第07話 友と友と友と
「タケル、どうする?」
さっきの英語を理解する事は出来ていなかったようだが、俺がカマをかけた事にはなんとなく気がついているんだろう。
ソフィアは大家の息子をしっかり視認すると、胸元のボタンを戻しながら聞いて来た。
(ボタンは戻さなくて良いだろ……)
「おい!」
こっちを見て怒鳴ってる。
「何で心の声に怒ってるんだよ」
「何を言ってるんだ? どうするかって聞いてるんだよ」
そっちか……
6人か。まぁでも、大丈夫だろう。
「取りあえず、その拳銃で一人、足でも撃ち抜いてくれ」
俺は念の為マフィア達には聞こえないよう、小声でソフィアにそう告げたが返ってきた言葉は冬のロシア並に厳しく冷たいものだった。
「はぁ?」
「いや、一人でも減らしてくれたら楽になる」
「撃てないよ」
「はぁ?」
「私服だし命令で動いてる訳でも無いし、何かされてる訳でも無いし、武器を出された訳でも無いのに、銃なんて撃てる訳無いだろ! あ、監視カメラのある場所でお前がボコボコにされてくれるのなら二人ぐらい撃ってもいいぞ」
「嫌だよ無理だよ! ってかロシア警察ってそんなもんじゃないだろ! 何、日本の警察みたいな事を言ってるんだよ」
「お前こそ、ロシアの警察を何だと思ってるんだ!」
気がついたらすっかり大きな声になっていた。
6人の囲いは少しずつ狭まっていたのだが、あまりにも普通に口喧嘩を始めたせいか、一定の距離を置いて止まっていた。確認出来る範囲では銃の携帯は無さそうだ。人数に余裕があると思って油断してくれているのならチャンスもあるかも知れない。
「おいおい、痴話喧嘩か? 仲良くしろよ」
正面、少し離れ気味の大家息子が英語でそう告げた。俺の方は見もしないでソフィアを舐めるように見てニヤニヤしている。
不快な事を言われているだろう事だけは分かったのか、俺に通訳を求めてきた。
「おい、あいつ何て言ってる」
「エロそうな女だな。自分から腰を振るタイプだろうって言ってる」
ソフィアは腰の銃に手を回した。
やばい。
「撃つなよ! お前がダメだって言ったんだろ!」
舌打ちしてる……
俺の余計な嘘で人一人死ぬところだった。彼女に下手な冗談は通じないな。もっとも、そんなに余裕がある状況でも無いけど。
敵の数は6人。息子くんの両脇にいたのはボディーガードだろうか、妙にガッシリとした体格をしていた。他の3人は町の不良って感じに見えていたが、喧嘩慣れはしているんだろうな。表情の変化は無いし、こちらのロシア語はそんなに理解出来ていないようだった。
「ソフィア、ロシアの警察学校は厳しいのか?」
「は? 厳しいに決まってる。豪雪の中走ったり……」
「逃げるぞ」
俺は次の言葉を待たず、後方へと走り出した。
「お、おい」ソフィアも後に続く。
「どうするんだよ」
ソフィアが俺に追いつき声をかけてきた。
「相手はプロだろ。2対6じゃどう考えても無理だから逃げるんだ」
「ここまで来て……」
不安そうな表情だ。気持ちは分かる。
しかし、二年ものバックパッカー生活で体力が低下していた俺に、彼女を気に掛ける余裕なんて無かった。
しばらく、10分程だろうか。真っ直ぐの道路を真っ直ぐに走り続けていた。後ろを振り向くと3人。かなり遠くに大きな体の2人。大家の息子は見えなくなっていた。
前方を見ると、十字路の右奥、側道近くに駐車場があった。アスファルトでは無く大小様々に砕かれた石が撒かれていて、水はけだけを考えられた雑な作りになっていて、何台かの車が駐車していた。
「ソフィアここだ!」
俺は声をかけ駐車場内に入ると、膝に手を付きながら呼吸を整える。
「どうするんだ」
とソフィア。まだ余裕がありそうで羨ましい。
俺は……無理だな。返事もせずしばらく呼吸を整える。
振り向くと、3人は間もなく追いつきそうだった。
が、その顔は俺の倍以上に辛そうだ。
俺はソフィアと車の影に入る。
「隠れるのか? 見られてるぞ」
「こうするんだよ」
