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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第七章「黒髪のラプンツェル」Die schwarzhaarige Rapunzel.
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7-5

 お湯が沸くのを待つ間に、詩都香(しずか)は防湿庫の中のデジタルカメラを確認した。SDカードには画像データしか入っていなかった。おまけにいちばん新しいものは、一眼レフもコンパクトカメラも、詩都香の写真だった。一眼レフで撮られた詩都香のゴスロリ姿。コンパクトカメラで撮られた涼子とのツーショット。

 詩都香はぎゅっ、と目を瞑った。

 三週間と経っていないのに、ずいぶん遠いことのように感じる。

 だが、まだだ。思い出にするには早すぎる。

(……そうよ、涼子とのことを思い出なんかにしないために、落ち着いて考えろ)

 淹れ直したお茶をリビングに持っていくと、柿沼はソファに座って茫然自失の様子だった。

「お茶です」

 少しためらってから声をかける。

 柿沼はわずかに視線を動かしただけだった。

「僕は……僕らは涼子の不満を何も理解していなかったんだろうか。彼女をシンデレラに仕立て上げることだけに夢中で……。ここまで追い詰めてしまったのか……」

 詩都香に向かって吐かれた言葉なのか、単なる独白なのか、判断しづらい。

 お茶を淹れている間に、柿沼の中ではずいぶんストーリーが進んでしまったようだ。

「しっかりしてください。ほら、お茶飲んで。誰かのことを百パーセント理解できるだなんて、それこそ思い上がりです」

 それは率直に詩都香自身が大嫌いな考え方だった。

 柿沼はぶんぶんと頭を振ってから、カップに手を伸ばした。

 そしてひと口すすってから大きく息を吐く。

「……ごめん。これじゃどっちが大人かわからないな。恥ずかしい」

「柿沼さんに恥ずかしいところがあるとすれば、そうやってすぐに自虐に逃げるところです」

 自分がこんなお説教をすることになるとは、と詩都香はきまり悪くも思う。普段魅咲(みさき)が詩都香に呈する苦言のようだった。

「それに、わたしから見ても、涼子はお仕事が好きだったと思いますよ」

 らしくない慰めも付け加える。

「ありがとう」

 と、柿沼は複雑な顔で言った。

「ほら、わたしの話し相手になってくれるんでしょ? 柿沼さんに訊きたいことがあるんです」

「……わかった。というか高原さんはずいぶん落ち着いてるね」

「涼子のことを心配してないってわけじゃないですよ。わたし、他の人がパニックになっていると、なぜか冷静になっていくんです。他の人が眠そうにしているのを見ると自分は目が覚めたりもしますし、きっと根本的に天邪鬼なんでしょうね」

 詩都香は意識して笑顔を作る。

 柿沼も小さく笑った。

「その感覚はわからないでもない。僕が焦ることで、結果的に高原さんを冷静にさせているわけか。捨てたもんじゃないな。――で、質問なんだけど、僕からもひとつだけ確認したいことがある。すぐに終わるよ」

「何です?」

「さっき捨てた誘拐の線だけど、実はあらゆる条件をクリアして可能な人間がいるね」

 気づいていたのか。

「ええ」詩都香はこくり、と首を縦に動かした。「わたしです」

「高原さんなら、夜中に訪ねても涼子は招き入れるだろう。かどわかした後で、万年筆を持ち去ることもできる。ドアチェーンのことも知っていた。外から施錠するやり方も、知らないふりをしているだけかもしれない」

「もっと簡単ですよ。ほら」

 と、詩都香はポケットからキーホルダーを取り出した。

「涼子からもらった、この部屋の合鍵です。涼子を起こす必要もありません。何らかの方法で防犯カメラを停止させた後、フリーパスでエレベーターに乗り込んで、この部屋の扉を開ける。チェーンも例の方法で解除して、寝ている涼子のところまで忍び込めます」

