつけたが、爽やかで柔らかいと好評だった笑顔は似合わなくなった。

 右眼の視力を失くしたにも関わらず煩わしくて眼帯をつけないところが、顔面を凶悪にさせる一因なのだが別に今のところ支障はないので気にはしていない。

 そして、セシリーが生きているのではという妄想はしなくなった。彼女を愛したのはもはや過去のこと。思い出しても何の感情も抱かない。随分と冷徹になったものだ。

 

 城へと帰ると執務室隣の仮眠室、自分の唯一の住居に直行し酒を煽る。今日の仕事は終わったのだから問題ない。この所、自分はひどく不機嫌であると自覚していたから、仕事以外はできる限り人と接触しないようにしていた。

 

 

 深夜、気配に目を覚ますとすぐさま剣を構えた。

 

「阿呆、私だ。その物騒な魔力を仕舞え」

「殿下……。妃に逃げられとうとう男に夜這いですか」

「不敬だぞ、お前。それにまた殿下と……私はもう陛下だが、絶対わざとだろ。というか剣を握ったまま寝るのはどうかと思うが。その手、痛くならないのか」

「慣れたから」

「早死するぞ」

「お互い様だね」

 

 いくら気心知れた友人とはいえ王となった相手に嫌味の応酬をしてしまうのは不機嫌が続いているからだ。

 

「一段と怖い顔しているぞ。王妃が原因か?」

「なんのことかな?」

「出立の前の日にお前に会いに寄ったことはな。知っている」

 

 幼馴染である王妃は先日、この男と離縁した。終わらぬ戦に精神が参り二度目の流産を経験した事が原因らしい。極秘に決まった事だが、どこからか離縁する事のみ漏れ、口さがない者が王妃は民を捨て逃げたのだと広めているらしい。城下に伝わるのはあっという間だろう。

 王妃が出立の前に会いに来たのは事実で、一緒に来ないかと言われたのもまた事実であった。

 

「護衛を頼まれただけだよ。安心して。今日ちゃあんと始末したから」

 

 王妃を殺すように命じられた。政治的に利用されると面倒だからだという理由だ。今のこの国は、すぐにも崩れそうで余裕が無い。この件は超極秘の任務であり、王と自分しか知らない話である。

 一人で崖沿いの道で馬車を待ち伏せ、襲った。魔法と、剣を駆使しての攻撃。意外にも簡単であった。

 王妃らを殺した後、護衛が一人生き残っていた。自分の部下だった男で結婚を控えている、調子が良く、明るい性格の持ち主で。彼は暗殺者が己の敬愛する上司だと、また自分を逃がす気であると察していた。極秘任務ではあったが、このご時世一人ぐらい逃がしても追っ手を差し向ける余裕なんてないのだ。

 にも関わらず元部下は立ち向かってきた。だから斬った。

 馬鹿な男だと思う。護るべきものを護れなかった時点で諦めれば良いのに。そのまま戦争の混乱に乗じて恋人と逃げてしまえばよかったのに。

 

「酷な事をした」

「それを言いに来たの? 必要ないんだけど」

 

 王妃の幼馴染である俺に手を汚させたことに対する申し訳なさを、必要ないと突っぱねる。

 彼は王族で、秘密裏とはいえ己が命じたことに言葉だけの謝罪をするような無責任な男ではないと知っているし、何より一番苦しいのは間違いなく、一人で決断を下した彼自身だ。

 彼は彼なりに自分の妻のことを愛していたのを、ずっと側で見てきたから分かるのだ。

 

「なあ、私は間違っているのだろうか」

「どうしたの急に。王は黒でも白と言ったら白になる存在だ。間違いなんてないよ」

「私は人間だ」

「だね」

「これを聞いてもお前は私が間違いなんて犯していないと言えるか」

 

 随分と勿体ぶるな。茶化そうとして、思った以上に真面目な顔でこちらを見ているのに気づいて口を噤んだ。

 

「私は。いや、王家は此度の件、最初から間違えていた」

「戦争をはじめたこと? そんなの大人しく属国に成り下がっても誰も幸せになれないから仕方がない」

「そうじゃない」

「じゃあ何」

 

