第06話 月は見ている
「申し訳ないが警察の力は頼れない」
病院での出来事を互いに報告し終わった後、今後の事を思えば俺とソフィアは考え方の方向性を合わせる必要があると話し合っていた。
「勿論、必要に応じて上手く利用していきたいとは思うが、瞬夜くんを攫ったのが、現職の警察官である以上、迂闊に報告をしたりすれば、こっちの動きが漏れるだけじゃなく妨害される恐れすらあるよな」
助手席で窓の外を見ながら、考えをまとめるようにそう話す俺の言葉、ソフィアはどんな表情で聞いていたのだろう。いつもと違って、ゆっくりと、慎重に言葉を選びながらソフィアは答えた。
「分かっている。だが、お前は民間人だ。これ以上、危険な事に巻き込まれなくても良い。それに……」
「それに?」
「さっきは私に『信じてくれてありがとう』と言ったが、瞬夜くんの担当になった私と、その、一緒に行動する事に不安は無いのか?」
まぁ言いたい事は分かる。わざわざ最初の人間と交代して担当になった経緯もあるんだし、俺が警戒してもおかしくはないだろう。
「騙されて瞬夜くんを攫われた俺が言うのもあれなんだが、母親が殺された時の状況を懸命に話してくれる瞬夜くんを見て、俺も君も、堪えきれずに泣いてしまったからな。あの涙はあんな現実に対する悔しさと無力感だ。もし、君が何か秘密の指示を受けて担当になったとしても、あの時からの今なら、信じられる気がするよ」
それに…… と、俺は続ける。
「今日誘拐される事を知っていたなら、あの図鑑の量じゃ多すぎる」
「確かに」
ベッド脇に積まれた図鑑の厚みと量を思い出し一緒に笑った。
では、これまでの捜査状況から説明しよう。とソフィアが切り出した。
「署には瞬夜くんが拉致された事と、その時の状況だけ報告した。警察官による裏切りがあった事も。滅多な事でも無い限り、彼が捜査に関与するのは不可能だろう。けれど、念の為、我々が何をするか、しているのか、については、後でまとめての事後報告のみにしようと思っている。それと、今日の夕方、レイプ犯についての聞き取りが行われている予定なのだが、捜査状況を聞く事は出来なかったし恐らく上手く行っていないのだろう。一方の顔見知りの可能性がある男や、白髪の男についての手掛かりは全くない状態だ。もっとも、ちゃんと捜査をしているなら、だな」
「怪我人について、病院等はあたっているのか?」
「勿論そのはずだ。しかし、捜査内容に変更があったとは聞いていない」
「てことは、大手の病院とか分かりやすい所には行ってないだろうな。目立つ切り傷なら警察に通報が入る可能性もあるし、警察内部で揉み消しもし辛そうだ。それに、犯人自身が警察を警戒している可能性はあるよな。自分で治療したとか、もしくは闇医者みたいなとこか」
「闇医者ね……」
時間は19時を過ぎていた。これから捜索をするには少し遅いだろうか。いつの間にか雨は上がっていたが外を歩く人の息は白く、冷え込んでいそうだった。
「なぁ、瞬夜くんの住んでいる町は売春婦とか多いのか?」
「多いなんてもんじゃない。元は鉱山と工業で栄えていたが、山が枯れてからは町も枯れ、風俗店や違法カジノばかりが残ったの。人口は少ないけど、若い女の三分の一は売春婦、若い男も三分の一はマフィアかそれに近い連中」
「そんなにか。なら、働いている女が性病の検査に通う病院が近所にあるんじゃないか?」
「そうか…… あり得るな」
それなら当てがある。と、ソフィアは運転をしながらどこかに電話をしていた。病院の場所だろう。指でダッシュボードを開けろと促され、俺は中にあったメモ帳に三ヶ所程の住所をメモした。
「以前、そこの町で商売をしていた女からの情報だ。直接聞いたから私達の動きがすぐに署に伝わるような事は無いだろう。けど、パトカーは目立つから遠目に止めて少し歩くぞ」
20分くらいで着くだろう。との事だった。
「瞬夜くんが見た事があるような気がするって男についてはどうかな。母親の客か、近所の人間か、同級生の親辺りか?」
ソフィアはしばらく考え込んでから答えた。
「小学校に通ったのは十日間との事だった。学校関係者の線は外して良さそうだ」