俺は足元に落ちていた直径4~6センチ程度の石を拾うと、車の影から追いつこうとしている男に向かって全力で投げつけた。狙った胴体からは少し外れたものの、油断していた先頭を走る男の太ももに命中した。
「なるほど」とソフィアも足元の石を拾っては投げ始める。
十字路を越え駐車場に差し掛かったばかりの男達に隠れる場所は無く、走って疲れ切った体のあちこちに投石を浴びては悲鳴を上げていた。最初に一撃を食らった先頭の男は、気の毒にソフィアの一発を頭部に食らってうずくまっていた。続く二人目も、両手足で必死にガードを試みるが、ガードに当たってもデコボコの石を大の大人が2人がかりで思いっきり投げているんだから、それはそれはとても痛そうだった。こちらまで走って突撃、って事も痛みと疲労で無理そうだ。
三人目は最初こそボコボコになってる仲間を助けようとする気配もあったが、すぐに諦め十字路手前まで引き返し、建物の影に隠れてしまったようだった。俺は足元の石を持てるだけ持つと、全力で二人目に向かって投げつけながら近寄っていった。
中学生の頃、ちょっとグレかけてタバコを吸ったりした事があった。いや、本当にグレかけていた程度だったんだが、公園で堂々と吸っていたもんだから、当たり前にお巡りさんに声をかけられた。足の速さにはそこそこの自信があったし、相手は二十代後半程だっただろうか。若め、とは言えちょっと小太りだったから、追いつける訳は無いと余裕ぶって走って逃げたのだ。
結果、最初こそスピードに勝る俺が距離を稼ぐ事に成功していたのだが、小太りのお巡りさんが諦める事無く俺を追いかけ続ける事10分程。完全にバテて地面に転がり懇々とした説教を受ける、情けない俺の姿が出来上がった。
短時間の喧嘩ならマフィアや町の不良だって相当に強いだろう。俺やソフィアくらいなら、同数でも一方的にやられる事だって有り得る。けれど、毎日の厳しい訓練に耐えた人間と、怠惰な生活を日々重ねているような人間が持久走なんてしたら、しかもバテたとこに一方的に石でも投げつけられたら。
まぁこうなるだろう。
と、若き日の過ちから学んだ事を実践してみたんだ。
念の為、手前の一人目を蹴りつけてから、すぐさま二人目に向かって石を投げると良い所へ入ったようなので十字路へ向かって走って行く。建物の影へ曲がると三人目が膝に手をつき「ぜえぜえ」と青い顔をして息をついていた。現れた俺の姿に気がつくと驚いたような顔で後ずさりしていたが、まぁ、もう遅い。
「悪いね」
そう言いながら、至近距離から手持ちの最後の1つを顔面に向かって投げつける。と、男は怯えながら咄嗟に顔をかばった。せいで、何本かの指に直撃した。あれは痛い。
男は甲高い悲鳴を上げると、石に砕かれたであろう自分の手を見つめている…… 隙に、俺がガードの無くなった顔面を押さえつけ、全力で建物の壁に叩き付けたると、今度は後頭部を抑えてうずくまり大人しくなった。
駐車場の方向からも重そうな鈍い音に続き、なんとも苦しそうな男の呻きが聞こえてきた。ソフィアのトドメが入ったのだろうか。俺はイカツイブーツのかかと落としを思い出し背筋に冷たい物を感じた。
元来た方を見ると、三人がやられた事に気がついたのだろう。大柄の男二人が驚いた表情で立ち止まっていた。ふらつきながら肩で息をしているし、その顔色は赤から紫、そして青へと変わっていた。
「ソフィア! まだ動けるか~」
俺は後ろも振り向かずにそう聞いた。
「ロシアの警察がこれくらいでバテるか」
と、いつものクールな声が返ってきた。
「さ、あと半分だ」
――――
ジメジメとした薄暗い小部屋。
蛍光灯はついていたが何故か薄暗く、壁紙は剥がれコンクリートが剥き出しになり、所々に点々と黒いカビが生えていた。窓は一つもなく、家具も一組の椅子とテーブルが置いてあるだけで、ベッドや棚といった物も無い、生活感を感じさせない部屋に、少年は居た。
警察官はとても優しく微笑んでくれていたのだが、パトカーに乗せられ病院を後にした時、何となくだが、誘拐されたのかな、と気がついていた。車内ではお互いに言葉を交わす事は無かった。もっとも、少年と警察官に、コミュニケーションを図る事の出来る共通の言語は存在していなかった。
