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最終話 夢打つ翼

 部屋の床を薄く満たした水の表面を、まるで心臓の鼓動でも伝えているかのように瞬夜の背中から広がる水の波紋。侵入者を防ぐべく扉を包囲していたセーラーの部下達でさえ、今は意識の全てを小さな少年に吸い取られているようだった。そのうち何人かは自らの足元に辿り着いた波紋に怯え、避けようと試みたり叩き潰したりしている。


 波紋の正体を確かめようと、タケルは瞬夜の体を横から覗き込んだ。すると、床から水が勢い良く湧き出しているかのように、隆起した水が瞬夜の上体をゆっくりと上へと持ち上げようとしているのが見えた。


 瞬夜はその力に身を任せながら上体だけを起き上がらせ座ると、首に下げられた十字架を両手で握りしめ、うつむき、祈るように呟いた。


「ママ…… シーニィ…… ぼくは……」

 発声と同時にひと際大きな波紋が一つ、部屋中へと広がって行く。そしてそれが部屋の隅まで行き渡ると、今度はその流れが逆流したかのように大きな水たまりが瞬夜の体へと集まり吸い上げられ床を干上がらせて行った。


 やがて水はその色を青く染めながら、うつむき背を丸めて祈りを捧げている瞬夜の背中から少しずつ膨らみだすと人間の頭のような形を作り、更に伸び上がると青い水で出来た人間の上半身を瞬夜の背の上に、まるで蛹の羽化が始まったかのように、もう一つ出現させた。


 そしてそれは、ハッキリと長い髪の女性に見えた。


「何なんだこれは気持ち悪い!」


 セーラーは自らが理解する事の出来ない力を再び目の当たりにし、憤る。そして、手にした鞭で瞬夜を打とうとしているのだろう。歩み寄って来るのをタケルとセシュカが緊張感のある面持ちで睨み付ける。


 そんな、瞬夜の前には通すまいと立ちはだかろうとしている二人より更に手前に、意外な姿が立ち塞がりセーラーの歩みを止めた。


「セーラー。あの少年が何をしようとしているのか、もう少しそれを見届けてからでも遅くはないと思いませんか?」

 そう話しかけたのは、常にすぐ傍で従い控えていた、まだ若い眼帯の給仕だった。ただの意見であったのかも知れない。しかし、主人の進行を遮った上での意見具申などが許される相手では無かった。


「誰が誰に何を言っている」

 セーラーは給仕を睨み付けながらも、出来る限り穏やかに言ってのけた。それは自らがこの空間の支配者である事を知らしめる強さの証明であると、常日頃から思っていたからだった。しかしこの日、次々と起きた不愉快な出来事の連続は彼の自尊心を傷つけ続け、兄弟を殺された上で尚も従い続けて来た部下でさえも図々しい態度を見せた事に、我慢は限界に達していたのだった。


 それを見ながら、タケルは手にしている銃でセーラーを撃つ事を考えていた。しかし、部下達が手を出さずに様子を見ているのは、瞬夜が起こしている事の異常性と、現時点では有害無害の判断が出来ないからだろうと思えた。セーラーへの忠誠心が少しずつ揺らぎ出しているようにも見えていたが、銃声が響いた後も彼らが大人しくしているとは思えないし、迂闊な動きをする事で、この奇妙な均衡を打ち破る訳にはいかなかった。



 セーラーは罵声と共に、大きく振りかぶると強烈な鞭の一撃を給仕に浴びせる。

「お前は」

 もう一撃。

「お前まで」

 さらに一撃。

「お前も少年も、黙って私に従っていれば良いんだ!」


 その声に、うつむき祈りを捧げていた瞬夜が顔を上げた。

「どうして?」

 声と共に、背中からまるで二本の腕の様に水が伸び女性の上半身へと繋がってゆく。そして背後の女性はその腕を引き抜くと、そっと後ろから瞬夜の首へと腕を巻き付けるように抱き締めた。


