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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第一章「ネズミ捕り娘はピアノを弾く」Die klavierspielende Rattenfängerin.
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1-2

 最近過労気味かも、と廊下を歩きながら考える。

 大部分は気疲れである。知らない人たちと頻繁にやりとりするのは、やはり性に合っていない。

 企画の進み具合をチェックし、遅れていれば発破をかけ、あるいは問題となりそうな点を指摘し、無理そうなら見直しを求める——今のところ、委員としてのひとつひとつの仕事はそれほど負担のかかることではない。

 しかしときに、文化祭実行委員の要求は、文化祭を楽しみたい一般生徒の気持ちと対立してしまう。

 ——のびのびとやらせてほしい。

 ——間に合わなくたっていいじゃないか、みんなで頑張った楽しい思い出が残れば。

 そう考える生徒にとっては、実行委員など煙たい存在でしかない。

 そうした態度を露骨に示されることもある。詩都香(しずか)の方とて、好きこのんで場に水を差しにいっているわけではないのだが。

(結構理不尽なもんよね、実行委員も)

 きっとこれは、多かれ少なかれどの委員会も同じなのだろう。

 とはいえ、あらゆる企画の可否の最終決定権は教師にあり、それでいて教師陣は表立っては動かず、矢面に立つのは詩都香たち実行委員なだけに、やはり理不尽なものを感じてしまうのだった。

 その一方で、歓迎されざる文化祭実行委員である詩都香に懸想する者もいたりするのだから、当人としては人情の機微は複雑怪奇、と言わざるをえない。

「はぁ……またか」

 昇降口で靴を履き替えようとして肩を落とす。

 手紙だった。

 読む気も起こらず、クリアファイルに挟んで鞄にしまい込んでしまう。

 こうした気持ちを向けられるのは、喜ぶべきなのだろう。詩都香のようなひねくれた人間を好きになってくれるのだから。

 だけど、こうも立て続けでは、いい加減辟易してしまう。ひとつひとつの想いに向き合う暇すらない。

 これもまた、心労の原因であった。


(……誠介(せいすけ)くん、最近好きって言ってくれないな)

 外履きに靴を替えた詩都香は、そんなムシのいいことを思った。

 三鷹誠介は詩都香のクラスメートであり、数少ない男友達の一人だ。

 彼は入学式のその日に詩都香に一目惚れしたのだという。次の週には面と向かって告白された。

 詩都香はそれを断ってしまった。出会ったばかりでよく知りもしない男性とつき合うなど、奥手そのものの詩都香には考えられないことだった。

 だが誠介はそれで諦めずに、あの手この手で詩都香の気を引こうとし、交際の申し込みを続けた。

 そしていつの間にか彼は、詩都香にとっても親しい友人になっていた。

 このままだと、いつか詩都香の心も陥落しそうだった。

 なんといっても、誠介は最初の軽薄そうな印象を裏切り、名前の通り誠実な少年だった。男子の間でも人気があるし、誠介に片思いしている女子もいる。そんな女子にとっては、詩都香はひどく憎らしい相手だろう。

 だけど、詩都香は誠介に向き合ってやれていない。

 誠介は詩都香の親友相川魅咲(みさき)の幼馴染で……片想いの相手なのだ。

 こんなフラフラとした頼りない気持ちで、魅咲を傷つけたくなかった。

 いずれ魅咲が決着をつけるまで、詩都香は誠介をそでにし続けるしかない——そう思っていた。

 ところが夏休みの頃から、誠介は詩都香に告白してこなくなった。気がつけばもう二ヶ月以上になる。もっとも、遊びに誘われたりだとか、ちょっかいは相変わらずかけられ続けていたが。

 勝手なもので、普段迷惑顔をしていたくせに、こうなってみると何やら胸に隙間風でも吹いているかのような心地がしてしまうのである。

 頑なすぎて愛想を尽かされたのだろうか。

 それとも、誠介が自分の本当の気持ちに気づいたのだろうか。

 詩都香とて、誠介の気持ちを無視して魅咲の恋の援護をしていたわけではない。

 誠介は本当は魅咲のことが好きなのではないか、と思っているのである。

 幼馴染といっても、誠介と魅咲は高校で再会するまで六年もの間離ればなれであった。

 まったくの偶然が、二人をこの学校で引き合わせた。

 そんな運命的な再会を邪魔してしまったのが詩都香である。

 あの日、誠介がこの学校で初めて出会った相手は、魅咲ではなく、愚かにも止まった時計を見間違えて誰よりも早く登校していた詩都香だったのだ。時折あの日の自分を呪いたくなる。

