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第09話 夢寐一夜


「今日はありがとう」


 パトカーで走り出してすぐ。時間は0時を過ぎようとしていた。

 昼間から人通りの少ない道らしく、この時間、ほとんどの店が営業を終了し、歩く人の姿なども見る事は無かった。バタバタとした忙しさに忘れていたが、外は雪が降ってもおかしくないくらい冷え込んでいた。まだ暖房が行き届いていない車内が疲れた体に染みてくる。着替えだけでも買えたら良いが。


 そう思っていた時、ソフィアが突然礼を告げてきたんだ。

「どうした急に」

「別に急でも無い。私だけでは推理にも語学力にも、それに戦力としてだって不足だった。本当に助かった。正直な気持ちだ」

「瞬夜くんが(さら)われたのは俺のせいだ。これくらい」

 そう答えた俺にソフィアは深いため息をつき答えた。

「またそれか。タケルはただの民間人だろ。依頼は通訳だけで護衛ではない」


 それならこっちだってそうだ。俺一人じゃ走り回れなかった。車も、人も。

 でも、何故、唐突にこんな話をしだしたのだろう。

「なぁ、捜査から俺を外すって話じゃないだろうな。ここまで来たんだぞ?」

「それもアリだと思う」

「おい!」

「どちらにせよ一度署に帰ろう」

「何でだよ! お前はセーラー(販売者)のいる屋敷の場所が分かっているんだろ? 子供が(さら)われてるんだぞ!」

 俺は今更なソフィアの提案に腹を立てていた。しかし、そんな気持ちも予想していたであろう、俺を(なだ)めるような口調で話していたソフィアも、隠しきれない不安と共に、少しずつ苛立ちを隠せずにいた。

「相手は一帯を取り仕切り、警察内部にもコネがあるような強力なマフィアなんだ」

「だから警察には頼れないんだろうが」

「お前が引き出してくれた証言がある! 本来なら決定的な証拠とまでは言えなかったかも知れないが、未成年の重要参考人が警察管理の中で誘拐されているんだ。大義名分としては十分だし、内部にまだ裏切者が残っているとしても捜査せざるを得ないはずだ。ましてや相手の本拠地に殴り込みをかけようって言うのに二人で行けるはずがないだろう! 私だって、私だって今すぐ行きたいに決まってる!」


 俺だって、ソフィアの言いたい事は分かってる。しかし、こうしてる間にも、瞬夜くんが心や体に消せない傷痕を作ってしまっているのではないか。そう考えると気が気ではなくなってくる。勿論そんな事もお互い様なんだ。


「お願いだタケル。一度署に戻って仕切り直そう」


 この数時間のイライラは不甲斐ない自分に向けられたものだろうか。悪びれもせず「可愛いから誘拐された」と話した変態にだろうか。それとも女性の歯を奪った「くらい」と語ったクズに対してだろうか。


 俺は民間人だ。

 自分の国を守れる立場も捨てて旅を選んだ民間人だ。それが異国の地で、目の前で同郷の少年を(さら)われた呵責を、八つ当たりのように犯人達になすりつけているだけなのかも知れない。冷静になれば俺こそが部外者で、専門家であるソフィアの意見こそ正しい事くらいは分かっていた。だとしても、指を咥えて事の成り行きを見守る事なんて、もう出来やしない。



 俺はしばらく窓の外を見ながら、これまで分かった事を整理し、これからどうすべきなのか、一から考え直していた。


 瞬夜くんのレイプ未遂は近所の日本人による単独の犯行だった。母親を殺したのはシーカー(探索者)と呼ばれる老紳士。同行していた大家の息子は殺人には関与していなかったらしい。誘拐が目的で、それはセーラー(販売者)と呼ばれている大家マフィアの指示だった。病院に来た褐色の少女と、誘拐した警察官はセーラーの部下である事も間違い無さそうだ。息子は屋敷に誘拐されているはずだと証言している。


 誘拐が人身売買目的なら、何故、母親は売られずに殺されたのだろう。息子は何故シーカーを案内したんだ。いや、案内したとは言っていないな。確か「俺は親父に紹介された男に付いて行き、息子を誘拐するように命令されただけ」か。案内しろとも殺せとも言われていないのか?


