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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第五章「猫と弟とおともだち」Katze und Bruder und Freundin.
43/114

5-3

 部活が終わった後、詩都香(しずか)はバスで(ひがし)京舞原(きょうぶはら)駅へと向かった。

 といっても、電車に乗るためではない。

 駅の構内を抜け、映画館を併設するショッピングモールを横手に見ながら、古い商店街へと向かう。

 詩都香は一軒の店舗で買い物を済ませてから、「昭和モダン」と「廃屋」の中間やや後者寄りといった佇まいのコーヒーショップから左手に折れ、小さな路地へと入った。

 そこに、魔法の素養のない者には気づくことさえできない、結界を張った空間があった。

 魔術師たる詩都香とて、この結界を破ることはできない。そもそも、事前に知っているのでなければ、目の前に結界が張られているということすら認識できなかったろう。結界の主と彼女とでは、それほどまでに力の差がある。

 ぎりぎりまで近づいて間合いを測り、言葉にさえならない純粋な精神感応(テレパシー)波を放つ。こうして来訪を相手に知らせるのだ。

 結界の一部に微かな波が立った。

 それを合図に、詩都香は結界の内側へと足を踏み入れた。

 小さな庭の奥に、これも小さな木造の欧風家屋がある。その扉をくぐって、ひとりの男性が出てきたところだった。

 見た目には若い。小ぶりの眼鏡と程よく秀でた額が、彼の豊かな知性を表しているかのようだ。

 しかし、その実体は優に五百歳を超える大魔術師である。

「詩都香、お前ときたら……」

 出迎えに出た大魔術師はご機嫌斜めのようだ。眉間に縦皺が寄っている。

「あ、すみません、お邪魔でしたか? ならこれだけお返しして失礼します」

 頭を軽く下げ、鞄を開けて中を漁る。取り出したのは一冊の革張りの本。先月中旬に、二週間の期限つきで借り出した魔術書である。

「延滞だぞ」

 本を受け取った男性はそうこぼした。もう三週間経つのだ。

「すみません」詩都香は再度頭を下げ、踵を返そうとした。

「待て。延滞料だ。少し話し相手になっていけ」

 予定どおりに制止された詩都香は、「まあいいか」というような顔をして、庭先の椅子に座った。


 この魔術師はデジデリウスと名乗っている。ラテン語名だ、俗語での本名は別にあるのだろう。

 彼について多くは知らない。世界最高齢の魔術師の一人で、とある理由からヨーロッパの故郷を離れ、ムガル朝のインドと明末清初の中国を経由して、江戸時代の日本に流れ着いたらしい。その当時、この場所は漁村だったはずである。

 らしい、というのは、こうした茶飲み話の間に聞き知った情報を総合した結果だからだ。

 彼は元弟子の詩都香のたまの来訪を楽しみにしているらしい。以前、孫と会うのを生きがいとしている一人暮らしの老人に喩えたことがあったが、おそらく本質はあまり変わらない。それなら破門なんかしなきゃいいのに、と詩都香はちょっと不満に思う。

 デジデリウスは今、湯気の立つティーカップを前に座っている。そしておもむろにカップを持ち上げ、中身をひとすすりした。

「ふむ……まあまあかな」

 紅茶の味である。このところ、たしかに以前よりも飲める味になってきている。

 が、同じくカップを口にした詩都香は、意図的に顔をしかめてみせた。

「ダメです、全然」

 普段は使わない厳しい言葉をあえて吐く。

「むっ、そうか」

 デジデリウスは少しうろたえた顔でカップに視線を落とした。

 初めて会ったとき、彼は「本場イギリス仕込の紅茶を飲ませてやろう」などと自信満々に言ったものだ。それなのに、その味の酷さときたら。

 詩都香は追い打ちをかけた。

「……デジデリウスさん、本当は紅茶の味なんてわからないんでしょう?」

 ひそかに察知しながら今まで言わずにいたことだ。

 デジデリウスは虚を突かれた表情になった。

「なぜ、そう思う?」

 否定するのでも誤魔化すのでもなく、反問に走る。肯定したも同然だ。数百年を生きてきたくせに腹芸ひとつできないのは、あるいは立派なことと言えるだろうか。ずっと人を遠ざけて生きてきたせいなのだろうが、元々の性分なのかもしれない。

 その辺りが故郷に居られなくなった原因だったりして、などと詩都香は少し心配になる。

「簡単なことです」詩都香は彼の逃げ道を塞いでやる。「デジデリウスさんがイギリスに行ったことがあるのは確かでしょう。でも、その頃イギリスに茶は伝わっていなかった。しかも、イギリスに最初に入った茶は緑茶です。インドにいた頃も、まだ紅茶の栽培は本格化してません。中国ではあるにはあったかもしれませんが、一般には完全発酵の紅茶は飲まれていません。デジデリウスさんが日本に渡ってきたのは十七世紀の半ばと推測しますが、日本で紅茶が普及するのは戦後。漁村だったここでは、お茶自体めったに飲むものではなかったでしょう。嗜好品に対する味覚は、育ってきた文化に左右されます。これが美味しい紅茶だ、という基準を知らなければ、味なんてわかるはずがない。日本でこうして結界の中に閉じこもったデジデリウスさんが、そうした基準を自分の味覚の中に育てる機会があったとは思えません」

 デジデリウスは黙って聞いていた。

 が、やがて渋い顔で頷いた。

「わかった、認めよう。恥ずかしながら私は紅茶の味がわからない。でも、どうして今になってそれを指摘する?」

 恥ずかしいとは思っているらしい。彼はこれで案外プライドが高いのだ。

「良くなってきたから、ですよ、デジデリウスさんの淹れ方が。たしかに努力しているのはわかります」

 と、一応そこで持ち上げてやる。

「――勘違いしたままあまり美味しくない紅茶を飲まされるだけだったら、何も言うつもりはありませんでした。でも、デジデリウスさんは頑張ってます。ただ、やり方が非効率的です。わたしの採点、これが唯一の基準だったんですね?」

 デジデリウスの目がほんのわずかに見開かれた。

 詩都香はデジデリウスの淹れた紅茶を百点満点で採点し、その点数を告げていた。紅茶の味を知らない彼にしてみれば、詩都香が高い点数をつけたときの味が目指すべきものとなっていたのだろう。

「……それで? 今日になってそれを指摘した理由は? お前の口ぶりだと、前からわかっていたのだろう?」

 詩都香は足元の鞄に左手を伸ばし、中から立方体状の缶を取り出した。

「お父さんの貰い物です。いい紅茶が手に入りました。だから今日はわたしが淹れます。それで、この味を覚えてください。別にわたしの淹れたお茶が最高だなんて言うわけではありませんけど、まあ一応の目安ということで」

 本当はさきほど専門店で買ってきたものである。

 デジデリウスは今度こそ「お」と声を出した。

「珍しいな、詩都香が私にサービスとは」

「本のお礼と延滞のお詫びです。ついでに、クッキーも持ってきましたからどうぞ」

 と、今度は紙袋を引っ張り出す。昨日生地を作り、今朝方焼いてきた手作りだ。

 デジデリウスに手渡すと、彼は中からひとつ取り出して口に入れた。

「……お前、これはビスケットというんだぞ」

「そんなところだけ本場ぶらないでください。お皿、ありますか? ……あまり高いものじゃなくてもいいですよ?」

 一応ここはアンティークショップだ。売り物の中には、目玉が飛び出るような値段のつけられた皿もあるかもしれない。

「準備しよう」

 そう言って席を立ったデジデリウスに続き、詩都香も紅茶の缶を片手に店の中へと歩を進めた。

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