 瞬夜は悲しそうにセーラーを見つめ問う。

「ぼくたちだって、もう苦しいのはいやだよ」


 女性も顔を上げセーラーを睨み付ける。

 水で出来ているからだろうか。

 その瞳からは涙が溢れているように見えた。


「だれだって、大好きなだれかと会えなくなるのは嫌なんだよ。さみしいよ。くるしいよ。だから…… だけどっ!」

 そう告げる瞬夜の瞳からは既に涙が乾いていた。

 代わりに、強く輝く意志の光が溢れ出す。



「ぼくは強くなりたい!!」


「ぼくは幸せになりたい!」


「ぼくは!」


 背中の女性は抱きしめていた腕を離すと、そのまま勢い良く大きく横に広げた。そして瞬夜の頭に優しくキスをすると、腕だけを背に残し、そのまま瞬夜の背中へと上半身を溶かして消えた。


 いつの間にか。

 背中に残された腕は、大きな鳥のような翼に変化していた。

 瞬夜は立ち上がり叫んだ。


「ぼくは生きていきたい!」


 小さな体から発した力強く大きな叫びと同時に、瞬夜の背に生えた大きな翼が数回強く大きく羽ばたいた。青く美しい水で出来たその翼は、羽ばたく程に天井から注ぐ幾筋の光を受け、鮮やかに光り輝いて見せる。


 やがて、羽ばたきを重ねる度に瞬夜の体が舞い上がる。

 それをタケルが、セシュカが、その場にいる全員が呆然と見守る。

「シュンヤ……」

「し、信じられない……」

 宙に浮かぶ姿にセーラーさえも脱力してしまったかのようだった。


 瞬夜は心配そうに見守るタケルとセシュカに目をやると、にっこりといつもの明るい表情で微笑んで見せてから、目をつむり、大きく深呼吸してから両手を広げ叫んだ。



「お願い、シーニィ!」



 大きな翼がより大きく強く何度も何度も羽ばたく。

 タケルには、羽ばたく程に何枚もの羽根が宙を舞い飛ぶように見えた。

 いや、そう見えていたのは光を受けて輝いた細かな水の粒子だったろうか。

「水しぶき? 霧?」

 タケルは自分の手のひらや肌が濡れ、体温も僅かに下がり涼しくなっているのを感じた。


 そして辺りに薄っすらとモヤがかかった時、異変は起きた。


「お前は……」

「う、うあああああああああ」

「あぁ……」


 扉の方から部下達の悲鳴が上がる。

「なんだ? おいオマエ何が起きてる?」

「お前じゃない。タケルだってさっき教えたろ。それに俺にだって何が起きてるかなんて…… いや、おい、あれを見ろ」


 タケルの指の先をセシュカが目で追うと、扉近くに立っていた部下の前に、別の男が立っているのが見えた。

 セシュカも、セーラーの部下全員の顔が分かる訳では無かったのだが、その男は見知らぬ顔だったし、それ以前に、立っている姿全体が薄っすらと透けて見えている上に、何より、立っている、その、片足が腰の辺りから無かった。


「おいオマエ、これは」

「いや、もうそこだけじゃないな」


 二人が辺りを見渡すと、部屋中に体の透けた男や女が何人も、薄っすらと浮かび上がって見えた。そして、一様に虚ろな表情をしている、その人々の多くが、血まみれであったり、体のあちこちに怪我をしていたり、一部が欠けてしまったりしている。


