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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第五章「猫と弟とおともだち」Katze und Bruder und Freundin.
46/114

5-6

 その週の間、詩都香(しずか)は平穏に過ごした。もちろん体調の許す範囲で、だが。

 授業を受け、委員会と部活に参加し、ときに伽那(かな)の家でピアノを練習し、夜は魅咲と東山に行き、時間が合えば涼子に会った。

 忙しくも充実した日々だった。

 城の模型の塗装のためにコンプレッサーとエアブラシ、塗料一式、それからプライマーやらサーフェイサーやらを部室に持ち込んだところ、奈緒(なお)から「女子高生がこんなものを所持しているのか」と呆れられた。

 クラス企画の演劇の通し稽古も始まった。衣装はまだ完成していないため制服姿だったが、詩都香の演奏を初めて聴いたクラスメートたちは驚いたようだ。ピアノとバイオリンが弾けるとは聞いていても、もっと低いレベルを想像していたらしい。

「いや驚いた。しずかちゃんにこんなスキルがあったなんて」

 とは田中の言。久しぶりに大勢の前で演奏することに不安を抱いていた詩都香は、ほっとした。

「もう高原さんの演奏だけでよくない?」

「なんか素人演劇にプロが交ざってる感じ」

 などという声さえ上がり、詩都香は身を小さくしてしまったが、

「それならもっと練習頑張って、みんなのレベルも上げましょう」

 というクラス委員の由佳里(ゆかり)の言葉の効果もあったのか、演劇の練習は前以上に熱を帯びてきた。

 そして涼子からは、

「最近、詩都香変わった気がする」

 と、言われた。

「――なんか、前より活きいきしているっていうか。……何かあった?」

「そうかな?」

 詩都香は首をひねった。何かあっただろうか。

 このところ、涼子とは以前よりも頻繁に会っている。

 涼子から連絡があることもあれば、詩都香から連絡することもあった。

 涼子は忙しいので、いつも会えるというわけではなかったが、それでも空いた時間をいっしょに過ごすことは多くなった。

「まるで憑き物でも落ちたみたい」

「うーん、わかんないや」

 そう答える詩都香だが、思うところはあった。先日封じ込めた記憶のせいなのかもしれない。

 この日は十月十一日、金曜日だった。

 詩都香は涼子の部屋を訪れていた。

 有名人の涼子と会うのに、外では気を遣う。自然、詩都香が涼子の部屋を訪うことが多かった。

 そして今日は、以前からの約束をひとつ果たした。

「どう、味の方は?」

 鰹とキノコの生姜煮を食べていた涼子がふるふる、と頭を振った。

「あ、口に合わなかった?」

 詩都香は落胆した。

 それはそうだろう、と思う。

 涼子は芸能人だ。きっと食レポやら何やらで美味しいものを食べて舌が肥えている。詩都香の腕で彼女の味覚を喜ばせるものが作れるとは思っていない――そんな心の防波堤を事前に築いてはいたものの、やはり無念だ。

 だが、涼子は口の中のものを飲み下してからもう一度首を振った。

「……ああ、ごめん。そういう意味じゃない。ヤバい。美味しい。なんなの、詩都香って。本当に何でもできちゃうんだね――って、そういうジェスチャー。呆れ混じり」

「何だそりゃ」

 と、詩都香こそ呆れてしまったが、落胆していただけに褒められるのは嬉しかった。

 この日詩都香は、以前リクエストされていたとおり、涼子のために夕食を作ったのだ。

「ほんと、才能の塊だよ、あんたは」涼子がナスのグラタンにフォークを伸ばす。「……こっちもすごく美味しい。もう、信じられない」

「才能なんて何もないよ、わたしには。でも、もう何年も毎日作ってるから」

 涼子はそれを聞きながら、湯呑に手を伸ばしてお茶を飲んだ。

「……お茶も。うちの葉っぱ使ったとは思えない。ちょっと悔しいな」

「悔しいって?」

「私、何やってたのかなぁ、って。才能ないなんて言葉、額面通りに信じるわけじゃないけどさ。もしそうなら、努力でそうやっていろいろできるようになった、ってことでしょ? 詩都香がそうやってるあいだ、私はほんと何やってたんだろう」

