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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第六章「苦楽を分かつ人々」Sie teilen Lieb und Leid.
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6-6

 食卓に落ちた影を振り切るように、詩都香(しずか)は話題を変えた。といっても、やはり涼子のことである。

「あの、涼子はどうやって売れるようになったんですか?」

 柿沼はパンをちぎりながら首を傾げた。

「不思議かい、涼子が売れるのが?」

 詩都香は少し慌てて両手を振った。

「いえ、そんなことは。わたしから見ても美人だし、おしゃれだし、売れるのはわかります。でも――」

「言いたいことはわかるよ」

 柿沼はそう言ってちぎったパンを口に入れた。

 詩都香はグラスに口をつけて続きを待った。

「高原さんから見たら、涼子の売れ方が速い、ってことだよね」

「まあ、そういうことですね。本当のところ、わたしはそういうのに疎いし、よくわかりませんけど」

「むしろ疎いから気づいたのかもしれない。たぶん、もっとテレビをよく視ている人なら、涼子の売れ方にそれほど違和感を抱いていないと思う。――さっき高原さんが言ったことだけど、美人でおしゃれな女の子がいたとして、それが即座に『売れる』というわけじゃない。それはわかるね?」

 詩都香は頷いた。

「ええ。それだけじゃただの市井の個人です。そんな単なる個人をマスコミが取り上げて、全国区の有名人にするわけじゃない」

「生臭い話だけど、そこに僕らみたいな芸能事務所の存立余地があるわけだ。これは『売れる』と見た人を、その個性を伸ばすことで、全国区の売れっ子に仕立て上げていく。そのために、これまで培ってきたノウハウと育ててきたコネがある。もちろん、伝統だけじゃなくて、先を読むセンスも問われる。もっとも、個性は伸ばすだけじゃないけど」

「矯正することもあるってことですね」

「そうだね。『矯正』と言っても、それが『正しい』のかはわからないけど。――涼子もそうだった」

「涼子も?」

 意外な言葉だった。

 柿沼はジンジャーエールで唇を潤した。

「そう。……ここからはちょっとオフレコってヤツで。僕個人の判断だけど、高原さんには聞く権利があると思う。初めて社長に引き合わされたとき、正直なところ途方に暮れたよ。たしかに素材はいいけど、これを売れるようにうするのはちょっとコトだぞ、って」

「へ~」

 あの涼子にも、そんな時期があったのか。

「でも、それからの涼子はすごかったよ。どんどん知識を吸収してセンスを磨いていった。それも並大抵の速さじゃない。わずかひと月半で、いっぱしの芸能人らしく振る舞えるようになっていた。音感もリズム感もめちゃくちゃだったのに、今じゃ玄人はだしだ。場の空気を読む感覚も鋭い。十分な知識も能力もあるのに、適切な場面で適切にそれを隠す。今まで何人か担当したけど、あの才覚はちょっと他には考えられない」

「涼子のそういう才能、ちょっとわかります」

 詩都香は涼子が写真撮影の基礎知識を吸収するスピードを想起した。

「……でも、ちょっと訊きたいことが」

 柿沼の話を聞いて浮かんだ疑問を、詩都香はぶつけてみることにした。

「うん?」

「涼子が才能のある美人だってのはよくわかります。でも、さっきの柿沼さんの話だと、それはまったく埋もれていてもおかしくなかった。どうしてそれが発掘されたんですか? 涼子自身が、オーディションか何かで売り込んできた?」

「そこは……何とも言えない。社長の慧眼だとしか」

「社長さん?」

 前に一度、詩都香といっしょにいるときに、「社長」からの電話がかかってきたことがある。後から思えば、一介の所属タレントが、ずいぶん親しい言葉を交わしていたものだ。

「涼子を見出したのは、プロダクションの社長さんなんですか?」

「そうなんだよ。スカウトの担当者じゃない。社長がある日突然連れてきたんだ」

 社長直々のスカウト――それほどまでに涼子の素材に惚れ込んだということか。

「どんな関係なんですか、社長さんと涼子?」

「それについてもまあ、事務所内ではいろいろ噂があるけど、事実はわからない」

 そこで、話の切れ目を待ち構えていたかのように、メインディッシュのラムチャップが運ばれてきた。

 柿沼がさっそくナイフとフォークをとった。

 詩都香もそれに倣った。

「……美味しい」

 ひと口食べて、素直に思った。ラム肉は家庭料理とするには少々面倒なので、扱ったことはない。

「でしょ? ギリシャの羊飼いって、なんだか牧歌的なイメージがあるよね。――我もまたアルカディアにあり」

「『イタリア紀行』ですか? それとも少し前に話題になったSF?」

「ほんとよく知ってるね。でもそれは元々の解釈から離れていて――」

 元になったグエルチーノの絵にあるラテン語の警句を注意深く読めば、それは「アルカディアにもエト・イン・アルカディア我あり(・エゴ)」である。すなわち、牧歌的な楽園(アルカディア)にも()は存在するという、中世の「死を忘れるな(メメント・モリ)」の変奏曲だ。それが次第に、古典古代を理想とする思想のもとに読み替えられてきた。