 神聖的ですらあった美しい玉座の間。それが突然、異質で重苦しく負の空気渦巻く死者の国へと変貌してしまったかのようだった。



「く、来るな! 来るなぁぁぁぁっ!!」

 セーラーが自分に歩み寄って来る何人もの透明な人々に怯え、何度も何度も鞭を振るう。しかし、その姿が僅かに揺らぐだけで、一度も透明な人々に鞭が触れる事は無かった。


「まさか……」

 タケルが周囲の状況に驚きながら呟く。

「これが瞬夜くんが見ている、見てきた世界なのか……」


 膝をつきすがるように謝る男。

「悪かった。命令だったんだ。お前を殺したかった訳じゃない!」


 泣き、何度も銃を撃ち、弾を切らして拳銃さえも投げつける男。

「弱かったお前が悪いんだ! 俺の方が優秀だっただけだ!」


 透明な男の頬を撫で泣く女。

「愛してる…… 会いたかった……」


 恐らくは、それぞれがかつてこの地下で共に暮らした仲間達だったのだろう。その一見にして異質な再会は玉座の間の至る所で、それぞれの物語を描き出していた。


「恐らくそうだと思います」

 そう、タケルの疑問に答えたのは、先ほど鞭で打たれ傷だらけになった眼帯の給仕であった。

「現れた何人かは私にも覚えがあります。コ、セシュカ、もでしょ?」

 名を呼ばれ気を良くした少女は素直に答えた。

「うん。シュンヤは一度、私にも死んだ友達と合わせてくれた事があった。その時はコップの水を使っていたけど……」


 タケルは自分の想像を遥かに超えた世界を覗き見れた事で、瞬夜が経験してきた苦しみを想像し胸が苦しくなった。と同時に、今この場に現れた()()()()()もの人々をセーラーが殺して来たであろう事実に、これまで経験してきた事が無い程の怒りと純粋な悪意への気持ち悪さを覚えていた。


「しかし瞬夜くんは一体何の目的で……」

 タケルがそんな疑問を口にしながら、未だ大きな翼で飛び続けている瞬夜を見ると、混乱したセーラーの部下がナイフを持ち歩み寄っていた。簡単には手が届かないと思われるが投げられても困ると、タケルは急ぎ駆け寄ると勢いそのままに殴りつける。しかし、激しい混乱に襲われているせいだろうか。部下は数歩よろけるものの再び瞬夜を睨み付けて迫ろうとする。


「パニックで痛みが無くなってるのか?」

 振り向くと事態を察したセシュカが痛んだ体を懸命に起こそうとしている。まだ横になってろ。そうタケルが言おうとした時、セシュカの背後から迫る存在があった。多数の死者に囲まれたその男。セーラーだった。


 その表情は恐怖に歪み、周囲の全ての死者に怯え、目にしないよう背を丸めながら何事かをうわ言のように繰り返し呟いてはふらつきながら少しずつ歩み寄ってきていた。



 もう地下の帝王としての威厳などは何処にも無かった。生気を感じさせない虚ろな姿は、それこそ周囲の死者同様のように思えた。それだけに、タケルも、セシュカも、存在に、そして手にしていた銃に気が付くのが遅れた。


 しかし、その前に再び眼帯の給仕が立ち塞がる。

「随分と無様な姿ですね。セーラー」

 声に顔を上げるセーラー。しかし、表情に特別な変化も起きず、声を上げるような事も無い。給仕は主人のそのような姿に、どこか寂し気な表情で優しく語りかけた。

「本当は誰よりも臆病で、怖がりだったんですよね。だから強大な力で支配していても、誰もが裏切ると恐れ、無駄に傷つけ、遠ざけてしまった」


 見透かした言葉が刺さったのかセーラは体を一瞬ピクリと動かした。

「お前に…… 私の何が分かる……」

「どうして分からないと思うのですか? ずっとお傍で仕えてきたではないですか。誰よりも貴方を見て来たのは私ではありませんか?」

「どけ……」

「優秀な人材を育てあげようとする一方で、貴方は貴方がしてきたように、貴方の地位を、財産を、命を脅かす人間が育つ事を恐れた。けれど、孤独に耐え切れず、貴方を支える人間を求めては、また恐れ、壊してきた。今、ついてきている後ろの、()()()()()()がその証拠ですよね」


「黙れ…… 黙れ汚らわしい双子の片割れめっ!」


 心無い主人の声に、給仕は怒り声を荒げた。

「この期に及んで双子だからとか、貴方はいつまでそんな根拠の無い言いがかりで人を傷つけるんですか。民族伝承や心霊や宗教を嫌いながら、誰よりもそれに縛られて怯えてるのは貴方ではないですか。お父さん!!」


