8-4
※※※
文芸部は今日も活動があった。午前の活動を終え、今は昼休み中。
一条伽那は、ユキが作ってくれたお弁当を食べている最中に、電話を受け取った。
「ユキさん? どうしたの? ――あ、お弁当にデザート入れ忘れた件でしょ」
電話の主はユキだった。
『何を言っているんですか。デザートは別にしたので忘れずに持っていってくださいって言ったのに、忘れたんですか?』
伽那は固まった。言われてみれば、そんな話があった気がする。ただ、朝のドラマに夢中で聞き流してしまっていたのだ。
「……ちなみに何だったの?」
『伽那の好きなアップルパイです。いい紅玉が手に入ったので』
「あ~~~~」
電話をしながら頭を抱える伽那に、部室内の視線が集まる。
『それでですね、伽那――』
「アップルパイ、まだ残ってる?」
『……ありますよ。帰ったら食べてください。ですがその前に話があります』
ああ、と伽那は思い出した。そういえばユキからわざわざ電話をかけてきたのだ。
「何?」
『話の前に、ちょっと人払いを』
「人払いて」
ユキはこうしてときどきズレた感覚を発揮する。
伽那は周囲に向かって小さく手を上げながら、部室を後にした。
文化部棟の階段を上り、屋上に出る。少し前まで演劇部が発声練習をしていたが、彼女らも昼食を摂りに行ったものと見え、無人だった。
「もしもし? もう大丈夫だよ。で、話って? あ、三鷹くんの入院のこと?」
『……あのね、伽那。私は前から何度も言ってますよね? 勝手に突っ走るその癖は改めて、もう少し落ち着きを身につけなさいって』
「あ、違った? ていうかお説教の電話?」
『あなたが余計なことを言うからです。――さっき、高原さんと電話で話をしました』
「あー、詩都香。そういえば昨日の早退何だったんだろう」
『トラブルに巻き込まれているようです。それも、魔法がらみの』
「魔法……」
ユキのそのひとことで、体に緊張が走った。
『本当はご本人が連絡したかったそうですが、私が代わりに引き受けました。伽那、高原さんが助けを求めています。魔術師としてのあなたに』
「助け!?」
驚いた。その剣呑な響きにも、詩都香が伽那に助けを求めているという事実にも。
「詩都香は無事なの?」
『今は無事です。ですが、かなり厄介で危険な相手のようです。一人では勝ち目がない、と』
「……どうして詩都香はユキさんに?」
『高原さんは私に約束してくれていました。伽那を守る、と。しかし今回は違います。伽那には関係のない話です。それなのに伽那を危険に巻き込んでしまう……そのことに高原さんは苦悩しています。だから私にまず話を通してくれたのでしょう。――伽那、どうしますか?』
「どうって?」
『この話、断りましょうか?』
「何を馬鹿なことを」
伽那は鼻で笑ってしまった。
『さっきも言いましたが、相手は相当危険なようですよ?』
「それは怖いけどねぇ。でも、そんなの関係ないでしょ。あの詩都香がわたしに助けを求めてるんだよ? ずっとわたしを守ってくれてた詩都香が。ここで力になってやらないと、わたしは詩都香から守ってもらう価値がなくなる」
『……伽那ならそう言うと思いました』
ユキの声にはわずかに喜色が交じっていた。伽那はそれを意外に思った。
以前のユキならば、伽那を危険な場所に送り出すことなど絶対にありえなかった。それどころか、厄介事を持ち込んでくる相手がいたら排除していたかもしれない。
「ユキさん……少し変わった?」
『かもしれません。……最近少し思うようになってきたのです。私は伽那の育て方を間違っていなかったのではないか、と』
「ちょっと。いなかったのではないかって、それじゃわたしは今まで失敗作って思われてたってこと?」
『いえいえ、滅相もない。――伽那、もういちど訊きますが、覚悟はできているのですね? 今までとは違う、誰も守ってくれない戦いなのですよ?』
「やるよ。ユキさんの心配もわかるけどね。でもねえ、わたし、今すっごく嬉しいんだよ? やっとこの力を、詩都香のために使えるんだもん」
詩都香と魅咲とチームを組んで戦っていても、伽那は二人と並んでいるとは言いがたかった。二人にとって伽那は、ずっと護衛の対象だったのだ。
それがやっと……。
嬉しい。
トラブルに巻き込まれたという詩都香には悪いが、武者震いが出そうなほど嬉しい。
今にも〈モナドの窓〉が――
「あっ」
我に返ると、昂ぶりのあまり迸り出た力が、近くのフェンスを引き裂いていた。
「……ユキさん、ごめん。ちょっと学校の文化部棟のフェンス破っちゃった。先生に見つかったら屋上が立ち入り禁止になっちゃうかもしれないからさ、こっそり直しておいて」