1時間近く経っていただろうか。大きな塀に繋がった大きな門の前で車が止まった。しばらくすると門は勝手に開き車を中へと受け入れた。公園のように芝生や街路樹で整備された庭を抜けると、昔の貴族が住んでいたかのような、古く大きな建物の玄関に到着した。アパートと小学校、それに近所の公園や工場くらいしか知らなかった瞬夜は素直に「すごい」と感じ口にも出していた。
降りるよう促した警察官のその顔に、優しい笑顔はもう無かった。大きな玄関からは別の男が出迎えに来ていた。男は警察官と幾つか言葉を交わすと別れ、瞬夜を建物の中へと案内した。
建物の中は強く暖房が効いていて暖かかった。廊下を幾つか曲がり、コンクリートで四方を固められた無機質な地下へと続く道を降りると、突然、幼い少女の大きな高くつんざく悲鳴が周囲を反響しながら聞こえてきた。
思わず緊張し足を止める瞬夜の背中を、男は強く押して歩くよう促す。
恐る恐る、歩みを進める程に、少女の悲鳴に荒い息遣いや苦しそうな喘ぎが混ざるようになる。病室で出会った少女を思い出していた。タケルと戦い逃げて行ったが、日本語で話しかけてくれた、自分には優しい少女の事を。
声の元にまで辿り着く事は無く、階段を下りた廊下の途中にある部屋に通されると外から鍵をかけられた。
瞬夜は薄暗い小部屋を見渡すと、一瞬、恐怖に顔をこわばらせたが、しばらくの後、落ち着いてきたのか今度はゆっくりと部屋の中を見渡した。部屋の中に暇をつぶせる物が何も無い事を知ると、服の中に隠していた子供用にイラストの描かれた小さな図鑑を取り出し、椅子に腰かけテーブルの上で読み始めた。
窓も時計も無い薄暗い小部屋で、どれ程の時間が流れたのだろうか。前触れ無くドアが開くと、食事の乗ったトレイを持つ少女が部屋に入ってきた。病院で会ったあの少女だった。
Tシャツに短パンの姿から覗く、その手足や顔には、赤黒い、出来たばかりの痣が幾つもつけられていた。ドアを閉め、瞬夜の前へとやってくるとテーブルの上の図鑑に気がつき驚いた表情を見せた。
テーブルの図鑑を横にずらすとトレイを置き「くえ」と呟いた。
「ありがとう。いただきます」
そう、瞬夜が笑顔で礼を告げると、少女は再び呆れ、ため息をつきながら床に膝を抱えて座った。食べ終わるのを待つつもりだろうか。
「ドウシテ礼を言う」
「お腹すいてたから?」
「ソウじゃない。お前さらわれた」
「う~ん……」
瞬夜はゆっくりと悩んでから言葉にした。
「タケル兄ちゃん達がいないのはさみしい。でも、話してくれるから。ママいがいの人と話した事なかったから。うれしい。話せるってすごい」
少女は瞬夜の身の上を知っていた。
そして、それは自分に近く似ている気がしていた。
だから少しずつでも理解出来ていったのかも知れない。
少年は産まれてから、愛すべき母と小鳥以外に対して好意や幸福を感じた事は無かった。それは周囲からも人の営みからも逸脱し、テレビや本さえも満足に与えられていない生活の中では当然だったかも知れない。が、退屈や孤独、そしていじめ等の差別や、それから来る迫害に暴力。
そんな少年の日々は、ごく普通の人間にとっては、救いも無い、苦痛しか無い、生き抜く為の糧さえ見えない、とても厳しいものだったに違いない。
しかし、それが当たり前に積み重ねられ過ぎた事で麻痺してしまったのだ。嫌な出来事や不幸こそが少年にとっての日常であり当たり前だった。だから、ほんの少しでも楽しい事や嬉しい事は、全て、ただただ有難い事なのだと、そんな事でもあるだけで幸せなのだと必要以上に感じてしまう程。さらに、少年は母まで失ってしまった。
そんなようなとこまで考えが至ると、少女は自分に近く似ていると思っていた考えを改めた。
少女は自分の事を、辛く孤独で可哀想だと思っていたし、毎日の拷問のような訓練や扱いにも、いつか、と希望を見出して今は耐えようと誓っていた。けれど、不幸だ、と感じている事は、もしかしたらこの少年に比べたら幾分か幸せな事だったのでは無いだろうか。
