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第10話 地下よりの咆哮


コーシュカ()。起きろ、セーラーがお呼びだ」


 申し訳程度に灯りのある薄暗い部屋。

 ベッドの上、毛布にくるまり眠っていた少女は立場を近しくする若い男の声で目を覚ました。男は起きあがる気配だけを確認すると、すぐにドアを閉め去って行った。


 毎日取り替える白いシーツも、ここではジメジメと湿っぽく感じるだろう。以前、そろそろ仕事をと言われた時に支給された針が指す目覚まし時計も、窓の無いこの部屋では朝か夜かが分からない。今は抜けきらない体の疲労が、朝の6時である事を知らしめているようだと少女は感じた。


 少女にとって早朝の呼び出しは決して珍しい事では無かった。セーラーは、暗い闇を取り仕切るような仕事をしながらも、本人だけは健康の為に規則正しく早寝早起きであると組織の誰もが知っていた。半年くらい前に、同僚が仕事の報告を約束より1時間程遅らせてしまった事があった。それだけでセーラーは貴重な睡眠時間が無くなってしまったと騒ぎ、同僚を激しく鞭で打ち、殺しかけていた。


 そこで死ねたのなら、まだ良かった。

 日ごと、体に傷を作られるほど任される仕事のランクが落ち、その身の扱いもそれに伴って落ちて行く。最初につけられた傷が癒える頃には、その倍以上の新しい傷が体に刻まれ、痛みで眠れない日が続くという。やがて傷の痛みや、そこから来る熱で食事を取る事さえままならぬようになり、間接的にも蝕まれた体は繰り返される悪循環のループから抜け出す事は出来ない。ゆっくりとその身を朽ちさせるしか無くなるのであった。


 ほとんどの者達は地下に来ること無く売買される。

 毎月数名ほどの()()()()()()が、この地下にやってくるのだ。

 ある者は売られ、ある者は捨てられ、ある者は攫われて。


 この組織の元締めであるセーラーは、いつも自らが望む人間について語って聞かせていた。

「私が君達に望むのは、ただ見た目が美しいだけで無く、ただ戦闘能力などの一芸に秀でているだけで無く。どんな劣悪な環境でさえ失わない光を持っていたり、この地下でさえ飲み込む程の大きな闇を抱えてくれる事である。そんな人間達が競い合い、この地下から出ようともがき苦しむ時にこそ、私が自信を持ち出荷しうる美しい花が開くのだ」と。


 少女は、分かる事もある。と思っていた。

 例え、その見た目が芸術的な美しくしさに見えても、いつまでも被害者ぶっていた者達は、すぐに次の者達へと部屋を譲り渡す事になっていたし、例え、力が強く地下の者達を一時的に従える事が出来たとしても、どこか冷めた賢さや芯が無ければ、いつしか仕事から戻らない日を迎える事になっていた。


 ただ……

(死んでしまったあの子は、本当に優しくて美しかったんだ)


 昨夜の夢の続きから目を覚ますよう、少女は首を数回大きく振ってこの部屋を後にした。

 昨晩は少年の誘拐に失敗し鞭で打たれた。結果として、セーラーが用意していた()()が功を奏し、少女への罰も思っていたより軽く済んでいた。しかし、失敗していても良かった。例え昨晩の夢が無かった事になってしまっても、自分が鞭打たれ朽ちてしまったとしても、あの少年をここに連れてくるのは間違いだった。そう思っていた。


 少女は両開きの大きな扉の前に立つと、背筋を伸ばし大きく声を上げた。

「入ります」

 開いた扉の隙間から強烈な光が伸び、少女の影を、背後の無機質な剥き出しのコンクリートで覆われた薄暗い地下空間に描き出した。



 扉の向こうには、光り溢れる大きな洞窟が広がっていて、小さな滝が水を落とす音が静かに響いていた。


 それは何百人もの観客を収容可能なコンサートホール程の大きさであった。

 天井や壁は自然に形を成したであろう硬い岩石で覆われており、ここが天然の洞窟であると教えていた。しかし、その足元は美しく削り出された正方形の石で敷き詰められていたし、光が差し込む天井は、岩を穿(うが)つ幾つもの穴を透明なガラスのような物で全て塞がれていた。所々には人口的な照明器具が目立たないよう設置されていて、部屋の奥に見える小さな滝も「人工的に作られた俺達の命より高価なオブジェ」と、いつだったか地下の同僚が話していた。


