4-11
ひっそりと再開します。
年末年始の空き時間にどうぞ。
※※※
「揃っているな」
オペレーションルームに入った伊吹の声に、機器に向かっていた室内の全員が頷いた。
どの顔にも、緊張がみなぎっていた。
――緊張と、悲痛の色が。
伊吹が確認するまでもなく、必要な人員は揃っていた。後は不必要な者たちの来臨を待つだけだ。
「イツキの具合はどうだ?」
「脈拍にやや乱れがありますが、予想の範囲内です」
所員の回答に頷きながら、伊吹はさきほど別れてきたばかりの少女のことを思った。彼女は今、動揺する精神を必死になって落ち着けようとしているのだろう。
操作と計測のための機器の最終チェックはとうに完了していた。それなのに、室内の誰もがまだディスプレイとにらめっこしている。
オペレーションルームの扉がまた開いた。
先頭に立って入ってきたのは六十前後の見た目の小柄な男性だった。その背後に、さらに三名の人物を従えている。
所員全員が立ち上がって彼を出迎えた。
「どうかね、伊吹主任」
挨拶に軽く手を上げて応えてから、彼は伊吹に視線をよこした。
「はい、所長。実験は問題なく開始できます」
伊吹は彼の目をまっすぐ見返しながら言った。
背後の空間が軋みを上げる心地がした。部下の所員たちはみな、今日の実験が中止になることに最後の望みをかけていたのだ。
だが、伊吹は彼らの期待に応えてやることができない。
「今回こそ成功を期待しているよ」
所長と呼ばれた男は、そう言って用意された席に座った。この部屋が船舶のブリッジであれば、船長席に当たる。
簑田宗典、61歳――急逝した前所長の後釜として、何処よりか派遣されてきて所長のポストに収まった男。以前からの所員には蛇蝎のごとく忌み嫌われている。
彼に続いて入室した三人は、所長席の傍らの、こちらは急ごしらえの椅子に腰を下ろした。男性が二人、女性が一人。全員が彫りの深い顔立ちの外国人だ。
オブザーバー気取りの彼らから顔をそむけ、伊吹は正面の大型ディスプレイに向かった。
そこに映し出されているのは、各種のデータと、化物のように巨大な装置、〈ブルーメ〉のリアルタイムの映像だった。
この施設の広大な地下空間の大半を占める装置。その末端につながれたカプセル――〈カイム〉と呼ばれている――の中に、イツキがいる。
指定席に座った伊吹は、今回もやはり目の前のマイクには手をつけなかった。これを介せば、〈カイム〉の中のイツキと会話ができる――そんな誘惑に抗った。
今彼女は孤独に戦っているのだ。死の恐怖と。
伊吹が声をかければ、イツキの心を挫いてしまう。そうなったら成功率はさらに下がる。
「では、始めよう」
伊吹の着席を合図にしたかのように、簑田が厳かに宣言した。
室内の緊張がさらに高まった。
伊吹は頷いて指示を出す。
「実験開始。“開封信号”、送信始め」
「“開封信号”、送信始め」
部下の所員が復唱し、必要な操作を始めた。
――やがて、
「伝達完了。被験者五号の〈モナドの窓〉開放まで、九百五十秒」
ディスプレイ上に、残りの秒数が緑色の数字で表示された。
誰も身じろぎ一つしない。所長も、オブザーバーたちもだ。
たまらない時間だ、と伊吹はいつも思う。
十六分弱もの間、所員たちは自分に割り当てられたディスプレイを睨み続ける。
何か異状が見つからないか、目を皿のようにして変動する数値を追っていることだろう。今ならまだ中止も間に合うのだ。
「推定よりやや早い。残り三百八十秒」
一気に時間が半分以下になった。それは、被験者が〈モナドの窓〉に適性を持っていることを示す。失望と期待という、相反する心情が室内を満たす。
簑田が身を乗り出した。彼も期待しているのだ。期待のみを。
イツキはムラっ気がある方だったが、集中したときの能力は他の娘たちよりもいちだん高かった。