 相手を無力化し給仕とセーラーのやり取りを見守っていたタケルも、傷ついた体で無理やり立ち上がったセシュカも、その言葉に驚きが隠せなかった。


 給仕は浮かぶ瞬夜を横目で見ながら言葉を続けた。

「私達はただの双子。彼のような不思議な力なんて何も無かったんですよ。少なくとも、貴方が兄さんを、私の半身である兄さんを殺すまでは……」


 そう言いながら給仕は身に着けていた眼帯をそっと外した。

 かつて眼球があったそこには、赤い瞳、いや、瞳に赤い十字架が刻まれた義眼が取り付けられていた。そしてそれは、給仕の言葉が紡がれる程に、赤く光を輝き増していく。


「目を失った時、それでも私達は貴方の弱さを憎みこそすれ、いつか報われるその日まで、支え続けて行こうと誓いの十字架をこの身に宿した。それなのに貴方は……。私は兄の遺体を抱きながら貴方への復讐を誓いました。しかし、誓いの十字架が、そして死んだはずの兄が、それを許さなかった!」


 給仕の瞳が強く赤く輝き揺らめく。

「でも、それも終わりです。私は本当に仕える方を見つけました」


 給仕は見えている方の瞳を手のひらで隠し。



 笑った。



「兄さん、ご飯だよ」


 瞳を隠している手の甲にも赤い十字架が輝き浮かぶと、給仕の体全体が、その輪郭が、ぶれるように揺れる。そして何度目かの細かな揺れの後、給仕は前に踏み出した。いや、給仕はその場で動かずに立っているままであったのだが、そこからぬらりと抜け出した、もう一人の給仕が前へと飛び出した。


「ひ、ひぃ」

「なんて声を出しているんですお父さん!」

 駆け寄る兄の姿を満足そうに眺める給仕。その期待に応えるべく、おぼろげに赤く光るもう一人の給仕はセーラーへと飛びかかると、目を見開き至福の笑みを浮べながら、その肩口へと噛み付いた。


「あっああ……」

 恐怖に怯えた声は、その痛みで徐々に明確な悲鳴へと変わっていく。

「うぐっがっあああああぁぁぁぁっ!」

 仰向けにセーラーを押し倒すと、赤く光る給仕は馬乗りになり、腕に噛みつき、首を絞め、拳を顔に叩きつけ、その感触を楽しむように恍惚とした愉悦の笑みを浮べながら、何度も何度もセーラーをいたぶって遊んでいるようだった。


「お、おい。やり過ぎだ!」

 タケルが慌てて口を挟む。

「大丈夫ですよ。新しい主人に迷惑をかけたくはありませんし、命まで奪う真似はしません。ただ……」


 赤く光る給仕は喜びに満ち溢れた表情を浮かべると、その指を躊躇なくセーラーの目へと差し込むと眼球を抉り出した。


「一つくらいは返して頂かないと」


 そう言いながら給仕は瞬夜の元へと軽やかに歩み寄って行く。

 背後では悲鳴を上げ、目を押さえながら痛みに転げまわるセーラーの横で、赤く光る給仕が美味しい飴玉を貰った少年のような笑顔で、取り出した眼球を口に入れると、口内で数回舐めたり転がして遊んだ後、噛み砕いて飲み込んだ。



 給仕は羨望の眼差しで瞬夜を見つめ語る。

「彼はきっと、ここで死んだ者達が今も会いたがっている人間に会わせてあげたかったんですよ。勿論、この場にいるなら、ですが。私の兄弟でもあるセーラーの子供達に、どこからか集められた寝食を共にした友達」


 仕事を終えた赤く光る給仕は、そう話す給仕の傍へと寄り添い、重なると消えた。


「私には兄さんしか見る事は出来ません。それに、兄さんが何を考えているのか知る事も出来ない。これはもう、もしかしたら大好きだった兄さんでは無いのかも知れないとも思いました。それでも、会えて嬉しいと思ったんです。だから、彼もきっと、会わせてあげたかったんだと思います」