「そんなものを涼子が……。――高原さんが、涼子を拉致したの?」

 柿沼は薄く笑いながら詩都香の瞳を覗き込んだ。

 詩都香は一秒で目を逸らしてしまった。後ろめたいことがあるわけではなく、単純に人の目を見るのが苦手なのである。

「それが質問なら、答えはノーです。わたしじゃありません。証拠を出すことはできませんが」

「うん。いちおうの確認だよ。僕も本気でそう思っているわけじゃない。それに、同じことは僕にも言える。僕も合鍵を持ち出せるし、深夜に涼子のもとを訪れても、不自然ではあるけど言い訳は立つ」

「柿沼さんはドアチェーンの細工やドルチェビータのことを知らなかったじゃないですか」

「それも知らなかったフリをしていたかもしれない。僕は涼子のマネージャーだ。移動時間や待機時間もあるし、たぶん誰よりも長く涼子といっしょにいる。チェーンにいたっては、実際に開けて自分に不利な情報を開示した高原さんより、僕の方が怪しいと言える」

 そこで彼はいったん押し黙った。

 詩都香には彼の心理がなんとなく推察できた。

 彼は詩都香に本気で疑惑を向けているわけではない。自分自身への苛立ちが主成分なのだ。

 マネージャーという立場にありながら、涼子のことをあまりに知らなかった自分自身への。

「……ま、つまらない話はやめにしよう。じゃあ、高原さんの質問は?」

 詩都香はひとつ頷いてから切り出した。

「まず、涼子の実家に連絡は? 涼子がいなくなったとなれば、実家に向かったというのがいちばんありそうな事態です」

「ああ……」

 と言ったきり、柿沼はまたわずかの間沈黙を挟んだが、観念したかのように口を開いた。

「もう隠してる場合じゃないね。涼子はプロフィールの上では東京出身ってことになってるけど、本当のところは誰も知らない。もし知っているとすれば、涼子を連れてきた社長だけだ」

 驚いた。

「え? ――でも、そんな身元不確かな子と、契約結べるんですか?」

「身元保証人は社長だ。ここまで言えば、こないだ話した事務所内の噂の中身の推測もできるんじゃないかい?」

 詩都香も噂の中身については考えなかったわけではなかった。

「……社長さんの、隠し子」

「ご明察。いろいろな噂があるとは言ったけど、根っこは全部それ。違うのは相手だ」

 たしかにそれなら、涼子が社長から特別扱いされていることの理由になるだろう。

「でも、そんな噂が立つくらい、誰が見ても涼子は特別扱いされていた。事務所内で面白くなく思う人も出てくるんじゃないですか?」

 詩都香の問いに、柿沼は苦笑した。

「やっぱり高原さんでもそういうこと気にするんだね。答えはイエス。というか、この噂自体が半分悪意からのものだ。涼子に割かれる分のリソースのワリを食っていると考えるタレントはいるだろうね。涼子と同じ路線のアイドルの中には、一足跳びにブレイクした涼子のことを面白くない気持ちで眺めている子もいるかもしれない。そうしたアイドルを担当しているプロデューサーやマネージャーだってそうだろう」

「事務所の中、それでギスギスしないんですか?」

「波風がゼロだとは言わないけど、僕が知る限りでは今のところ問題は起こっていない。うちはわりと大所帯だし。……そうだね、芸能プロダクションの中のことだから特別に思っているのかもしれないけど、学校のことを想像してみて。互いに気に食わない生徒や、ソリの合わないグループはどこにだっているものだけど、それだけでクラスや部活が瓦解するわけじゃないだろう? タレントたちはあれで案外大人だよ。少なくとも表面上は仲いいし、裏でも足を引っ張り合ったり、揉め事を積極的に起こしたりしたいと考えているわけじゃない。けど、プライベートでまで親しい相手となると、涼子には数えるほどしかいなかったんじゃないかな。もっとも、オフや空き時間に事務所のタレントと遊びに行ったりはしているよ。涼子はどちらかと言うと連れ回される方だ。ま、今はそれも半分仕事になるわけだけど」

