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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第七章「黒髪のラプンツェル」Die schwarzhaarige Rapunzel.
81/114

7-22

※※※

 入ってきたのはジャックだった。

 彼にはさっき両手の指の爪を全部剥がされた。

 ベッドに拘束された詩都香(しずか)を一瞥したジャックは、足元の方に回った。その手には、数十本のまち針が入ったケースとハサミ。

 今度は足の爪ということなのだろう。

 無表情を貫いているが、彼は彼で恨みのある相手である詩都香を(彼女からすれば逆恨みもいいところなのだが)痛めつける悦びを感じているに違いない。そうでなかったら、アンジェラに任せておけばいいのだ。アンジェラなら嬉々としてジャックの分も詩都香を拷問するだろう。

 引きずった椅子に座ったジャックが、鞭で引き裂かれた紺のソックスに手をかけた。

 傷口を刺激され、詩都香は呻く。ハサミでソックスが切り開かれ両足の指が露出した。

 爪の間に突き立てるため、ジャックはまち針のケースを開けた。

 その瞬間、詩都香は念動力(テレキネシス)を行使した。

 念動力で浮いたまち針が、次々にジャックの顔に突き刺さった。

「ぐあっ!?」

 ジャックが悲鳴を上げた。

(ちっ……!)

 目を狙ったのだが当たらなかった。

 詩都香はさらに念動力を強める。両足を拘束するロープがするりと解けた。さっきからほんの少しずつ緩めておいたのである。

 傷ついた体の最後の力を振り絞り、浮かせた腰をいっぱいにひねってジャックの側頭部に左足で蹴りを叩き込んだ。

 顔を押さえて蹲りかけていたジャックは、足の親指の付け根を頬骨の上に食らい、もんどり打って倒れ込んだ。

(ぶっ倒れてろ、ピンヘッド野郎。三分でいい。三分で開いてやる)

 精神を集中し、〈モナドの窓〉を開く準備に入る。

 〈モナドの窓〉を開いたら、手錠の鎖を切って――

「貴様……」

 ゆらり、と足元でジャックが立ち上がった。

 詩都香は嘆息した。

 力を失った体、不安定な姿勢からの蹴りでジャックを昏倒させられるかは五分五分のつもりだったが、やはり無理があったようだ。

 ジャックの顔から抜けたまち針が、彼の周囲に浮かんだ。

 それらが一斉に詩都香めがけて飛んできた。

「ひあっ……!」

 体中に刺さった針が、同時に鋭痛を伝えてきた。

「殺してやる」

 痛みに硬直した詩都香の両脚を割り開くようにして、ジャックがのしかかってきた。その手が詩都香の喉にかかる。

 顔面から血を流すジャックの、鬼気迫る表情が怖ろしい。

 手に力が籠る。

 首が圧迫され、酸素の供給が断たれた脳が悲鳴を上げた。

 赤い斑点のようなものが視界に浮かび、次第に大きくなっていく。耳の奥がガンガンと鳴り響く。

 血流が停滞する。

 苦しさのあまり酸素を求めて口が大きく開き、舌がせり出してくる。

 もがき、生を求める詩都香だが、それとは別に、頭の片隅ではこうなることがわかっていたような気もしていた。イチかバチかの賭け――それもひどく分が悪い賭け――に出るなんて、自分らしくない。