 誠介が向けてくる気持ちは、照れ臭くなるほど真剣でまっすぐだ。そこに偽りは見出せない。

 だけどひょっとするとその奥には、本人にもなかなか意識されぬほど深いところには、抑圧されざるをえなかった別の想いが眠っているのではないか。

 それが、入学後の数ヶ月間誠介と魅咲を見てきた詩都香なりの結論だった。

 ——だが。

「誠介、くん……」

 そっと呟いてみる。

 ——そうした結論とは裏腹に、やはり何かが満たされない。

 人生初の、そしてこれから二度と来るとも思えないモテ期を迎えて、詩都香の心は、当人にも信じられないほど不安定になっていた。

 こうして手紙をくれる相手の気持ちを疑っているわけではない。

 ……ないのだが、誠介の勇気と行動力を少し見習え、と言いたくなるのだった。

 もうすぐ文化祭。非公式の通称“徳操中祭(とくそうなかまつり)”。

 それまでに魅咲は誠介に告白することになっている。

 喧嘩を経て、詩都香がその言葉を引き出したのだ。

 魅咲がどれくらい不安に思っているのかは知らないが、詩都香の見るところ、七割がた成功する。

 残る内の二割は、今まで何度も「好き」と言ってきた相手がいるのに、魅咲から告白された途端にそれを受け容れてしまうことを、誠介が後ろめたく思ってしまう可能性だった。それはそれで詩都香にとっては嬉しくない。そんな風に気を遣われては、三人が三人とも気まずくなる。

 そして、最後の一割。

 十に一つの、詩都香自身予想もできない未来。

 ——そのとき、自分は果たしてどうするのだろうか。


 ずきずきと痛み出した胸を持てあまし気味にしながら、詩都香は文化部棟の入り口までやって来た。この建物の一階に文化祭準備室という部屋があり、委員会の会合もそこで持たれる。

 詩都香は自分に喝を入れ、仕事モードに意識を切り替えた。

「失礼します」

 他人を怖がりがちな自分の弱さを見せないように、いつの間にか身につけていたよそ行きの低めの声。喋れなくなるなら、初めから必要なことしか言わないようにすればよい。

 ホームルームが終わってからさほど時間を空けずに来たので、メンバーの集まりはまだ三分程度だった。

「あ、高原さん、こんにちは」

 一番前の席に座って何やら書き物をしていた女子生徒が顔を上げた。

 詩都香はその相手を認めて会釈する。

「こんにちは、会長」

 唐渡(からと)(りん)、三年生。この水鏡(みかがみ)女子大学附属高校の現生徒会長である。

 元々は副会長だったのだが、当時の生徒会長が四月に家庭の事情で転校してしまったために繰り上がったのだ。

 そんな経緯にもかかわらず、元の会長が霞んでしまうくらいに人望があり、信頼も厚い。そのためかあらずか、詩都香など新入生代表として入学式で挨拶をした折に元会長とも言葉を交わしたはずなのに、もう顔も思い出せないほどである。

「高原さん、郷土史研の具合はどう? 進んでる?」

 席を立った凛が、ぱたぱたと詩都香のところまで駆け寄ってくる。

「まあまあです。でも、部長は相変わらず部誌の編集にかかりっきりです」

 詩都香の所属する郷土史研究部の企画の準備は、本当は「まあまあ」どころではなく展示も含めてかなりまずいのだが、部長の吉村(よしむら)奈緒(なお)は原稿に妥協を許さなかった。これまで「独自研究」と称して部室に来ることも少なかったくせに、人が変わったかのように三面六臂の活躍中である。

「いざとなったら私が責任を持って印刷屋を口説き落とす」などと言うのを半信半疑で聞いていた詩都香だが、その後間もなく、奈緒が上の大学の出版部印刷所の女性職員を文字通り「口説き落とした」と伝え聞き、のけぞらされてしまったものだ。

「吉村さんに言ってくれない? たまには生徒会にも顔を出して、って」

 凛はそう唇を尖らせる。

 奈緒は生徒会執行部の会計をも兼任しているのである。

「わたしの立場では部長に意見になんてとてもできませんよ。それに、部長なんていなくても生徒会は会長たちで回せるでしょう?」

「ところがそうでもないんだなあ。吉村さん、すごく仕事できるし、先生方に話を通すのもお手のものだし、こっちも重宝してるの。それに、高原さんの言うことだったら吉村さんも聞くでしょう?」

 困ったことに、その言葉を全否定することはできないのだった。

 詩都香は奈緒から変な意味で気に入られている。詩都香が真剣に頼めば、あるいはしばらく生徒会に行ってしまうかもしれない。それはそれで、残された部員が困るのだが。

「言うだけ言ってみます。部長が行くかはわかりませんけど」

 そんな風に口約束で場をしのごうとすると、

「わ、本当? 助かる。ありがとう」

 凛は詩都香の右手を両手で包み込むようにして握ってから、席へと戻っていった。

 詩都香はそれを見送ってから、定位置となっている席につき、生徒会長ってのは大変だな、と他人事の気安さで考えた。普段の仕事をこなし、教師から舞い込む雑用も片づけ、こうして文化祭実行委員会とも連携を取らなければならないのだから。