 瞬夜くんを連れ去った警察官は二度と警察へと戻ってくる事は無いのだろう。セーラーはそれに見合うだけの見返りを提供出来る人間で、その信頼もある。それに息子も、こちらが警察だと分かると見下すようになっていた。まだ内通者はいるはずだ。


 結局そこが一番の問題か。

 ソフィアの言う通り、相手の本拠地に乗り込むなら人数も武装も不足している。内通者がいると想定するならば、俺達が情報を流す事で、瞬夜くんや犯罪の証拠になるような人間は移動させられてしまわないか? 踏み込む情報が流れるのであれば、逆に銃撃戦にはならないと思うが、その可能性だって無い訳でもないか。


 結局は今踏み込んだところで、それらは全部あり得るし俺らが撃ち殺されたら捜査も止まる。リスクを背負っても警察の力を借りないと何も出来ないし、イラ立ちを飲み込んででも冷静に動かなければ、救出どころか無駄死にだ。



「ソフィア、署に戻るなら条件が三つある」 

 数十分の無言の後、突然口を開いた俺に驚きながらソフィアは笑みを浮かべて聞き返した。

「なんだ?」


「まずは熱いシャワーと着替えが欲しい」



 途中、署への報告をしてからソフィアと話し合いをした。警察署に到着したのは午前1時を半分も過ぎた頃だった。

 日本の警察官は24時間勤務と幼馴染に聞いた事があった。何かあったら起きて出動出来るように待機していなければならないとか。消防署とかもそんな感じらしい。ここロシアでもそんな決まりがあるのかは分からなかったが、署内は朝、病院へと向かう前以上の活気に包まれているように見えて驚いた。バタバタと何人もの職員が世話しなく走り回っている。


 ソフィアがどこからかバスタオルと風呂セットを持って来てくれた。

「使ってくれ」

「ありがとう。ロシアの警察は夜中でも活発なんだな」

 そう俺が驚いて見せると、意地の悪い自慢げな笑顔を見せて来た。

「お前のおかげだよ。車から報告入れておいただろ。署の人間は誰でもあの一帯のマフィアには苦い思いをさせられていたんだ。それが組織の中心人物である息子を自供付きで逮捕。屋敷に踏み込む口実まで作ったお前は、この署ではちょっとした英雄だよ」

 大家の息子も署に到着し、既に尋問を受けているとの事だった。


「さっきから何人かこちらをチラチラ見ていたのはそのせいか」

 てっきり遠く離れてもワインと胃液の香りが届いているのかと思って肩身が狭かったのでほっとした。

「いや、臭いせいもあると思うぞ?」

 そうだよね。


 俺が風呂セットを奪い取り拗ねてると、ソフィアは大きな声を出して笑った。

「冗談だ冗談。済まないがシャワーを浴びたら上司に会ってくれ。検挙率の高い切れ者だ。会議室にいる」


 いじられて居心地の悪かった俺は「分かったよ」と手を上げ答えながらシャワールームへと向かった。

 熱いシャワーが体を包むと、冷え切っていたせいもあるのか思っていた以上の疲労を感じた。確かに、これじゃ屋敷に行っても殺されていただけだったろうな。パトカーの音で寝付けなかったせいか、頭にモヤがかかったかのように強い眠気を自覚した。


