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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第一章「ネズミ捕り娘はピアノを弾く」Die klavierspielende Rattenfängerin.
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1-7

「切り過ぎだったら言ってね?」

「大丈夫。任せる。——ところでさ」

 詩都香(しずか)は鋏の動きの邪魔にならないよう、頭を動かすことなく視線だけを下に向ける。

「ずいぶんと色々な新聞とってるんだね」

「ああ、う、ん」

 鋏を優先してか、変なリズムで返事をする涼子。

 床に敷き詰められているのは地元紙の夕刊だったが、その他にも三大紙にブロック紙、さらには品がいいとは言いがたいスポーツ新聞の類まで、高校生が一人暮らしする部屋とは思えないほど多種多様な新聞が、涼子の部屋には置いてあった。

「全部読んでるの?」

「全部じゃ、ないけど。一面と経済、国際、と社会、面、と地域、面。あと、芸能と、スポーツ」

 手を止めてもいいだろうに、あくまでも詩都香の髪を切ることに集中する涼子。

 だいたい全部じゃないか、と詩都香は少し呆れた。

「アナウンサーになりたいとか?」

 詩都香は思いつきを口にする。

 涼子ほど容姿と声質に恵まれていれば、しかるべき学歴コースに乗ってしかるべき訓練を積んだら行けるのではないか、と思った。

 だが涼子は、視線を逸らすことなく首だけをつつ、と小さくを振る。

「詩都香って、テレビ、とか、視ない、人?」

 思ってもみなかった質問を返されて、詩都香はしばし返答に窮した。

 いわゆるオタク娘である詩都香は、テレビの液晶画面に向かっている時間そのものは決して短くはない。

 しかしながら世間で言う“テレビ”を視ている方かと問われれば、かなり怪しい。

 概して言えば、視るのは朝晩のニュースと、気になる作品がかかったときの映画番組、それにほんのわずかなスポーツ。他はアニメだ。残余の時間、詩都香の部屋のテレビはDVDやブルーレイディスクの再生機器と化す。

 おそらく、ドラマやバラエティを見ている割合は、この年頃の女子としては最低の部類だろう。

「……そうね。たぶん、テレビほとんど視ない人」

 詩都香は正直に答えた。

 涼子は納得、と言うように何度も頷いてから、鋏を進めた。

「はい、あらかた終わったよ。ていうか、これ以上は怖くて無理」

 詩都香の裸の肩を、涼子がぽんと叩いた。

「ん」

 立ち上がり、鏡に背を向けて確認してみる。

 髪は腰のやや上辺りで綺麗に切り揃えられていた。

 今度はその中に指を通す。まだ湿り気が残る髪の先端まで指をくぐらせても、あの汚らしい感触はなかった。

「うん、大丈夫。ていうか上手だね。これなら美容室行かなくても済むかな」

「いや、そこは行っとこうよ」

 苦笑する涼子は右手をしきりにぷらぷらさせている。緊張で強張っていたらしい。

「ありがとう、涼子」

 人見知りを自覚する詩都香自身意外なことに、涼子を呼び捨てにすることにもうほとんど抵抗がなかった。

「どういたしまして。服は用意してあるから。タクシー呼ぶ?」

 椅子を脱衣所の片隅に押しやった涼子が、新聞紙をまとめる詩都香に尋ねた。

「あ、お願い」

 さきほどの電話で琉斗には「ユキさんに車で送ってもらう」などと説明したが、もちろんこんな時間に呼び出して家まで乗せていってもらうわけにもいかない。バスはもうほとんど残っていないし、電車には乗りたくなかった。

 後片付けを終えてから、涼子は車を回してもらうためにタクシー会社に電話をした。よく利用しているのか、詳しい道順を説明するまでもなく二言三言で済んだ。「女性の運転手さんの車をお願いします」と最後に付け加えるその気遣いに、詩都香は少し感激してしまった。

 通話を終えた涼子は、「この時間だと女性運転手が少ないから少し時間かかるってさ」と言い置いて、いったん脱衣所を出ていった。

 そして——

「どっちがいい?」

 戻ってきた彼女は、ふた組の服を手にしていた。

「えぇ……?」

 詩都香は困惑する。

 片方はいたる所にフリルがあしらわれたちょっとありえないオレンジのドレス。こんなものを日常で着られるのはどこぞのこけしくらいだ、と詩都香は思ってしまう。

 もう片方は、いわゆるゴスロリ系。黒で統一され、背中は編上げ。露出度は低いが、袖を通すのに勇気が要るのは同様だ。薔薇のコサージュが標準装備になっている服など着たことがない。

