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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第五章「猫と弟とおともだち」Katze und Bruder und Freundin.
44/114

5-4

「ふむ……」

 詩都香(しずか)の淹れた紅茶をすすったデジデリウスはひと声唸った。

「どうですか?」

「うん、何と言ったらいいか……。いや、違いはわかる。まず香りが違う。茶葉の違いなのかな」

「決め手は時間です。デジデリウスさんの淹れ方では香りが飛んでしまって、おまけに渋味が出過ぎてしまいます」

「なるほど。しかしなぜさっき淹れ方を教えてくれなかったんだ?」

「言ったでしょう、この味を覚えてほしい、って。次からは試行錯誤して、こんな感じを目指してください」

「なぜだ?」皿の上のビスケットに伸びた手が止まる。「教えてもらった方が手っ取り早い。お前も美味しいお茶を飲みたいだろう?」

「デジデリウスさんって、長く生きているくせに、女心が全然わかってませんよね。それとももうおじいちゃんだからですか?」

「なんだと?」

 聞き捨てならない言葉だったようだ。憮然としたデジデリウスがビスケットを口に放り込み、さくさくと噛む音を聞きながら、詩都香は言を継いだ。

「美味しいお茶が飲みたいならそれなりのお店に行きますよ。でも、誰かが自分をもてなそうと一生懸命になってくれる、たとえ結果が伴わなくとも。……それが嬉しい。わかりませんか?」

(なーに言ってんだ、わたしは)

 こんなことを臆面もなく口にする自分に鼻白む。もちろん、そんな内心はおくびにも出さない。

 決して大きくはなかったが、効果はあったようだ。

「女心、な。お前にもあったんだな、そういうの」

 デジデリウスは首をひねる。

「何を失礼な。わたしが思春期の乙女だってこと、忘れてません?」

「忘れかけていた。老人は物覚えが悪い」

 そんな皮肉をこぼして、デジデリウスはカップを口元に運んだ。

 予想の範囲内である。

「じゃあ逆に訊きますけど、どうしてもっと早く紅茶の味なんてわからないってこと、わたしに言わなかったんです? 正直に打ち明けてもらっていたら、わたしも教えてあげましたよ?」

「お前も男心がわかっていないじゃないか。一度『本場の紅茶を飲ませてやる』なんて言った手前、引っ込みがつかないんだよ」

「男心って」詩都香は口元をほころばせた。「わたしからしたらおじいちゃんもいいところじゃないですか」

「お前ね」デジデリウスはカップを置いて難しげな顔を作った。「たしかにお前から見たら私は老人だろう。だけど、男心を失ったわけではない」

「まるで現役の男性みたいなこと言わないでくださいよ」

「お前こそ失礼だ。私は現役の男だ」

(――よし、言わせた)

 それも、予想以上にいい言葉だった。


 詩都香はもう一度厨房に立ち、細心の注意を払って紅茶を淹れた。ティーポットと、お湯だけが入っているカップを手にして戻ってくると、デジデリウスはがつがつとビスケットを頬張っていた。

