4-6
年内完結を目指すというのは大言壮語が過ぎました。
もう少しだけ続きますので、来年もおつき合いください。
※※※
映画館を出ると、街は夜の装いに衣替えしていた。
「まだ人多いね」
「ほら、東京とか横浜とかに勤めてる人も多いから、ラッシュのピークが分散しちゃうわけよ」
詩都香と変装した涼子は、当たり障りのない話題に終始しながら東京舞原駅の方へと並んで歩いた。同じ作品を観終わった客も周囲にはちらほら見かけられる。
駅の構内を抜け、駅前の大通りに出たところで、やっと涼子がそれを尋ねた。
「どうだった、詩都香?」
映画の評価である。
「……言ったでしょう、わたし映画にはちょっとうるさいって」
「あ、ダメだった?」
そう言う涼子の方とて、他の観客たちから離れるまでこの話題を避けていたところを見ると、詩都香と似たような評価を下していたのだろう。
「別に箸にも棒にも、ってわけじゃないよ。まあまあ面白かった。テレビでやってたら視聴するレベル。釣りバカ日誌みたいな?」
「うわ、なんかそれよくわかる」
涼子はくすくすと笑う。
「まずラスト。なんか騙されたみたいな感じ。まあ、そこそこ感動したのは事実なんだけど」
「詩都香ったら洟すすってるんだもん。うわ意外、って思っちゃった」
バレていたのか、と詩都香は赤面してしまう。それを誤魔化すために、つい早口になる。
「だから感動はしたってば。でも、押しつけがましんだよね。唐突で都合のいい感動のフィナーレ。ほらここ泣くところですよ、って言われてるみたいな」
涼子はにやりとした。
「見事にそれに乗せられた詩都香さんもなかなか語りますなあ」
「だっ、だからそれは認めてるじゃない。それにさ、余韻もイマイチなんだよね。感動シーンをずるずると引っ張って、いやもういいよ、ってなったところでエンドロール。いやいやいや、他になんかあるでしょ、って感じ」
「そうなんだよねえ。ちょっとカタルシスに欠けるっていうか」
「あと、序盤。いきなり登場人物がどちゃっと出るでしょう? しかも大半は二度と出てこなかったし、ストーリー的にも大して必要な場面じゃなかったし。ドラマの劇場版じゃないんだからさ、あんなに出されると登場人物の整理が追いつかないよ。わたしなんて、最初誰が主人公なのかもわからなかった」
涼子は少し不思議そうに首を傾げた。
「『主演三井裕信』って最初に出てたじゃない」
詩都香は唇を尖らせた。
「わたし、その俳優知らないもん」
うはあ、と涼子は感心したとも呆れたともつかない声を上げた。
「三井くん知らないんじゃ、私のことなんて知らなかったのも当然だよね」
「人の顔覚えるの苦手だから。特にテレビの中の美男美女はみんな同じハンコ顔に見えちゃう。もっと個性的な顔なら覚えられるんだけど」
詩都香の数多い欠点のひとつである。人見知りで他人の顔を直視するのが苦手なせいかと思っていたが、テレビの中の芸能人にまで及ぶとなると、脳の中の顔領域に問題があるのかもしれない。無論、テレビを視聴する時間の短さにも起因するのだろうが。
“女には向かない職業”には本当に向いていないだろうな、などと考える詩都香だった。
「三井くんは“エーテルドライブ”の中でもイケメン担当というより二・五枚目って感じだと思うけどな」
そのグループ名には覚えがあった。メンバーの名前はあまりしっかりとは覚えていなかったが。「三井くん」という呼称が一般的なものなのか、それとも涼子が個人的に面識があってのものなのかも、判断に困る。
「でも、あの三井くんがああいう役どころってのは大胆な起用かも。その意外性は評価できる」
「わたしはそういうのあまり評価できないなあ」
キャスティングは重要であるが、映画はあくまでも撮り方・見せ方で評価すべきである。前以ってキャラクターの確立された俳優を起用すると、観客は余計な先入見を抱いてスクリーンに臨むことになる。あの登場人物はイメージ通りだった、イメージと違った、というのは、映画作品としての出来・不出来とは本来無関係であろう——
詩都香がおおよそそのような持論を展開すると、涼子は同意しかねる、と首を振った。
「そうは言っても、映画の他には舞台くらいしか活躍の場がなかった一世紀前ならまだしも、これだけ芸能人の露出が増えてる現代だもん、俳優を使えばその一人一人に具わってるキャラクターってのもいっしょについてくる。これは仕方のないことなんじゃない?」
「そうかなあ」
「そうだよ。それに、詩都香の考えを突き詰めると、映画に生身の人間は出ちゃいけない、とか、映画よりも小説を読んでいた方がいい、ってことにならない? 本ならほら、自分の好きなようにイメージできるし」
的を得た反論に、詩都香は肩をすくめることしかできなかった。
