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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第七章「黒髪のラプンツェル」Die schwarzhaarige Rapunzel.
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7-15

「どうしました、先輩? 顔色悪いですよ?」

「……なんでもない」

 伊吹はいちど唾を飲み込んでから答えた。

 そうしてからやっと、船岡自身の顔色もすぐれないことに気がついた。

 彼は緊張しているのだ。

 薬と聞いた詩都香(しずか)は、二度、三度、浅い息を継いだ。彼女もやはり緊張していると見える。

 あらためて見ると、小さな体の儚げな少女だ。怖ろしい予感に震えている。

 こんな少女の振るう刃に、自分の心はなます切りにされたのか――

「注射、嫌いなんだけど」

「ごめんな、ここには無痛の注射針なんて上等なものはないんだ。でも、できるだけ痛くないように、痕が残らないようにするよ」

「とか言って手が震えてるじゃない。マジでやめて」

「君みたいな可愛い子の素肌に触れたことがないからね。固くなるのも許してくれ」

 船岡が詩都香の制服の袖をまくり、白い腕を脱脂綿で消毒する。学生時代に演劇部に所属していたから舞台経験もあるはずなのだが、緊張が高まると口数が増えるのが彼の癖だ。

 わかりやすい性格の船岡に、今は本当に救われる思いがした。

「船岡、あまり相手になるなよ。その娘は……」

 怖ろしい奴だ、と続ける前に、船岡がひとつ頷いて注射器を握り直した。

 少女の下腕の柔らかな皮膚を食い破り、硬い樹脂製の注射針が潜り込んでいく。

 詩都香は目を閉じていた。痛みに耐えているのだろうか。

「今打ったのは自白剤だ。いいかい、隠し事はできないからな。訊かれたことに素直に答えるんだ。抵抗は無駄だ」

 伊吹は詩都香の正面に置かれた椅子に船岡と並んで座り、暗示をかけるようにそう告げた。

 しばらくの間を置いてから続ける。

「今からクル……河合涼子の行き先について尋ねる。君が今から喋ることはうわ言みたいなものだ。河合涼子に対する裏切りにはならない。安心して話すんだ」

「け、拳王の……ク・ソ・バ・カ・ヤ・ロ・ウ……」

 早くも薬が効いたのか、詩都香はわけのわからないことを口走った。

 伊吹も船岡も、自白剤を用いた尋問などしたことがない。いちおうの知識はあるものの、手探りで聞き取りを始める。

「まず簡単な質問からだ。君の名前は?」

「あ……愛新覚羅(アイシンギョロ)玄燁(・ヒョワンエ)