 その言葉にタケルが周囲を見渡すと、最初こそ混乱があったものの、今では玉座の間のあちこちで懐かしい再会を涙ながらに喜ぶ人々の姿を見る事が出来た。


「しかし、あんな子供が、こんな場でそんな事を考えて実行出来るだなんて。優しくて強くて、それでいて危ういと思いませんか。」


 給仕は瞬夜の足元近くに到着すると、膝をつき、うやうやしく頭を下げた。

「今日、この日この時より、私と兄の持てる全てを貴方様に捧げ仕えると誓います。どうかお近くに置いて下さい。シュンヤ様」


 その姿にセシュカは苛立ちながら歩み寄り話しかける。

「オマエの事は良く知らない。こんなに話す奴だとも初めて知った。だが、言いたい事は良く分かる」

 セシュカは給仕の横に並ぶと同じように膝を付き瞬夜へ頭を下げる。

「だが、シュンヤについたのは私が先だし、私はオマエ以上にシュンヤの力になってみせる。シュンヤが望む世界を私が作る」

 給仕はその言葉にニヤリとした笑みを浮べて頷く。

「えぇえぇ、勿論です。ただ、私にも後で名前を承りたいのですが」

「きっと喜んでつけてくれる」

 そう、セシュカは微笑み答えた。



 周囲では至る所で死者との再会に涙する姿が見受けられ、目の前では二人の若く幼い男女が、それよりも更に幼い、大きな翼に光を受け輝き宙を舞い続ける瞬夜へ、祈る様に膝を付き忠誠を誓うその姿を、この場面を。タケルはどこかの神話のようだと思いながら息を飲み魅入られていた。



「あ、ソフィア達忘れてた」

 タケルの間の抜けたその言葉を待っていたかのように、言い終わると同時に扉が勢い良く開かれた。その勢いからか、部屋中を覆い包み混んでいたモヤが扉の外へと吸い込まれ晴れていく。そして扉からは銃を構えた警官隊を率いてソフィアが駆け付けた。


「これは一体……」

 警官隊が目にしたのは薄れ消えて行く死者の姿と、翼を羽ばたかせ、ゆっくりと着地しようとする瞬夜の姿だった。

「タケル! 無事か! これは何だ」

「ソフィア、マッチョさん。一回死んだと思ったけど俺は無事だったよ」



 神聖で絢爛豪華な玉座の間。

 そこは見る者の目を心を奪い取るだけの完成度を誇っていた。しかし、今では、少なくともこの場にいる者達にとっては、死闘の末に不思議な力を目の当たりにした物語を少し彩る背景としての意味しか持っていなかった。



 ゆっくりと地に着いた瞬夜は、立つ事を忘れたように力を失い倒れかかるところをセシュカと給仕に支えられ、嬉しそうに微笑んだ。

「みんな、会いたい人に会えたかな?」

「会えたよ。会えた。シュンヤのおかげだ」

 瞬夜は大きな目をまるくし喜んだ後、今度は目を薄く閉じだした。

「やった。ねぇ、少し寝てもいいかな?」

「あぁ。ネロ。後でな」

「うん。あとでね」


「タケル、一体どうなってるんだ?」

 慌てて駆け寄ってきたソフィアに、タケルは頭を掻きながら難しそうな顔で答えた。

「もうどこからどうやって説明したら良いのか分からないんだよなぁ。取りあえずセーラーはそこで倒れてるから逮捕してくれ。それと……」


 タケルが後ろを振り向くと、先ほどまでいた給仕とセシュカは姿を消していた。代わりに、床の上でまるくなり、膝の間に腕を入れて眠りについている瞬夜の姿がそこにあった。


 何事も無かったかのように気持ち良さそうに眠りについている姿を見て、タケルは全身の力が抜けるのを感じ、その場に尻をついてソフィアに微笑みかけた。



「最後の大仕事が残ってるから手伝ってくれ」



「眠れる我らの王子様を起こさないように病室に運んでから、目が覚めたらみんなで楽しく。チーズケーキでティーパーティー!」





――数日後。



「まだ、もう少しゆっくりしてても良いんだよ?」


 この数日、すっかり日本語が上達したソフィアは、まるで母親のような表情で瞬夜くんの頬を撫でまわしている。

「大丈夫だよ。それにすっごい楽しみなんだ」


 今ではすっかり元気を取り戻した瞬夜くんだったが、事件後、三日近く眠り続けた。特別な力を使った代償なのか、母親を失ってからの一連に疲れ切ってしまっていたのか。恐らくその両方だとは思うが、このまま起きなかったらどうしよう。なんて俺が心配する程に深く眠っていた。だから、パトカーに積まれっぱなしだった残念なチーズケーキは俺とソフィアで美味しく頂くしかなかった。ただ、その素晴らしい味わいに、これは絶対食べさせなきゃって自信が持てたのは収穫だった。


