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♯1 キノコの話

全三話。毎日更新。





「ねーえセスぅ、貴女は一緒に遊ばないの?」

「別に。いい」

 何が楽しいのかコロコロと笑う妹たちを遠くに眺めながら、木陰で私は“一人で”本を読んでいた。

 

「でも彼は貴女の婚約者でしょうに」

「妹の友人よ。何も問題ない」

「彼が妹のこと好きでも?」

「普通のことじゃない」

 私のようなちんちくりんな金色キノコと優しくて可愛い妹だったら、そりゃあ妹の方を好きになるに決まっている。

 

「いつまでそうやって傍観者を気取っているわけ? セシリー・アリス・アデイン」

 呆れたような声を聞き流し、ページをめくる。

 古樹の葉は今日も切ない程に青い。

 






♯1.1



 私には前世の記憶がある。胎内記憶も。普通は成長するにつれ忘れてしまうものだろうがどういう訳か覚えたまま十七の誕生日を迎えようとしている。

 

 また私には障がいがある。そのため魔力はあるが魔法は使えない。力を形にすることが出来ないのだ。魔法が使えない人はこの世界では珍しく、貴族はより高度な魔法を扱う。けど私は重要な地を任されている公爵家に生まれた癖に全く使えない、出来損ないだ。

 原因は父と母の血が近かったからだとされた。それまでの貴族社会では血を濃くする方を望むのが流行りであったが、私という出来損ないの例が周知された結果、近親婚が疎まれるようになった。

 さらにその影響は巡り巡って有能な平民を部下に引き入れる傾向を与えていると報告されている。平民にとっては嬉しい話だろうが原因となった出来損ないである身にとっては大変つまらない。

 

 だが記憶にある前世は魔法なんてなかったから実は今それほど困ってない。貴族だから身の回りの事は大概やってもらえるのだ。むしろ気を失う症状があることが大きなハンデとなっている。

 一日に平均五回程度。ご飯を食べている時、話している時、歩いている時、タイミングを問わずいきなり意識を失う。一瞬だったり、そのまま一週間目を覚まさなかったり。

 幼い頃、階段を降りている際に意識を失って大怪我をしてから普段は車椅子を使っている。その時の怪我は完治しているがいつ意識を失い倒れるか分からないから、支えてくれる人がいない時は立つことを許されていない。一人で歩く事さえままならない。

 

 記憶にある前世の私は運動が得意な学生時代を送り、最終的に警察官という職についた。死んだ原因はなんてことない、ただのバス事故だが。そんな体力と身体能力だけが取り柄の様な生活だったから今自由に動けないことがもどかしい。

 

 




 夕食時にまた発作が起きたらしい。気づけばベッドの上だった。今何時だろう。外を見ると日の出前だった。どうやらそのまま寝てしまったようだ。

 スープに突っ込んだのか、髪がベタベタしていた。気のせいかマッシュルームの香りがする。シャワーを浴びたいけれど魔法式の機械を私は操作できない。この時間、使用人も大体が寝ているはずだ。

 我儘は言えない。諦めてベッドから降り、鏡台で髪をとかす。整った顔をしているが妹の美貌には適わない、中途半端な金色キノコと鏡越しに目が合う。頼りない身体のちんちくりん。未だにコレが自分だなんて信じられない。まだ起床には早いが暇なので車椅子に乗り朝の散歩に庭へ出た。

 

 朝日が昇るのを背景に妖精たちが朝露を集めている。おはようと声をかけると嬉しそうに私の周りを飛び交う。

 

 魔法があるファンタジックなこの世界でも普通は妖精なんて見えない。私が特別なだけ。何度も死にかけ生と死の境界が曖昧になっているせいか、神の世界の生き物が見える。

 魔力が強い人は死の世界の生き物が見えるというけれど、幽霊なんて怖いし、見えるのが妖精で良かったなんて思う。けれど年々、力は強くなっているようで最近では幼い頃見えなかった精霊や、気を張れば神まで見えるようになっている。

 見える事を誰かに話したことは無い。幼い頃は知らずに妖精たちと喋っていて気味悪がられたが、もうみんな忘れているだろう。大体私は、妖精が見えるなんてメルヘンな事言えるほど脳内お花畑なキャラじゃないし言える訳がない。

