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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第七章「黒髪のラプンツェル」Die schwarzhaarige Rapunzel.
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7-12

 意識を取り戻した詩都香(しずか)は、自分が車のシートに座らせられているのを認識した。

 次に気づいたのが鼻を突く臭い。煙草だ。ヘビースモーカーである父の部屋に入ったときのことを連想した。

 口の中がねばついて不快だった。強烈な突きを二発も入れられた腹部が鈍痛を伝えていた。

 目はまだ開けずにおく。体を脱力させたまま、車の動きに揺られるに任せる。

 その間に現状を把握し、この突然の出来事の打開策を練るつもりだった。

 が――

「気がついたようですね」

 左手すぐそばから声が上がった。

 あのアンジェラという女性魔術師の声だった。

「狸寝入りしてもダメですよ。魔術師の感覚、わかっているでしょう?」

 詩都香は観念して目を開いた。

 が、それでもなお視界が真っ暗なので一瞬狼狽してしまった。目隠しをされているらしい。感触から、アイマスクか何かと知れた。

「ま、短いドライブだがつき合ってくれや」

 右からは見知らぬ男性魔術師の声。彼が煙草を吸っているのかと思ったが、違った。喫煙時に特有の息遣いは左から聞こえる。吸っているのはアンジェラらしい。

 この二人は日本在住が長いのか、ジャックよりもずいぶん流暢な日本語を操る。

「〈モナドの窓〉を開くようなおイタは許さないけどな。それ以外は楽にしてくれ」

「楽にしてくれ、って……」

 詩都香は抗議したくなった。手が自由に動かない。手錠をかけられている。

「なら水か何かちょうだい。口の中が気持ち悪くて」

「うん?」右隣のミシェルがゴソゴソと辺りを探る気配があった。「水かあ、そいつは用意してなかったな。ビールならあるぜ。口に合うかわからんが」

「いらない」

 そんなものを飲んだらまた吐きそうだった。

「……こんなやり方、許されないでしょ。あんたたちこそこんなおイタして、〈リーガ〉から処罰されるわよ」

 詩都香の知る限り、〈リーガ〉には戒律があり、敵対する魔術師と戦う際には、相手に抵抗の機会を与えることになっている。つまり、魔術師としての本領を発揮する〈モナドの窓〉を開くための猶予を与えるのだ。

「〈リーガ〉ね。怖ろしくも懐かしい響きだ。――なあ、ジャック」

 ふん、という気のない応答が左前方から返ってきた。ジャックは助手席に座っているようだ。

 そういえば、ジャックはラテン語名を捨てた、と言っていた。

「もしかして、あんたたちは〈非所属魔術師〉?」

「そうとも。くだらん戒律なんてくそくらえだ」

 〈非所属魔術師〉――〈リーガ〉に所属せずに魔法の力を使っている魔術師も、少数ながら存在する。詩都香たちのように公然と反旗を翻す者はほとんどいないが、伝統ある秘教集団などは、〈リーガ〉からも公認されていたりする。そうした組織にも所属しない者は、主に裏社会から依頼される仕事をこなして小遣い稼ぎをしながら、ひっそりと生きていると聞く。

「つまりオレたちとあんたは同じ立場ってわけさ、お嬢ちゃん」

 いっしょにするな、と詩都香の頬がぴくぴくと引きつった。

「ところでお嬢ちゃんの名前、まだ聞いてなかったな」

「とっくに知ってるんでしょ? わたしこそ、あんたの名前聞いてないんだけど」

「これはこれは失礼つかまつった。オレの名前はミシェルっていうんだ。そっちがアンジェラ。助手席で仏頂面を浮かべてるのがジャック――ま、こっちは顔見知りだったな。んで、今車を運転してるのが三国(みくに)。『三国志』の三国(さんごく)って書くんだとよ。オレたちの中じゃ数少ない日本人魔術師だからな、こういうとき重宝する。よろしくな、詩都香ちゃん」

