歯車に魅せられて
その男は『田上fab』の代表の田上と名乗った。社長というより店主という方がイメージに近い。
『田上fab』は古い工場を改装した場所に様々な自動工作機械を揃えていて、一時間千円で自由に使えるようになっている。
使用できる機械はアクリル板や木を加工できるレーザーカッター、金属を加工するCNCフライス、三次元造形物が作成できる3Dプリンター。
素材の販売もやっていて、その場で素材を選んで加工できる。
それに、コンタマシンやボール盤、ベルトサンダも備えて、素材の粗加工から最終仕上まで可能。
田上さんにそんなバンプレットを見せられた。
「田上さんはアンティキティラ島の機械って知っていますか?」
私は美大の彫刻学科の学生。卒業制作で正確に動くオブジェを作ってみたかった。
そう思っても機械を作ったことなどないので、下宿の近くにできた『田上fab』に相談にきたのだ。
田上さんは二十代半ば、優しそうな男性だった。
「もちろん知っているよ。紀元前に制作された歯車で動く精密な機械だよね。天文の運行を計算するためのものだったっけ」
田上さんは目を輝かせてそう答えた。ものづくり好きの琴線に触れてしまったらしい。
「私もああいうの作ってみたいのです」
『田上fab』に並ぶ工作機械に気後れし、無謀だと言われるかと思いながらそう訊いた。
「機械設計の経験は?」
田上さんはそう尋ねるが、そんなものある訳はないので私は首を振る。
「まずは素材を決めようか?」
追い返されるかと思ったけれど、田上さんは微笑みながら私を素材置場に連れて行ってくれた。
素材棚の上には加工見本が置かれている。その中の透明な歯車に目を奪われた。
田上さんが手にとって私の渡してくれる。切口はとても綺麗で柔らかい。
「レーザーカッターでカットしてみた歯車だ。素材は3mmのアクリル板。透明で美しいけれど、機械を作るのにはちょっと強度が心配かな。レーザーカッターは木も加工できる。こっちのジュラルミンは銀色で加工も楽だ。真鍮は金色で美しいけれど、加工にはかなり時間がかかる。高価だしね」
様々な加工見本を見せてくれる田上さん。やはりアクリル板がとても美しいと思った。
「レーザーカッターは光で切断するから、本当に精密にできる。加工も早い。木を主体にして一部アクリル板を使えば、材料費も抑えられる」
私は田上さんの提案を受け入れて、歯車で動く機械を作ることにした。
アンティキティラ島の機械は多くの歯車が使われた複雑なものらしいので、もう少し単純にして、太陽と地球、そして月の動きを正確に再現できる物にする。
「データはCADソフトで作るんだ。学生なら無料で使えるものがあるから、ダンロードすればいい」
翌日ノートパソコンを持ち込んだ私は、田上さんの教えに従って学生は無料で使えるCADソフトをインストールした。
工作機械を使わないで作業スペース使用だけであれば1時間二百円。電気や工具、WiFiが使い放題だった。しかも、田上さんが色々教えてくれる。
客はそこそこいるが、それほど多くない。
「こんなんで儲かるの?」
さすがに心配になって訊いてみた。
「親から譲って貰った工場だし、ネットで精密加工も請け負っているから食うには困らないかな。皆に喜んでもらえるのが嬉しいので」
田上さんの親は、長年続けてきた工場を閉めて田舎で農業を始めたらしい。できた野菜を送りつけてくるので食費はあまりかからないと笑った。
「歯車は普通インボリュート曲線を使うんだけど、精密なものにはサイクロイド曲線を使うんだ」
歯車にも様々な物があるらしい。
「まずはどんなものを作りたいかよく考えて、それから歯車の径や歯の数を決めればいい」
私は使い慣れたスケッチブックに作りたい形を描いてみる。
作業の合間に田上さんが私にCAD指導もしてくれる。これを教室に通って勉強しょうとするとどれだけかかるのかと思ったら、リーズナブルにも程がある。
五時間居座って千円を払ったら、田上さんは親から送られてきたと言って大きなトマトを二つ袋に入れて渡してくれた。
「無農薬で作っているらしくて甘くて美味いけど、大量に送ってくるからちょっと困っているんだ。だから気にしないで」
野菜が高くなっているのでありがたくもらうことにする。
下宿に帰ってトマトを丸かぶりにすると、本当に甘くて優しい味がした。
『田上fab』はとても広くて、工作機械を置いている部屋以外は作業スペースとして適当に机が置いてあり、天井からコンセントがぶら下がっている。
彫刻の制作にも使えそうだと私は思った。
大学を卒業したら制作場所がない。『田上fab』を使わせてもらえないか訊いてみようと思う。
今回は予算と製作期間を考えて、木と透明なアクリルで作ることになったが、卒業して給料をもらえるようになったら、本格的なものを金属で作ってみたい。
就職は中小のイベント会社に決まっていた。親に帰ってこいと言われていたが無視してこの街で就職して良かったと思う。
「これは炭酸ガスレーザーを使ってカットするんだ。木を切るとカット面が焦げて黒くなる。これも味があるだろう」
黒く塗っていると思った切口はレーザーの熱で焦げているのだという。アクリル板は少し溶けるので切口は鋭利ではなく透明のままだ。