 

 転生して十七年。同期のどの男達より漢らしいと言われていたのが嘘のようにか弱い令嬢をしている私であったが実は根本的な性格はそんなに変わっていない。

 



 それなりに敷地のある我が公爵領の中でも一番年寄りで大きな古樹の下は私の定位置だ。

 

「ちょっとぉ、ジジイ扱いしないでくれるかなあ」

「早起きね」

「精霊は睡眠なんて必要ないの。まあ時間潰しに寝るけど」

「便利ね。羨ましいわ」

 

 古樹の精霊はこの地の守り神だ。性別不詳、中性的な見た目をしているが樹自体は雄なので精霊にも性別という概念があるのなら男性だろう。彼は私の良き理解者であり師であり一番の友人でもある。

 他の人には見えない彼だが、森のはずれにある古い聖堂のステンドグラスには彼と同じ新緑の髪に青い目の精霊の姿が残されている。だから昔は彼の姿が見える人がいたのだろう。彼らは一体どのような話をしていたのか。その人も生と死の境界が曖昧だったのだろうか。

 

「セス、君の兄さんが来たみたい」

「あー……」

「隠れるか逃げるかする?」

「車椅子で? 無理よ」

「もうっ、君さえ望めばその病は治せるのに」

「聞き飽きたわ」

 

 都合のいい話には代償が付き物だから。まるで悪魔の囁きだと思う。私は、望まない。

 

「セシリー」

「お兄さま」

「駄目じゃないか、一人で動いたら。何かあったらどうするんだ」

「何もなかったわ」

「なくて良かったよ。これで何回目だ。迷惑がかかる人間がいるってこといい加減理解してくれないか?」

「ごめんなさい」

「なあセシリー、あまり迷惑をかけると嫌われてしまうよ。使用人たちにまで嫌われたくはないだろう?」

「構わないわ。今更だもの」

 

 私を嫌うように使用人達へあることないこと兄が告げているのは知っている。

 

「セシリー」

「行きましょ。今日の朝食のジャムは何かしら」

 

 兄の心配に見せかけた嫌味にはもう慣れた。

 私の感情を察した物言いたげな精霊の視線を感じながら車椅子を進める。

 

 


 私の家族は私が嫌いだ。

 

 母は私の障害の事で周囲に責められ、心を病んで自ら命を絶った。惨めな死に方だったと聞く。

 “お前さえいなければ”

 そう言って何度も何度もまだ据わっていない私の首を締めたのはしっかりと覚えている。

 その度に母を止めた乳母は可哀想にと自殺してしまった母を憐れみ葬儀後早々に屋敷を出た。障害のある私の世話を一手に引き受けていた乳母が引き継ぎも無しにいなくなり私はかなり不自由な生活を暫くの間強いられる事になった。

 

 父は母が好きだったから私を恨んでいるのだろう。いないものとして扱われている。別に構わない。必要なお金はちゃんと出してくれているから。

 

 その父が再婚して出来た新しい母親と次期当主の弟は空気を読んで一切関わってこない。

 

 宰相候補で銀髪のインテリ系な兄は感情を隠し、本人的には私に唯一優しく接する兄を演じているが、私が孤立するように立ち回り、影ではストレス発散の為か地味な嫌がらせをしてくる。

 周りは騙されているが流石に当事者である私は兄の裏の顔に気づいている。が、敢えてその優しい兄なイメージ戦略に乗っている。力ない今の私にとって、無慈悲な兄は怖いから、そうするしかない。

 

 そしてもう一人、私には年子の妹がいる。私の婚約者と仲が良く、第一王子の婚約者、つまり王太子妃になる予定だ。兄とそっくりな銀髪と鋭い目付き。本人は目をコンプレックスとして勘違いされやすいのと悲劇の悪役を気取っている。

 私の婚約者――藍色の髪で細身なくせに将来騎士団長になることを期待されている年下の生真面目な男はそんな妹を愛しく思っている。まあ卒業式まで秒読みだし、そしたら妹と王子の結婚式だから当て馬ざまあみろだ。

