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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第四章「鉄の棺」Der eiserne Sarg.
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4-終

 休憩室は寿司詰め状態だった。

 扉を押し開けた伊吹を、いくつもの見知った顔が迎えた。

 伊吹は彼らに向かって軽く頭を下げてから、右手のベンダー機に向かった。

 この休憩室には無料のベンダー機がある。それに、施設内で唯一喫煙が可能だ。嫌煙家でない所員は、ひと仕事終えた後みなここに来る。

「たまりませんね、先輩……」

 全体の平均よりもやや若い見た目の男性所員が、伊吹に声をかけた。

 船岡というこの所員は何の因果か伊吹と同じ大学の出身で、在学期間がまったく重なっていないにもかかわらず彼のことを「先輩」と呼ぶ。人懐っこい性格で、伊吹にとっても部下というより年下の友人というポジションに収まっていた。

 かつてはそれほど和気藹々としていたのだ、この職場も。

 船岡の言葉は、この場にいる全員の気持ちを代弁していた。ふわふわと立ち昇る紫煙とは対照的に、どんよりと重苦しい空気が漂っていた。

「イツキは何て?」

「同じだ。他の子の身を案じていた」

 熱いコーヒーの入ったカップを取り出して、伊吹は答えた。

「イツキ、優しい子だったから」

 しん、とつかの間の沈黙が下りた。

 誰からともなく、部屋中の視線がひとりの男性に集まった。半分盗み見るように。

 所長の簑田と同年代と見えるその男性は、飲み物を飲むでも煙草を吸うでもなく、ただ顔を俯かせていた。

 彼の名は峰といい、教育部門の主任である。

 この実験が始まって以来、教育部門は半ば不要になった。それ以前に、実験への抗議の意味も兼ねて、教育部門の他の所員はみな退職していた。きっと厳しい監視のついた生活を送っているのだろう。

 唯一残ったのが峰である。早くに妻と死別したという彼には家族もなく、両親も既に他界していた。彼は教え子たちの行く末を見届けるという責任を果たすため、ここに残っている。

 だが、彼女たちとの時間を最も長く過ごしてきた彼の苦しみは、いかばかりであろう。

 伊吹は峰から目をそらし、船岡に向き直った。

「もう予定日じゃないのか?」

 船岡とその妻との間に、第一子が生まれるのである。

「ええ、おかげさまで。明後日です」

 本当は伊吹もとうに知っていた。

 船岡も努めて何気ない風を装って頭を軽く下げた。

「奥さんについてなくていいのか?」

「さすがに明後日には休みとりますけど、それまでは……」

「男の子? 女の子?」

 これは初めてする質問だった。伊吹は怖かったのだ。

「さあ」

 だからその答えに、納得できた。

「さあ、ってお前」

 ――おそらく船岡も……。

「教えてもらわないことにしました。家内は知ってるのかもしれませんけど」船岡の顔がつらそうに歪む。「だって、もしこれで女の子だったら、俺、自分の子供を抱ける気がしません」

 やはりか。

「船岡、カウンセリングを受けてこい。場合によっては少し長めに休みをとらせてやるから」

 この施設には、精神科学の専門家たちも所属している。医師免許を持っている者もいる。

 船岡は空になった紙コップをゴミ箱に放った。

「いっそ狂いたいんですけどね。……いや、きっと俺らみんな狂ってますよ。こんな……こんなことをいつまでも……!」

 気持ちは理解できる。だが、容認はできない。

「船岡、狂気に逃げ込んで楽になろうとなんて思うな。我々はあくまでも冷静に理性的に事に加担している。……それが科学者としての責任のとり方だろう」

 船岡は唇を噛み締めた。彼にだってわかっているのだ。

「……すみません。下らないことを言いました。近いうちにカウンセリングを受けてきます」

 それから顔を上げて正面の壁に視線を向けた。

 伊吹もつられるように背後を振り返った。

 そこには幾枚かのポスターが貼ってあった。

 タールを含んだ煙にいぶされ続けてやや黄ばんだ紙面の上で、人気アイドルが笑っていた。



※十月八日、火曜日、曇りのち今は雨。

 あの映画、詩都香の評価もイマイチだったな。あの監督の作品が私のデビュー作で大丈夫かな。

 私は一度観てるから、今回はいろいろ細かいところにも気づけたけど、詩都香ってば初見であれか。大したものだわ。

 あの観察力、日常生活でも発揮されてるのかな。おー怖。

 今日の私は大丈夫だったかな。初めて観るふり、バレなかったろうか。

 裏切り、許すって。

 私も許す。今日はあんなこと言ったけど。

 だから許して。

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