真夏の昼の陽炎の如く
キーンコーンカーンコーン
「ねぇねぇ、《ヴァイス・シルム》って女がいるの知ってる?」
「ヴァイス?なに?」
「《ヴァイス・シルム》――《白い傘》って意味なんだけどね。これ、男の子のたちには内緒よ?」
「うん」
「噂で聞いたんだけどね――
その女を色で表現するなら白……。
そして――、
コツコツコツコツ――
夏のうだるような暑さの昼下がり、逃げ水が浮かぶアスファルトの黒に、一つだけ絵の具を落としたような白がある。
この世に厳密な白は存在しない。
白は別の色を映してしまうからだ。
ただ、そこにある白は、この世界に存在する、唯一無二の純白であるかのように歩いていた。
「北島実さん?」
「あん?」
どこの町でもみかけるような、路上でたむろする若者の集団。
その中の一人が、突如名前を呼ばれて振り返る。
「うっ!」
若者は思わず声を上げてしまった。
そこに立っていたのは、
真っ白い日傘を差し、
真っ白いワンピースを着た、
真っ白い肌をした女。
夏なのだ。そんな姿の女性などいくらでもいる。
ただ、その女に限っては、別世界から現れたかのような印象を持たずにはいられない。
顔は日傘の陰で見えなかったのだが、
「ごきげんよう」
女は傘を申し訳程度に上げると、若者に優しく微笑みかけた。
「――――」
若者はその女の美しさに息を呑む。
若者の後ろにいた連れたちは、口笛を鳴らしたり、『上玉じゃん』などと囃し立てたりしていたが、若者は声を出すのもはばかれるほど、その女性に魅了されていた。
「少し、二人でお話をしたいのですがよろしいでしょうか?」
「あっああ」
若者が慌てたように頷くと、女は再び日傘で顔を隠して振り返り、歩き出した。
若者はそれに続く。
しばらく無言で歩いていたが、若者が痺れを切らしたように女に問いかける。
「なぁ、どっかであったことあったけ?」
「いえ、初対面です」
女は振り返らずにしっとりとした声で応じた。
「ふ〜ん。で、なんの用なんだ?」
「…………」
女はその問いには応えなかった。
「はい、シカトですか。ああ、しかし、みごとなまでに白って感じだな、あんた。ただでさえ肌が白いんだから、もっとオレンジとかピンクとか着たほうが似合うと思うぜ」
「…………」
女は黙ってビルとビルの間の狭い道へと入っていく。
そこは道と呼ぶより、隙間っと呼んだ方がしっくりくるかもしれない。
ビルの陰になって、そこには真夏の日差しも進入を阻まれていた。
女は若者に背を向けたまま、優雅な動作で日傘を閉じる。
「なるぅ〜。そういうことね」
若者はにやにやしながら言った。
そして、女に後ろから抱きついた。
「そうなら、そうと初めから言ってくれりゃあいいのによ」
女の胸を掴もうとした瞬間、
グシュ――
「うぎゃあぁぁぁ!!」
若者は絶叫を上げる。
下半身に激痛が走ったからだ。
目を向けると、自分の腿に日傘が突き刺さっていた。
自身の血が、真っ白い日傘の布地をじわじわと侵食していく。
若者は後退するような格好で、後ろに倒れこんだ。
その拍子で日傘が腿から抜けた。
「うぐぅ――何すんだ、てめぇ」
若者は痛みで声を震わせながら、女に血走った目を向ける。
女はゆっくりとした動作で振り返ると、男を見下ろした。
何の感情も存在しないと、自身が身に着けている白と同じような表情で。
「北島実……20××年・8月20日・22:15分、
当時女子高生だった○○○○さんを公園に強引に連れ込み暴行した罪で粛清します」
それは機械がしゃべっているかのような、抑揚のない声で告げられた。
「なんでっ!!」
その女子高生は翌日自殺し、事件は発覚することなく藪の中に葬られたはずだった。
「…………」
女は答えない。その代わりに、
グシュ――
日傘の先端が若者の、目玉を抉る。
グシュ――グシュ――グシュ――
無表情で繰り出される女の猛攻。
返り血が、純白を深紅に染める。
若者がもがき苦しみながら絶命したのを確認すると、女は日傘をその遺体に添えて、その場から静に姿を消した。
それは、真夏の昼の陽炎の如く。
後に残されたのは見るも無残な男の惨殺死体、
血でできた水溜り、
そして――
真っ赤に染まった白い日傘だけだった……」
「ええっ!!それって四丁目で起きたっ!?」
「そう、その《ヴァイス・シルム》がやったって持ちきりよ!」
「それって、サイコじゃん」
「でも、女性の味方ってもっぱらの噂よ」
「ふ〜ん。でも、なんで白なんだろう。返り血が目立ちそうなのに」
「ああ、それも噂で聞いたんだけどね。どんなゲスでも血だけは美しいものだから、せめてもの慈悲なんですって」
「へぇ〜」
「…………」
「ん?どうかしたの?」
「あっごめん。今日、先帰っててくんない?」
「えっ?まぁいいけど……」
「ごめんね。ちょっと用事できちゃって」
「うん。じゃあね」
「ばいばい。
……ふぅ――。
また、傘買ってこなきゃ」
黒くて汚い粛清されるべき人生たち――その最後くらいは、白と赤で美しく……。