 天井からひときわ太く伸びた光の先に、10人程が腰をかける事が出来るよう、豪華な彫刻を施した丸いテーブル(円卓)と椅子が置かれていた。他に家具らしい物が少ない空間の中で異質に浮かび上がって見えた。

 そして、そこでは、一人の男が朝食を取りながら少女に笑みを浮かべている。黒い髪をオールバックにまとめあげ、黒いスーツの上下に黒いシャツ、首元には赤いネクタイ。いつも似たような服装だったが肌の色が白かった為、それがかえって目立ち、おとぎ話に出て来る吸血鬼のようだと少女は思っていた。また、男は50を越えていると聞いていたが、中肉中背で少し筋肉質な見た目に加えて、シワ等も無く老けた印象を感じさせなかった。良くて30代といったところで、怪しげな人ならぬ雰囲気により拍車をかけている。


 拷問好きでサディスティックな、その性格さえも知る人間ならば、生き抜く事が出来ず死んだ地下の人間の生き血を啜り(すすり)生き永らえている。と聞いても、さして驚きはしないだろう。

 男の横には白い眼帯とシャツに、黒いベストにパンツ姿の少年の給仕が控えていた。


「おはようコーシュカ」

 機嫌が良いのだろうか、弾むような大きな声で挨拶をすると男は少し早口で一方的に話し始めた。

「おはようございます。セーラー」


 うんうん。と頷き、男は少女の挨拶に満足そうな笑みを浮かべ話し始めた。

「昨日の少年はどうかな? ちゃんと食事を取って眠ったかい?」

 少女は野菜ばかりが並ぶテーブルの近くまで歩み寄ると質問に答えた。

「はい。食事を終えるとすぐに眠っていました」

 男は「そうか」と嬉しそうに頷き言葉を続ける。

「不思議な見た目をしているだろう。子供なのに白髪が多くてね。しかも整った顔をしているなんて、私も数日前から直接見るのが楽しみで仕方なかったんだ」

 そう笑顔で話すと、男は手元に置かれた有機野菜のみで作られたスムージーを一気に飲み干した。健康志向の強い男の為に毎日作られている特別製だった。


「使えそうかい?」

 そう問う男の言葉に、何と答えたら良いのかと、少女はその体を一瞬硬直させた。

「見た目は。ただ、ここで生きていく事は難しいと思います」

 それは嘘偽りの無い正直な感想であった。

「そう。まぁまだ小さいしね」

 男は白いテーブルナプキンで口元を拭くと卓上のベルを鳴らす。それに答えるように、近くに控えていた給仕の少年は、済んだ食器や残された食事を手早くワゴンに乗せると去っていった。


 この少年は少女がここに来て、しばらくしてから入って来た。ロシア系の美しい双子で、二人はセーラーに気に入られると給仕としてそばで仕える事を許された。最初の頃こそ、厳しい毎日の戦闘訓練など無い二人が羨ましく嫉妬もしたが、ある日の朝、この地下ではセーラーの近くこそがもっとも危険なのであると思い知らされるような事件が起きた。二人の目が、右目と左目、それぞれ片方ずつ無くなっていたのだ。


 今と同じように食事を終えたセーラーは、唐突に美しい双子を並べて()でる事に飽きてしまったのだろうか「二人の違いが分からないな」とつぶやくと、食事に使われたスプーンを使って、一人ずつ順に、対照的になるように、と、その目をくりぬいてしまったのだ。その時の双子の絶叫は少女の部屋にまで聞こえてきたし、その声を夢に見て、うなされ目覚める朝もあった。

 さらに、その数日後。双子の片割れは、その怪我からか熱を出し給仕を休んでしまった。セーラーの怒りを恐れたもう一人は、許しを請い、自分の働きで埋め合わせをさせて欲しいと懇願したのだが「片目が二人もいると落ち着かない」との理由で、セーラーは休んでいた方の給仕を殺してしまった。それは本当にただの思い付きだったのだろう。休んだ事が原因ですら無かったのだから。