 よく喋る男だった。漢字も理解しているところを見ると、このミシェルという男がいちばん日本に慣れているものと思われた。

「……やっぱ知ってるんじゃない」

「そりゃ、オレたち〈非所属魔術師〉の間じゃあんたらは有名さ。三人とも可愛いしな。応援してる連中もいるぜ?」

「そりゃどうも」

 どうせロクな応援ではあるまい。

「ま、〈リーガ〉を相手にしてどれくらい生き残れるか、いい賭けになってるよ」

 ――ほら見ろ。

「あんたはその賭けを台無しにしようってわけ?」

「お互い魔術師だ。そういうこともあるさ。運が悪かったと思って諦めてくれ」

「わたし、魔術師としての扱い受けてないんだけど」

 〈モナドの窓〉を開き、異界から取り入れた混沌を精錬し、魔力とするのが魔術師だ。詩都香はその機会さえ与えられず、一方的に攻撃された。

「なら、拉致された女子高生として扱ってもいいんだけどな」

 突然スカートが大きくまくられた。

 詩都香は慌てて自由にならない両手で布地を押さえつけた。

 心臓が早鐘のように鳴る。恐怖がぶり返す。

 しかし、それを露わにするほど、詩都香は素直ではない。

「……さっき『オレたちの中では』って言ってたけど、〈非所属魔術師〉同士で徒党を組んでるってわけ?」

「そういうこと。一人じゃ仕事をとる効率も悪いし、〈リーガ〉への警戒にも隙ができる。オレたちなりの生きる智慧なのよ」

「喋りすぎじゃありませんか、ミシェル」

 左隣から、アンジェラが口を挟む。

「これは失礼。日本の女子高生とお近づきになれる機会はそうないからな」

「よく言いますね。ちょくちょくつまみ食いしてるくせに」

「そういうお股のユルいのとは違うタイプだろ、この娘は」

「私から見れば変わりませんよ。こんな短いスカートを履いて」

 二人の視線が集中するのを感じた。詩都香は手錠をかけられた両手をぎゅっと太腿に押しつけた。

 そうしながら、やはり怯えを気取られぬよう口を開いた。

「それで? あんたもそんな風に落ちぶれたってわけ、ヤコムス?」

 前方左の席からの返答はなかった。

「……ヤコムス? ああ失礼、今はジャックだったっけ」

「…………」

「お嬢ちゃん、あまりジャックを挑発しない方がいいぜ? そいつはオレほど我慢強くないからな」

 ははは、と陽気で不快な笑い声を立てるミシェルの隣で、詩都香は覚悟を決めた。理由は不明ながら、彼らが「訊きたいこと」とやらが何に関係するのかわからぬほど、彼女は愚かではない。

「あんたはわざわざ特命を頂戴してわたしを襲うほど上から期待されてたんでしょ? 残念ね、負けて出世ルートから弾かれちゃったんだ? いちおう謝っておくわ。あんたをぶっ飛ばしちゃってごめんなさい」

「お前みたいな小娘に負けたわけではない」

 やっと返答があった。

「あ、そだっけ。ああ、そうだそうだ。わたしじゃなくて、魅咲(みさき)みたいな小娘にぶっ飛ばされちゃったんだった」

「……アンジェラ、そいつを黙らせろ」

「はーい」

 ジャックの指示にアンジェラの間延びした声が続いた。

 その直後、焼けつくようなすさまじい痛みが太腿に走った。

「……ッぎゃあぁァッ!」

 太腿に火の点いた煙草を押しつけられたとわかった。

 詩都香は悲鳴を上げ、手錠をかけられた両腕と両脚をめちゃくちゃに暴れさせた。

 火種が離れた後も痛みが退かず、丸めた体を震わせる。

「おーおー、かわいそうに。せっかく綺麗なお肌なのに」

 これっぽちも同情を感じさせない声で、ミシェルが言う。

「でも、真っ白な太腿に赤黒い火傷、これはこれで綺麗じゃありませんか?」

「ちがいねえ」

 笑い声が上がった。

 歯を食いしばって痛みに耐えながら、詩都香は思った。アンジェラだけではなく、ミシェルもじゅうぶん危ない男だ。

「ゾクゾクする声です……」

 震える詩都香の隣で、アンジェラの体も蠕動する気配があった。ただし、こちらは悦びに感極まってのようだが。

(痛い……痛いよぉ……! ちくしょう……!)

 もう一度殴られるくらいの覚悟はできていたのだが、アンジェラのやることは予想を超えて残酷だった。生還できたら今度こそ父に煙草をやめさせてやる、と決意する。

「あーあ。ほら、泣いちゃっただろうが」

 アンジェラを責めるような言葉とは裏腹に、ミシェルは愉快そうだ。

「先が思いやられるます。研究所に着いたらもっと泣かせてあげますからね。その涙はとっておきなさい」

 たしかに詩都香の目には涙が滲んでいた。体の震えも演技ではない。

 だが、彼らは詩都香を甘く見ている。

 その隙を利用して、詩都香は覚えたての魔法を行使していた。

「……あん? やけにおとなしくなったじゃないか」

 しばらくして、ぐいっ、と右の頭髪が引っ張られた。

「……別に」

 詩都香は逆らわずに顔を上げ、アイマスクの下から、そちらにあるのであろうミシェルの顔を睨む。

 それが精一杯だった。不安と恐怖に支配された体は、まだ自由になりそうにない。

「少し魔力の動きを感じたが、〈モナドの窓〉なんて絶対に開かせないぜ。泣き真似をしながら精神感応(テレパシー)で仲間に助けを呼ぼうとしても無駄だ。もう京舞原(きょうぶはら)は遥か彼方だ」