「近所の交流は?」
「母親の商売仲間、客、それとアパートの管理会社くらいだな」
「管理会社?」
「住民には大家、と呼ばれているけど、実際には売春を斡旋している巨大なマフィアの下請けだ。女性達にアパートを高い金で貸し出しながら、仕事を斡旋してる。売り上げから抜くよりも家賃収入として金を吸い上げる方が簡単だし、住む場所まで抑えられた女に逃げ場は無い。負担は相当だろうが、マフィアの後ろ盾が担保出来るし、犯罪歴や借金の有無に関わらず拾ってくれるからな。需要と供給が成り立ってしまっている」
「なら、その大家と揉めた可能性は?」
「十分あると思う。さっきの情報元も、男が作った借金を返す為だったのにな。家賃のせいで借金を返せず揉め、殺されかけた所を警察が、と言うか、私が保護したんだ」
「あの恐ろしい少女の動きは誰かに教え込まれたものだし、現役の警察官が瞬夜くんを連れ去るよなリスクまでおかしてる。それなりの大きな組織が関係している可能性が高いだろうな。となると、変態レイプ犯は関係無さそうだが、念の為そちらからあたろう」
俺の声に頷くと、ソフィアは瞬夜くんを襲った男に対して思いつく限りの罵詈雑言を浴びせていたが、指針が決まった事には少し安心したのか、ソフィアは瞬夜くんについて話し出した。
「水のような青い鳥。あれは一体なんなのだろう」
「さっきも話したが、俺が病室で同じ事を尋ねた時、瞬夜くんは手のひらから簡単に出して見せてくれた。最初に病室に来た時に見た鳥と同じようにも見えたが、その時もさっきも生きてるように動いていた」
「ハトを出す手品のようなものか?」
ソフィアはそう言った直後「有り得ないね」と自分の発言をすぐに否定し苦笑いをした。
「ないよな。水の様に現れたり撃ち出せたりするみたいだし」
俺は瞬夜くんがして見せたように、手のひらを上に向けて祈ったり手を振って見たりしたが残念ながら何も起きなかった。
「関係があるのか分からないが」と、ソフィアは断りを入れてから続けた。
「ひとつだけ気になる事がある。瞬夜くんが発見された時、母親の上で眠る彼の手の中には、母親が首から下げていた十字架と、羽をむしられ、全身の骨が砕けた鳥の死体がその羽と共に握られていたらしい。」
「黙っていてごめんなさい」
俺が鳥について聞いた時、確かに瞬夜くんはそう言った。今まで不思議な力の事についてだろうなと思っていたが、母親が殺された時の目撃証言の中に青い鳥の話は無かった。
病室で青い鳥と遊んでいる姿を見られた俺には、殺された鳥の話はし辛かったって事だろうか。
と、ひとしきり考えを口にもしてみたが
「全然分かんない」としか言えなかったしソフィアも、
「私も目の前で見たかった」としか言わなかったので、この話はここまでかね。
病院へ着いた。心配していたが売春婦御用達だけあって、夜にも関わらず病院の明かりがついていた。
私服ではあったが受付でソフィアが警察だと名乗ったのが良かったのか、医者がすぐに対応してくれたので大した待ち時間も無く、太ももから脇腹にかけた辺りに怪我をした男が来ていないか尋ねる事が出来た。
そして一軒目から大当たりだった。
治療した男の特徴と住所を聞きだしパトカーへと戻る。
「いるかな?」と聞く俺にソフィアは運転しながら、
「簡単に動ける怪我じゃ無さそうだし住所も恐らく本物だろう」と答えた。
男のアパートは病院から近かった。念の為、とソフィアは車のトランクから拳銃を持ち出し上着の脇ポケットに入れていた。俺も、こんな緊急事態で無ければ、長髪金髪ロシア人美女に拳銃ってスパイ映画かよ。なんて喜んでいた所だろうな。まぁ、口に出さなかっただけで喜んではいたけど。
ソフィアが対応した方が出やすいだろう。俺はソフィアの後ろに見えないように控えた。ソフィアがインターフォンを鳴らして声をかける。
「すみません。この町の売春婦と女性の権利についてアンケート調査をお願いしているのですが、2分程お時間頂けませんか?」
そんな可愛らしい丁寧な声も出せたのか……。と驚いていると、心の声が聞こえたのか睨まれた。
ドア越しに男の気配を感じた。のぞき穴からソフィアの値踏みでもしているのだろうか。