「炭酸ガスレーザーの波長は赤外線帯域なので目に見えない。この赤く見えているのはただのガイドの光で、蓋を閉めないとレーザーは発射されない」
田上さんは説明してくれるが少し難しい。
それでも、私が描いたCADデータの加工始めると、美しくカットされていく様が面白くて見入ってしまう。
歯車に小さく自分の名前を入れてみたが、思った以上の精度で刻んでいく。
大きなコンプレッサーの音と、木が焦げる微かな匂いがした。
出来上がった歯車はとても美しいと思った。苦労してサイクロイドで描いた歯車だ。
「大小合わせて三十枚の歯車を作らないといけない」
なんだか、私より田上さんの方が力が入っているような気がする。
私はそれだけ田上さんと一緒にものづくりできることが嬉しかった。
「卒業してもここへ来てもいいですか。今度は金属で作りたいです」
そう田上さんに訊いてみた。
『田上fab』のレーザーカッターは金属がカットできないらしい。
「金属は光を反射するからね。もう少し出力が高いもので表面に塗料を塗って加工できるっものもあるが、これは無理なんだ」
田上さんはコンビニにあるアイスクリームの入れ物のような形のレーザーカッターを指差した。
金属加工にはフライス盤を使わなければならないけれど、加工にすごく時間がかかるらしい。
素材代と使用料でかなりの金額になるかな。
でも作ってみたい。
「もちろんだよ。僕も作ってみたい」
そう言う田上さんは本気のようだ。
「彫刻の制作にも来てもいいですか?」
「掃除はちゃんとしてくれるならね」
田上さんは笑った。
私の考えた機械が出来上がっていく。
大きな木の歯車と、小さな透明の歯車が噛み合い、太陽と地球、月の動きを再現していく。
「さすが美大の学生さんだよね。歯車の配置が美しい」
田上さんが感心したように褒めてくれた。
私は本当に嬉しかった。
全ての歯車が揃ったのは、最初に『田上fab』を訪れて三ヶ月経った頃だった。
最後のネジを締め、レバーを回してみる。
作品は思った以上にスムーズに回転し始めた。
「本当にありがとうございます。田上さんのお力添えがなければ完成できませんでした」
田上さんと一緒に制作するのは本当に楽しかった。
最初何もできなかった私は、今では様々な工具や機械を使うことができる。
「僕も手伝うから、卒業してもここへ来て一緒に金属製の機械を作ろう。もっと本格的なやつ」
「はい」
田上さんが本当に作りたそうにしていたので、私は頷いた。
「卒業が決まりました。卒業制作展があるので見に来てもらえますか?」
私は田上さんに礼をしたいと思って、ワインを贈った。
「卒業制作展にはもちろん行くよ。ワインありがとう。今日は誰もいないから臨時休業にして一緒に飲まないか。卒業祝いに」
田上さんはそう言って『田上fab』の入り口を締めた。
『田上fab』の隣に建っているかなり広い家に田上さんは一人で住んでいるという。
「今ピザを頼んだから。後は、親が送ってきたきゅうりとトマトを切ってサラダを作ろう。チーズと生ハムもあったはずだ」
台所は思った以上に綺麗だった。
大きなダイニングテーブルに真っ白いクロスを被せると、豪華な雰囲気になる。
ワイングラスが用意され、生ハムとチーズ、スライスしたきゅうりとトマトが並べられる。
しばらくするとビザが届けられた。フライドチキンとフライドポテトも一緒だった。
「卒業、おめでとう。乾杯」
田上さんがワイングラスを合わせる。
「ありがとう」
私は真っ赤なワインを口に含んだ。
「卒業後もこの街の会社に就職することになったのですが、今住んでいる所が学生用のマンションなので卒業したら出ていかなくてはならないのです」
卒業制作で忙しくて、住む所まで手が回らなかった。これから住むところを探して、引っ越しの用意をしなければならない。
卒業式の予約も必要だし、結構忙しい
「この家、結構広いけど良かったら一部屋貸すよ。使ってない工場の棟もあるからアトリエにしてもいいぞ」
確かにこの家は一人住まいにしては広い。
「御飯もさ、こんな風に一緒に食べたら美味いし、食費も削減できると思うんだ」
確かに広いリビングで食べる食事は美味しいし、台所も広いから、色々なものが作れそう。
「僕は電気工事士の免許を持っているからとても便利だぞ。それに、『田上fab』の機械も使い放題にする」
それは魅力的かもしれない。
「いくらで貸してもらえるのですか? 食事を一緒にするのならば食費についても決めておかなければなりませんね」
田上さんが息を呑みこんだ。
「ずっとここにいてくれるのならば、無料でいいけど」
田上さんはためらいながらそう言った。
「もしかして、報酬は私の体とかですか」
いくらなんでも無料はありえない。美味しすぎる話には裏があるに決まっている。
「ち、違う。プロポーズのつもりだったけど急ぎすぎた。ごめん。二階にはトイレもあるし部屋には鍵をつける。シェアハウスと思って住んでみないか。食費込み五万円でどうかな。ただし、料理は当番制で担当してもらう」
田上さんは真っ赤になって否定した。
こうして私は広いアトリエと広い部屋を手に入れた。
恋人も手に入れるかもしれない。