 詩都香の精神感応波の出力では、とても京舞原市の仲間たちのところまでは届かない。

「はっ、なら東京支部にキャッチさせるってのはどう? あんたらのターゲットがよりにもよって〈非所属魔術師〉に拐われてますよ、って」

「んなヤバいマネさせるわけないだろ。なあ、アンジェラ?」

「精神感応波を放とうとしたら、今度は顔を焼いてあげます」

「って、おいおい、顔はやめてくれよ。抱くときに萎えるだろ」

 下品に笑う二人に向かって、詩都香は押し黙りながら心の中で舌を出した。

(バーカ)

 車は京舞原市を出て、東に向かっているのが確認できた。現在地は東京近辺だ。

 そうやってささやかな勝利でも感じていないと、心が挫けそうだった。

(……さっきから全然信号で停まってない。高速か。そのわりにカーブが多い。首都高を走ってるんだ)

 詩都香の抵抗の意志が折れたと確信したのだろう、〈非所属魔術師〉たちは雑談を始めた。

「ねえミシェル、今回の仕事が終わったら、私そろそろ別の国で骨休めしたいのですけれど」

「それもいいな。というか、獲物を横からかっさらわれた〈リーガ〉の正魔術師様たちがオレたちを逆恨みするかもしれねえ。しばらくよそに移るのはアリだな。どこにする? 久しぶりにどかんとデカい仕事だ。しばらくは休めるぜ」

「西海岸はどうですか」

「あっちはまだダメだ」

「どうしてです?」

「お前が一昨年現地の〈非所属魔術師〉の女をやっちまったせいだろうが。向こうの奴らから〈リーガ〉にタレ込まれるかもしれねえだろ。別のところだ。アルジェリアなんてどうだ? 久しぶりに母国語を使ってみるのも悪くないだろう。――なあ、ジャック」

「興味がない」

「ジャックは本国のお尋ね者ですからね。あまりヨーロッパに近づきたくはないのでしょう」

「今度はお前が黙れ、アンジェラ」

「ならいっそドイツはどうだ? あそこは大法官がまともに仕事をしていないからゆるいぜ?」

「冗談でしょう。十一月のドイツなんて身も心も凍ってしまいます。いっそ南の島がいいですね」

「お前の顔立ちはどっちかっつーと暗い国の方が似合うと思うけどな――おっと、冗談だよ、冗談」

「同感だな。アンジェラに南の島は似合わない」

「おっ、珍しい。ジャックがジョークを口にするとはな。仕事をこなして浮かれてるか?」

「珍しい、じゃありません。それに仕事はこれからでしょう」

「それもそうか。――三国はどうだ? お前は何語使えたかな」

「私は日本で留守番していますよ。英語がどうにか読み下るくらいです」

 初めて聞く三国の声は予想外に若かった。二十代かもしれない。

「オレら古参だけが海外バカンスじゃ示しがつかねえんだよ。お前を無理には誘わないが、若いのも何人か連れて行かないと」

 案外と大きな集団なのか。構成員も十人以上はいそうな口ぶりだ。

「お嬢ちゃんも連れてってやってもいいぜ? ただしオレの性奴隷としてだけどな」

 くだらないおしゃべりを聞き流しながら橋とトンネルの音に注意していた詩都香は、いきなり最低の話を向けられ、唇を噛んで無言のままかぶりを振った。

「あなたはロリコンだったのですか?」

「十五歳だろ? じゅうぶんじゅうぶん。なによりこんな美少女にはなかなかお目にかかれねえ。あと四、五年もすれば目のさめるような美人になるぜ」

「四、五年も飼うつもりですか?」

「ダメか?」

「ダメです。この子は今日明日中に私が壊します」

「おー怖。くれぐれも情報を聞き出す前に壊すんじゃねえぞ?」

 詩都香はアイマスクの下でぎゅっと目を瞑った。こんな屈辱的な扱いを受けるのは初めてだった。

(こいつら、本当にクズだ……)

 陰湿で怖ろしい〈リーガ〉所属の魔術師も、こいつらに比べれば数段上等な人間に思えた。

 思えば彼らは、知識欲なり権力欲なり名誉欲なり、方向性はさまざまだが、多かれ少なかれ向上心らしきものを持っていた。

 ところがこいつらと来たら、あるのは享楽への欲求ばかりだ。なるほど、〈リーガ〉のような組織の中では息苦しさを感じていたのだろう。

 そう軽蔑の念を懐くとともに、やはり恐怖も感じていた。

 何をされるかわからない。ミシェルにしろアンジェラにしろ、どんな酷いことでも平気でやりそうだった。

 〈リーガ〉の魔術師たちとは違う。彼らは詩都香と仲間たちを踏み台にして上にのぼろうとしていた。それが彼らの欲望だった。

 それに対して、ここにいる〈非所属魔術師〉たちの下衆な欲望の対象には、詩都香自身も含まれているのだ。

(怖い。魅咲……伽那(かな)、助けて……)

 精神感応も使えない。純粋に祈る。

(涼子……助けて)

 何の力も持っていないはずの親友にまで、救いの祈りを向けた。

 ――だけど涼子はいったいどこに行ってしまったのだろう。

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