 ――何を馬鹿なことを。

「何言ってんの。あんたこそ頑張ってて、それでたくさんの人に喜んでもらってるじゃない」

「私は大勢の人に助けてもらってるもん。詩都香はたったひとりで、誰からも要求されてないのに、ものすごい努力を重ねてるわけでしょう?」

 涼子の言葉はいくらかの真実を言い当てていた。たしかに詩都香が磨いてきたスキルは、誰に求められたわけでもないものがほとんどだ。

 だが――

「ううん、わたしだって、いろんな人に助けてもらってる。料理は家族のためだし、他のことでも友達に支えてもらったりしてる」

 などと口にする自分に、詩都香自身が驚いた。こんなJ-Popの歌詞みたいなことを平気で言い放つ人種に、彼女はうっすらとした軽蔑の念さえ抱いていたはずなのだ。

 涼子も詩都香の戸惑いを感じとったようだ。

「どしたの、詩都香。本当に何かあった?」

「ううん」詩都香は首を振り、話題を変えた。「それより、本当にこんなのわたしが預かってもいいの?」

 掲げた右手にぶら下がっているのは、この部屋の合鍵だった。

 ――朝、何を作ってやろうか思案しながら通学路を辿っていると、涼子から電話が入った。

『ごめん、詩都香。今日のお仕事、ちょっと長くなりそうなんだ』

 そんな第一声を聞き、ならば日を改めて、と言おうとした詩都香に、涼子は続けた。

『それでさ、詩都香の下足箱にうちの合鍵入れておいたから、悪いけどうちに入って作っちゃっててくれない? 私の方もできるだけ急いで、お腹減らして帰るから。帰宅即お食事……ダメ?』

「は? 合鍵?」

 詩都香は耳を疑った。アイドルが、自室の合鍵を?

『うん。まあできたらでいいよ。申し訳ないとは思うんだけど』

 登校してみると、果たして下足箱の中に鍵が入っていた。

 放課後、涼子の住まいである“ニデグレッド(なか)京舞原(きょうぶはら)”に向かい、インターホンの下部に設えられた鍵穴に恐るおそる鍵を差し込んだところ、エレベーターホールに繋がるドアが開いた。

 冗談だと思っていたわけではないが、それでこの合鍵が本物だと知れた。

 それからいったんマンションを出て食材を買い込み、ほとんど使われた様子のないキッチンに立って料理をしながら、涼子の帰りを待っていた次第である。調味料さえまともに揃っていなかったので、もう一度スーパーに走るハメにもなった。

 その合鍵を詩都香に持っていてほしいのだと、涼子は言う。

「――うん、よろしく。事務所にも保管されてるし、社長も一本持ってるけどさ。でももし何かあったら、そのときいちばんに駆けつけてくれるのは詩都香でしょ?」

「何か、って何よ」

 地理的条件の上ではたしかにそうなる。東京の柿沼が検挙覚悟で車を飛ばしても、自宅からのんびり歩いた詩都香の方がここに到着するのは早い。

 ――しかし、本当にいいのだろうか。

 詩都香は逡巡しながらキーホルダーを取り出した。

 そのキーホルダーが、涼子の注意を惹いたようだった。

「可愛いキーホルダーだね。今やってるアニメのキャラ?」

「ううん、もう一年近く前の」

「面白いの?」

「そこそこ、かな。わたし的にはそんなに」

「それなのにキーホルダー買ったんだ?」

「アニメショップの新春福袋買ったら入ってた」

「在庫押しつけられた、ってわけ?」

「世間的にはまあまあ話題になったし、お店としては人気商品のつもりだったんじゃない?」

 そんな風にして、話題はアニメに移った。

 涼子は話題作の題名を挙げて、なんとか詩都香の気を惹こうとしていたが、この“専門分野”で気を遣われたところで、詩都香のレベルだと一瞬で相手の素養を見抜けてしまう。

 涼子はアニメをまったくと言っていいほど知らない。それがわかった後も、詩都香はなおしばらくの間話につき合った。

「ね、詩都香。私が声優挑戦とかなったら、どう思う? 詩都香の好きな漫画が原作ので」

「ぶっ殺す」

「は? ……えっ?」

「殺してあげる」

「ええと、詩都香さん……?」

「……あっ。ごめん、ごめん。冗談」

「いや、結構マジの殺意を感じたんだけど」涼子は目を泳がせながら湯呑に手を遣った。「ま、私もたしかにどうかと思うのよね。本職の声優さんを差し置いて、俳優が声当てるのって」

「うむ、いい心がけだ」

 全国のアニメファンの気持ちを代弁したつもりの詩都香は、うんうんと頷いた。

 翌日の約束を交わして涼子の部屋を辞した後、バス停を目指して歩きながら、ポケットの中のキーホルダーに新しい鍵が装着されているのに気づいた。

(……やられた。いや、やったのはわたしだけど)

 こんなものを渡されても困る、と思っていたはずなのに、結果はこのとおりである。涼子の振るアニメの話題に応じている内に、いつの間にやら合鍵を嘉納した形になっていた。

(やりおるわ、まったく。本人がいいと言っているんだから、まあいいんだろうけど……)

 詩都香は鍵一本分だけ重くなったポケットに手を突っ込んで歩いた。

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