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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第一章「ネズミ捕り娘はピアノを弾く」Die klavierspielende Rattenfängerin.
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1-5

 詩都香(しずか)は涙を隠すこともできぬまま、首を巡らせて背後を振り返った。

「はあ、はあ……。だっ、大丈夫……?」

 相手はもう一度「大丈夫?」を繰り返した。

 おそらくは詩都香と同年代の少女。息切れしながらも、よく通る声だった。

 見知らぬ少女は、さっきまでの詩都香と同様に、膝に手を置いて状態を支え、呼吸を整えていた。

 いや、と詩都香は思い直す。まったく見知らぬわけではない。心配そうに詩都香を見遣るその顔を、どこかで見たことがある気がした。

「……見てたよ。ごめんね、助けてあげられなくて」

 少女はようやくのことでそう言葉を絞り出し、また呼吸の回復に戻った。

 そうか、同じ電車に乗っていたから顔に見覚えがある気がしたのか、と漠然とながら納得してから、詩都香は首を振った。

 あんな卑劣な行為に割って入る勇気なんて、詩都香だって持ち合わせていない。その上、身動きがとれないほどにすし詰めの車内だったのだ。彼女を責める謂れなどどこにもなかった。

 そう言おうとしたのだが、駄目だった。

 涙が後から後から溢れてきて止まらない。

 だがそれは、先ほどまでの恐怖や悔しさを塗りつぶした安堵の涙だった。

 ほとんど馴染みのない街区の、ポツンと光を投げかけるコンビニエンスストアの店先。

 そんな場所でひとり途方に暮れているさなかに声をかけてくれた同性は、驚くほどの安心感をもたらしてくれたのだった。

「あ、ありが……と……っ」

 感謝の言葉すら最後まで発せられず、詩都香はむせび泣いた。


「うち近いからさ、寄ってってよ。シャワー浴びたいでしょ?」

 ようやくのことで落ち着いた詩都香に、少女はそう提案した。

「でも……」と、詩都香は一応遠慮する素振りを示したものの、ありがたい申し出だった。

「そんなんじゃ電車にもバスにも乗れないでしょ?」

 そうなおも説き伏せる少女に根負けしたような形で、詩都香は頷く。

 実際、髪にこんなものを絡みつかせた状態では、タクシーにすら乗れない。それに、一刻も早く身を清めたかった。

 少女は詩都香の手をとって立ち上がらせると、「ちょっと待ってて。買うものあるから」と断ってから、いったんコンビニの中に入っていった。

 三分ほどで出てきた彼女は、ビニール袋を鞄にしまいながら詩都香のもとへと歩み寄る。

「ごめん、お待たせ。行こう?」

 先に立つ少女の背を追う形で、詩都香もまだ少し震える足を進めた。

 いくらか冷静さを取り戻した頭で、コンビニから出てきた際に灯に照らされた少女の容貌を思い返す。

(綺麗な人……)

 大人びた顔立ちの中にどこか子供らしいあどけなさを引きずる詩都香にとって、彼女の容姿は理想に思えた。小作りなパーツがバランスよくまとまり、目元はキリッとしていて、肩の上で揃えられた少し茶味が勝ったセミショートの髪とマッチしていた。

 背も詩都香よりも幾分高く、プロポーションときたら比較にならない。

 その上、不思議なオーラをまとっていた。近寄りがたくもあり、それなのに人を惹きつけてしまう、独特の雰囲気。

 声も。

「どうかした?」

 背中に向けられた詩都香の視線に気づいてか、少女が歩調を緩めて振り向いた。

「いえ……」

 詩都香はかぶりを振った。

 いい声だなぁ、と羨ましくなってしまう。

 張りがあってよく通り、それでいて柔らかく、決して威圧的に響かない。さきほど詩都香がたちどころに安心してしまったのも、この声の効果の与るところが大きかった。

 他人と話すことにあまり自信のない詩都香は、こんな声を持っていてこんな風にハキハキ喋れたら、とつい考えてしまうのだ。

「そういえば、名前聞いてなかったよね。教えてもらっていい?」

 少女は歩速を下げて詩都香が自然に並ぶまで待ってから、再度口を開いた。

「えっと……しずかです。たかはらしずか」

「ふ〜ん、珍しい名前だね」

 よく言われる。だが……。

「あ、ごめん」少女は慌てたように付け加えた。「私はかわいりょうこっていうの。よろしくね、詩都香」

「珍しい名前」をやり返せるかと思って漢字を尋ねると、「さんずいがわが合流する、に涼しい子供」とのことだったので、空振りに終わった。

 河合涼子、と相手の名前を頭に刻み込む。

「河合さん、その制服……」

「涼子でいいよ。——うん、西の方のマグ学」

 マグ学——聖マグダレーナ学院。名前から知れる通りミッション系で、詩都香の通う水鏡女子大学附属高校が東に移ってしまってからは、西京舞原(きょうぶはら)で最も伝統と格式のある女子校だ。

 女子校文化に抵抗を感じる詩都香にとっては進学先として選択肢に入ってはいなかったが、伽那は第二志望として受験したはずだ。もっとも、伽那の学力では滑り止めとは言いがたく、第一志望のミズジョと同じく冒険だったのだが。

 地味めなミズジョの制服に比べると、マグ学のそれは白のセーラー襟も鮮やかなデザイン性の高いもので、街中ではよく目に止まった。市内の学校事情に明るいわけではない詩都香は、どこの学校の制服なのだろう、とずっと疑問に思っていたのだった。

「ああ、それ、マグ学の制服だったんですね」

「あ、知らなかった? 結構可愛いでしょ。詩都香の制服、ミズジョのだよね」

 詩都香は首肯した。とり立てて気に入っているわけでもなければ嫌っているわけでもない制服だが、それを着た自分が涼子の隣を歩いていると、ひどく野暮ったく思えてしまう。

 でも、自分にはとても涼子のようにはマグ学の制服を着こなせないだろう、とそこで考え直した。

「頭いいんだね、詩都香って」

「いえ、わたしなんか全然……。友だちにもっと成績いいのいますし……」

 同年代から頭いいと言われても、どのように返すのが正解なのかわからない。謙遜が過ぎないように気をつけようとしたが、どう思われただろうか。

 少し沈黙があった。

 横目で窺うと、涼子は口を引き結んで何やら難しげな顔をしていた。

 詩都香は気まずくなって急いで言葉を発した。

「あっ、あの、河合さん、脚速いんですね。わたし、かなりがむしゃらに走ったのに」

「詩都香こそめちゃくちゃ速かったよ。私これでも結構運動しているつもりなんだけど。追いつこうと思ったのに引き離されてちょっとショックだったんだから」

 一キロ近くも走って元陸上部の詩都香にそう遅れなかったのだから、涼子が運動しているというのは本当なのだろう。

「運動って何を——」

「ねえ」続けて質問しようとした詩都香を、涼子が遮った。「いい加減敬語やめて。私は一年。詩都香は?」

「わたしも一年生……」

 最後に付加しそうになった「です」をかろうじて飲み込む。

「ね? 同じ一年生同士、対等に行こ? 私は恩を売るつもりで詩都香に声をかけたわけじゃないんだから。——それじゃ、私のこと下の名前で呼んでみて?」

「か……涼子、さん」

「ダメ。『さん』はとる。はい、もう一度」

「り、涼子」

「おっけ。次からはもっと滑らかにね」

 涼子はそう言って片目を瞑ってみせた。

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