 着替えて頭を拭きながらロビーで座っていると筋肉の鎧を着こんだタイプの男性職員が「ありがとう」と冷えたコーラを差し入れてくれた。


「嬉しいけど、これは報酬から引かれる?」

 そう受け取りながら答えると、

「追加報酬さ。後日アルコールも追加されるが飲めるか?」

 と聞いて来た。

「ロシアじゃ工業用アルコールを飲むんだろ? 勘弁して欲しいね」

 そう溜息混じりに答えると「良く知ってるな!」と俺の背中をバンバン叩きながら豪快に笑って去って行った。


 内通者にピリピリしすぎていたかな。

 気持ちの良い男との会話で、少し肩の荷が降りた気がした。


「すまない、待たせたか」

 声のする方を見ると、金色の髪の毛をバスタオルで拭きながら、ソフィアがこちらへ向かって歩いてきていた。これがパジャマでホテルの中なら最高だったのに、残念ながら色気少な目のジャージ姿だった。俺とお揃いなのは警察の支給品なんだろうな。まぁそれでも濡れ髪の女性は色気を漂わせるものだね。眼福。

「大丈夫。あそこの彼が差し入れもくれてご機嫌だ」

 と、先程の男を指さしながら飲みかけのコーラを手に移動した。



 俺達はパイプ椅子の並べられた会議室についた。中には深夜にも関わらず30人程の警察官が座り、そこかしこで真剣な話し合いをしていた。しかし、会議室に入ったジャージ姿の俺らを見るなり、突然黙り込んでこちらに目を向けて来る。大した報告もせずに素人が勝手に動いていたんだ。多少の反感を買うのは覚悟していたが少し緊張する。と、思っていたが、6人程、こちらを見ながら順番に立ち上がると、微笑みかけながら駆け寄ってきた。


「日本人! やるじゃないか!」

「俺も呼んでくれよ~」

「おい、お前ただの変態じゃなかったんだな」

「ソフィー頑張ったな!」


 口々に賞賛の声と手や背中へのハイタッチが送られた。気がついたら俺らを囲んだサプライズの誕生日状態。少し離れた人達も、こちらへ親指や微笑みを送ってくれている。

 隣を見るとソフィアも驚いていた。そして、その目にはうっすらと涙を浮かべている。不覚にも俺もちょっと感動してしまった。だって、ここまで受け入れられるなんて思ってもみなかったんだから。


 まぁソフィアの喜びはそれ以上、俺とじゃ比較にもならないものだろう。相談どころか、身内を疑い続けなければならない苦悩とプレッシャーがあったに違いない。今回、署に戻る判断をした事にも迷いがあったはずだ。きっと、この職員達はソフィアのそんな苦悩とプレッシャーも理解して労っているのだろう。


「良い職場みたいだな」

 俺の言葉にソフィアは両手で口元を抑えながら堪えていた涙を少し溢しながら微笑んだ。

「あぁ、あぁ。そうだろう。良い職場なんだ」


 席へ案内されるとテーブルの上にサンドウィッチと飲み物が置かれていた。食べながら参加しろって事だろうか。有難い。早速一つ頬張っていると、ソフィアの直属の上司らしい男が会議室の前に出て話し始めた。年齢はこの場を仕切るには若く見えた。30代半ばくらいだろうか。


「ソフィア、タケルくん。お疲れ様。それに良く戻ってきてくれた」

 俺は口にパンを入れたまま、ども。と会釈だけ返した。

「私はソフィアの上司だ。ロージャと呼んで欲しい。病院では部下が、済まなかった」

 部下の裏切りを示すその言葉に会議室の中の空気がピリッとした気がした。


「指名手配は完了している。また、連絡を受けた時点から大家の屋敷周辺での検問を開始している。町から少し離れた立地にこんな時間だ、車の通りはほとんど無く、少年が移動させられるような事があれば目立つはずだ。それと、本当は渡したく無いんだが特別だ」


 ロージャと名乗った男は、俺の前のテーブルの上に防弾チョッキと特殊警棒を置いた。って事は同行の許可もおりたのだろう。俺がソフィアに頼んだ条件の二つ目、同行の許可と出来るだけの武装だ。