『……あのね、伽那。私は前から何度も言ってますよね?』
「お説教は今度。わたしはどこに行けばいい?」
はあ、とユキは聞えよがしな溜息をひとつ挟んだ。
『ひとまず高原さんのお家に』
※※※
詩都香はエプロンをつけてキッチンに立っていた。
昨日の朝から何も食べていないのに、体はほとんど食欲を訴えてこなかった。
(ま、昨日あんな目に遭ったばかりだしね)
胃をいたわるために、消化の良さそうなうどんを茹でることにした。具材を探そうと冷蔵庫を開けると、見覚えのない鶏肉のパックが目についた。
「こんなの買ったっけ? あれ? 豚肉もある」
さらに、タッパーに入った残り物。
「何だ? ……サーモンとオニオンのマリネ?」
いよいよ自分が作ったものではない。
「ご飯も炊いてある。あれぇ?」
詩都香は腕組みして首をかしげた。弟の琉斗が作ったわけはないだろうが、後で聞いてみなくては。
鶏肉とネギと卵を取り出し、うどんをひと玉茹でる。つゆはあっさりめに。
出来上がったうどんを食卓ですすったところ、驚いたことにかえってお腹が空き始めた。
刺激で胃が目覚めたらしい。つまらぬ気遣いなど無用とばかりに、激しく自己を主張する。
「ぐむむむ……。わたしってば、なんでこうなんだ」
ショックを受けた後くらい、何も喉を通らなくなるような繊細な消化器官が欲しい。
しかしそんな乙女の願い事になど委細構わず、胃袋はますますうるさくなる。
なだめすかすのは諦め、詩都香は席を立った。
こうなったらガッツリ食べてやる。せっかくあるんだから肉だ。肉。肉、肉、肉。
料理を終え、盛りつけをしている最中に、チャイムが鳴った。
インターフォンをとると、予想どおり魅咲だった。
『ちーす。来たよ。伽那もいる』
「上がって。鍵かけてないから」
魅咲も伽那も、高原家には何度も来ている。案内せずとも、ダイニングまでやって来た。
「あれ? お料理してたの?」
制服姿の伽那が食卓の上に目を遣った。
「これから昼食」
「唐揚げにトンカツって、あんた相変わらずよく食べるな。呆れるわ」
魅咲も制服に着替えてきていた。
「いや、それはもうさっき自分でやったから。二人は? もう食べた?」
「あたしはうちで食べてきたけど、でも美味しそうだね。少しだけご相伴に与ろうかな」
「わたしはお弁当がまだ残ってる」
こうして三人での昼餉となった。
「あ、そういえば謎のマリネがあるんだけど、食べる?」
「謎のってちょっと怖いな。詩都香が作ったんじゃないんだ?」
「うん、わたしじゃない。なぜか冷蔵庫の中にあった」
冷蔵庫からタッパーを取り出し、取り皿に載せてテーブルの真ん中に置く。
「見た目は、普通だね……」
そう評す伽那だが、なかなか手を出しあぐねているようだ。
仕方なく詩都香が先陣を切ることにする。
「……あ、美味しい」
「どれどれ?」
げんきんなもので、伽那も魅咲も、詩都香の反応を見てやっと箸を伸ばした。
「ほんとだ。美味しい」
「琉斗くんが作ったんじゃない?」
「んなわけないじゃない。琉斗がこんなもの作れるわけないし。ご飯が炊いてあったのだって奇蹟に近いわ。――ま、それは後で本人に訊いてみるとして」
本題に入ろうとした詩都香だが、見れば伽那はまだお弁当を食べていた。相変わらず食べるのが遅い。
詩都香は苦笑してお茶を入れに席を立った。
魅咲はそれを見て、リモコンでテレビのスイッチを入れた。
お湯を沸かしている最中に、魅咲の声が上がった。
「ちょっと、詩都香! ちょっと来て!」
詩都香が戻ると、テレビの報道番組で、涼子の名前が読み上げられていた。
三人はテレビの画面に釘づけになった。
『野上裕也監督の次回作、「惜しみなく愛を奪ふ」への出演が決まっていた人気アイドルの河合涼子さんの無期限休養が発表され――』
「どういうこと? 涼子が休養?」
「あ、そういえば昨日詩都香が言ってたね。涼子さんのところで何かあったって」
見上げる二人の視線の先で、詩都香は頷いた。
「力を貸してほしいってのはね、涼子のことなの」
魅咲と伽那が顔を見合わせた。
「それって、なんかのスキャンダル?」
「違う。それだと伽那の実家にお願いするくらいしか手立てがなくなるでしょう?」
詩都香はいったんキッチンに戻り、沸いたお湯でお茶を入れて戻ってきた。
しかし、魅咲も伽那もカップに手を伸ばさず、詩都香の話の続きを待っていた。
詩都香はひとりだけお茶をすすって腹を決めてから切り出した。
「涼子はね……〈半魔族〉なの。それも、人工の」
二人の顔に驚愕が広がった。