「……コスプレ?」

「失礼な。れっきとした私服だっての」

「普段そういうの着てるの?」

「いや、全然。余ってたから」

 などと涼しい顔をして言ってのける涼子。

 どうしてそんな服を所有していて、しかも余らせてしまうのか。

「もっと大人しいのない? 予備の部屋着とかでもいいから」

「だーめ。詩都香に合うと思って選んできたんだから」

 なぜかここに来て急に押しの強くなった涼子に逆らえず、

「じゃあ……、そっちの黒い方で」

 と、ゴスロリ服の方を指差してしまう詩都香だった。


 脱衣所で悪戦苦闘の末に着替えを終え、リビングに入った詩都香を、パシャッと小気味のいい合成シャッター音が出迎えた。

 思わずそちらに目を遣った瞬間、もう一度。

「ちょっと、なに撮ってんの」

「いいじゃない。詩都香ってそういうの着なさそうだし、記念にね」

 大ぶりの一眼レフの向こうから、涼子が悪びれることなく笑顔を覗かせる。「——って、あーっ。ちゃんとヘッドドレスも着けてよ」

 そんな文句を無視して涼子のもとに歩み寄った詩都香は、そのカメラに目を丸くした。

「すごいカメラね」

「あ、わかるの?」

 フルサイズのフラッグシップ機。レンズも純正。35ミリで開放F値1.4。

「詳しくはないけど、少しは」

 単焦点の35ミリは、一本だけ持つレンズとしては若干中途半端だ。他にもレンズを揃えているとすれば、ボディと合わせて相当な価格になるだろう。

 こんなマンションに一人暮らししていることもそうだが、どうやら涼子は経済的にかなり恵まれた家庭の子女であるらしい。

「あはっ、よく撮れてる!」

 涼子が歓声を上げた。

 背面のディスプレイを覗き込んでみると、たしかによく撮れていた。

 ノブに手をかけたゴスロリ姿の詩都香の全身が、余すところなく記録されている。一枚目では恥ずかしそうに顔を俯かせているが、二枚目ではレンズに気づいて視線を向けた瞬間の、豆鉄砲を食らった鳩のような間抜けヅラも鮮明だ。

「……いい腕してるじゃない」

 半分以上憤慨を込めてそう言ったのだが、涼子は額面通りに受け取ったようだ。

「いやー、たまたまだよ。使い方よくわからないんだ」

「よくわかんないのに買ったの?」

 詩都香は口を半開きにしてしまう。同じ機種を使っているプロやハイアマチュアが聞いたら天を仰いで嘆きそうだ。

「ううん、貰いもの。写真が趣味だって言ったらね」

 それでこんなものを貰えてしまうとは、いったいどんな足長おじさんがついているのだろう。

「写真、趣味なの?」

「そこそこ。デジカメ持ち歩いたりはしてるよ。今使ってるのもこれと同じくらいの画素数だし、まあ捨てたもんじゃないかな」

「ああ、画素数」と詩都香は頭を上下に小さく動かす。そのレベルか。

「それでさ、ここ。ISOってのはなに?」

「感度。倍になるごとに一段上がる。……ていうか、カメラ任せでいいと思うよ。涼子のレベルで余計なことするよりも」

「うわ、ゴスロリにバカにされた」

「あんたが着せたんでしょうが!」

 二人は声を上げて笑った。まるで古くからの友人同士であるかのように。

「じゃあさ、じゃあさ、こっちのレンズのマクロってのは?」

 涼子は傍に置いてあったカメラバッグから、少し長めのレンズを取り出した。

 100ミリ前後のマクロレンズ。

「これも十万くらいするヤツだ……。ええと、これは被写体を等倍に撮れるレンズ」

「等倍?」

「まあいいや。その内説明してあげる。ていうか、せっかくのいいレンズなんだから、バッグに入れっぱなしはダメだよ。ドライボックスとかに保管しておかないと、いつかカビが生えちゃう」

「カビ生えるんだ。わかった、今度買うよ。それじゃあ、今この場で写真撮るにはどんな設定にすればいい?」

「だからカメラ任せでいいって。……そうね、明るめの室内だからEV値は六くらいで、手ブレ補正もあるからシャッター遅めでいけるし、ISO400だと……」

 涼子からカメラを受け取り、露出をマニュアルにして設定してやる。

「こんなもんかな。わたしなんかがやるよりも絶対カメラ任せの方が精確だと思うけど」

 最新のハイエンド機だけに、どう操作していいのかわからない部分も多い。

「ありがと。どれどれ?」

 詩都香がカメラを返すと、涼子はシャッターボタンに指をかけて一歩下がった。

 ——パシャッ。

「……だからなんでわたしを撮る」

「おー、いい感じ。後ろがボケてる。でも表情が硬いな。やっぱこのカメラじゃ威圧感あるか。それにこれってフラッシュついてないから少し不便なのよね」

 涼子はとんでもないことを言いながらカメラバッグに一眼レフをしまうと、テーブルの上に置いてあったコンパクトなデジタルカメラに持ち替え、詩都香を手招きした。

「一緒に撮ろうよ、詩都香」


 タクシーが到着した。

 涼子は運賃をも手渡そうとしたが、詩都香はさすがにそれは謝絶し、見送りに出てきた涼子に何度も頭を下げてから、車に乗り込んだ。

「河合さんのお仲間さんですか?」

 服装が恥ずかしくて俯いた詩都香に、中年の女性運転手がルームミラーを覗きながら尋ねてきた。

「仲間っていうか、友達です……」

 知り合って間もないのに「友達」という言葉がすんなりと出てきたことを、もはや意外に思うこともなかった。

 詩都香は携帯電話のディスプレイに目を落とした。

 交換したばかりの涼子の連絡先がバックライトに乗って顔を照らした。それから再度操作し、画像アプリを立ち上げる。

「もっと愛想のいい顔できないのかな」

 半ば押しつけられるようにデータを送られた涼子とのツーショット写真。満開の笑顔の涼子の隣で硬さの残る微苦笑を浮かべた自分の顔を確認し、詩都香は嘆息した。


 帰宅すると、弟の琉斗はもう眠っているようだった。

 足音を殺して私室に向かいながら、この服装を見られなくてよかった、と詩都香は胸を撫で下ろした。

 不運な一日にあって、二番目の幸運かもしれない。

 ——一番はもちろん、涼子に出会ったことだ。

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