「わかったわかった。降参。不用意な意見でした。でも、キャスティングの話題性に頼った作劇には賛同できない、ってのは譲らないよ」
が、これもまた不用意な意見だったかもしれない。
涼子は追撃を加えた。
「限度ってものはそりゃあるけどね。でも……そうだな、詩都香は小説読むときに、成立の経緯とか、モデルとか、そういうの気にならない?」
「そりゃ気になるけど」
本当のところ、「気になる」どころではない。腑に落ちないところがあれば徹底的に調べずにはいられないのが詩都香という読者である。そして、そうした方がより作品を楽しめると思っている。
「でしょ? でもそれだって、詩都香の意見に従うと、“作品としての出来”から外れたものじゃない?」
「そうかなあ」
咄嗟の反論が思いつかず、二度目の「そうかなあ」だった。
「そうだよ。詩都香って絶対意識高い系の読者だから、いろいろ調べてさ、こういう風に楽しまずに読み捨てにしてる人はかわいそう、とか思ってそう」
「思ってない、思ってない」
詩都香は首を振った。“意識高い系”はひどい。
「つまり、コンテンツは閉ざされてはいないってこと。読書するときには自分から積極的にコンテンツを広げるのに、映画やドラマでは外部を切り捨てちゃうのは不公平じゃない? キャストだってコンテンツの一部なんだから、知って損はないでしょ? まあ、詩都香みたいな考えも私はアリだとは思うけどさ」
二人は駅前通りを北上していた。良さそうなお店があるたびに、店の前に掲げられたメニュー表をひととおり睨んでいく。
食事をして帰る約束になっていたのだが、詩都香も涼子も、行き先の案を携えてきたわけではなかった。
詩都香には、涼子を連れて入るようなレストランに心当たりがなかった。
「そんなの気にしなくてよかったのに。変なときだけ私を有名人扱いするんだから」
本人にはそう言われてしまったが。
一方の涼子は、東京舞原は詩都香のホームタウンだから、と任せる気でいたのだという。
どこまでも噛み合わない二人だった。
そうしながらも、映画論議は続く。
「涼子も結構語るのね」
「そりゃあ、私にとっては自分の仕事のことだもん。俳優不要論をぶち上げられて黙ってはいられないよ」
「不要だなんて言ってないでしょ。……でもそうか、涼子も銀幕デビューか」
「銀幕て、昭和か」
「ああ、うん、昭和」
詩都香は少しだけ勢い込んでこくこくと首を縦に振った。ペルム紀から二十世紀に戻ってこられた。
「……? ま、期待しててね。詩都香の懐いてる私のイメージを壊してあげるから」
スクリーン上の涼子の姿をぼんやりと想像した詩都香は、あ、と小さく声を上げた。この涼子がどんな表情を見せるのだろう、と考えると、楽しみが膨らむ。涼子の言ったとおり、たしかに先入見を抱いて鑑賞するというのも悪くない。
それでついでに、いたずらめかして訊いてみた。
「……もしかして、脱ぐの?」
「脱ぐか!」
笑いながら歩を進める二人。と、そこで背後から声がかかった。
「高原?」
詩都香と涼子は同時に振り返った。
「よお、奇遇だな」
声の主は三鷹誠介だった。後部に金髪の少女を乗せた自転車を押している。
金髪少女の方も自転車を降りて、「こんばんは、高原さん」とお辞儀をした。
小学生並みと言っても差し支えない背丈の少女を相手にして、それほど長身というわけでもない詩都香も、つい腰を屈めて挨拶を返した。
金髪少女の名前は薄氷もみじ。誠介が事務作業補助員として雇われている先の娘で、時折こうして二人で出かけているのだという。もみじの祖母に当たる人物がドイツ人で、見事な金髪はその遺伝と聞いていた。
「ええと、そちらは?」
誠介が涼子に目を向け、しばらくしてその顔が驚愕に固まった。
「河合涼子……さん、だ」
もみじも目を丸くする。
「はじめまして。河合涼子です」
と、涼子はいつもの如才ない笑顔で軽く頭をさげる。その目が、予想外の成り行きにまごつく詩都香の方へ向けられた。紹介してよ、という目配せ。
「……ああ。ええと、うん、二人とも、こちらは河合涼子さん。その様子だと紹介する必要もなさそうね。——涼子、こっちは三鷹誠介くん。クラスメート。で、こっちの子が薄氷もみじちゃん。誠介くんのバイト先の子で、中学一年生。横浜の中学に通ってるんだって。薄氷川と同じ字の、ちょっと珍しい苗字」
「三鷹誠介です」
「薄氷もみじです」
詩都香の紹介を受けた二人がおずおずと名乗り、それに対して涼子がもう一度頭を下げた。
それから、涼子が不意にもみじに近づいた。
「もみじちゃんっていうんだ。うわあ、すっごい綺麗な髪! 羨ましい!」
「えっ!? あ、ありがとう……」
涼子の勢いに呑まれてか、もみじは反応に困っている様子だった。
「自毛? もしかしてハーフなの?」
「えっと、クォーターです。祖母がドイツ人で、マリエルって名前で……」