 

 性格がこんなに歪んでしまったのは障がいのせいじゃない。普通の体を持っていてもこれだけ愛されなかったら醜くもなる。前世の普通な人生の記憶はあってもそれはどこか遠く、今の私とは別な人生。言わば他人の様なもの。他人が愛されているのを知っているからなんだという感じだ。

 

 私の婚約者であるルイス様は最近毎日の様に我が家へやってくる。妹と王子と婚約者様は全寮制の国立魔法学園に通っていたが、卒業研究が終わり既に寮を引き払っている。今は就職準備期間中の筈だが暇なのか。

 私は勿論魔法が使えないせいで入学は出来なかったから家にずっといた。だから学園での彼らの様子は知らないけど。

 ルイス様が妹に会うために我が家を訪れているのは知っている。羨ましくは、ない。

 

 




「セシリー、おはよう」

 

 婚約者様は相変わらず柔らかい笑顔を浮かべている。軽薄に感じてしまうのは私が捻くれているせいか。

 

「おはようございます。ルイス様」

「今日は殿下も一緒に遠乗りする予定なんだけど。セシリーもどう?」

「嬉しいけれどごめんなさい。折角誘ってくださったのに……」

 

 いじらしい少女を演じるのはもう慣れた。これは私なりの処世術だ。愛想よく、可愛くしておけば困った時に助けて貰える確率が上がる。妹もツンツンしていないで柔らかくすればもう少し多くの人に好かれるだろうに。

 まあ懐かない猫が、自分だけに甘える時の破壊力は凄まじい。王子も婚約者様もそれでやられたのだろう。単純な奴等だ。

 

 案の定、形式的に伺っただけらしいルイス様はあっさりと引き下がり、楽しげに妹の元へと向かっていった。

 少し考えればいつ気を失うかわからない私が馬になんて乗れる訳ないって分かるはずなのに。なんにも考えてないのだ。ならいっそ余計な気を回さないでほしい。虚しくなるだけだから。

 

 そして意識は遠のく。今日何回目だったか。

 






♯1.2



 確実に悪化している。

 城の温室を一人、車椅子で探索しながら溜息をつく。

 

 妹の挙式を明日に控え、私達家族は三日程前から城に泊まっていた。例によって意識を失い気づいたら部屋に誰もいなかったので幸いと抜け出した。

 また怒られるだろうか。まあ城内警備の兵には何回かすれ違っているから探そうと思えばすぐに私の行方は知れる。車椅子の少女なんて目立つから。

 

 一瞬か、発作が起きたようだ。いつの間にか落ちていた本を拾いあげる。

 まだ午前中なのに六回目だ。本当に一瞬だったのか確かめる術はない。ただ影の位置が先程と変わらないからそう時は経っていないだろう。

 

 城は初めてだった。だから神の世界の生き物の多さに驚いた。今まで見たことない種や、単体でしか会ったことのない種が群れを成していたり。流石国の中心である。

 ただ今までなら見えなかったような強さを持つ精霊まで気を張らずに見えるものだから力は確実に強くなっている。

 

「そろそろ迎えが近いのか」

 考えたくもない。

 

『温室へ行ってごらん』

 数日前、古樹の精に城へ行くことを伝えるとそう言われた。

 

 何があるのかは教えてくれないままだったし行く気もなかったけれど、妖精たちがしつこく呼ぶので仕方なく来てみれば彼らは奥へ奥へと私を誘った。

 徐々に道幅は狭くなり、伸びた草葉が行く手を阻むよう生えていた。しかし近づくとひとりでに避けてくれ、小さな、けれど車椅子では難しい段差は妖精たちが越えるのを手伝ってくれた。

 

「そこまでして、私に何を見せたいの」

 返事はない。ただクスクスと内緒話をするだけだ。

 

 どれ程進んだか、馬鹿広い温室にいい加減腕が疲れた頃に苔に覆われた小さな石造りの祠が見えた。

 

「何があるの?」

 

