表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第七章「黒髪のラプンツェル」Die schwarzhaarige Rapunzel.
66/114

7-7

 ――さて。

 柿沼を送り出し、部屋にひとりになった詩都香(しずか)は、ソファに深く身を沈めた。

 涼子はどこに行ったのか。

 考えてみよう。

 手がかりは乏しい。

 詩都香は、伽那(かな)が愛読する小説に出てくるような探偵ではない。

 行動力も、人脈も、比較にならない。

 ただひとつ、彼らと共通点があるとすれば、鈍いながらも考えるための脳味噌が頭蓋の中に詰まっているということくらいである。

 柿沼がいなくなった部屋は、急にがらんとしてしまったように感じられる。詩都香は目を瞑った。

(考えるための端緒をどこに置くか。方角、時間、方法……)

 方角は二つに絞り込める。

 西か、東か。

 南はない。伊豆にしかたどり着かない。

 北はどうか。

(……涼子は相手を警察、もしくはそれと同等の捜査能力がある組織だと考えている。そんな相手から逃げ回るには――)

 涼子は目立つ。

 潜伏するなら、大都市がいい。人口百万以上が理想的だ。

 北にはそれがない。

(やっぱり東か西……なんてこった、何も絞り込めていない。じゃあ、時間。なぜ涼子はわざわざ朝まで待ったのか。電車が動く時間?)

 詩都香は一度頭を振った。

(昨日の襲撃で涼子が姿を消すことにしたんだったら、これは説明にならない。あの時点でまだ電車はいくらでもあった。……涼子の立場になって考えろ。それが唯一の糸口だ)

 涼子はまんじりともせずに一夜を明かしただろう。

 もうすでに追手は身辺に迫っているかもしれない、という不安と戦って。

 朝まで待つ。駅まで行って始発の電車に――

(危ない)

 涼子の逃亡を阻止しようとする相手なら、駅を見逃すとも思えない。

(わたしが追手なら、最寄りの九郎ヶ岳(くろうがたけ)(なか)京舞原(きょうぶはら)、新幹線が止まる(ひがし)京舞原(きょうぶはら)、それに市内にある両京(りょうきょう)線の各駅には人員を配置する。その上でここに来る――きっと涼子も同じように考える)

 両京線とは、東京と京舞原(きょうぶはら)市を結ぶ私鉄である。箱根観光の足として開通した路線だが、今では東京近郊の交通手段としての性格が強く、首都圏では「両京」――ふたつの「京」のうち、東京ではない方が何を意味しているのか、まったく意識しない者も多いと聞く。

 前に一度、涼子と話したことがある。涼子と詩都香は似たような考え方をする、と。それにほとんどすがりつくようにして思考を進めた。

(時間と方法はセットなのかもしれない。じゃないと、昨日の出来事から今朝まで待つ理由がわからない)

 もう一度、方角。

(大都会。東に向かえば、横浜、川崎、東京。それからさいたまに千葉……)

 選択肢は多い。魅力的だ。

 だが――

(東京、ねぇ……)

 行方不明者の足取りを追う者は、その人物にゆかりのある土地をまず攻めるだろう。

(東京には事務所がある。仕事をしたことがあるテレビ局もあれば、知り合いもいる。涼子の生活の半分は東京にあるんだ。追手から見れば住所のある京舞原(ここ)と同等以上に有望な土地であって……)

 涼子にとっては危ない土地だ。

 もちろん東京は広大だ。周辺の都市をも併呑する、切れ間のないメガロポリス。

(でも、わたしが涼子なら避ける)

 想定される相手は、個人のスマートフォンの位置情報を開示させる力のある組織だ。どれのくらいの人員を割くかはわからないが、楽観視はできない。東京にひそめば、知り合いに出くわすことだって考えられる。

 東京より東も、同じく考えがたい。虎口に飛び込む覚悟で東京をやり過ごすメリットは……。

(待て待て。涼子が単純に逃げ回っているという想定でいいのか? 何か目的があるなら、そっちに向かうメリットはある)

 柿沼に感化されたわけではないが、サスペンスものの映画やドラマでは、冤罪で逃亡する主人公には目的地があることが多いのを思い出した。そこに行けば身の潔白を証だてられたり、あるいは自分を罠にはめた黒幕を一気に追い詰められるような目的地。逆に黒幕の側からは絶対にたどり着かれてはならない場所。百条委員会が開かれる議会のような……。

(ああ、だけど涼子は一般人じゃないんだ。ディックの小説の主人公みたいに、いきなりすべてを奪われたわけでもない。警察には相談できなくても、マスコミなら味方につけられる。ネットだって――)

 内容の薄いブログだが、チェックしているファンは多いだろう。そこにぶちまけることもできる。

 つまり涼子は、誰かにとって不都合な真実を握って逃亡しているわけではない、ということか。

(それとも、誰かにとってと同じくらい、自分にとっても不都合だから逃げざるをえなかった? ――ああ、もう!)