あれ? と詩都香は首をかしげた。もみじの祖母の名前は、以前ミレイユと聞いた記憶があるのだが。
そこで誠介が詩都香に話しかけてきた。
「何? 何の知り合い?」
「何のって、普通に友達。この間知り合ったばかりだけど」
「高原が河合涼子と友達ぃ!?」
誠介が上体をのけ反らせた。
「不釣り合い?」
少し棘のある声になってしまう詩都香。
「いや、別にそんなことは………いや、悪い。やっぱり不釣り合いな気がする」
「正直でよろしい」
詩都香は笑って赦免した。
視線を移すと、涼子はほとんど抱きつかんばかりの勢いでもみじに構っている。
涼子の気持ちもわからないではない。もみじは小さくて可憐で、詩都香から見ても可愛らしい。生意気な弟とトレードしたいくらいだ。
とはいえ、詩都香の関心が向かうのはむしろ誠介の方だった。
「ん? どうした?」
ちらちらと窺う詩都香の眼差しに気づいたのか、誠介は眉を上げた。
「ううん。……誠介くんって、あまりアイドルに興味ないの?」
「いや、俺もその辺結構ミーハーだぜ?」
「じゃあどうして……」
どうして一歩引いたような振舞いなのか。
「だって高原も河合涼子に負けないくらい可愛いもん」
うっ、とこの不意打ちにはさすがに息を飲んだ。
「好き」ではなかったが、この手の台詞をかけられたのは久しぶりな気がした。
「あ、ありがとう……」
お礼を言うのも妙だが、詩都香は蚊の鳴くような声で応じた。
「それに、ちと気になることがあってよ」
「気になること?」
と尋ねつつ、そっちが本当の理由なのではないかと直感していた。
誠介はしばし逡巡するような表情を見せた後、「いや、やっぱいい」と首を振った。
「何それ。こっちが気になっちゃうじゃない」
拍子抜けして文句を垂れる詩都香。
「ま、お前が河合涼子と友達ってのは意外だけど、仲良くな。——おーい、もみじ! そろそろ行くぞ」
「は、はーい」
とうとう涼子から抱きしめられていたもみじが苦しそうに返事した。
「やーん、あのもみじって子、すっごく可愛かった。お持ち帰りしたいくらい」
誠介ともみじを見送り、歩みを再開するや否や、涼子がだらしない笑みを浮かべた。これはカメラの前では見せられまい。
「あの子に会った女子はみんなそう言うわ」
「女子? 男子は?」
「男子がどう思ってるのかは知らないけど、口には出さないんじゃない? 危ない人って思われるし」
「あー、たしかに。小学生はまずいよね」
「中学生だってば。失礼よ。あの子、背が低いの気にしてるみたいだし」
と、詩都香はたしなめる。
なかなかこれといった店が見つからない。
「ファミレスでいい?」
とうとう諦めた。
「いいよ」と頷く涼子にも、特に不満はなさそうだ。
そうだ、昨日も魅咲に言ったではないか、涼子は普通の子だ、と。普通の女子高生が二人で入るのに、ファミレスでまずいことがあるか。
方向転換した詩都香に従う涼子が、くすくすと笑い声を漏らした。
「あっちの男の子、三鷹くんっていったっけ? 珍しいタイプだね。私のこと知ってるみたいだったのに、詩都香にべったり」
「それは何? 自信とかプライドとか、そういうの?」
「ちがうよ」涼子は空いている方の手を少し慌て気味に振る。「ただの一般論」
「照れて話しかけられなかっただけでしょ」
この話はここまで、というつもりでぷいっと顔を背けてみせたのだが、涼子はかえって食い下がってきた。
「いやあ、あれはそういうんじゃないな。私のことなんてどうでもいいって、そういう態度。もっと興味のある対象がそばにいたから。もちろんそれは——」
「ちょっと、やめてよ」
話の向かう先を察知した詩都香が遮る。「わたしたちはそういうんじゃないからね」
「詩都香ならそういうリアクションをとるだろうな、って思ってた。照れ屋さんだもんね、詩都香は」
「照れてないっ」
相手の思うツボとは知りつつも、詩都香はそれこそ新鮮味のないリアクションをとってしまう。
涼子はニコニコしていた。
「ふーん? でももったいないなぁ。結構格好いい人だったじゃない?」
「格好いいか? 涼子なんてスタジオとかでもっと格好いい人見飽きるくらい見てるでしょ」
「あれ? 三井くんをイケメンっていうから査定甘いのかと思ってたけど、そうでもないのね。——うーん、そういうアイドル系ではないけど、なんていうのかな、一本ピシッと芯が通ってるっていうかさ」
「武道やってたって話だから、それででしょ。今度誠介くんに伝えとくわ、涼子が格好いいって言ってた、って。さすがに誠介くんも喜ぶわよ」
「あ、名前呼び」涼子はつまらない言葉尻を捕らえる。「やっぱ仲いいんだ」
「小学生みたいなはやし方するな」
つき合いきれない、とばかりに詩都香は足を速めた。いいかげんお腹も空いている。
「あっ、待ってよ、詩都香あ」
涼子がパタパタと追いかけてきた。




