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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第八章「真夜中過ぎのシンデレラ」Aschenputtel nach Mitternacht.
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8-8

 新幹線の車内では、奇妙な光景が見られた。

 三列シートに並んで座った制服姿の女子高校生が、髪の毛を抜き合っているのである。

「あいたっ。伽那(かな)、もっと優しく抜いてよ」

「え~、優しくなんて無理だよ。――はい、詩都香(しずか)

「うん。――いたっ。魅咲(みさき)こそ痛いじゃない」

 もちろん、高原詩都香、相川魅咲、一条伽那の三人だ。

 伽那が魅咲の髪の毛を、魅咲が詩都香の髪の毛を抜き、詩都香はそれを一本ずつ結びつけている。

「こうして見ると、二人ともやっぱり髪長いねえ」

 ひとりだけ抜かれずに済んでいる伽那が、魅咲の髪を探りながら、詩都香の手元に目を遣る。

「これ役に立つの?」

 と魅咲。トレードマークのサイドテールは解かれ、滅多に見られない髪下ろしバージョンである。

「たぶん」

「たぶんて。あたしの髪の毛をこんなに犠牲にして、無駄でした、はヤだよ?」

「ほんの五十本じゃない」

「ていうか、詩都香って器用だよねえ。こんなに細い髪の毛を、よく次々と手際よく結べるなぁ。あ、わたしの髪の毛も使っていいんだよ?」

「あんたのはあんまり長くないし、結ぶ手間がかかるだけだわ。魅咲の髪の毛ももっとストレートなら結びやすいんだけどな」

「なんと、ここに来てあたしの髪質に文句ですか。――いたっ。伽那、その辺さっきも抜かれた。別の所にして。ハゲちゃう」

「魅咲の髪は少~しクセがあるから、根元が見極めづらいんだよねぇ」

「伽那まで。もうっ!」

「いだぁっ! 魅咲、二本抜けた、二本!」

 そうやって抜かれた髪の毛を結びながら、詩都香はテーブルの上に広げたコピー用紙にときおり目を落とした。ノエシスの持ってきた資料の中には、そのとき行われていた研究の概要も含まれていたのである。

 魅咲の髪を引っ張りながら、伽那が覗き込んできた。英語で書かれているので、ハナから読む気はないらしい。

「わかった?」

「うん、まあ、ぼちぼち。今の高嵜研究所の研究は、わたしが考えてたのとはちょっと違うみたい。これは、〈モナドの窓〉を外から開かせる装置だ」

「できるの、そんなこと? いてっ」

「できるのかもしれない。魔術師の脳の動きを電気信号と既存の魔法道具で再現してる。被験者は〈カイム〉――「芽」って意味ね――と呼ばれるカプセルに入り、そこで〈モナドの窓〉を開かされる。――ぃたっ」

 話の切れ目を見計らうように髪を抜かれた。

 受けとった髪の毛を結び合わせつつ、詩都香は続けた。

「問題はこっち、〈ブルーメ〉――「花」。この巨大な装置は、〈カイム〉から魔力を供給され、外からの操作で魔法を行使するためのもの」

「つまり、魔術師のやることを機械で再現しようとしているわけか」

 魅咲が腕組みした。

「うん。……これはヤバい研究だ。〈リーガ〉の上層部にバレたら、本当に取り返しがつかないかもしれない」

 魔法技術の隠蔽を自らの事とする〈リーガ〉にとって、この研究は認められないもののはずだ。事実、研究概要の最後には、「不承認」という東京法官のものと思われる判が捺してある。

「それを敢えてやらせてる奴がいるってことか。やっぱり相当上の方なんだろうね」

「おそらくノエシスの勘は当たってる。選挙侯クラスじゃないと、とてもこんな研究の援助はできない。“人工半魔族”なんかよりはるかにヤバい」

「でも待って。詩都香はさっき、被験者は死んじゃうって」

「うん、それなんだけどね。被験者に無理矢理〈モナドの窓〉を開かせたりしたら、起こる問題は何だと思う?」

「起こる問題?」

 伽那はきょとんとする。

「あ、〈フィルター〉! ――てっ」

 魅咲が声を上げる。先を越された伽那は悔しそうに魅咲の髪を抜いた。

「そう。〈カイム〉の中に入った被験者は、魔術師じゃないから〈モナドの窓〉を自分で制御することができない。彼女は開放率百パーセントの〈モナドの窓〉を開きっぱなしになる。しかも〈フィルター〉をかけることもできない」

「百パーセント……。詩都香、あんたはそれができるんだよね? そのときの〈不純物〉の割合って」

 〈モナドの窓〉を開き、異界の混沌、すなわち宇宙を創造できなかった可能態(デュナミス)を取り込み、魔力とするのが魔術師の本領である。

 しかし、この混沌の中には、〈不純物〉と呼ばれる異界の現実態(エネルゲイア)が含まれている。〈不純物〉はこの世界の生き物にとっては猛毒に等しい。取り込みすぎれば存在が保てなくなる。

 そして異界の混沌に含まれる〈不純物〉の割合は、〈モナドの窓〉の開放率に比例して増大する。だから魔術師は、〈モナドの窓〉を絞り込んでできるだけ〈不純物〉を取り込まないようにしながら、さらに〈フィルター〉をかけて〈不純物〉をシャットアウトしようとする。