 それ以来、少女は眼帯の給仕が感情的になったのを見た事が無かった。


「じゃあ何をやらせようか」

 そんなセーラーの言葉に少女は緊張した。

 この言葉は独り言のようなもので、少女に向けられた言葉では無いと分かっていた。分かってはいたが、ここでのやり取りを間違えてしまえば、少年の命さえどうなるのか分からなくなってしまう。何とかしなければ、何かを言わなければ。命だけでも救わなければならない。


「セーラー、彼は日本語しか話せないようです」

 男は指を何度か曲げて見せ、少女を近くへと呼び寄せた。近くへ来ると更に手招きをされたので、男のすぐ横へと歩み寄った。その時、突然、大きな破裂音と共に、頬に強烈な痛みを感じた。それなりの訓練を受けた少女でさえ、セーラーの肘から先が突然消えたように見えていた。そして少女が頬に平手打ちを受けたと気がつくまで、もう数秒の時間が必要だった。


「結論だけ話すんだ。時間は無限では無い」

 迂闊だった。気が短いセーラーは前置きを嫌がる。少女は慎重になるがゆえに基本的な事を忘れてしまっていた。

「申し訳ありません。日本語のティーチャーがしばらく不在の為、私が面倒係になり身の回りの事を教えます。その間に英語とロシア語のレッスンを受けさせては如何でしょうか」

「よし、そうしよう。とりあえずはな」

 賭けに勝ったのだろうか。そう少女が思っている時、口の中に液体が溢れ鉄の味が広がってきた。このままではまずい。少女は表情を崩さないよう、慎重に口の中の液体を飲み干した。

 少女は知っていた。拷問好きのサディストであるセーラーに血を見せる事は命に関わったし、以前、床に数滴の血を垂らした地下の同僚は()()()と叱られ遊具にされていた。もちろん、出血の原因はセーラーであった。


「では、少年に食事を与え、君も一緒に取ると良い。私は午後から出るから適当にレッスンをしとくように」

 少女は口内の液体を懸命に押し込み、辛うじて一言だけ返す事に成功した。

「はい」


 少女を見つめるセーラーの表情は恍惚と満足そうに見えた。

 恐らく、少女の今の苦労や葛藤を全て理解した上で、それを楽しんでいたのだろう。


 計算高く冷酷でサディスティック。

 それが逆らう事を許さぬ地下の帝王セーラーだった。



 途中、口の中をゆすいで簡単な消毒を行ってから、食堂で料理を二人分受け取りワゴンに乗せ、少年の部屋へと運び込んだ。部屋の中では毛布に包まった少年がかすかな寝息を立てて眠っていた。昨日は疲れただろう。少女はもうしばらく寝かせてやりたいとも思ったが、食事はいつでも気軽に取れる訳でも無かった。


「シュンヤ、起きろ」

 何度目かの呼びかけにやっと瞬夜は目をこすり起き出してきた。

「おはよう、セシュカ」

 少年の呼びかけに少女は心からの喜びを感じていた。

 部屋の外にある洗面所に案内し、顔を洗わせ口をゆすがせると二人は再び部屋に戻る。


「食事を持ってきた。食べよう」

 セシュカは折り畳み式の椅子をワゴンから取り出すと、向かい合って食べられるようテーブルの上に食事を並べた。

「野菜もクエ」

 そう気にかけたセシュカに、

「嫌いな物ないよ。いただきます」

 と、瞬夜は両手を合わせながら答えた。


 最後に他人と食事をしたのはいつだっただろう。地下には食事を提供する場所はあるが食事を取る場所は無い為、決められた時間内に各々が食事を受け取ると部屋の中で食べ、食器を戻す事になっていた。唯一の例外はセーラーと招待を受けた特別な客で、別に個室もあるのだが、洞窟内の丸いテーブルで食事や酒を嗜むのが通例となっていた。もっとも、セーラー自身は酒を飲まない為、客の為だけに用意されていたし、喫煙は個別に客専用の部屋を設けられていた。確か、何日か前にも老紳士風の客が来ていた。


「お、ごるも、れっかな」

 瞬夜は小動物のように頬の中に目いっぱい詰め込んで食べながら何事かを呟いた。

「ゆっくり食べてからハナセ」

 セシュカが水差しからコップに水を注いでやると、瞬夜はもごもごと口を動かしてからそれを一口飲んで喋り出した。

「後でお風呂も入れるかな?」

「あぁ、案内する」

「やった。ねぇお湯につかれる?」

「少し大き目の浴槽がある」

「じゃあ一緒に入れるね!」

 瞬夜はそう喜ぶと、再び頬袋の中に食事を詰め込み始めた。

 セシュカは自分の「分かった。一緒に入ろう」との答えを受け喜んでいる瞬夜を見ていると、ふと、自分が誘拐犯の一人である事を忘れそうになっているのに気がついた。食事を口に運ぶと、先程の傷に当たり痛みを感じた。消毒薬の混じった何とも言えない苦みが、自らの罪をアクセントに口内へと広がった。