 柿沼はそんな講釈を挟んだ。

 詩都香は入店時の反省に立って、興味深そうな顔を作って聞いていた。

 ――いたつもりだったのだが、

「うーん、やっぱりこんな付け焼き刃な話じゃ高原さんを満足させられないか」

 と、柿沼は話を打ち切ってナイフとフォークを握り直した。

「というか、ひょっとして知っていた?」

「う……、はい」

 詩都香は観念するような気持ちで頷いた。

 なるほど、柿沼も芸能界に身を置くだけあって、他者の発する雰囲気に敏感だ。詩都香の素人演技では騙せなかった。

「今どきの高校生っていうのはいろんなことを知ってるね。僕らの頃とは違う」

「まあネットもスマホもありますし」

 珍しく今どきの高校生扱いされたので、今どきの高校生らしく振る舞おうとしてそう言ってから違和感に気がついた。

「――というか、柿沼さんだってギャップを感じるほど世代が離れてるわけじゃないじゃないですか」

「いやあ、君や涼子と話をしていると、やっぱりギャップを感じるよ。巧く言えないけど」

「涼子は特別ですよ」

「それなら高原さんだって特別だ」

 詩都香は言葉に詰まって目を逸らした。正面から瞳を覗き込むようにしてそういうことを言うのはフェアじゃない。からかわれているのだろうか。

 この議論を続けても、こうやってあしらわれるだけだろう。話を戻すことにする。

「……で、そのいろいろな噂、っていうのは?」

「ああ、それはちょっとさすがに僕の口からは言えないかな。プライベートに関わることだし」

 何でも話してくれるわけではないらしい。

「じゃあ、やっぱりさっきの話ですけど、涼子の急速なブレイクは偶然ですか?」

「偶然じゃないよ。狙ったことだ」

「狙って売れるもんなんですか?」

 もしそうなら、所属タレントをどんどん売り出すことができるはずだ。

「そういうわけじゃない。というよりもどんなタレントだって売り出したいとは思うさ。だから常にブレイクを狙っている。だけど、涼子の場合はちょっと事情が違う」

「事情?」

「そう。芸能プロダクションが所属タレントを売り出すのは何のためだろう?」

 質問を質問で返された。

「……それは、もちろん文化的芸能的な意味合いもあるでしょうけど、端的に言ってお金のため?」

「そうだね。タレントを育てるのは投資なわけだ。将来的なリターンを見込んで、それに見合った額を投資する。綿密な見積もりだよ。芸能プロダクションが利益至上主義で金に汚いなんてのはもう世間の共通認識だろうし、それはそれで間違っちゃいないけど、暴利を貪ろうとしているというのとはちょっと違う。理知的で合目的的な計算をしているのは他の企業と何も変わらない。まあつまるところ、タレントを一人売り出すまでにはかなりのコストがかかっているわけだけど、リターンを見積もってのことさ。投資が最低限で済む金の卵なんてのは滅多にいない」

「涼子がその金の卵だった?」

 詩都香がそう問うと、柿沼は首を振った。

「まったくの逆。涼子を売り出すのにかかったコストは将来的に見込まれるリターンにまったく釣り合っていなかった」

「えっ……」

 思わず絶句した。

「もちろん、涼子は事前の予測以上に売れるようになってきた。それでも将来的にコストを回収できるかはまだ未知数だ。もっとも、直接的なリターンだけじゃなくて、涼子が売れることはうちの事務所のイメージアップにも繋がるから――それが社長の言い分だった」

「通るんですか、そんな言い分?」

「なんとか通した。うちの社長はワンマンじゃないし、どちらかと言えば控えめで、自分の案を無理矢理通すことなんてこれまでなかった。涼子が例外なんだ。それがまあ、今回は奏功した。あの社長がそこまで言うのなら、ってね」

 なぜそんな特別扱いを、と尋ねようとして結局尋ねなかった。それは結局、社長と涼子の関係という、先ほどの話に戻ってしまう。

「それで、お金をかけて売り出し中、と」

「うん。かといって、それで売れるかどうかは誰にもわからない。社長にとっても事務所にとっても大きな賭けだったよ」

「さっき言ってましたけど、ノウハウはあるんでしょう?」

「あるにはあるけれど、でも……。――高原さん、アイドルって何だと思う?」

 尋ね返されて、返答に窮した。そんなこと、考えたこともない。

「見た目がよくてセンスのいい男女……」

 そう回答してから、これではダメだと悟る。つい先ほど自分でも言ったではないか。

「それはまあ、いわば前提だよ」

「で、芸能プロダクションに所属して、テレビに出たり、ライブしたり……」

「それだと、俳優やバラエティ芸人やミュージシャンとどう違う?」

「う、たしかに」

 詩都香はあっさりと降参する。

「アイドルを売り出すための計算を立てるのは難しい。アーティストや俳優とは違うんだ」

「違うんですか?」

「境界は曖昧だけどね。現に、何本も映画に出演したり、ヒット曲を出しているのにアイドル売りされてるタレントもいるし。……アイドルの本質はね、“応援されること”なんだ。映画やドラマに出演するのも、ステージに立つのも、結局はそのためだ」

「応援されること……」

 詩都香は首をひねった。

 いまいちピンと来なかった。

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