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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第七章「黒髪のラプンツェル」Die schwarzhaarige Rapunzel.
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7-14

 船岡よりひと足先早く部屋に入った伊吹(いぶき)は、椅子に拘束された制服姿の少女と向かい合った。

 彼女の私物は、その近くの台の上に置かれている。携帯電話はない。中のデータを解析中だ。

 その中にさっそく気になる情報があったという話だった。彼女は“河合涼子”に昼過ぎに電話している。通話時間から見ても相手につながったのは間違いない。きっと、彼女はクルミの行方を知っているはず。

「高原詩都香(しずか)さん、だったな」

 少女――詩都香は小さく頷いた。その目が敵愾心に燃えていた。息も荒い。ところどころ負傷しているのもあって、手負いの獣を思わせる。

「誤解があるようだ。私たちはただ君に協力してほしいだけだ。いくつかの……いや、たったひとつの質問に答えてくれるだけでいい」

「…………」

 詩都香は無言を貫いた。儚げな外観を裏切るかのような力強い瞳から、伊吹は思わず視線を逸らした。

「どこまで知っているかな。私たちは、クルミ――世間が河合涼子と呼ぶ少女を探している」

「クルミ?」

 詩都香が初めて言葉を発した。こちらは見た目どおりの、涼やかに澄んだ声だった。

「あの子はここで育ったんだ」

 初めて聞く事実だったのだろう、詩都香の双眸が大きく見開かれた。

「だから私たちはクルミを取り戻したい。協力してくれるね?」

「その『だから』の前にはどれくらいの飛躍があるの? 涼子がそれを望んでいるとでも?」

 質問を返されてしまった。

「生まれ故郷に帰りたいというのは、誰しもが思うことじゃないか?」

「生まれ故郷? ここで育っただけじゃなくて、涼子はここで生まれたの?」

 余計なことを言ってしまったようだ。自分の加担した怖ろしい行為がここまでエスカレートしたことに、彼もやはり平静ではないことを自覚する。

「そうだと言ったら、クルミの行き先を教えてくれるかい?」

 詩都香はいちど軽く目を瞑った。

「……冗談。こんなことするような奴らのところに、涼子を帰せるわけないでしょ。DV親に迫られる児相職員の気分だわ。そもそも涼子がどこに行ったのか、わたしは知らないし」

 開いた目には、先ほどに倍する、恒星のような強い光が宿っていた。

「私たちはできれば君を傷つけたくないんだ。無傷で帰してあげたい。君が話してくれないと、手荒なことをしなければならなくなる。さっきの魔術師たちのことはわかるだろう? あの三人の外国人、特にあのアンジェラという女は危険な真性サディストだ。喜んで君を痛めつける」

「相手を見てものを言いなさいよ」答える声は、強気の言葉とは裏腹にさすがに硬かった。恐怖は感じているらしい。

「そんな脅しに屈して、友だちを裏切って売るように見える?」

「君はまだ若い。裏切ったことも、裏切られたことも多くないだろう。だからひとつの些細な背信をさも重大事であるかのように受け止めてしまうんだ」

 はっ、と詩都香は口元に嘲笑を浮かべた。

「あんたは年を言い訳にしてひとを裏切ってきたんだ?」

 年端も行かぬ少女のその言葉は、予想外なほどに伊吹の心に食い込んだ。

 彼を射抜く瞳の燦然とした輝きを、直視できない。

「……だいいち、売る、というのは語弊があるだろう。クルミはここで生まれたんだから」

「ちょっと待って――」

 伊吹の言葉を遮るように、詩都香が宙空を見上げて言った。

「あのアンジェラって女が危ないのはわたしにもわかる。で、あんたたちもそれを知ってる。……あの女、ここで何をした? さっきわたしはとんでもないことを聞いたわよ。『死体じゃつまらないです』――あの女、たしかにそう言った。あいつがここで何をしたかなんて知りたくもないけど、『死体』……あんたたち、涼子を殺すつもり?」

 伊吹は無表情を取り繕いながら、内心歯噛みしたい気持ちになった。まったく、馬鹿なことを言ってくれたもんだ。

「殺すつもりじゃない」

 嘘ではないが、その言葉を彼自身どれほど信じていたのかは疑わしい。

 詩都香は思考の速度にもどかしい思いでついていくかのような早口で続けた。

「『あんなに可愛い子たちがたくさんいたのに』――そうも言ってた。ここで育った女の子ってのは、涼子だけじゃないってことか。それで何をしてる? その子たちを使って何を? ……研究? まあ研究所だもんね、ここは。

 で、その子たちはみんな死んじゃったってこと? ……おそろしく致死率の高い実験か何か。『殺すつもりじゃない』ってのはそういう意味か。涼子はそれを察知した。それで逃げた。ああそうか、昨日涼子を襲ったのはここの所員たちだったのか。そいつらがいつか連れ戻しに来ることを、涼子は怖れていた。でも、出自のこともあって、誰にも相談できなかったんだ」