 しばらくして、食事を済ませた二人が食器をワゴンへと戻していると、朝、セシュカを起こした若い男が部屋を訪ねて来た。

「コーシュカ、セーラーがお呼びだ」

 そう声をかけた後、男は瞬夜に目を向けると「お前もだ」と呟き去って行った。が、ロシア語だったせいもあって瞬夜は不思議そうな顔で男の去ったドアを見つめていた。

「なんて言ってたの?」

「私達のボスが来いと言っている」

 セシュカは全身の毛穴が開くような気持ち悪さが込み上げて来るのを感じていた。先程までは穏やかな時間を過ごせていたのに、午後から出ると言っていたはずだ。今日はもうセーラーから瞬夜が呼び出される事は無いと思っていたのに。いや、今となっては、それも勝手な思い込みだったし根拠の無いただの希望にすぎないと思い知らされていた。


「シュンヤ」

 セシュカの顔が恐怖に引きつっているのを見た瞬夜は心配そうに顔を覗き込む。

「どうしたの? 大丈夫?」

 セシュカは一度大きく深い呼吸をすると、精一杯の笑顔で告げた。

「大丈夫。オマエは私が守る」

 それは、瞬夜が良く知る、昨晩も目にした、深い愛情のこもった眼差しだった。だからこそ、そんな表情をしなきゃいけない事が、何か危険が差し迫っているのだろう事が、幼い少年にも伝わり緊張させた。


「ここのボス、セーラーはとても恐ろしい人。セーラーとは私が話すから、シュンヤは大人しく立っていて。何が起きても、もし、私が殴られても絶対に動くな。逆らうな」

「うん。分かった。でも、気を付けてね。痛いのは嫌だよ」

 心配そうな瞬夜の頭をひと撫でし、二人は手を繋ぎ部屋を後にした。



 大きな両開きの扉。

 その中の光景を前に、思わず瞬夜は声を上げた。

「すごいね……」


 部屋の中では、眼帯の給仕を伴った丸いテーブルの席についているセーラーが、手を繋いだ二人の子供を目にすると嬉しそうに声をあげた。

「よく来たね! いらっしゃい! コーシュカ、こちらへ連れて来てくれ」

 二人は手を繋いだまま、セーラーの目前へと歩み寄った。

「英語もロシア語も分からないんだっけ?」

 瞬夜に声をかけるセーラーにセシュカが答える。

「はい。日本語だけ分かるようです」

「それならコーシュカ、君が通訳を頼むよ。私はセーラー。君のご主人様だ。分かる? ご主人様」

 セシュカが通訳すると瞬夜は頭を下げて答えた。

「はい。分かります。よろしくお願いいたします」

 その可愛らしいお辞儀にセシュカの通訳を待つまでも無く、うんうん。とセーラーは満足そうに頷いた。

「君は賢い子のようだね。レッスンは何からがいいかな。さっきの話だと英語とロシア語だっけ」


 地下で暮らす人々には、それぞれ専門のティーチャーが何人か担当につく事になっていた。セシュカは暗殺者としての訓練を受けてきた。演技と戦闘術。それに加えて、ロシア語と日本語を習得させられていた。それ以外にも、基本的には全員がスパイ活動が可能な程度に様々な基礎知識を身に付けさせられる。闇世界の英才教育とも言える地下の教育を終えて地上へと出られた人間の数はそう多くはないそうだが、みなそれぞれの世界で超一流と呼ばれていると聞いた事がある。また、それとは別に、地上では右から左へと人身売買が行われている為、組織全体で動いている人間の数となるとセーラー自身も把握出来ていないに違いなかった。