 親友はベッドに腰掛けた。長くなるのか? 明日も早いのだが。まあ、今日くらいはいいか。こうなったらとことん付き合ってやろうと胡座をかいて座り直す。

 

「セシリー・アリス・アデインの事だ」

「彼女がどうかしたの」

 久方ぶりに聞く名に顰める。

 

「この世界には妖精や精霊、神たちが存在しているのは知っているか?」

「お伽噺や伝説の類なら」

「彼らは確かに存在する。そして国が傾きかけた時、ある一族に彼らを見える者が現れ、精霊らの力を借りて国を救うという言い伝えがある。その一族が今の王家だ」

突拍子も無い話を聞かされ唖然とする。

「……見えるの?」

「いや、俺は見えない。見えたていたのはおそらくセシリー・アリス・アデインだ」

「――ちょっと待て、今の話だと神だとかを見えるのは王家の人なんだよね」

「セシリー・アリス・アデインは先々代の隠し子だ。だから私の叔母にあたるな。先々代は決して好色家ではなかったはずだが、年老いた時にアデイン公の奥方を手篭めにした。そして産まれたのがセシリー・アリス・アデインだ」

「でもセシリーは両親の血が近かったから障がいを持っていて」

「あの障がいは神たちが見える代償のようなものだ。人の体では神たちを見る事は耐えられん。見えし者は本来ならば精霊と契約を交わし、神の使い、人と精霊の狭間にある存在となる筈だ。だが彼女は拒み続けたらしい。理由は本人しか知らないがな」

 

 絶句した。彼女の出生の秘密にも、障がいの真実にも。なら、アデイン一家は知っていたのだろうか、知っていたからあんなにも冷たく当たったのだろうか。

 セシリーは、自身の秘密に気づいていたのだろうか。気づいていたとしたら、ずっと、一人で戦っていたのだろうか。他人に見えないものが見えるのはどれほど不安だったろう。

 

「……突拍子もない話だけど信じる。で? 何が言いたいの? セシリーが神の使いにならなかったから国が滅びるとでも? 彼女に戦争の責任があるとでも? あまりふざけたこと言うと容赦しないよ」

「だからお前不敬だぞ。勿論そのようなことは言わないし責任は我等にある。王家は早々に彼女を城で保護し、無理にでも彼女を神の使いへと縛りつけるべきであった」

「……そうだね。でも出来なかった」

「どうしてそう思う」

「俺は、良くも悪くも君を信頼している。王族として国を守る務めを果たす為には手段を問わないだろ?」

 

 入学試験トップの成績を修めた俺と殿下は何かにつけて組まされることが多かった。他の生徒の士気を高める為であるとは察せたが、煩わしいと感じていたのも事実だ。

 それでも共にいるうちに自然と心を許せたのは、彼が真っ直ぐでどこまでも尊敬出来る男だったからだ。

 

「お前が親友で良かったよ。私もお前を信頼している。――この国の民達が信仰しているのは魔力を神と崇めるものだろう? だがそれらは魔法と共に伝わった外来品で元々この地の民族は妖精や精霊を崇め奉ってきた。精霊信仰が廃れたのは聖魔教の方は敬虔に信仰すればする程真理に近づき、魔力が上がるとされたからだ。利益がある方に人は流れていく。アデイン領には大樹があった故、かろうじて精霊信仰の名残があったが、国の大部分が聖魔の教に従い国の政治にも深く関わっている。聖魔は異教に寛大ではないからな。学校でも精霊信仰は妙な程に触れられていないだろう? セシリー・アリス・アデインを神の使いにすることが叶わなかったのは聖魔教の圧力があったからだ」

 

「宗教問題か」

「ああ。現にセシリー・アリス・アデインに接触を試みた精霊信徒の図書管理主は狙われた。上手く逃亡したらしいが鍵を持って行ってしまってな。お陰で図書塔は開かずの塔だ」

「そう。……ところで大樹って何。俺も精霊信仰の事は殆ど知らない」

 