「〈半魔族〉? 涼子が?」
「しかも人工のって……」
二人の反応の落ち着きを見計らって、詩都香は話を続けた。
「ここから先はわたしの推測も入る。涼子はとある研究所で、いわゆる遺伝子操作と体外受精で生まれた、“人工半魔族”の試験体。全部で九人いるという話だった。その最後が涼子」
「なんでそんなことを……」
伽那が悲しげな顔で呟く。彼女は〈半魔族〉として、生まれながらに思い宿命を負わされてきたのである。
「その研究所――タカサキ研究所っていうんだけど、そこは〈リーガ〉の東京支部が極秘に設立したものだったみたい。その最大の目的が、〈半魔族〉を生み出すことだった。――伽那、これはあんたにも関係があることかもしれない。わたしたちは〈リーガ〉が〈半魔族〉を排除しようとしているんだと思ってた。だけど、どうやら話はそう単純じゃない。何か利用価値があるみたいなの」
「利用価値、かぁ……」
伽那は複雑そうだ。
「利用価値……そのために東京支部は極秘に自分で〈半魔族〉を生み出そうとしていたってわけ?」
と、魅咲。
詩都香は頷いた。
「たぶん、東京法官のポイント稼ぎ。世界中で〈半魔族〉を探していた〈リーガ〉の上層部に、自前で用意した〈半魔族〉を差し出そうとしていた」
「セコいおっさんだなぁ。いや、おっさんかどうか知らんけど」
「ところがこの計画は今年に入って中断された」
「どうして?」
伽那が眉をひそめる。
「……あんたが奴らに見つかったからよ。天然物の、正真正銘の〈半魔族〉、一条伽那が」
それを聞いて、伽那は口を変な形に歪めた。
「あ、そうか。伽那さえいれば、危ない橋を渡って“人工半魔族”を差し出さなくてもいいんだ」
魅咲が納得顔でポンと手を打った。
「困ったのはタカサキ研究所。いきなり研究事業の中核がなくなり、東京支部からもたぶんこの前後に切られた。手元に残ったのは、九人の“人工半魔族”の娘と、〈リーガ〉から供与されていた魔法の技術。そこで、並行して続けていた他の研究を新たな軸に据えた」
「他の研究って?」
「それがよくわからないんだけど、どうも魔術師の精錬する魔力を一般のエネルギーにする研究か何かだと思う。ただ、組み上げられた装置には未解決の欠点があった。これも詳しくはわからない。実験は一度も成功していない。被験者は……死んじゃうみたい」
「死んじゃうみたいって、まさかその被験者ってのは……」
詩都香は重々しく頷いた。
「そう、価値のなくなってしまった九人の娘たち」
「ひっどおい! 自分たちで生んでおいて!」
伽那が珍しく怒声を上げた。
「その実験が始まる前に、危険を察知した涼子と仲間たちは協力して逃げ出した。簡単な念動力くらいは使えたから、なんとかなった、って。外の世界でも生きていけるだけの教育は受けていたけど、それでも過酷な逃亡生活の中で、涼子と他の仲間たちはバラバラにはぐれてしまった。そんなある日、涼子に声をかけたのが今の事務所の社長さん。涼子をひと目見て惚れ込んだ社長さんは、それからしばらく探し回っていたそうよ」
「それでアイドルになったってことか。……あれ? でもなんでアイドルに?」
自分の口にした言葉に疑問を呈する伽那。
「涼子はこれまでの経緯をすべて社長さんに話した。隠し事をしながら逃げ続けるのにはもう疲れ果てていた。念動力なんかを見せて、自分の言葉の信憑性を裏づけした。まあ、社長さんが全部信じたかは知らないけどね」
おそらく、すべてを信じたわけではないだろう、と詩都香は考える。人身売買の組織か何かから逃げてきたと思われたのかもしれない。
※※※
あの日から、楽園での生活が始まった――
ベッドに寝転んだ河合涼子は、ぼんやりと思い出していた。
五月のあの日。事務所の社長に声をかけられたときから。
社長は涼子の話をどこまで信じていたのだろうか。それでも、二人の間にはたしかに信頼関係があった。
あの提案……涼子が考えもしなかった未来への扉。
「そんなおっかない組織に狙われてるんだったら、どう? いっそのこと、逃げ隠れするのはやめにして、日本中誰もが知る人間になってみたら? うちでアイドルやってみない?」
なんという発想だったろう。
たしかに〈リーガ〉は、表立って動くことを好まない。裏から手を回すことに終始している。
そして涼子が家出少女同然に逃げ回っている限り、いつか〈リーガ〉は彼女を捉える。
その上、逃亡生活に疲れ切っていた。これ以上逃げ回るのは難しい。
涼子はその扉を開いた。
こうして、クルミこと〈半魔族〉生成試験体九号は、アイドル河合涼子に生まれ変わったのである。