 そんな心配があっただけに、目が覚めた時は本当に嬉しかった。けど、ちょうど一緒にいたソフィアが普段は白い顔を真っ赤に染めながら泣きじゃくって喜ぶものだから、何となく機会を逸した俺は「おはよう」だなんて無難で気取って見える台詞しか出て来なかった。


 勿論、チーズケーキでティーパーティーはしっかり開催した。それどころか、警察から事情を聞いたケーキ屋さんのご好意で店舗を貸し切り。看護師さんもマッチョさんも、ソフィアの沢山の同僚達も集まって盛大に行われ、主役の三角帽子を恥ずかしそうにかぶった瞬夜くんは、俺達に初めての嬉し泣きを見せてくれた。



「お姉ちゃん、ちょっと待っててね」

「うん」


 二人のやり取りを見ながら空港の売店で食料を買い込んでた俺の元へ瞬夜くんが駆け寄ってきた。

「ねね、タケルお兄ちゃん」

「どした?」

「ソフィアお姉ちゃんに告白しなくて良いの?」

 うあぁ、驚き過ぎて買ったばかりのピロシキを落としてしまった……。

「こ、こ、こ、告白なんてしないよ。そういう関係じゃないし」

「マッチョさんが『シュンヤのとこで会う以外デートもしやしない!』って心配してたよ? ぼくをデートの理由にするのは良いけど、失敗までぼくのせいにしないでよ?」


 俺は子供の成長に驚くお父さんの気持ちがちょっと分かった。さて、なんて返そうか。そう悩んでいると、駐車場からマッチョさんが大量の荷物を抱えてやってきた。


「あ、荷物忘れてた……」

「タケル! 先輩に何を! あぁ~もう。先輩も怒って良いですよ」

「はっはっは。これくらいなら世話になった礼として丁度良い」

「いや、本当にうっかり。申し訳ないです」

「ここに置いとくからな。あ、そう言えば瞬夜くんにお土産が……」


 そう言いながらマッチョさんはわざとらしく瞬夜くんを連れて離れていった。なるほど。こうやって裏でずっとコソコソしてた訳か。


「先輩とシュンヤくんは何を…… 私も見に行こうかな」

「ソフィア」

「ん?」

「今度の件、色々と世話になった。ありがとう」

「なっ、何を改まって。どうしたんだ?」

「俺はまだ子供だった。何の根拠も無くさ、一般の人間よりは強いし大体の事は解決出来るだろうってね。けど、本当の意味で命がけの戦いをして、セーラーの部下達に囲まれ、実際に撃たれて、怖くて仕方が無かったんだ」

「タケル…… そんなの当たり前だろ」

「当たり前、なんだよな。そうやって、それが当たり前だって事さえも分からないくらい子供だったんだよ俺。だから、日本に戻ったら、もう一度自衛官を目指してみる。学校卒業後フラフラしてた俺でも入れるのか分からないけど、もう一回自分を鍛えてみたいんだ」

「そっか。良いな。偉いぞタケル!」

 ソフィアはそう言い、俺の背中をマッチョさんのように強く叩いた。


「それで、さ。でっ、電話とか、めっ、メールとか…」

「はい」

 俺の言葉が終わるより早くソフィアは一枚の紙を渡してきた。

「私の住所とメアドと私用の携帯番号。聞いてくれないかと思ったよ」


 空港中に響く雄叫びを上げガッツポーズする俺を、少し離れた所から頬袋いっぱいにチーズケーキを詰め込んだ瞬夜くんが嬉しそうに眺めていた。お土産用にマッチョさんが持って来てくれたチーズケーキを我慢出来ずに開けてしまったんだと機内で聞いた。