少年が病室でも会話を喜んでいた事を思い出した。
今は、話せるだけで楽しいその理由にも少し納得していた。
(少なくとも、私は私が、今、不幸だと知れている。か)
「どうしたの?」
長く考え込んでしまっていた。瞬夜の声に我に返った。
「なんでもない。くえ」
「うん。わかった」
しかし、こう部屋に閉じ込められ、これからされるだろう事を思えば、どんな事も不幸だと感じない事の方が幸せなのかも知れない。とも少女は思った。自分と同じように、自分より少し若い分、自分以上に長い時間、辛い目に合う事になるだろうからと。
「なんさい? ぼくは8歳。結崎 瞬夜です」
もぐもぐと小動物のように口を動かしながら瞬夜が訪ねた。
二人とも覚えてはいなかっただろう。二度目の質問だった。
「12だ。ナマエは無い」
「ないの? なまえ?」
「オマエくらいの時、親に捨てられた。ダカラ名前捨てた」
「え? なんで?」
真っ直ぐに聞いて来る無垢な瞬夜の瞳に、苛立ちと、少しの暖かみを感じた。少女は何故だろうか。少年と話したいと感じていた。
「イギリス、わかるか? そこで産まれた。親は二人トモ白人で金髪だった」
ケド、と、少女は笑いながら自分の長い黒髪と褐色の肌を少年に見せた。
「検査シタ。異常は無かった。けど、パパは信じない。出ていった。ママは私のせいだと毎日殴った。そしてステタ。売られた」
瞬夜は悲しそうな顔で少女を見て、食べる手を止めていたが、ため息が混ざった「クエ」に従い、再び食べ始める。
「最後にセーラーに買われた」
「セーラー?」
「売る人。セーラー(販売者)って呼ばれてる。ボス。コワイ人。沢山の男、女、売ってる。スパイも育ててる。私は買った相手をベッドで、コロス」
お前も売られる。そう言いかけ、少女はやめた。
「ママは自分のハダカを撮影してネットで稼いでた。だからセーラーは私をセルフィと呼ぶ。コーシュカとも」
「ねこ好き!」
瞬夜は口をもごもごさせながら目を丸くしている。
少女はそれに答えず沈んだ表情を返した。
「じゃぁ……」
瞬夜は、せるふぃ、せる、こーすか、こーか、せるか、とぶつぶつ呟いてから突然、顔を輝かせた。
「セシュカは? ちょっとかえてくっつけて!」
そんな事を言われ、思わず少女は笑ってしまった。
(またコイツは何を考えているのかと思ったら、誘拐犯の一味に名前を付けてやろうとしてたのか……)
何となくの気持ちは理解できるようにはなったが、その人なつっこさは、やはり少女が理解出来る範疇を超えていた。しかも、私が嫌いな人間に付けられた名前をくっつけてどうする。と。
一度笑うと止まらなかった。降参だ。
「ワカッタ。ワカッタ。それでいい。ワタシはセシュカだ」
「やった! セシュカ、よろしく!」
よろしく。奴隷同士がよろしくか。と、少女はその滑稽さと少年の純粋さが面白くて仕方なかった。
そして、その意図までは分かっていなかったが、瞬夜もなんだか楽しくなってしまい、一緒になって笑っていた。
しばらくして笑いが落ち着くと、セシュカは少しずつ真面目な顔になり、そして痛みを帯びた表情になると再び語り出した。
「オマエみたいに話しかけてくれた奴が一人だけイタ。名前も知らなかった。私はソイツをコロシてしまった」
「どうして?」
セシュカの悲痛な表情に釣られ、泣き出しそうになっている瞬夜を見て、少女は少し、柔らかく笑みを浮かべながら言葉を綴った。
「ワタシが訓練に失敗した。セーラーは今日みたいに私を何度も殴った。まだナレてなかった。自分で死のうとシタ」
優しく瞬夜を見る目を崩さぬよう慎重に言葉を続けた。
「ソイツは私を守るため、セーラーに殴りかかった。そのセイでソイツにだけ、食事が与えられなかった。私だけ目の前でタベタ。守ってくれたのに、私だけ」
目をそらし天井を見る。
瞬夜にはその頬を伝う涙が見えた。
瞬夜は床に座るセシュカの隣に座った。
「よしよし……」
いつか母がしてくれたよう、優しく背を撫でる。