 近づき、祠の正面に立つ石碑を手でなぞる。ひんやりと冷たいだけで特に変わったものは見えないし何も起こらない。拍子抜けだ。

 石碑に彫られているのは旧字体だが恐らく建国記の冒頭だろう。本ばかり読んでいるから何となくなら意味はとれる。

 

 祠の中は紙垂のようなものがぶら下がっており、榊にも見える枝が一対生けてある。

 奥には拳大の歪な石ころが一つ。車椅子から降りてそっと触れてみるが、別に神の息吹は感じられないし精霊の気配もない。ただの石だった。

 

「ほんとなんなのよ」

 

 こんな奥まで来て何もわからない。無駄足か。がっかりだ。車椅子に座り直して来た方向へと向きを変える。妖精たちは満足したのか特に引き止める様子もない。

 

「帰りも手伝ってくれるんでしょうね?」

 そうじゃなきゃ困る。

 

 凹凸のある道と泥濘みのせいでハンドリム(車椅子をこぐ際に握るパイプ)が汚れてしまった。帰り道でまた汚れるのだし、拭くのは後でいいだろう。ガサツで横着する性格は前世と変わらない。汚れぬよう手袋をはずし、素手で握った。

 

 不意に妖精たちがざわめきだした。何か彼らにとって好ましいものが近づいてきたようで。大抵そういう時はろくな事がない。案の定、茂みを抜けてきたのは私と同じ金の髪色をした、妹の婚約者だった。

 

「そこで何をしている! ……誰だ坊主?」

 

 私を不審者かと思ったのか、勇んで現れた王子は車椅子姿の私を見て怪訝そうに立ち止まった。

 というか私、婚約者の姉だというのに認知されていないのか。それはちょっと落ち込む。我が家に何度か遊びに来た事があるはずなのに。妹以外は目に入らないのか。

 

「病の為、座ったままで失礼致します。アデイン現当主の長女、セシリー・アリス・アデインでございます。未熟者故、多少の無作法はお許しください。殿下」

「……女?」

 そっと膝上のブランケットを取り、スカートを見せる。

「なるほど」

「ええ」

 何に納得したのか。

 

「これは失礼した」

「いいえ。初対面ですし、ましてこの髪型。お気になさらず」

「何故一人でここに?」

「この素敵な温室の散策に夢中になっていたらいつの間にか」

「……」

 

 やはり無理がある。少なくとも車椅子で来るような所じゃない。

「いけませんでしたか。荒らしてはいないつもりですが……ひょっとして研究用の施設でしたか?」

「いや、何代も前の王族が趣味で作った観賞用の施設だ。楽しめたのなら構わない」

「よかった」

 安心したように微笑んでみせる。何とか誤魔化せたようだ。静かに息を吐く。

 

「私の領地にはない植物が沢山あって興味深かったです。……この祠は何が祀られているのですか?」

「さあ。残念ながらこの城には不思議なものが沢山あってね、全てを把握している訳では無いのだ。幼い頃はそれこそ私も夢中になって探索したり調べまわったりしたが。失われた記録も多くてね」

「そうなんですか……残念です」

「私も聞いていいか?」

「何でしょう」

「どうしてその、個性的な髪型を?」

 

 随分と直球だな、と思う。マッシュルームカットの髪に触れ、苦笑した。好奇心旺盛なのか、価値観がやはり我々とは違うのか。触れないでおこうという選択肢はなかったのか。

 本当は髪が長いと妖精たちに好かれ、寄ってこられるから鬱陶しく切ってしまった。そんなこと言えない。

 

「頭皮に手術痕があるので人に触られたくないのです。長いと結ってもらわないといけなくなるでしょう」

「ああ。ルイスと遊んでいた時の怪我か」

 それは知っているのか。

 

「……申し訳ない事をしたと。幼い頃の戯れで彼を縛ることになってしまいました」

「そうか? アイツにはそれ位のまじないが必要だと思うが」

「そんな可愛いものではないのです。呪いの方がふさわしい」

 縛りたくはなかった。

 