 その後。

 日本に到着した俺と瞬夜くんは駐日ロシア大使館と瞬夜くんの祖母の手厚い出迎えを受けた。瞬夜くんのお婆さんは、駐日ロシア大使館と日本の政府筋のどっかから丁寧な説明を受け、見知らぬ地で自分の孫が産まれていた事と、最愛の一人娘を失った事を知ったらしい。残念ならお爺さんは既に亡くなっているとの事だったが、会うなり頬を撫でまわし、強く抱き締めながら、何度も「おかえりなさい」と告げる姿と、それを涙混じりの笑顔で「お世話になります」と返す大人びた瞬夜くんの姿を見て、まぁ、色々と安心した。



 俺も、いつかこんな風に。

 愛する家族と喜びを分かち合える日が来るのだろうか。





 舞い落ちる雪。

 故郷とは違って、小さく脆く儚い雪。

 手のひらで受け止めようとすると、するりと遠回り逃げていく。

 海鳥の羽のような、あの大きな雪とは違う雪。


 黒のスーツに灰色の長いコートに身を包んだ若い男性は、悲しそうにも、寂しそうにも、そして、どこか苛立ちを感じさせるような複雑な瞳で、振り続ける雪を、ただ、眺めていた。

 外国人のようにも完成された彫刻のようにも見える彼の整った顔立ちは、身に着けているコートと良く似た銀の髪の毛も相まって目立ち、何もせずとも、道行く人々の興味を惹いていた。


 そんな男に一人の女性が歩み寄る。

 黒いスーツに黒い長めのコート。褐色の肌に黒い髪に青い瞳を持つ、一風変わった、だがそれでいて不思議な美しさを持つ女性。

「花、買って来た」

「ありがとう。おばあちゃんが好きだった花だね」


 男は女から花束を受け取ると歩き出した。

「おばあちゃん、怒るかな?」

 男の声に女は首を振る。

「苦労して、我慢して、やっと見つけた。きっと応援してくれる」


 その言葉の続きを遮るように、いつ現れたのだろうか、柔かな物腰の男が二人の間を無理やり手で掻き分けるようにして現れた。

「大丈夫ですよシュンヤ様。お婆様が好きだったお饅頭も買って来ました」

 褐色の女は二人の間に割って入られた事をしばらく怒っていたが、睨みながらもそこまで悪い気はしていないようにも見える。


「そうだと良いね。さ、喧嘩してたら怒られちゃうよ。早くおばあちゃんに会いに行こう」



 そう言うと、銀の髪の男は睨み合う二人の間に割って入ると、ぽんぽんと二度、二人の肩を叩いてから抱き寄せた。





「そして、シーカーを殺しに行こう」




――――

 あとがき

 最終話まで閲覧して下さった皆様。

 本当にありがとうございます。


 初めて書く小説というものの奥深さや難しさと、そしてそれを読んで頂く事の難しさに、幾度となく心折られそうになりながらも、ブクマやレビュー等、様々な方法で何人もの方に励まして頂け、こうして無事に書き終える事が出来ました。


 おかげ様で、今、こうして完結する事が出来てとても晴れやかな心持ちでおります。そして、もし、ここまで読んで下さった皆様の心が、少しでも私と同じように晴れやかなものだったら嬉しいです。


 瞬夜とタケルが主人公のイリガミ外伝はこれにて終了となります。しかし、あらすじにも書いておりましたように、ここからがやっと【本編開始】でもあります。


 作品のプロットは既に完成しておりますが、改めて煮詰め直し修正する必要もあるかと思いますので、少しお時間を頂いて、8月末から9月初めくらいに更新する予定です。また、その間にも練習に短編等を書きたいと思っておりますので、Twitter等で情報を追って頂けたら本当に嬉しいです。


 【イリガミ ~魂の残り香~】

 舞台は遠いロシアから慣れ親しんだ日本へと移ります。

 新しい主人公や敵との戦い。


 是非、またお付き合い頂けます様、よろしくお願い申し上げます。


 閲覧、本当にありがとうございました。




小説家になろう

 日間ローファンタジー、54位、57位、77位 獲得

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 第一回マグネットコンテスト一次審査突破

 2018年7月度。月間磁界ランキング10位 獲得


応援ありがとうございました。

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