「そんなに美味しいですか?」

 遠慮がちに声をかける。

 デジデリウスは口元を押さえながら、バツが悪そうに振り返った。

「……いや、旨い。何百年も食べなかった味だ」

「実はもうひと袋あるんです」と、鞄から紙袋をもうひとつ取り出す。

「わたしはもういいですけど、よかったらどうぞ」

「悪いな。次に詩都香が来るまで大事に食べさせてもらおう」

「そんなに気に入ったのなら、次また焼いてきます。大事に、なんて考えずに食べちゃってください」

「そんなこと言って、お前が次いつ来るかわかったもんじゃない」

 デジデリウスが、ぷい、とそっぽを向く。

 詩都香はカップの中のお湯を地面に捨てながら、つい微笑んだ。

 嘘の混じらない微笑みだった。

「じゃあまた本を借りていいですか?」

「好きなのを持っていくといい。貸出期限は二週間。今度こそ厳守だぞ」

「はいはい」

 かくして茶飲み話は進んでいた。最近起こった主なできごとを話して聞かせた。詩都香にしてはやや多弁気味であった。

 次が最終局面だった。

 そうしてタイミングを窺い、その言葉を口にする。

「そう言えばデジデリウスさん、記憶を消す魔法って難しいんですか?」

 そういう魔法が存在するのは聞いている。ただ、詩都香はまだ使えない。

「記憶? 誰の記憶だ?」

「自分のです。自分の、嫌な思い出とか」

「やれやれ、今日は珍しくよく喋ると思ったら、それが狙いか」

 詩都香は微笑を返した。狙いはその通りだが、普段より饒舌な自分を演出したのには、また別の意図がある。

「教えてやってもいいが、あまり気は進まないな」

「なぜですか?」

「その前にどんな記憶だ? 話してみろ」

「消したいくらい嫌な記憶ですよ? それを話せって、鬼ですか」

「いいから話してみろ。それを聞いて判断する」

 詩都香は小さな溜息とともに、用意してきた話をぽつりぽつりと語り出した。

「わたし、このあいだ痴漢に遭ったんですよ」

「痴漢?」

 デジデリウスは眉をひそめた。

「あれ? ひょっとして知りません? 女の子の羞恥心につけこんで、体を触ってくる男の人です」

「いや、聞いたことはある。が……」

「が?」

 詩都香は先を促す。

「お前の体なんか触って、何が面白いんだろうな」

 ――この野郎。

 詩都香はこめかみがぴくぴくと痙攣するのを感じた。

「……いや、わたしもそう思わないわけではないのですがね。何が面白いのか、とそのときも思いましたよ。でも、本当に怖かった。……今も、怖いです」

 詩都香の口調はさきほどまでよりもいくぶん緩やかだった。その意味を、デジデリウスは詩都香の意図どおりに捉えてくれるだろうか。

「今も?」

「男の人が、です。……また何か酷いことされるんじゃないか、って」

「…………」

 デジデリウスが黙り込んだ。

「といっても、日常生活にそれほど支障があるわけでもないんですが」

「お前、男っ気なさそうだもんな」

「ちょっと。さっきからもう。……まあ、たしかにあまりありませんけどね。おかげで助かってます」

 デジデリウスは腕組みをして少し考え込んだ様子だった。

「話はわかった。男性恐怖症、か。そういうのがあるというのは聞いていたが。……私はどうだ?」

「は? 何がです?」

 ――来た。詩都香はとぼけながらも心中ひそかに身構えた。

 体の方はよどみなく動かす。右手を伸ばし、慎重にティーカップをとる。

「私も男だぞ?」

「何言ってるんですか、もう五百歳以上のお年のくせに」

 そう笑い飛ばして紅茶を飲み、カップをソーサーに置いた。

 ――かたかた、と微かな音がした。

 右手の微動がカップに伝わったのだ。

 詩都香はさり気ない動作で右手を引っ込めた。

 ついでに唇を軽く噛んだ。震える手が、デジデリウスの注意を十分に――そして決して必要以上ではなく――惹いたのを意識しつつ。

 気まずい沈黙が下りた。

 視界の隅で、デジデリウスが目を伏せたのがわかった。「現役」宣言を後悔しているのかもしれない。

 そして、さっきまでの詩都香の饒舌さを、男性という恐怖の対象であるデジデリウスの前で無理に明るく振る舞っていたのだ、と解釈しているかもしれない。

 ややあって、デジデリウスが口を開いた。

「……わかった。教えてやろう」


「やれやれ」

 結界を出た詩都香は、右腕をもみほぐした。

 無意味なところで震えが出ないかと、気が気でなかった。

 紅茶を淹れるところをデジデリウスに見せなかったのも、そのためである。

(やっぱり嘘を吐くのは疲れるわ。割に合わない)

 右腕のストレッチをしながら、商店街の本筋に戻る。

 せっかくここまで来たのだから、何か晩御飯の材料でも買っていきたいところだが、腕がこのザマではあまり凝ったものを作る気にならない。

 今晩も手抜きで許してもらうことにして、詩都香は駅に向かった。

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