 幼い頃、ルイス様は父親同士が友人だった事もありよく我が家に遊びに来ていた。遊び相手はいつも私の兄か妹で、今と変わらず私はいつも車椅子で一人その様子を眺めていた。

 その日、兄と妹は演奏の発表会という名の交流会があり家を開けていた。ルイス様は音楽関係が壊滅的だったから参加せず、いつもの様に父親にくっついて遊びに来ていた。

 遊び相手がおらず暇だったのだろう。珍しくルイス様は私に構ってきた。そして二人で木の上に登り、私は発作で気を失い、落ちた。

 一命は取り留めたが手術痕は魔法では癒えず、責任を取るという形で将来の結婚が決まった。彼としてはたまったものじゃあないだろう。

 

「殿下ー! おい殿下! ったく、どこ行ったアイツ」

 苛立った声に我に帰った。よく知っている声。婚約者様だ。

「ああ。見つかるか」

 残念そうな王子の声の後、藍色の髪が現れた。光の加減でいつもより青みが増し綺麗だと、そう思った。

 

「殿下! ……セシリー。どうしてここにいるの」

「偶然会ったんだよ」

 王子が代わりに答える。婚約者様はいつもの笑顔が崩れていた。別に珍しい事ではないのかもしれないが。上辺だけの付き合いである私は初めて見た。

 

「殿下、式の前の大事な時です。良からぬ噂をたてられでもしたら」

「噂とは限らぬ」

「どういう意味」

「冗談だ阿呆。そんな怖い顔するな」

 なんとなく疎外感を感じてそっと下がる。

 

 隠そうか?

 

 不意に耳元で古樹の精の声がした。姿は見えない。

 

 ここには沢山妖精がいるからできるよ。

 

 幻聴かもしれない。けれど。お願いと小さく呟いてみる。

 気付くとまた意識を失って。目が覚めるとベッドの上だった。全て幻だったのかと思ったがそばにある車椅子は汚れていた。

 

 



 結婚式当日、例によって朝から気を失い出席せずに済んだ。煩わしいことがなくなってよかった。まあ端から仮病使ってでも休む予定だったから、自分が着るドレスすら確認していないのだけれど。

 さて何をしようかと考えて、温室の祠について調べようと思いついた。結局謎なままだったし。広い城内だが、幸いにも私が泊まっている所は北にある図書塔に近かったのですぐにたどり着けるだろう。

 

 式は終わりセレモニーに移ったのだろうか。喧騒は私にも届いた。この賑やかな中にルイスはどんな思いで立っているのか。想像しようとして不毛なことに気づき、やめた。

 いつもより城内警備の数が少ない気がする。他の警備に回されたか。彼らもお祭り騒ぎに加わりたいだろうに。ご苦労様だ。

 特に咎められる事なく空中廻廊を渡り図書塔に着いたが鍵がかかっていた。司書たちは休みなのか。

 近くに警備の姿は見えなかったので、下に広がる中庭から妖精達を呼んで、鍵開けを手伝ってもらった。要するに不法侵入だ。

 

 図書塔は二つの建物で出来ている。手前の三階建ての建物が閲覧室になっており、辞書や地図の類も置いてある。直接繋がる奥の六角形の塔は書庫になっており、壁は本棚で覆われている。その本棚に沿って螺旋階段が設置されていて、塔の中心は吹き抜けとなっている。だいたい地下三階の深さから地上五階まである塔内は薄暗く、底には本棚に入りきらない本や石版が置いてある、らしい。

 

「……無理、ね」

 

 すっかり失念していたのだが螺旋階段は車椅子じゃ通れない。つまり書物を調べられないという事だ。

 この発展途上な世界にバリアフリーなんて考えはない。バリアだらけだ。手摺に寄せた車椅子から底を覗く。歩けるが、気を失った時上から下まで転がり落ちるのは勘弁願いたいものだ。

 目の前にあるのに。思わずついた溜め息が重い。もどかしい思いをしたのはこれが初めてではない。だけど悔しさは私を目の前に広がる大量の本に釘付けにした。

 

「これはこれは尊きお方。今日はご兄弟の結婚式では? こんな所でなにをされているのか」

 

 振り返るとそこに居たのは真っ白な髭のお爺さん。小人族か、背が低い。

「調べものを。……温室の祠についての書物を探したかったのですが」

 特に警戒もせず、ぼやく。

 