「私は食事をワケタ。でも、セーラーの部下に見つかり殴られた。それから何度ワケても、そいつは食べなかった。そしてシンダ」
狭い部屋に、幼い少年と少女のすすり泣く声が響く。
「私がコロシた。助けてくれたのに。私がステタ」
天井を見ていた目を膝に落とし泣き続けるセシュカの背を撫でながら、そして共に泣きながら、瞬夜が言葉を口にした。
「だいじょうぶだよ。おこってないよ」
自分を慰めようとしてくれているのか。
そう思ったが、続く言葉は驚くべきものだった。
「セシュカより少し大きな女の子。髪の毛を編んでる子だよね? ぜんぜんおこってないよ」
思いがけない言葉に、思わず嗚咽を止めた。
少年が何を言っているのか分からなかった。
「最初ここに来た時、ちょっとびっくりしたけど、びっくりしたぼくを見て、笑ってくれたの」
そこ、と瞬夜が指を刺したその先は、確かにあの子がゆっくりと飢えて死んでしまった場所だった。少し年上でお洒落好きで、いつもセシュカがその髪を編んであげたあの子だった。瞬夜の言っている意味が少しずつ分かってきた。
「あぁ…… あぁぁ……」
再び涙が溢れて来た。
「ぼくが本をよんでるときは居なくなってたけど、セシュカ来てから出てきて。ずっとニコニコ笑ってるよ。今も。セシュカがだいすきなんだよ」
「ミエルのか? そこに、そこにいるのか?」
「うん」
「ワタシを許してくれるのか」
「ニコニコしてるよ。おこってないよ」
親に捨てられ、ここに来て枯れたと思っていた。
それでも友と呼べそうな子に出会い、そして失い。
やはり枯れたと思っていた。そんなものだと諦めていた。
けれど、少年に名を貰い、気を許してしまった。
思い出してしまった。
涙は枯れていなかった。
そしてまた……
泣きながら、言葉にならない声を出しながら、すがるように這いつくばり、かつての友の死んだ場所へと少しずつ近寄った。そして、絞り出すような声で、英語で、何度も何度も呼びかけた。
「ゴメン。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメン。ゴメン……」
瞬夜の目には、這いつくばるセシュカを抱き締めるように手をかざし、共に涙し、優しく微笑みながら、そして何度も頷いている少女の姿が見えていた。そして、そのありのままを伝えた。
「だいじょうぶ。だいじょうぶ」
瞬夜は再び、隣へと近寄り背中を撫でていたが、突然何かに気がついたように、あっ、と声をあげた。
セシュカは顔を上げ瞬夜を見る。
「シーニィみたいにできるかな?」
そう呟きながら、少年は首にかけられたロザリオを握りしめ祈る様に呟いた。
しかし、何も起きなかった。
瞬夜は「う~ん」と口に出しながらしばらく考えこんだ後「これかな」と、テーブルの上に置かれていた水の入ったコップを少女が見えていた場所に置くと、もう一度、今度はロザリオを強く握りしめ祈りを込めると大きな声で叫んだ。
「お願い。てつだって! シーニィ!」
すると、瞬夜が握りしめた手の辺りから、青色の液体がポタポタと染み出し、やがてハッキリと流れだし床をつたいコップの中へと注ぎ込まれていった。コップは一度全てを飲み込んだかのように見えたが、やがて勢いよく溢れ出し、驚いた表情のまま固まっているセシュカの目の前で、今度は噴水の様に天井近くまで吹き出していった。
「シュンヤ、これは……」
「ごめんなさい。もう少し」
そう告げた直後、噴水のように吹き出し続けていただ水のような液体、いや、液体なのかさえ分からない、生き物のように動き続けていた『それ』は、徐々に丸みを帯び、そして、ゆっくりと人の形を作っていった。
「あぁ…… こんな事があるなんて……」
いつの間にかセシュカは膝をつき両手を合わせ、透明な青色の水によって少しずつ形作られて行く、かつての友に祈りを捧げていた。
やがて、薄暗い小部屋の中。
瞬夜に見えていた、名前も知らない、しかし支え合えていた。
かつての友の姿が。死んだはずの友の姿がはっきりと現れていた。