「今開ける」
男の声に続いて、ガチャガチャとチェーンロックとドアロックを外す音が聞こえて手前にドアが開いた。
開き始めたドアを、ソフィアが力づくで肩ごと押し込み大きく開く。俺は室内に踏み込みながら男の姿を確認する。Tシャツにトランクスパンツ。右の太ももには包帯が巻かれていた。
俺は男の顔面を、視界を遮るように右手のひらで掴むと、男の両足を右足で払いながら思いっきり後ろに投げ倒した。不意打ちに太ももの怪我で耐え切れなかったのだろう。男はアパートが揺れる程の大きな音を立て仰向けに倒れた。
「警察だ。うつ伏せになれ」
そう言いながらソフィアは男に向け拳銃を構える。
パトカーの中で俺はソフィアに怒られていた。
男が最初の一撃で気を失ってしまったからだ。
その後、二人で中々の大きな体格の男を持ち上げると、部屋の中にあった椅子に座らせ縛り付けてから水を被せて起こした。反撃されず安全に済んだのは良かったのだが、意識の無い男を座らせるのに酷い苦労をする羽目になったのだ。
ただ、ソフィアもソフィアだった。男は目が覚めてから俺がした質問に対して「弁護士だ!」と叫んだのだが、直後に、男の怪我をしている太ももに向かってイカツイブーツでかかと落としをやってのけた。加減はしたと言ってるが、あれは怪我の痛みとか関係無しに、直接骨までダメージが通ってる奴だと俺は思うし、痛みからか再び気を失った男を起こすのも面倒臭かった。それでも瞬夜くんにした事を思えば軽いくらいだとは二人共通の意見だろう。
そんなやり取りのあった人道的尋問によると、驚くべきことに男は日本人だった。日本語で話せていたと言うのはそのせいか。母親の殺害と瞬夜くんの誘拐について尋ねると、事件は知っていたが、母親の殺人も自分のせいにされるんじゃないかと怯えて引きこもっていたくらいで、細かい事は分からないようだった。誘拐について心当たりを聞くと「可愛い顔してるからな」とか言いやがるから、二人で一発ずつ殴っておいた。
残念がらスーツ姿の白髪男性についても情報は得られなかったのだが、もう一人の方には反応があった。ダウンジャケットにデニムのパンツ。足元は黒く汚れた白いスニーカー。そして、どこの国か分からない言葉。恐らく大家の息子だろうとの事だった。母親の勤務先でもある為、家賃回収の時などに顔を見ていてもおかしくないはずだと。それに、大家はナイトクラブを経営してるグルジア系ロシアンマフィアで、息子はロシア語が下手なせいかグルジア語か英語を使う事が多いとの事だ。俺らは男に、少ししたら迎えに来てやると伝えてパトカーに戻った。
「ここまででも十分だぞ。危険だし後は警察の仕事だ。お前が通ってたのは軍学校だろ?」
ソフィアは車を出すとそんな事を言い出した。
「軍学校と言うと語弊がある」俺は苦笑いしながら続けた。
「俺の幼馴染にね、宇宙刑事とか仮面ライダーが大好きな奴がいたんだよ。テレビの変身ヒーローね。男の子なら誰でも似たようなもんに憧れるんだけど、そいつは憧れるだけじゃなくて本気でなろうとしたんだ。おかげで小学校の時から独学で体鍛えたり格闘技やったり、俺も毎日のように付き合わされた。何故か刑事もののドラマも見せられてね。けど、そいつは口だけじゃなくて、本気で正義の味方になろうとしてて、相手が誰でも大人でも間違ってる事は許さない!って、良くあちこち首をつっこんでは世話を焼いていた。で、俺は俺でそんな奴に憧れちゃったんだよね」
そう話してる途中で俺は照れ臭くなってしまった。
「テレビとかの影響って大きいよな」
「ソフィアもなんかあるの?」
「日本のセーラー服を着て戦う戦士に憧れて警察官になった」
そう言いながら、ソフィアは手で拳銃ポーズを作ると俺を打ち抜いた。
「ぶっ、ぶはははははは。金髪で美少女だもんな。最高に似合ってるよ」
俺が我慢しきれずに爆笑すると、ソフィアの白い顔は耳まで真っ赤になっていた。
「ナイトクラブだ。着いたぞ。本当に死んでも知らないからな」
「おう。絶対に瞬夜くんを助け出して、犯人を月に代わってお仕置きしてやろう」
「言わなきゃ良かった」と耳まで真っ赤にするソフィアの肩を叩いてから、俺は一人少し離れたナイトクラブへと歩いていった。