「ああ。それならユクトクリヒィス王が八年前に借りたままだ。あやつめ。図書館の本は皆のものということを忘れておる。今から催促に行くから暫し待ってはもらえぬか」

「いや待って」

 慌てて止めた。式の最中に王様を催促するとか不敬だ。下手したら首が飛ぶ。

 

「まあ冗談は置いとくとして。この時を待っておりましたぞ。セシリー・アリス殿下」

 ……えっと。

「何か、勘違いをされているのでは?」

「何をかな」

「私はアデイン家の者です。先祖に王家の血は入っておりますがあまりに不敬かと」

「ホホッここには我々以外誰もおらぬ。それとも知らぬのかな?」

 なにをだ。

「そもそもあなたは誰なのですか」

「これはこれは失礼。私は図書塔の二代目管理主にして歴史を司る女神クレイオの使いじゃ」

「女神クレイオ?」

「知らぬのか」

「神話や宗教史は勉強不足で」

「……まあよい。さほど重要ではない。要するにワシはこの国の歴史を全て知っておる。隠されたものまでな」

 

 得体の知れないお爺さんは語り始めた。何故このような話を私にしたのかはわからない。

 それは国の暗部の話で、当事者であろうと私が知って良い話ではなかった。

 ただ、今まで疑問に思っていたことの答えはすべて知り得た。この障がいはなんなのか、神の世界の生き物が見えるのはなぜなのか、薄々察していた事にも確信が持てた。

 ――私の生が残り僅かであろうことも。

 






♯1.3



 王子と妹の結婚式から一年が経った。妹は腹に子がいるらしい。上手くやっているようだ。

 ルイス様は妹が嫁いでからはパッタリと遊びに来なくなった。仕事が忙しいらしい。まあ若くして騎士団長を期待されているのだから仕方がない。

 魔法学園に通いながらも騎士団へ研修として通い、実績を収めていた真面目な彼は即戦力だ。長く国交を絶ってきた帝国との間に不穏な噂が囁かれる今日、好きでもない女に手紙を書く余裕なんてないのだろう。

 それとも当て馬らしく今の状況に複雑な思いを抱いているからか。

 

 私は相変わらず、だがこのごろ特に調子が悪い。お陰でルイス様との結婚準備はとことん捗らなかった。本人達にやる気がないせいかもしれないが。

 家同士で勝手に進めてくれるのは助かっている。私が口を出したのは王都の新居内で私が一階部分だけで生活できるようにしてもらった事と段差を無くし、扉を開けやすくする工事を入れてもらったことだけ。後はおまかせだ。

 数ヶ月後に迫っているというのに未だにルイス様と結婚するという実感は湧かない。

 

 

 数ヶ月後に式の予定だったのに近日中へと早まった。

 どうやら開戦が近いらしい。しかもかなり不利な戦いになるそうだ。

 滞在していた外国人はみな出国し、民間人は王都から疎開する動きもある。最悪の場合最終的な戦場は王都になるであろうとはいえ、気が早いと思ってしまうのは私が情勢に疎いからか。

 国立の学園は近いうちに閉鎖されるらしい。学園に通っていた弟が帰ってきた。ルイス様も国境の防備へ配属されることになり、出立の前に契りを結ぶ事が両家の間で決まった。

 

 本当は私の体調と両家の列席者の都合で日取りを決め、王都の大聖堂にて挙げる予定だったのだが、急な事である。私の調子は芳しくなく、皆も戦支度で忙しいため列席できる人はほんの僅かであった。アデイン家の家族親族は誰も来れない。間が悪いのかとことん私が嫌われているからか。

 王都の新居はまだ準備が終わっておらず、私は式後もしばらく実家暮らしになるために、式場も領内の古い聖堂へと変更になった。


 どうして慌ただしい中、無理にでも式を行うのか。

それは仮にルイス様が戦から帰ってこない場合、未婚と未亡人では扱いも世間の評価も異なるからだ。私はおそらく他に結婚できる相手がいないから家が焦ったのだ。

 他にも戦争前に両家の関係を強固にしたかったとか、ルイス様が五体満足で帰って来れなくとも婚約破棄を行わせないようにするため等、様々な思惑が働いた結果だ。多分私が思っている以上に厳しい戦争になるのだろう。