彼女なら成功させるかもしれない。
「残り六十秒」
十秒ごとに残り時間が読み上げられていく。
空気が張り詰めた。
「十秒」
ぎりりっ、と歯ぎしりの音がした。
出どころはわかっている。緊張と集中が頂点に達したときに、歯ぎしりをする癖のある所員がいるのだ。
音こそ出さなかったものの、伊吹も奥歯を固く噛み締めていた。他の所員も同様だろう。
「六、五、四、三……〈モナドの窓〉、開放」
減る一方だった数字がゼロになり、今度は赤色の数字が増えていく。被験者の〈モナドの窓〉が開放されての経過秒数だ。
(十秒だ)
伊吹は両の拳を握りしめた。
被験者――イツキに、どうしても耐えてもらわなければならない時間がある。
――わずか九・五秒。〈カイム〉に組み込んだ魔法道具の限界なのか、この時間だけはこれ以上短縮できないでいる。「十秒の壁」と所員たちは呼んでいた。
そして、今まで七人の娘たちが、この壁を突破できずに終わった。
神なき科学者は、祈るように数字を睨んだ。
イツキ……、イツキ。
娘たちの中でいちばん背の低かったお前は、いつも無理をしていっぱいご飯を食べていたね。たくさん運動して、たくさん寝て、まるで猫のようだった。
みんなで尾瀬高原に行ったときのことを覚えているかい? お前ははしゃぎすぎて、途中で歩けなくなってしまった。おぶったときのお前の軽さ、私は覚えているよ。あのときは私の上の息子が駄々をこねてね、イツキちゃんだけずるい、って。お前より一つ上なのに、仕方のない奴だ。
あのときの約束、お前は覚えているだろうか。お前に両親がいないと聞いたら、だったら僕がイツキちゃんと結婚して家族になるだなんて、父親に似ずに積極的な子供だ。
あいつももう高校二年生だ。たまに訊かれるんだ、イツキは元気にしてるか、なんて。
私は必要な嘘は吐くよ。養子に迎えられた先で元気にしているようだ、って。
イツキ――
「被験者、嘔吐!」
伊吹の想いは、悲痛な声に遮られた。経過時間が七秒を超え、誰もが期待に口を開きかけたときだった。
室内の空気が弛緩した。
「血圧低下……。脈拍、ゼロへ……。心音、確認できず。被験者五号、死亡」
伊吹は脱力した体を椅子の上で支えるのに精一杯だった。
喉から絞り出すように言う。
「実験、終了」
それから、この場の実質的責任者として、周囲を見回す。
ディスプレイに突っ伏す者。体重を椅子の背もたれに預ける者。
そして――
「やはりダメだったか」
「それはそうですよ、ジャック。私たちの秘儀、そう簡単に真似されてたまるものですか」
「ジャックもアンジェラも不謹慎だぞ。貴重な生命が犠牲になったんだ、せめて祈ってやれ。天にまします、我らが父よ……」
それから、「アーメーン」とおざなりに十字を切るオブザーバーの三人。
彼らが部屋を出ていく音がするまで、伊吹はディスプレイを睨んでいた。
映像内のカプセルに、医療班が駆け寄っていく。
「……クルミだ」
背後からかかった声に、伊吹の背を冷たいものが伝う。
「最後の希望だ。我々にはクルミが必要なのだ」
大丈夫だ、これは独り言だ。まだ、独り言で済んでいる。
――我々、だと? 私たちと同じ存在のつもりか。お前たちに何がわかる。人を捨てた化物どもめ。私はお前たちとは違う。科学者であり、人間だ。
簑田の気配も去った。伊吹は席を立った。
「あの――」
退室しようとしたところで、オペレーター役を務めていた所員が声をかけてきた。
伊吹は振り返った。
「どうした?」
「イツキ――いえ、五号はどうすれば……」
「指示が必要か?」
彼に背を向け、扉の把手をとる。
「蘇生措置。それがダメならいつも通り解剖だ。二番医学処置室に運べ」
――そうだ、弱くて狡くて汚い人間だ。




