7-17
※※※
「自白剤とやらもダメだったみたいだな」
「残念だが……」
伊吹は顔を強張らせて頷いた。
「ま、わかってたことだ。気にすんな。んじゃ、あとはこっちの番だ」
ミシェルが詩都香の両腕の拘束を手早く解き、手錠をかけ直した。
「ひとつ、いや、ふたつ条件がある」
「あん?」
スカートの中を覗き込もうとしながら脚の拘束を解いていたミシェルが、顔を上げる。
「まず、うちの所員がひとり京舞原で警察に拘束されている。なんとかできないか?」
「まあそれくらいならやってやる。三国を遣るさ。あいつはあまり強くはないが、細かい魔法をいろいろ知ってるからな。逃してやって証拠隠滅、それでいいんだろ? もうひとつは?」
「その子を殺すな。クルミの居所を吐いたらすぐに、そうじゃなくても今晩中に帰してやるんだ」
「ほお……。これは魔術師同士の遣り取りだぜ? 一般人の口出しするところじゃないと思うがな」
「ダメだ。さっきここからその子のケータイでメールした。行方不明になったら、警察の捜査もある。ここでケータイを使ったことはすぐにバレるんだ。仕事が終わったら高飛びできるお前たちとは違う。研究所はこの先も続くんだ」
「そりゃこいつを帰しても同じだろう」
「この子は警察には相談できないさ。クルミのこともある。それに、そのつもりがあるなら自分で復讐しに来るだろう」
「はん? そんときゃまた俺たちに戦わせるのか?」
「そのために雇っている」
「雇ったのはあんたじゃない。所長さんだろ?」
「所長は今不在だ。私がここの責任者だ」
伊吹は強く出た。得体の知れない怖ろしい男だが、退くつもりはなかった。
「所長さんが帰ってきたら?」
「そのときはあらためて指示を待つ」
「ふ~ん」
ミシェルはにやにやした顔で伊吹と詩都香に交互に目を遣った。
「お前さんの息子、二人ともこいつと同じ年頃だっけ? 情が移るのもしょうがないか。――でも忘れんなよ、お前は同じ年頃の娘たちを何人も死なせてる鬼畜なんだってな」
彼の言葉は、伊吹の心に浅い波を立てただけだった。その程度のことはとうに自覚している。
一歩も引かない構えで、ミシェルの嬲るような視線を正面から受け止めた。
「……ま、覚えておくさ。勢い余って、ってことでもない限りはな。あと、こいつが勝手に自殺したときもオレたちの責任じゃねーぞ?」
ミシェルは拘束を解かれた詩都香を無理矢理立ち上がらせた。
詩都香は生硬な表情で伊吹の顔を振り返った。
取り返しのつかないことになる前に話すんだ、というつもりで視線を返してやる。
「おっと、オレからもひとつ条件だ」
扉口をくぐりかけたところで、ミシェルが振り返った。
「何だ?」
伊吹は唾を飲み込んで尋ねる。
「“第二”の方、禁煙解除だ。いいな」
そうとだけ言い残し、答えも聞かぬまま、ミシェルは詩都香を連れて部屋から出ていった。
「先輩、ひやひやしましたよ」
船岡がゆっくりと大きな息を吐いた。
「私もだ。だけどやはり、あの子は帰してやらないと……」
「あのメール、ですか」
察しがよかった。ひょっとすると、彼も同じことを感じていたのかもしれない。
伊吹は頷いた。
――ご飯作れなくてごめんね。
生活感にあふれる文面。魔術師とはいえ、彼女には自分たちと同じように待っている家族もいるのだと、あらためて思い知らされた。
「そのために、私たちにもまだできることがある」
伊吹は自分を鼓舞するようにそう宣言して、詩都香のスマートフォンを握り直した。
※※※
詩都香が連れ込まれた部屋には「第二医学処置室」というプレートが掲げられていた。
“第一”と隣り合っているわけではなく、ずいぶん奥まったところにあった。
「歓迎します」
中にはすでにアンジェラが待機していた。
元はいろいろな設備のある部屋だったのだろうが、そのほとんどが見当たらなくなっていた。
目につくのは、簡易なベッドとそのそばに置かれた椅子、キャスターのついた金属製の台、それから壁際のよくわからない機器と、天井からアームで下がる無影灯。床にも排水口があり、往時は手術室だったのかもしれない。