「取りあえずは英語だけでも良いかな。少しでも覚え次第、私の仕事部屋のお手伝いをして貰おう」

 セシュカは驚いた。

 セーラーの権力が世界を股にかけているとは言え、その拠点もメインの住居もこのロシアで間違いは無かった。だからこそ部下の大部分はロシア語を積極的に習得させられていた。それに仕事部屋とは一体。セシュカも初めて耳にしたし、それがどこにあるのか、この屋敷や地下にあるのかさえ分からなかった。

 それだけに背筋がゾッとした。

 かつて何人もの人間が寝室を担当する事になったが、そのいずれもがいつの間にかいなくなっていた。セーラーの残忍な性格を考えたら当然かも知れないのだが。


「待って下さい! お仕事の手伝いなら私にさせて下さい! この子はまだ子ど」

 そう、セシュカが全てを言い終えるよりも早く、セーラーの手元が動き、いつの間にか手にしていた鞭による強烈な一撃が腰から胸にかけて刻まれた。セシュカは皮膚が無理やり引き裂かれ焼けつけられたような衝撃にありったけの叫び声を上げると足元に崩れ、体は突然の痛みに細かく痙攣(けいれん)していた。

 失言だった。余りに予想外の展開に、考えるより先に言葉が口を出た。年相応よりは賢い大人びた12歳の少女の子供らしい一面とも言えたが、その結果は残酷だった。眼帯の給仕は無言でやり取りを伺っている。


 セーラーは笑みを浮かべたまま少女を見下ろし言葉をかけた。

「どうして意見したの?」

「も、申し訳ありま」

 体を起こし問いに答えようとするセシュカの腕に、再び鞭による一撃がくわえられ悲鳴をあげた。少し隣を見上げると瞬夜が小さな手を震わせ、かろうじて立っていた。泣きそうな表情ではあったが、声も上げず、必死に言いつけを守っているようだった。


「どうして? だよ」

「私の方がお役に立てるかと思ったからです」

 今度は肩に、太ももに、鞭による一撃がくわえられた。その度にかん高い悲鳴が洞窟内に響き渡る。先程よりは痛みを伴わないのは麻痺しているのか、加減されているのだろうか。傷口は赤い縄の筋が浮かび上がり、所々皮膚を裂いて出血を伴っていた。


「コーシュカ。いつからそんな風に意見をする悪い子になってしまったんだ? 確かに君は私にとって大切な存在だけれど」

「申し訳あ」

 鞭が脇腹を巻き込み強烈に叩く。その耐え切れぬ痛み。セシュカは自分が悲鳴をあげているのかどうかさえ分からなくなっていた。

「いつから、だ」

「意見など、いつでも許されません。申し訳ありません」


 遠ざかる意識を何とか繋ぎ止めながら答えると、セシュカはふらふらと立ち上がり始めた。すると、二人のやり取りの意味までは分からなかったであろう瞬夜が、両手を広げ、セーラーとセシュカの間に立ちふさがった。

「ぼく、なんでもするから。ごめんなさい」

「シュンヤ! ダメだ下がれ!!」

「ごめんなさい。なんでもします。ごめんなさい」

 慌てたセシュカは、瞬夜の手を強引に引っ張ると自分の後ろへと下げさせた。

 セーラーは、それまでは鞭を振るうあいだも笑みを絶やしていなかった。が、二人のやり取りを見たその一瞬、表情を強張らせた。

 そして、その事にセシュカは気がついた。

(しまった。二人とも殺される)


()()()()()()()()()()()()


 今、セーラーが投げかけた言葉は日本語だった。

(そうか。私達は、いや、私は、最初からセーラーへの忠誠心を試されていたのか)

 セシュカに通訳をさせ、瞬夜をたてに脅し、痛めつけ、それでも尚セーラーに尽くすのかを見届けられたのだ。日本語が話せないフリをしたのは余計な会話をしないかチェックする為だけなのだろう。そしてそれをバラしたのだ。テストは終わったのだろう。結果、セシュカは瞬夜を、瞬夜はセシュカを守ろうとしてしまった。セーラーに逆らって。


 セシュカを絶望的な感情が襲った。終わった。終わってしまった。このままでは二人とも殺されるかも知れない。いや、必ずそうなる。扉までは遠く、鞭の素早さや射程から逃れられる訳も無い。眼帯の給仕に助けを求めたって無駄だろう。どうしたらいい。どうしよう。