「アデイン領に古い樹があったろう? あれがそうだ。あの樹に宿る精霊が初代王と協力してこの国は建てられた。お前が式を挙げた大聖堂、あそこは建国の記念に建てられた現存する唯一の精霊信仰の建物だから建国神話が散りばめられ、結婚の誓いの言葉も一部違っていた筈だ。アデイン家が辺境に位置するわりに力を持っているのは大樹を、精霊信仰を護る役目を担っているからだ。……もっとも現当主は役目を忘れたらしいがな。愛する妻を奪われたからとはいえ、神の使いを護るどころか迫害した上、敵の手に渡し、大樹を護る役目を放棄したことは赦されん」

 

「帝国がアデイン領を狙ったのは」

「奴らは我が国よりも精霊信仰に詳しかった」

「……王妃の件で俺に命じたのは」

「アデイン一族に対する罰だ」

 

 一気に重要な事を知ったせいで頭が痛い。俺が知っていい範囲を優に超えた情報達を、どうしろというのだ。口封じに命を狙われかねない。勘弁して欲しい。

 

「で、こんな話を俺にしてどうしてほしい訳」

「私は、間違っているか?」

「いや、知らないから」

「冷たいな」

「何が正解かなんてわからないだろ。それにお前がやったことはアデイン家に対する制裁くらいだ。先代が亡くなり王位を継承したのも、戦争が始まってからのことだし、そもそも何を罪と呼ぶ? 何もしなかったことか? それなら俺だって同罪だ」

 

「だが」

「迷うな。お前は王だろ? 今はいかにして戦争に勝つか、終わらすか、民たちを守ることだけを考えていればいい。王が迷えば国も迷う。惑わされるな。精霊の力があっても国が救われる保証はない。言い伝えが正しいかどうかなんてどうしてわかる? 古よりも人々の技術や魔法、人々の考え方だって変わっている。聖魔教に押されるような精霊信仰に今でも力があるのか分からないじゃないか。第一にセシリーは死んだ。終わったことを悔やんでも仕方がない」

 

「随分と薄い言葉だな」

「喧嘩売ってる?」

「セシリー・アリス・アデインの事を引きずり続けているお前に言われたくないよ」

「最近はもう、忘れたよ」

「そうかな?」

「なんなのさ」

 

「セシリー・アリス・アデインは生きている」

 

「っ、」

「と言ったらどうする?」

「冗談もいい加減にしないと本気で殺す」

 真面目に殺意が湧いたんだが。

 

「あながち冗談でもない。生きているのか、死んでいるのか、実際のところ不明だろう? お前に探しに行ってほしい」

「……本気?」

「ああ」

 

 はぁ、と息を吐く。勿論そんなの答えは決まっている。親友が人目を憚り深夜に会いに来た理由もこれが本題だったのだろう。親友の目を見つめ直す。言われてみればセシリーの金髪も夜空のような瞳もこの男と同じで、なぜ今まで気が付かなかったのだろうと可笑しくなった。

 

「間違っているよ、王様」

「何?」

「俺は騎士団長だ。こんな事で大事な戦力を手放すなんてとうとういかれたかな?」

「だが」

「行かないよ。そんなに重要ならほかの人に頼んだら? 探すのは誰でもいいだろ。今の俺は大勢の命を抱えている。逃げ出すわけには行かない」

「おそらく次の戦が最後になる」

「丁度いい。心残りがある方が死なないらしいじゃないか?」

「それで、いいのか」

「勿論」

「お前は! セシリー・アリス・アデインを愛しているだろ? なら」

「本気で愛しているならとうの昔に探しに行ってるさ。所詮その程度の気持ちだったってこと」

 

「……すまない。そんな言葉、言わせるつもりは」

「謝るな」

 

 昔から、王族で負けず嫌いな親友が泣きそうになると弱かった。無意識にセシリーと重ねていたのか。そして今も。

 今は故人よりも生きている人達を大切にしなければならない。

 それに、愛する人を自らの命で殺すのと、自らの意思で行方を追わない事は言うまでもなく前者の方が辛い。俺よりもこの男の方が辛いのだ。

 

 揺れる親友を支える。肩が震えているのに気づいたが何も言わない。結局は一人で抱えきれなくなったから俺のところに来たのだ。

 俺は信頼に答えるべきであり、最後まで共に戦うという選択肢しかないのだ。そしてそれはきっと正しい。

 あと僅かな命。俺は、後悔をしたくない。

 

「お前はっ、本当に阿呆だな」

「俺を阿呆と呼ぶのはあんたくらいだよ」

 