ソフィアの説明によると、通常、ナイトクラブでの売春は店が斡旋までしている訳では無く、飲んでいる男性客の元に高級娼婦が直接価格交渉に行き、成立次第ホテルかアパートの自宅へと誘導するとの事だった。ただし、このエリアではナイトクラブ、アパート、ホテル共に大家が経営しているらしく、その全てで金が落ちる仕組みになっているのだと言う。安い娼婦が路上で客引きしても縄張り料は発生するってんだから、良く出来た嫌なシステムだ。
作戦はシンプル。聞き込みかけて場を荒らしてもマフィアに姿を隠されちゃ困るわけで、俺は先に店に入って女を物色する。そこにソフィアが来て俺をお持ち帰りして外へ出る。縄張り内で見知らぬ女が商売始めたとなりゃほっとく訳にも行かないだろうし、そこで声をかけて来たヤツは大家の一員だろうって事だな。ソフィアの服装は娼婦に見えないが、あの見た目なら甘えがあっても客は取れると見込んでるように思われるだろう。
店内に入った俺はスコッチを注文する。日本にいた時は貧乏だったから焼酎の緑茶割りとかばっかり飲んでいたが酒代はソフィアが用意してくれた。なら、それなりの物を頂くべきだろう。
店は煌びやかで中々にゴージャスな内装だった。思ったより明るく、他の客の顔さえハッキリと見えるくらいだった。風俗店の客は顔を見られる事に抵抗があるものだと思っていたが。恐らく、問題は起きないだろうと信頼されているし、それだけ管理してるマフィアの力が強いって事なのだろう。
おかげで女性達の顔も良く見る事が出来た。カウンターや壁際にいるセクシーな女性を順番に見て行く。驚いた。世界各国の人種が揃ってるんじゃないか? しかもみな美人揃い。あっちこっちでイチャイチャしながら価格交渉しているみたいだな。日本にこんな家電量販店があったら価格交渉も楽しいだろう。
思ったより誰も近寄って来ないのは金を持ってそうな服装じゃないからだろうか。
実際、ほぼ無一文だし。
15分程でソフィアが入ってきた。驚いた。化粧をしシャツの胸元を開けているだけなのにセクシー度が増して、それなりの商売女に見えなくもない。女は怖いなと俺が口を開けてぽかーんと見ていると、一瞬コチラを睨んだ気がしたから目を伏せた。再び目線を向けると、どうも他の男に声をかけられているようだった。俺にはまだ誰も来てくれていないのに。
と、ソフィアは数分話したあと、男の腕を取ると店の外へと消えていってしまった。おい、話が違う。俺が追いかける為に酒代を払っていると、一段上がったカウンターで飲んでいた男が店員と話してから金も払わずに出て行くのが見えた。
あいつか? 俺は少し遅れて後をつけた。
前には腕を組みながら駐車場へと向かソフィア達、その後ろに早歩きの大柄なカウンターの男。を尾行する俺。前の男は二人に追いつくと、何かを話しかけている。と、ソフィアの客が一人車に乗り込み駐車場を出て行こうとしている。ソフィアはこちらにアイコンタクトを送りながら頷いた。
俺は出来るだけ足音を立てずに背後から男に近寄る。男はソフィアに面接試験をしようとかどうとか言ってる。スカウトしようとしているんだろうか。真後ろに着いた俺は男の姿勢を見極め、男の膝の裏に絶妙な力加減で己の膝を叩き込んだ。膝カックンってやつだ。
不意を突かれた男は両膝を曲げ体勢を崩し両手を地面に付いた。その男の顎をソフィアがイカツイブーツで強烈に蹴り上げた。男は前にかかった体重を、今度は強引に後ろに持っていかれながら顎を割られ気を失った。
「おい! それはやり過ぎだろ!」
「囲まれてる」
ソフィアの言葉に周囲を見渡すと、2、3…… 6人?ニヤニヤと笑みを浮かべた男達に確かに囲まれていた。
「短時間で多くないか?」そう疑問を口にした俺に、
「警戒されていたって事だろう」とソフィアが答えた。
なるほど。どうやら色々と大当たりだったらしい。
俺は目線を特定されないよう、一人一人を順番に見ながら英語を使い大きな声でこう言った。
「よう! 久しぶりだな大家の息子!」
すると、5人は一斉に同じ方向を見た。
ビンゴ……
今日は良く当たる日だ。