「全く残念だよ。コーシュカ、君には本当に期待していたのに」

 その言葉が終わるよりも早く、セシュカは動き出した。後ろにやった瞬夜を押し倒し上に乗ると、その頭を抱き締め、体をまるめさせ、自らの体で包み込んだ。わずかでも瞬夜の体が外に出ないように、そう祈るような気持ちで強く抱きしめた。それが何かの役に立つかどうか考えてもいなかっただろう。ただ必死に、目の前の少年を守る事だけを考えていた。後は、数秒でも長く耐え、何かの奇跡が起こる事に期待するしか無い。


 そして、そんなセシュカの気持ちをあざ笑うかのように、その背を、腕を、頭を、足を、先程よりは弱くいたぶるように、それでいて鋭い痛みを与え続けるように、的確に、何度も何度も繰り返し鞭が襲いかかっていた。命を奪う事を楽しむように。


 鞭が皮膚を切り裂く度に悲鳴をあげるセシュカだったが、懸命に言葉を(つむ)いだ。

「シュ、シュンヤ。こ、このまま私が耐え続ければ、セーラーも満足するかも知れなっ……い。い、良い子だから動かないで」

 セシュカの頭皮をつたい落ちた生暖かい血が瞬夜の顔に滴り落ちる。

「嫌だよ。セシュカ。嫌だどいてよ。死んじゃうよセシュカ!!」

 しかし、セシュカは抱き締めたまま離そうとはしない。何度も何度もその身に命蝕む鞭の一撃を浴び続けながら、悲鳴を上げ続けながら、なお、強く抱きしめ言葉を紡ぎ出す。


「シュンヤ、生きて。名前、アリガトウ」

「嫌だってば。セシュカどいて。どいて。どいてよ!!」

「嬉しかった。トモダチ、会えた。アリガトウ。生きて」

「嫌だよ! セシュカ!!」


 そんな二人の会話を打ち切るよう、ひときわ大きな破裂音が部屋の中に響いた。

 全身を赤い血で染め上げたセシュカは、その音で、最後の一撃が己に刻まれたのを知った。

(私でも、誰かを守って死ぬ事が出来るなんて。シュンヤの母親の気持ちも今のように満たされていたのだろうか。私は幸せ者だ)



「何をした?」

 誰かがそう呟いた。

「何をしたんだ? 答えろ」

 怒気をはらんだその声はセーラーのものだった。

 その顔にもう笑みは無かった。


 セシュカはボロボロになった体を瞬夜にそっと押しのけられた。死を覚悟した時に全身の力が抜けてしまい、もうそれに逆らう事が出来なかった。瞬夜は立ち上がると、血だらけになったセシュカを、そして自分の体を見て、セーラーを強く睨み付けた。そして、その体に向かってセーラーは手にしていた鞭の柄を投げつけた。


 再び強烈な破裂音が部屋中に響いた。

 投げつけられた鞭は空中で何かに激突されると天井へと打ち上げられた後、落ちて来た。

 鞭は柄の近くで千切れており、もう役には立たないように見えた。

 眼帯の給仕も珍しく困惑した表情をしていた。


「これは一体なんだ」

 セーラーは怒りを込めた目で瞬夜を見つめていたが、徐々にその表情は青ざめ驚きへと変わっていく。

「それは、それは一体なんなんだ!!」


 立ち上がった瞬夜の右肩、いや右の背中から、青い水のような何かがゆらりと浮かび上がり、天井から差し込む光を受けてキラキラと輝きだしていた。そして、その水はやがて、何枚もの大きな羽を重ね上げた翼へと姿を変え、更に、その肩の上で、徐々に一羽の小さな鳥の姿へと収まっていった。


 セーラーは自らの座っていた椅子を掴むと瞬夜に向かって全力で投げつけた。その直後、瞬夜の右肩に乗った小鳥は、椅子へと向かって弾丸のような速度で飛び立つとぶつかり、大きな破裂音と共に椅子を高い天井近くまで打ち上げた。そして、三人のいる場所からは離れた所で椅子は落下しバラバラになった。


 瞬夜は右手を高く掲げると、飛び出していった小鳥がその指にとまった。


 大きな両開きの扉からは、いつもの拷問と違う大きな音に緊急事態を感じ取ったのだろうか。何人もの人間が駆けつけて来た。



 瞬夜は叫びにも似た大きな声をあげてセーラーに宣言した。



「もう、セシュカをいじめさせない。ぼくが守る」



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