 

 


 赤い絨毯の上を、贅沢にレースが使われた白い民族衣装でゆっくりと歩む。車椅子は置いてきた。

 音楽は無いはずだが不思議な旋律が聞こえ、薄いベール越しにこっそりと見ると妖精達が歌っていた。こんな私でも祝福してくれるのか。

 

 絨毯の先には臙脂色の騎士服を着たルイス様が立っていた。

 

 古樹の精であろう姿や沢山の神の世界の生き物が描かれたステンドグラスからは、柔らかな陽が差し込み、暗い聖堂を僅かに明るくする。少し埃っぽくレトロな聖堂で静かに、ささやかな式は行われた。


 導師がまじないを唱えるとキラキラと光が舞い私達を包む。と、精霊達が集まってきて何やらその祝福に手を加える。余計な事はしないでと、口に出す訳にもいかず黙って見守る。

 大丈夫、彼らはイタズラ好きだが聖なる場では悪さはしない筈だから。……少し不安になってきた。

 

「お二人は神々の導きによって夫婦になろうとしています。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことをこの天と大地に誓いますか?」

「はい、誓います」

「誓います」

 

 指輪は間に合わなかった為に交換できない。二人を繋ぐものが足りないせいか、誓った後も心の距離が、遠い。

 ベールがゆっくりとあげられ、ルイス様の顔が近づいてくる。いつもの軽薄さのない真剣な表情をしていて。近くで見ると本当に格好いい顔だななんて思いながら目を閉じた。

 

「皆さん、お二人の上に神々の祝福を願い、

 結婚の絆によって結ばれた

 このお二人を神々が慈しみ深く守り、

 助けてくださるよう祈りましょう。

 宇宙万物の造り主である父よ、

 幸を咲かす魔法を与えし母よ、

 そして国を守る大樹の精よ、

 今日結婚の誓いをかわした二人の上に、

 満ちあふれる祝福を注いでください。

 二人が愛に生き、健全な家庭を造りますように。

 喜びにつけ悲しみにつけ信頼と感謝を忘れず、

 あなたに支えられて仕事に励み、

 困難にあっては慰めを見いだすことができますように。

 また多くの友に恵まれ、

 いつまでも解けぬ幸の魔法と共に、

 結婚がもたらす恵みによって成長し、

 実り豊かな生活を送ることができますように」

 

 隣に立つルイス様はいつ私が意識を失ってもいいようにしっかりと支えている。その腕が思っていた以上に逞しく感じられてドキリとした。無理を言って車椅子をやめたのは恐らくこれが、ルイス様と会う最後になるだろうから。

 一番綺麗な私を見てもらいたかったのはプライドか、それとも。

 

 誓いのキスが額の上だった事に少しだけ寂しさを覚えた。

 

 

 その日の内にルイス様は戦場へと旅立っていった。式が終わった途端に意識を失った私は見送りが出来なかった。

 御守りにと用意した下手くそな刺繍を施したハンカチも渡せず、無事に帰って来るようにと精霊達へ祈ることしか出来ない。

 戦禍は迫っていた。

 







 

♯ ????の話


 

 燃え盛る炎の中、長かった己の生の終わりを感じていた。

 

 無駄に足掻こうという気は起こらない。かつての友人が命を代償にしてまでも守りたかったこの国の終焉を深く張った根で感じていたから、彼が愛したものたちが壊されるのを見ずに済んでほっとさえしている。

 友人は神の国で待っていてくれているだろうか。せっかちな彼のことだからもうとっくに転生している可能性もあるのかな。

 

 ただ一つだけ気がかりなことといえば。かつての友人と同じ色を持った少女の事だろうか。

 故人と重ねる最低な自分を唯一の友だちだと笑った寂しい少女。最期、彼女の為に出来ることは一つだけだろう。長すぎる命を持った自分と人の価値観は違うというのはわかっている。彼女が望んでいないことも知っている。

 それでも。

 長く生きたからこそ見えているものはあるのだ。

 

 



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