 涼子が捜査機関を怖れて姿を消したと確信したときに脳裏をよぎった最悪の想像が、また立ち現れてきた。

 おそらく柿沼だって同じことを想像したはずだ。芸能人が行方をくらませたときのお決まりのパターン。

 薬物。

 先の見えない逃亡ではない。薬物が体から抜けて反応が出なくなるのを待てばいい。

(それで、よくわからないけどドラッグパーティ的なところでいっしょに使用したのが、政界や財界や官界の大物だったら。涼子が嗅ぎつけられたので、慌てて消そうと……? 昨日の連中はそれ?)

 最悪の想像はますます野放図に膨らんでいき、心臓の鼓動が速くなる。

 これなら誰にも相談できずに行方をくらませる理由になる。

 ――何を考えているんだ。さっき柿沼に、涼子を信じると言ったばかりじゃないか。

(……そうだ。これは涼子を信じているからだ。涼子を信じているから確かめるんだ)

 詩都香は苦い思いで自分自身に言い訳をして、腰を上げた。なんだか浮気を疑って夫の持ち物をチェックする主婦のようだ、とも思いながら。

 向かった先はバスルームだった。そこであっさりと毛髪を回収できたことに、逆にほっとする。長さといい色といい質感といい、涼子の髪に間違いない。

(わたしが涼子なら、徹底的に掃除する。その時間はあった。じゃあやっぱりこの線はないのか)

 ついでに歯ブラシも拝借してきた。口腔内の組織が残存しているかもしれない。

 さらに涼子の私室から、封筒を探し出す。どこかに封筒があるのはわかっていた。以前涼子は詩都香の下足箱に手紙を投函したことがある。

 見つけてきた白封筒のおもてに西(にし)京舞原(きょうぶはら)の住所と宛名を記入し、裏に自分の名前を書き、なおしばらく迷ってから、ラップに包んだ髪と歯ブラシを入れ、逡巡を断ち切るように糊で封をする。

 それから再びソファに腰かけ、スマートフォンを取り出した。

 相手は一条家の家政婦、ユキである。

「もしもし? ――あっ、ええ。授業の時間なんですけど、ちょっと理由があって外にいるんです。それで、ユキさんに大至急お願いしたいことがあって。――ああ、すみません。伽那がらみじゃないんです。本当に、こんなことでお手を煩わせるのも申し訳ないんですけれど。――はい。ええと、急いで鑑定をお願いしたいものがありまして。サンプルは毛髪と、こっちは不確かですが、口腔内組織。歯ブラシを送ります。――すみません、持ち主は今は明かせません。――お願いしたいのは……薬物の検査です」

 最後の言葉に、ユキが息を呑む気配があった。詩都香は「お願いします」で押し切り、通話を切った。

 ユキはやってくれるだろう。しかも可及的速やかに。

 詩都香はほっ、と一息吐いた。

(探偵じゃないけど、わたしの人脈だって捨てたもんじゃないじゃない)

 などと微笑さえ浮かべてしまったが、それってユキさんさえいればわたしは別に要らないのでは? と思い直して真顔に戻る。

 さて、次だ。今度こそ涼子を信じる。涼子はただ迫りくる脅威から逃げ回っているだけだ、という想定のもとで考えを進める。

 ――そうじゃなかった場合の結果は、近く明らかになるはずだ。

(今度こそ東京に向かう意味はない。むしろ危険。横浜や川崎もいっしょだ。京舞原と東京を押さえられたら、小豆袋だ)

 なら西か。

 西に向かえば、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、北九州に福岡――

(んん?)

 違和感がある。

(九州まで行くかな? ううん、わたしなら行かない。なんでだ? なぜわたしはそう思う? ……海があるからか)

 海で隔てられた土地に脱出しようとすると、交通手段や径路が限定される。警察を怖れているのだとしたら、フェリーや飛行機は避けたい。すると、関門海峡を突破するしかなくなる。

(同じく四国もなさそう)

 一度本州を出たら、戻ってくるのが難しくなる。鬼ごっこの子は、広いフィールドに留まるべきだ。

 この想定は追手の力を過大評価しているだろうか、と自問する。

(……いや。わたしなら、そしてきっと涼子も、追手を過小評価したりしない)

 涼子は西の大都会に逃げ込む。中でも有望なのは名古屋と大阪。人口二百万を超える両市は、アイドルひとりの存在を呑み込んで余りあるだけのキャパシティを持っている。

(大阪)

 大本命だ。近隣には京都と神戸という百万都市もある。ここなら、また危なくなっても逃げやすい。

 だけど、と思い直してスマートフォンを取り出した。柿沼から、涼子の事務所は準大手と聞いた。検索してみる。

(あちゃ)

 大阪にも支社がある。致命的ではないが、

(ちょっと怖いな。それに涼子は京都に行ってきたって言ってたし)

 “大本命”から、名古屋と並ぶ“本命”に格下げにする。

 ――よしよし、涼子になったつもりで考えることに慣れてきたじゃないか。

 詩都香はそんな風に自分を励ました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