 耐えられぬ拷問からの逃避だったのだろうか、と少し情けなくも思う。

 だが、そんな悩みも間もなく終わる。

 自分がここで死ねば、ジャックたちの仕事も失敗である。

 混濁していく思考の中、ざまあみろ、と思った。このささやかな復讐心を満たして、彼女は――

「何をしてるんですか!」

 意識を手放す寸前にかかったそんな声とともに、喉の圧迫から解放された。

 詩都香は咳き込み、空気を貪りすすった。

 感覚を取り戻すとともに、頭が痛み出した。

 見れば、ジャックは詩都香の体の上から床に引き倒されていた。その手首には一本の紐が巻きついている。

 詩都香は真っ赤に充血した目でその先を追った。

「殺すなと言われているでしょう!」

 紐はアンジェラの手に繋がっていた。それでやっと、紐ではなく鞭だと気がついた。

 私でさえ我慢しているのに、と言いたげなアンジェラに、立ち上がったジャックは険しい視線を向けた。さらずだに流血で赤い顔が怒りで紅潮し、悪鬼のような形相である。

「こいつ……こいつは、俺をまた馬鹿にしやがって……!」

「少し頭を冷やしなさい、ジャック。この娘には代わりに私がたっぷり思い知らせてやりますから」

 ジャックの憤怒が伝染したかのように、アンジェラも暗い色をたたえた目を吊り上げて詩都香を睨んだ。

 まさかこうなるとは、と詩都香はすくみ上がった。ただでさえ分の悪い賭けだったが、最悪の出目に転がったようだ。

「あなたはこの娘の挑発に引っかかったんですよ。あなたを怒らせてひと思いに死なせてもらおうとでも考えたのでしょう。――お仕置き、覚悟してますね?」

 アンジェラが鞭を鳴らして近づいてくる。

 詩都香の鼓動は胸が張り裂けそうなほど速まる。

 拘束し直すのも面倒とばかり、アンジェラはめちゃくちゃに鞭を振るった。

 一振りごとに詩都香は体を切り裂かれ、そこから生命がこぼれ出していくのを感じた。

「おいおい、私には殺すなと言っておいて」

 呆れたようなジャックの声も、ほとんど耳に入らなかった。

 アンジェラがようやく鞭を振るう手を止めたとき、もはや叫びを上げる力すら失った詩都香は、ボロ雑巾のように横たわったままだった。

「……ああ、やってしまいました。これはちょっとまずいですね。ジャック、三国(みくに)を呼んでください。彼は治癒の魔法が多少使えたはずです」

「ミクニはいない。ここの所員の不始末を処理するために出ていった」

「え? それでは助けようがないではないですか。ミシェルに怒られてしまいます」

「仕方ないさ。悪いのはこいつだ」

 詩都香はぼんやりと片目で二人の遣り取りを眺めていた。右目だけだ。左目はまぶたが腫れ上がって開かなくなっていた。ひょっとすると、眼球そのものも傷ついているのかもしれない。

「……はあ、そうですね。仕方ありません。ま、この子にしても、処女のまま死ぬのは心残りがあるでしょうし、最後に――」

 そのときだった。

「悪い。そりゃナシだ」

 部屋の戸口の方から第三者の声が上がり、室内の視線が一斉にそちらに向かった。

 声の主はミシェルだった。

「なしって、どういうことですか?」

 嗜虐心に水を差されたアンジェラが食ってかかる。

「今しがた、こいつが来たんだよ」

 ミシェルが体をずらすと、その背後に控えていた人物の姿が目に入った。

 サイクルジャージ姿のひとりの少女。

 河合涼子だった。

 今にも泣き出しそうな目が、詩都香に向けられた。

 そして、涼子と目を合わせた瞬間――

 詩都香の精神が弾けた。

「あっ……」

 絶叫したかったが、消耗しきった体がそれについていかなかった。

 詩都香はすべてを思い出した。頭の中で何かが割れるような感覚だった。

 体さえ満足に動かせたら、床を転がっていただろう。

 分断されていたひとつひとつの出来事が、機械仕掛けのように接続され、次いで有機的に血を通わせていく。

「涼子……あんた……」

 記憶の高波にさらわれかけた詩都香の口から出たのは、涼子がここにいる理由を尋ねる言葉でも、彼女の身を案じる言葉でもなかった。

「あんた、よくも……よくもわたしの前に出てこられたわね……」

 暗い怨嗟の言葉だった。

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