 詩都香はこの〈不純物〉を丸ごと魔力に精製する特殊な才能を持っていた。もっとも、自分の意志ではなかなか発揮できないのが難点であるが。

「体感で半分弱。四十五パーセントくらいかな。〈モナドの窓〉の大きさと〈器〉の容量にもよるけど、これじゃすぐに死んじゃう。数秒もつかどうか」

「そんな。それじゃあ最初から失敗するのがわかってるじゃない」

 伽那も魅咲の髪を探る手を止めた。

「〈ブルーメ〉が〈器〉の役目を肩代わりする。被験者の魔力も〈不純物〉も、そっちに流れ込む仕組みになってるみたい。でも問題は、それにわずかなタイムラグがあるってこと。この資料が書かれた時点では二十秒。その間、被験者は自分の〈器〉に魔力と〈不純物〉を溜め込まなくちゃいけない」

「二十秒……。絶対無理だ」

「今はもっと短くできているのかもしれないけど、やっぱり一番の壁はここね。『今後の技術的課題ネクスト・テクニカル・タスクス』って書いてある。①〈カイム〉の起動と〈ブルーメ〉による魔力吸入の時間差の短縮。②〈モナドの窓〉の開放率の制御。③人為的手段によるフィルタリング」

「それがどこまで改善できてるのかわからないけど、どのみち涼子は危ないってことだね」

 そう言って、魅咲がぎゅっと拳を握りしめた。

「その上、成功しても問題が。莫大な量の異界の混沌は、結局被験者の魂を通って〈ブルーメ〉に抜けていく。何も影響が無いはずがない。死にはしなくても、そのうち精神がやられる」

 熟達した魔術師でさえ、常時〈モナドの窓〉を開きっぱなしにしないのはこのためである。

「ひどい……」

 伽那が唇を噛んだ。

「実験が始まる前に涼子を助けないとね」

 魅咲は硬い顔でそう言うと、詩都香の髪をぐいと引っ張った。

「いったぁ! 三本くらい抜けたでしょ、今!」

 他の乗客から見れば、本当に意味のわからない女子高校生たちだったことだろう。



※※※

 高嵜(たかさき)研究所には、二種類の所員がいる。

 片方は古参で、人工半魔族生成試験体の誕生以前や、養育期間中に採用された所員である。

 もう一方は最近になって入ってきた若い所員で、こちらは新所長である簑田(みのた)の子飼いという性格が強い。簑田も自分の人望の無さを自覚しているのであろう、息のかかった所員を増やし、勢力図を塗り替えようとしているわけである。

 その新入の所員たちが、今回は頑張っていた。

 伊吹(いぶき)の予想を超える速さで〈カイム〉を調整し、半魔族生成試験体九号“クルミ”に最適化。クルミの投降から二十時間足らずで、実験の開始まで漕ぎつけていた。

 彼らは古参の所員とは違う。試験体たちに対する思い入れはほとんどない。それゆえ、所長の命令一下、休む間もなく作業に没頭できるのだ。

 そんな彼らのてきぱきとした仕事ぶりを、古参の所員たちは、もちろんそれぞれに自分の作業をこなしつつも、複雑な想いで眺めていた。

 なぜこんな残酷なことができるのか。これが最後の娘なんだぞ。

 込み上げてくるそんな思念を、彼らは結局飲み込む。

 もう八人、同じように犠牲にしているのだ。新参たちを責めることができるほど、倫理的な優位に立っているわけではない。いや、むしろ思い入れが深かった分だけ罪もより深いと言える。

 最後の実験の準備は、あっけなく終わった。

 そわそわと浮足立つ所員たちから離れて、伊吹はクルミこと涼子の部屋に向かった。

 その背にいくつもの視線が突き刺さるのを感じながら。

 涼子にあてがわれた部屋ドアは、中からは開かない。錠は電子式で、たとえ念動力(テレキネシス)を使っても脱出は不可能。窓はない。

「入るよ、クルミ」

 そう声をかけて、伊吹はドアを開いた。

 涼子はベッドに腰かけていた。すでに実験用の衣服への着替えは済んでいる。

「もう時間?」

 その態度に、特段の緊張は見られなかった。

 だが、伊吹はそれを額面通りに受けとったりはしない。あの高原詩都香という少女と話してからはなおさらだ。

「クルミ……」

 正面に立って声をかけると、涼子は目を逸らした。

「やめてよ。いまさら言い訳していい人ぶらないで」

「…………」

 かけるべき言葉の見つからない伊吹は、ベッドの傍らに設けられた各種機器のディスプレイに表示されたバイタルデータをチェックした。

「少し疲れているのか?」

「筋肉痛」

 涼子はそう答え、ふくらはぎの辺りを揉んだ。

「正直あまり実験向きの調子じゃないかも」

 言われて伊吹は、機器の示すデータをより詳細に確認した。

 が、実験中止の判断を下すほどではなかった。

 だいいち、簑田がそれを認めるはずがない。

「……クルミ、少し変わったか?」

 伊吹はそう話題を転じた。

 彼の知る“クルミ”は、もっと内向的でおとなしい性格をしていて、他の娘たちからは妹のように可愛がられていた。

 それがずいぶんはっきりと自分の意志を口にするようになったものだ。

「かもね」

「芸能界で揉まれたか」

「いつまでも“クルミ”じゃいられないってことだよ」

 その言葉に拒絶の意志を聞き取り、伊吹は唇を結んだ。

 涼子も何も言わず、静寂の中で確認作業が進んだ。とはいえ、もうすることは残っていない。最初からもう一度チェックすることにした。

 伊吹の心情になど頓着せず、時計は進む。引き伸ばしにも限度がある。

 やがて、

「時間だ」

 伊吹はそう告げて涼子を振り返った。

 涼子はひとつ頷いて立ち上がった。

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