(……伽那(かな)ってば、どうやって乗り切ってたんだろう)

 伽那は中学時代に生徒会長を務めていた。中学と高校では生徒会長の職掌もずいぶん異なるだろうが、あのぽやっとした伽那が凛のようにテキパキと仕事をしているところなど、詩都香には想像がつかない。

 とはいえ、伽那は伽那で計り知れない才能の持ち主であることはもちろん知っている。

 文武両道を地で行く魅咲が項羽だとすると、人を惹きつける力のある伽那は劉邦だろうか。どちらも二人に及ばない自分はどんなタイプなのだろう——などと詩都香が歴史上の諸々の人物を思い浮かべたところで、

「おっと、まだ少し早かったみたいですね」

 そう苦笑いを浮かべながら部屋へと入ってきた生徒があった。

 文化祭実行委員長、畠山(はたけやま)(つかさ)。三年生。

 近年まで女子校で、今なお女子の方が人数の多いこの学校の生徒会役員には珍しいことに、男子生徒である。

 体格は女子の中に交じっても目立たなくなるほど。柔和な顔立ちで、誰に対しても丁寧な物腰。そのくせ決して押し出しが弱いわけではなく、決断力と采配に優れる。

 韓信みたいだと言えるのかも、と詩都香はさきほどの連想から考えてしまった。

 数人の女子生徒が司を囲み、わいわいと委員会の話題とも単なる雑談ともつかぬお喋りを始める。司は積極的にモテるわけではないが、交友関係は広い様子であった。

 詩都香はそれをしばらく眺めてから、部誌の原稿の校正に入った。

(……おっと。先輩、ウィキペディアのコピーはダメですよ。部長に見られたら大目玉ですからね)

 朱は入れず、付箋を貼って後で執筆者の二年生部員本人に伝えることにする。

 ネット由来の情報はできるだけ使わない。やむをえない場合にはそのページのURLを明記する。ただしそれもオーソライズされた情報源に限る。

 こうした方針は周知されているが、特に歴女上がりには、ネットで仕入れた知識を内面化しすぎて、コピーの意識はなくとも典拠を確かめることなくそのまま原稿に反映させてしまう場合がままある。そういった怪しい箇所をあぶり出すのも詩都香の仕事の一つだ。

由佳里(ゆかり)は大丈夫かな)

 そんな風に、部活仲間であるクラスメートを気遣ってしまう。

 クラス委員の松本由佳里は入学以来手芸部に所属していたのだが、先日突然兼部の形で郷土史研究部にも入部した。詩都香を追っかけてきた態である。

 由佳里自身は成績も優秀だし努力家でもある。しかし何しろまだ入部したばかりだし、四月以来半年間今年のテーマの関連図書を読み知識を蓄えてきた詩都香たちに比べると、ハンデを負わされているのは間違いない。

 その上、由佳里はクラス委員でもあるわけで、文化祭のクラス企画に責任のある立場である。よその学校ならばそれも文化祭実行委員の詩都香の仕事になるのかもしれないが、このミズジョでは実行委員はあくまでも文化祭全体の運営責任者ということになっている。クラス企画においてはいわばヒラの立場だ。だからこそ詩都香も、実行委員で多忙な身であるにもかかわらず、クラス企画の劇でメインに近いキャストを務めるハメになっている。

(由佳里、無理してないといいけど)

 頼まれたら断れない気弱な同僚だからなおさら心配だ。最近はなぜか押しが強くなってきている気もするが。

 おっといけない、とそこで手が止まっていたことに気づいて仕事を再開しようとする。

 だがもうとっくに会合のメンバーは揃っていたようだ。

「それじゃ、そろそろ始めましょうか。さ、席について」

 副委員長とともに黒板の前に立った司がぱんぱん、と手を叩き、まだ立ってお喋りを続けている生徒たちに着席を促す。

 詩都香も観念して原稿の束を鞄にしまった。

 この日の議題は多くはなかった。遅れ気味のクラスや部、個人の企画を各委員が報告し、改善案を仰ぐだけである。

 詩都香の担当する企画には、今のところ新たな問題は持ち上がってはいないことになっている。だから今日は発言を求められない限りぼーっと座っているだけだ。

(お願いしますよ、部長……)

 一番遅れていると言っていいのが自分の所属する郷土史研究部なのだから、それでも心中穏やかではないのだが。

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