「ありがとうございます」

 例を述べた俺に、少し困った顔でロージャは答えた。

「ついて来る事への反対自体、とても多かったんだ。提供してくれる情報と貢献度と少年の救出後のフォローって事で説得した。頼りない武装かも知れないが俺達が必ず守る。信じて欲しい」

 途中、切れ者らしい力強い圧を感じた。確かに頼りになりそうだ。

「いえ、助かります。それにライフルは冗談だったんです」

「おい、それも真面目に検討したんだぞ……」

 ロージャは再び困った顔をするとそう言い笑った。出来れば遠距離からの狙撃も可能なライフルが欲しいと冗談で言ったのだが、ソフィアが伝えているとは思わなかった。ってか、検討したのか。なんか変に真面目なとこが似ている上司と部下なのかも知れない。



 会議の内容はこうだ。

 検問による道路の封鎖と、遠距離からの監視で出入りを阻止。日の出を待った朝7時頃に礼状を持って正面から屋敷内部へと踏み込む。屋敷の連中による反対があった場合も、そのまま突入。銃撃戦も辞さないとの事だ。俺はソフィアとロージャと行動。最初は一緒に居られるが、万が一戦闘になった場合は前線には立たないようにと釘を刺された。大家の息子は逮捕されたが眠いだなんだと文句を言って黙秘を貫いているらしい。


 腹も膨れ、ウトウトし始めた俺は仮眠室へと案内されたが、署から屋敷まで30分ちょいかかると聞き、預かってもらっていた着替えと共にパトカーの中でそのまま到着まで寝かせて貰えないか聞いてみた。ソフィアは行儀が悪いとか疲れが取れないとか言っていたが、こんだけ疲れてるんだ、今日はパトカーのシートもリゾート地のハンモックのようだろうし、あのうるさいサイレンの音も子守唄か海のさざ波のように感じるんじゃないかな。と口にしたが、ソフィアの「雪になるかも知れないのに」との言葉に大人しく仮眠室で眠る事にした。



――――



「不思議な子……」


 ジメジメとした薄暗い小部屋の中。

 失ったはずの命を顕在させた奇跡が姿を終えたのと同時に、奇跡を起こした当の小さな少年は、床の上で深い深い眠りに落ちていた。少し不安にもなったが、時折の寝返りと息づかいからは体への異常など無いように見えたので安心していた。不幸である事に麻痺した子供ではあるかも知れないが、色々あった。疲れて疲れて熟睡しているのだろう。


(寒くは無い部屋だが毛布くらいは)

 そう思いながら部屋を後にし、薄暗い廊下を歩き雑多な物が置かれた小部屋の中へと入ると、毛布や枕などの寝具を持ち、再び廊下へと戻った。


 途中、ふと自分の部屋のドアを見つめ数秒立ち止まる。

 これからの事を考えていた。幾つかの仕事を終えたら地上に家が与えられる予定だった。似たような小さな部屋ではあっただろうが、陰鬱な地下から飛び出せる事が、窓一つ無い地下の人間達にとっての憧れであった。今回の失敗で、地上どころか次の仕事を与えられる日さえもしばらく逃してしまっただろう。けれど、これで良かったのかも知れない。地下には多くの人間が暮らしていたが、まともに見える人間は少なかった。その誰かに少年の面倒を任されてはどうなる事か。これで良かったのかも知れない。


 部屋に戻ると少年の頭の下に枕を敷き毛布をかけた。そしてその気持ち良さそうな表情に「ありがとう」と小さな言葉を送ると、少女は食器を手に部屋を後にした。


 食器を片付けシャワーを浴びる。

 感情を揺さぶられたせいか、激しい訓練の日とは違った疲労感が体を包んでいた。


「私はどうしたら良いのだろう……」

 少女は自室に戻り、ベッドの上に仰向きになると明日について考えようとしていたのだが、自分の眠気に気がつくよりも先に深い眠りへと落ちていった。


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