「そりゃどうも――きゃっ」
憎々しい思いでその顔を見据えた詩都香を、後ろからミシェルが突き飛ばした。
床に倒れ込んだ詩都香の手首を掴んだアンジェラが、天井から下がるロープに手錠を結びつけた。
「気が利かない部屋でごめんなさい。こんなことまで自分でやらないといけないんですよ」
アンジェラがロープのもう一端を引っ張ると、手首が引き上げられ、やがて詩都香は直立させられた。
「んじゃ、まずは任せたぞ。くれぐれも殺すなよ?」
「ええ。努力はします」
「努力してくれ。言っておくが、情報を吐かせる前に死なせるのはナシだ」
その声に含まれる真剣味に、アンジェラも素直に頷いた。
主導権はミシェルにあるようだ、と詩都香は推察した。
「それから、この部屋では煙草を吸ってもよくなった。やりすぎになる前に吸って落ち着いてくれ」
ミシェルは踵を返すと、小さく手を上げて部屋を出ていった。
「上着は脱がせておきましょうか」
彼の退室を確認したアンジェラが、台の上のハサミを手にとり、歩み寄ってくる。
詩都香は抵抗することもできず、顔を背けた。
「……何ですか、これ。全然切れないじゃないですか」
詩都香の冬用制服のブレザーは、ハサミの刃を受けつけなかった。一条グループの関連企業で開発された特殊素材で構成されているのである。
「もう!」
アンジェラは苛立ってハサミを捨てた。それから、念動力でメスを手元に引き寄せて再挑戦したが、結果は同じだった。
吊られた詩都香の手首に忌々しげな視線を遣る。
手錠を解かないと、上着を脱がせることもできない。その手間を嫌がっているようだった。
「ふん」
襟元にかかったアンジェラの手が、勢いよく引き下ろされる。上着のボタンが弾け跳び、白のブラウスがあらわになった。
「まあいいです。とりあえずこれを使ってみましょう」
そう言って彼女が次に引き寄せたのは、ドアの脇に立てかけてあった木製バットだった。
詩都香は顔を青くした。
「ちょっと……そんなもので殴ったら死んじゃうでしょ」
「大丈夫ですよ。死なないところを殴りますから。例えば――」
アンジェラが詩都香の横に回る。
「こことか」
風切り音とともに、バットの芯が詩都香のお尻を打った。
「ぐっ……!」
想像以上の痛みだった。うめき声が漏れた。
ジャラッと手錠の鎖が鳴った。脚の力が一撃で萎えた。
(い、痛すぎる……高校球児すげえ)
そんな風に意識を散らすことによって痛みに耐えようとする。今の高校球児がこうした体罰を受けているのかは知らないが。
二発、三発と、正確に同じ場所が叩かれた。
「もう少しお尻が大きい方がいいでしょう。倍くらいにしてあげましょうか」
さらにもう一発食らったときには、詩都香は息も絶えだえになっていた。
「ああ、そういえばこれは尋問でしたね。いちおう訊いておきましょう。九号の居場所は?」
詩都香は痛みに顔を歪めながら息を整えて口を開いた。
「あ、あのさ……」
「はい?」
「あんた、長いこと日本に居て、野球も視たことないの? バットの持ち方逆なんだけど」
返答はまたもバットの一撃だった。
「がっ……!」
「安心しました。この程度で音を上げられてはがっかりですからね」
それからさらに十発ほどもお尻を叩かれた後、逆サイドに回ったアンジェラから腹部にも打撃を加えられた。
息が詰まった。ここに連れてこられる前にも殴られていたのである。
詩都香の腹を三発ほど殴打したアンジェラは、つまらなそうにバットを捨てた。
「やっぱりお腹は殺さないように気を遣ってしまいますね。……生きてますか?」
俯いた詩都香の顔を、前髪を掴んで持ち上げる。
詩都香はくしゃくしゃに歪めた顔で、どうにかアンジェラを睨んだ。
「……全国の球児に謝んなさいよ。バットをこんなことに使って……」
「ふふ、いいですね。ますますいじめたくなります」
詩都香の前髪を放したアンジェラが背後に回った。
スカートがめくり上げられる気配があった。
「あらあら。倍とまでは行きませんでしたけど、ずいぶん赤黒く腫れ上がっちゃって。しばらく椅子にも座れませんね」