 伊吹は船岡と顔を見合わせ、詩都香に近づいた。

 彼女の瞳孔はその刺激に反応もせず、丸く開いている。薬は効いてきているはずだ。

「もう一度訊く。君の名前は?」

私はインドではイヒ・ビン・ウンター・インデム仏陀で(ブッダ)ギリシャではイン・グリーヒェンラントディオニソスだったディオニーゾス・ゲヴェーゼン

「医学部門のヤツを呼んできます」

 狼狽して腰を浮かせた船岡を、伊吹は制止した。

「待て、まだ効き目が浅いのかもしれない。――君の名は?」

「岸惠子」

 伊吹も今度こそ不安になった。なんだ、こいつは。

「ああ、昔レンタルで視ました。『君の名は』っていう古い映画の女優の名前です」

 ということは。

「もう一度訊く。君の名は?」

「新海誠……」

 ふーっ、と二人は圧し殺した息を吐き出した。連想が素直になってきている。薬は効いてきているようだ。

 見れば詩都香は目を閉じていた。浅い昏睡状態に入ったようだ。

「もう一度訊く。君の名前は?」

「高原詩都香」

 どっと脱力した。隣の船岡も同様だった。こんな質問にちゃんと答えさせるのにも、これほどの忍耐が要るのか。

「もう一度訊く。君の名前は?」

「高原詩都香」

「君の名前は?」

「高原詩都香」

 船岡が勢い込んで尋ねた。

「君はクルミ――河合涼子の行き先を知っているね?」

 ダメだ、と口を挟もうとした。自白剤を打たれた囚人も、イエス・ノーで答えられる質問には嘘を吐ける。

 詩都香の答えは予想どおりにノーで、その上予想外に口数の多いものだった。

「……おい、おっさん。わかってんのか? わたしは反逆者(トリーズナー)だぜ? 絶対にノーとしか言わない女さ」

「まだ抵抗してますね」

「抵抗してますね、じゃない。私が質問するからお前はちょっと黙ってろ。――君の名前は?」

「我が名は、白面にあらじ」

「それはわかっています。君の名前は?」

「高原詩都香」

「クルミとは誰のことですか?」

「河合涼子」

「河合涼子とはどこで知り合いましたか?」

(なか)京舞原(きょうぶはら)のコンビニの前」

「河合涼子と知り合ったきっかけは何ですか?」

「痴漢に遭ったわたしを助けてくれました」

「河合涼子は今どこにいますか?」

「しっ……知りません」

 詩都香が一瞬だけ顔を歪めるのを、伊吹は見逃さなかった。

「河合涼子は今どこにいますか?」

「知りません」

「君の名前は?」

「高原詩都香」

「河合涼子は今どこにいますか?」

「知りません」

 薬は間違いなく作用しているはずだ。本当に知らないのだろうか。

「河合涼子からメッセージを受け取っているはずです。それはどこにありますか?」

 詩都香の私物は確認済みだが、どこにもそれらしきものはなかった。携帯電話の中にも今のところ見い出せないという。

「げ……下足箱」

 詩都香がまた顔を歪めて答えた。

「下足箱とはどういうことですか?」

「学校の、わたしの下足箱、の中に、手紙、が……」

 抵抗は見受けられるが、答えは明瞭だった。

「学校とはどこのことですか?」

「水鏡女子大学附属高校です」

 船岡が頷いて携帯電話を片手に席を立ち、部屋を出ていった。京舞原市内に散ってクルミの行方を探している職員たちに指示を出すのだ。

 それを待つ間、伊吹は質問を重ねた。

「君の家の家族構成は?」

「父と弟です。母は死にました」

 いや、ダメだ。もう少し答えづらい質問をして反応を見ないと、先ほどの答えの真偽を判断できない。

「お母さんはどうして死んだのですか?」

 びくっ、と拘束された詩都香の体が跳ね上がりかけたので、伊吹もドキリとした。これまでにない大きな反応だ。

「……ママは、事故で、死にました」

 そう答える詩都香の顔からは、はっきりとした苦悶の色が読み取れた。

 余計なストレスをかける質問だったようだ。路線を切り替えることにする。

「君の身長と体重は?」

「身長百五十八センチ、体重四十三キロ」

 痩せすぎだな、と思った。しかしこの体重なら、それほど抵抗なく人に言えるだろうか。

「では、スリーサイズを教えてください」

「上からななじゅう……」

「何訊いてるんですか」

 船岡が戻ってきた。

「いや、さっき吐かせた情報の信憑性を測ろうと、答えにくい質問をして反応を見ていたんだ」

 さすがに少々言い訳がましくなる。

「答えてましたね」

「だな。で、どうだ?」

「今確認させてます。この子の周りはクルミの行き先候補ですからね。近くに二人張り込んでました」

「女子校に入れるのか?」

「共学ですよ。女子の方が多いみたいですけど」

 視線を転じると、詩都香は頭を下げてじっとしていた。昏睡が深まり、眠ってしまったようだ。

「おっと、来ました」しばらくして、船岡が携帯電話に耳を当てた。

「もしもし? ……ああ、そうか。それだな。……わかった、気をつけろよ?」

 通話を終えた船岡は伊吹に向かってひとつ頷いてみせた。

「たしかに手紙はあったそうです」

「中身は?」

「『今日の放課後、屋上で待ってます』だそうで」

「放課後、か」

 伊吹は腕時計に目を落とした。卒業したのはもう四半世紀も前のこと。今の高校の放課後が何時から始まるのかはわからないが、授業は終わっているだろう。

「部外者が屋上まで潜り込めるだろうか」

「なんでも、文化祭前でいろいろ動きが激しいようで、教師のフリをして潜り込めそうだとのことです。そこそこ規模も大きい学校ですし。ひとまず連絡を待ちましょう」

「……研究員になって、スパイまがいのことをするとは思わなかったろうな」

「産業スパイってのもありますよ。ここから解放されたら我々も転職しますか」

「やめとけ。お前には向いてないよ」

 伊吹は再度詩都香の方に目を遣った。

「なんか変な子ですね。現実と虚構の垣根がひどく低い感じがします」

 と、伊吹の視線を追った船岡。

「自白作用のある薬を打たれてアレだからな。心理学はよくわからんが、人格障害スレスレかもしれん。いや、現実と虚構と言うよりも、自分自身のこととその他のことが入り混じっているのかな」

 だからこそ、伊吹の心の中に分け入り、彼自身が意識していなかったことまで言い当てることができたのかもしれない。

「魔術師ってのはみんなこうなんでしょうか?」

「連中にもこの薬を打ってみたいもんだな。きっと自分の欲望をべらべら喋るぞ」

 おそらくこの娘は、ミシェルたちとは違う。

「それは聞きたくないですね」

 船岡が苦笑いした。

 この章が予想を超えて長くなりすぎましたので、あとで章設定を見直して分割したいと思います。

 ※2018年3月30日に分割しました。

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