 今宵くらいは愛する人を偲び、己を責めるのも赦されるだろう。これが最後だ。俺たちには二度と機会はないのだから。明日もまた戦の支度がある。けじめは付ける。だから、今一時くらい。

 

 月が高く登る夜、精霊たちの歌を聞く者はいない。だが彼らは歌い続ける。死にゆく国へと哀しみの旋律を。

 







♯2.3

 


 王都前、最後の砦で死闘は繰り広げられていた。帝国の降伏勧告に対し、王が女、子供含め最後の一兵まで戦うと宣言したその時から戦火の勢いは増した。

 国の大部分が取られ、残るは王都のみ。最早猶予はない。陥落は時間の問題だった。

 

「クソっ、もう限界だ!」

 下を見ると門が破られ敵が雪崩込むのが見えた。砦内にはいくつも障壁を築いてはいるが誰かが叫んだ通り、限界だろう。

 

「仕方ない」

 息を吸い込む。同時に粉塵も吸い込み少し噎せ、また敵の魔法が飛んできたため弾かなければならなかった。全く、まともに命ずる暇もくれないとは。それでも再び声を張り上げようと息を吸う。覚悟はとうの昔に決まっていた。

 

「皆よく聞けっ、最後の命令だ! 順次王都へ撤退! 殿は俺が務める。王と民の一時を少しでも守り抜け!」

 

「私が残ります! 団長は、」

「いや、適任なのは俺だけだ。そうだろ?」

「しかし!」

 

 聞き分けのない部下は、たしか優秀ではあったが申し訳ないことに名前も知らない。だがその若い命もあと少しかと思うと、戦の無情さを恨まずにはいられない。俺の前で死んだ名も知らぬ兵は数え切れないことにも腹が立つ。

 

「ここからだと故郷の近くの山が見えるんだ。ギリギリまでここに居たい。我儘だが許してくれないか」

「っ、わかりました。ご武運を!」

 

 本当は山なんて煙に巻かれて見えやしない。そもそも故郷は遠く離れた元国境付近だ。僅かでも心残りを減らす猶予を、自決する民達へ与える為には俺が残るのが一番いい。

 

「皆行けぇっ!」

 

 守れなかった部下達の遺体を前に一人、迫り来る敵を見据えて身体中から最後の魔力を掻き集める。休憩もまともに取れていないため、満足な力は残っていないがそれでもやるしかないのだ。時間稼ぎくらいにしかならないだろうがそれでも充分だ。

 

「さあどうする帝国兵。ルイス・ジャレッド・ローランズを倒さねばここは通れないよ」

 

 民達を傷つけ、若き者の未来を奪い、親友を苦しませた帝国に対する制裁を。先に逝った仲間達の敵を討とう。泣き崩れる女達の怒りを代わりに届けるのだ。ひもじく惨めに死んでいった子供達の願いは叶えなければならない。この国の怨嗟の叫びを伝えるのだ。

 最後に、長すぎた戦いが終わる前に男の意地を見せてやる。これでも、愛しい人の遺体すら探せない俺でも、王に認められた優秀な魔法騎士なのだ。

 

 光が砦を包む。

 死は怖くない。ようやく愛する人に謝れるのだから。

 







 兵達の撤退から三日三晩、砦から放たれる魔法の光は途切れなかったという。たった一人が稼いだ時間は民たちの覚悟をつけるには充分すぎる時間であった。

 はじめに僅かに生き残っていた老人達が古き術を編みながら息を引き取り、次に女子供が術を完成させ命を絶った。王が毒の杯に口付け倒れるのを見届けた後、兵達は愛するもの達の亡骸が晒されぬようにと城と都に火を放った。

 砦から光が途切れた後、敵は迫り来る。兵達は一人でも多く屠ろうと勇敢に、命を賭して戦った。戻る場所を自ら燃やし、自らの墓場を決めた兵達は強かった。それでも、帝国兵は圧倒的で。多くの兵が無意味かつ無残な最期を遂げたという。

 

 国は滅び、精霊達は嘆きの歌を紡ぐ。帝国は数年後あっさりと内紛により瓦解した。地に蔓延る怨嗟の音はやがて国跡を深く、暗い森へと変えて行った。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