「遊びに行くのも芸の肥やしってことですか?」

「それはちょっと素朴な考え方だね。SNSに上げるのさ」

 その答えを飲み込むまでに、少し時間を要した。

「……ああ、たしかに。オフに同性のアイドルと遊びに行った写真をアップする――好感度は稼げるかも」

「相手が涼子のような売れっ子なら、なおさらね。ブログもSNSも、事務所が査読する時代だ」

「涼子のブログも、そうなんですね?」

 魅咲がチェックしていると言っていた、毒にも薬にもならない内容のブログ。先ほど、涼子のパソコンでついでに確認したが、手がかりになりそうなことは何も書かれていなかった。

「まあね。今まで差し止めになったことはないけど」

 詩都香から見れば、何のために書いているのかよくわからないブログである。あるいはブログとはそういうものなのだろうか。

「ああ、そういえば最近、インスタグラムを始めたいと言ってきた。プロデューサー側も社長の判断を仰いで許可を出そうとしていたところだったけど」

「へえ。やっぱりそういう発信も必要になるんですね」

「それもあるけど、きっかけは君だよ、高原さん」

「わたし?」

 詩都香はきょとんとする。

「フィルム写真をアップしたいんだそうだ。自分で撮って満足するだけじゃなくて、やっぱり誰かに見てほしい、だって。アイドルのSNSとしては実に地味な活動だが、そこに好感を抱いてくれる人もいるかもしれない。そう考えて、事務所も許可を出すところだった」

「のめり込むの速いなあ」

 微笑ましく思った。

 フィルム写真をネット上にアップしようとすると、スキャナで取り込む手間が必要になる。現像の時点でサービスしてくれるDPEショップもあるが。

「そのためのカメラも検討中だった。ライカじゃあんまりだし、クラシック過ぎるのもなあ、と言うので、ツァイスイコンという機種を狙っていたみたいだ。近所に中古品を売っている店があったので、もう取り置きをお願いしていたらしい」

 こんなときに不謹慎かとは思いつつ、話を聞いている内に詩都香もツァイスブランドのレンズを思い浮かべていた。

 ビオゴン、ディスタゴン、テッサー、ゾナー……。ツァイスイコンなら、ライカのレンズも装着可能だ。ズミクロン――もはや一種の魔力を伴って響くその名! わくわくする。

 ――わくわくする、か。

「……おかしいね」

「……おかしいですね」

 二人は顔を見合わせた。

「涼子は前向きだった。楽しみにしていたよ。たぶん、本気で」

「なのに姿を消した。――その話、いつのことです?」

「最後に話題になったのは土曜日のことだ。ほら、君の家まで僕が迎えに行ったとき。今度高原さんを連れてカメラ屋に行きたいなんて言ってた」

「柿沼さんは人の演技見抜くの上手いですもんね。そのときも涼子の様子に変わりはなかった?」

「そう?」

 と柿沼は一度首をかしげた。あまり自覚的ではないらしい。

「楽しそうだった。自信を持って言える」

「ということは、涼子が逐電することを決めたのは、そう古いことじゃない。それどころか……」

「かなり突発的だった、というわけだね。だけど、それにしてはずいぶん手際よくも見える。誘拐の線を排除して考えると、涼子がこの部屋に残した痕跡のひとつひとつに作為が込められているようだ」

 詩都香もそれは感じていた。

「……ダミーにしていた旅行パンフレット、どこかで見覚えがあると思いました。西(にし)京舞原(きょうぶはら)のデパートで、長野の物産展をやってたんです。たぶん、そこからもらってきたものだと思います」

「それで?」

 柿沼が続きを促す。

「その物産展、先月の最終週だったんです」

「……うん? 涼子がたまたまそのデパートに行って、長野に関心を抱いてもらってきた、ということになる?」

「それで今までとっていたパンフレットを今回たまたまダミーに利用した――じゅうぶんありうる可能性です。ですが、気になるのはもうひとつの可能性。……最初からダミーに使うつもりでもらってきた」

「いや、待ってくれ。そんなに前から準備をしていたとなると、涼子が姿を消す決心をしたのはごく最近のことだというさっきの話と、辻褄が合わなくなるけど」

 詩都香は苦い気持ちで頷いた。

「突拍子もないことを言います。おかしいところがあったら指摘してください。――涼子はいつかこんな日が来ることを知っていた」

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