 伊吹の額に汗が滲んだ。

「質問をしてるのは私だ。それ以上考えるな。家に帰れなくなるぞ」

 しかし詩都香は、伊吹の言葉など聞いていないかのようだった。

「でも変だな。涼子はもっと大きな相手から逃げているみたいだった。警察も動員できるような存在。いち研究所なんかじゃない。何か大きなバックがついてるってことだ。で、ここには魔術師たちが雇われている……〈リーガ〉か」

「やめろ!」

 伊吹はとうとう冷静の仮面をかなぐり捨てて怒鳴った。

 詩都香はそこで初めて伊吹の存在を思い出したかのように彼の顔を見た。

 思い込みの激しい娘だ、と思った。直感を基にして、その上にどんどん理屈を構築していく。

 そしてなお怖ろしいことに、それがほとんど当たっているのだ。

 カマをかけられているのは承知していた。だがこの少女が研ぐ推理の刃は驚くほど鋭くて、突きつけられたら冷静ではいられない。

「いいか、それ以上考えるな。いや、せめて考えていることを私に知らせるな。本当に解放できなくなる」

 それを聞いた詩都香の目つきが、ふとわずかに和らいだ。

「いい人ね、あなた」

「……は?」

 意外すぎる言葉だった。

「わたしのこと、本当に心配してくれてるんだ。そこに嘘はないみたいね」

「私は無用の嘘は吐かない主義だ」

「わたしといっしょだ」

 詩都香は微かに微笑んだ。桃色の唇から白い歯がこぼれ、危うさを感じるほど魅力的な微笑だった。

「わかってくれたのならクルミの居場所を――」

「それもだ」詩都香が言葉をかぶせてきた。「クルミ……あんたは涼子のことずっとそう呼んでる。あのミシェルが言ってた『九号』ってのも涼子のことなんでしょう? あ、もしかして九号だから『クルミ』なのか。でもあんたは、世間で有名な『河合涼子』でも、無機質な『九号』でもなく、クルミって名前を大事にしてる。あんたはここに涼子がいる間、ずっとそう呼んでたんだね。愛しんでたのがわかる」

 伊吹はたじろいだ。

「なのにあんたは、そのクルミを危険な実験に向かわせようとしている。それはあんたの意志? 違うよね。強制されてのことか……」

 詩都香はそこで目を瞑った。

「あんたは命令に逆らえない。従順に、命令どおりに、何人もの子供を犠牲にしてきた。その子たちのことも同じように呼んでいたんでしょう? きっと実験の間際までそうだった。最後まで愛情を向けたのは贖罪の意識から? ……ううん、ちょっと違うな。かといって混じり気なしの愛情でもない。これは自罰感情だ。大事なものを犠牲にしなければいけない痛み。あんたはその子たちを大事に思う感情をことさらかき立てることで、それを失う苦悩を増大させて、己を罰しているんだ。……でも心のどこかではその欺瞞にも気づいているんじゃない? それはあなたの悲愴感を強め、ヒロイックな気分すら起こさせる。そうやってこの理不尽に耐えようとしている」

 気がつけば伊吹は後ずさっていた。

 同僚たちにも気づかれていないはずだった。

 というよりも、彼自身の意識の表層にも、今初めて上ったと言っていい。

 主任研究員としての責任だと思っていた。そう思って、実験の場まで娘たちに付き添い、親しく言葉を交わし、叶わなかった望みを聞いてきた。

 無論、愛情もあった。その確信は今も揺るがない。

 だがその裏には、なんとねじれた心の動きがあったことか。

 それを初対面の娘が、わずかな会話の間に見抜いたというのか。

「……魔法で心が読めるのか? まさか〈モナドの窓〉を?」

 詩都香は悲しげに首を振った。

「どうせ部屋の外には魔術師が控えてるんでしょう? わたしが〈モナドの窓〉を開こうとしたら無力化できるように。だいいち、あんたみたいな愚か者の心を推し量るのに、魔法なんて必要ないわ。きっと見抜かれてたわよ、今まで犠牲にしてきた子たちにも」

 それを聞いた伊吹はその場にへたり込みそうになるのをかろうじて堪えた。

 見抜かれていた……? 伊吹に最後の望みを伝え、他の娘たちを気遣いながら死んでいったあの子たちに?

 一方の詩都香は、伊吹への興味をなくしたかのように、独り言を漏らし始めていた。

「でも、おかしいな。涼子がいなくなって、警察を動かせる存在が裏にいるっていう想定に到ったとき、どうしてわたしはすぐに〈リーガ〉のことに意識が向かなかったんだ? 真っ先に思いつく相手だろうに。それに、ここにいるのは〈リーガ〉の魔術師じゃない。なんかいろいろ腑に落ちない……」

 そこで部屋の扉が開いた。

「すみません、医学部門の連中がなかなか捕まらなくて、薬の選定に時間がかかりまして」

 船岡だった。伊吹は安堵しながら彼の顔を見つめた。

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