「このっ……!」
後ろ蹴りでも入れてやりたかったが、脚に力が入らなかった。
アンジェラは台に歩み寄り、煙草の箱を手にとった。
オイルライターで火を点け、深々と吸った紫煙を吐き出す。
「次はもう少し高い声で鳴いてもらいましょうか」
煙草を咥えライターを手に近づいてきたアンジェラから、詩都香は本能的に離れようとしたが、また鎖が音を立てただけだった。
車の中で火の点いた煙草を押しつけられた痛みが蘇る。
「同じことをするのもつまらないですからね」
アンジェラはライターの方を掲げてみせた。
「ひっ……! やだ……」
詩都香は動ける範囲で後退ろうとする。
「じっくり温めてあげましょう。そうですね、この細い指でも」
ライターに火が灯る。
標的になったのは、手錠で吊られた両手の指だった。
軽く近づけられただけでも、灼熱感に表皮が炙られる。
「ちょっと……うそ、やめて……やだやだ! いやあぁぁッ! 熱いいいぃーーーッ!!」
高温の炎が、詩都香の白い指を舐めた。
熱源から少しでも逃れようと、指をめちゃくちゃに動かす。
だが、可動範囲など知れたもの。朱色の舌は、どこまでも追ってきた。
「やめてやめて! うぁああああぁぁぁぁぁーーーーッ!!」
指がちぎられるかというほどの痛み。タンパク質の焦げる匂いが辺りに立ち込めた。
「本当にいい声。どんどん泣いてくださいね」
さんざん悲鳴を上げさせられた詩都香がやっと解放されるころには、両手の指は真っ赤になり、水ぶくれに覆われていた。
「っ……あっ……うぅ……ッ」
詩都香は声を圧し殺しながら泣いた。
「いつまで泣いているんですか」
同じことはつまらないと言っていたくせに、アンジェラは短くなった煙草をまた詩都香の太腿で揉み消した。
「ぎゃああァァァッ!」
アンジェラは愉悦に満ちた表情でその絶叫を堪能してから、次の道具の物色にかかった。
「……こっ、こんな、ことしてっ、楽しいの?」
しゃくり上げながら、その背に問いかける。
「楽しいですね。私のいちばん好きな時間です」
「ならっ、SMクラブにでも行きなさいよ、変態っ」
このひとことはアンジェラの機嫌を損ねたようだった。カツカツと靴音を立てて近づいてきた。
「あなたは真のサディズムを誤解してますね」
「……知るか。あんたが真性の変態だってだけでしょうが」
「本当のサディストにとって、SMプレイほどバカバカしいものはないんですよ。こちらは相手を苦しめたいのに、どうしてマゾヒストを悦ばせてあげなければならないんですか。責めるならマゾなんかではなくて、全身で苦痛を表してくれる相手です。――あなたみたいな」
ねっとりとした視線が、詩都香の顔に向けられた。
「……わたし、実はドMで」
「黙りなさい」
頬を張られた。両目に溜まった涙が床に散った。
「さて次は、と。それにしても本当にロクなものがないですね。鞭くらい用意しておけばいいのに。まあ、取りに行かせますか」
アンジェラが再度物色を始めようとしたとき、部屋のドアが開いた。
「おい、交代だぜ」
ミシェルだ。
「……もうそんな時間ですか」
アンジェラはいからせた肩をそっと落とした。
どうやら尋問担当は一定時間で交代する取り決めになっていたようだ。
「では最後に確認を」
「――ッ!?」
突然近づいてきたアンジェラからスカートの中に手を入れられ、詩都香の体は反射的に跳ねた。
「いやっ!」
身をよじって抗いたいが、その力が残っていない。
アンジェラの指は、あろうことかいちばん触られたくないところまで伸びてきた。
「……汗だけじゃないですか。マゾというのは嘘ですね。安心しました」
そう言い、スカートの中から抜いた指をねぶりながら部屋を出ていくアンジェラの背を、詩都香は震えながら見送った。
(ピアノ……これじゃ弾けなくなっちゃったな。バイオリンも)
ぼんやりとそう思った。
(伽那、ごめんね……)
毎日のように練習につき合ってくれた伽那のことを思うと、また泣きたくなってきた。




