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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第四章「鉄の棺」Der eiserne Sarg.
33/114

4-5

 ※※※

 登校した詩都香(しずか)を、三通の封書が待ち構えていた。

 十月八日火曜日の朝である。

 一通は見覚えがあり、もう一通は新顔らしく、最後の一通は少し場違いだった。

 詩都香は溜息を漏らしながらトイレに向かう。

 まず見覚えのある一通を開封する。

 便箋に綴られた文字はたった二行だった。

『先週はやはりお忙しかったのですね。今日も屋上で待ってます』

 封筒の中には律儀にも白紙の便箋がもう一枚入れられていた。毎回しっかり手紙の作法を守っている。

 先週というのは金曜日のことだろう。この相手が毎週火曜日と金曜日に手紙を寄越すのを、もちろん詩都香は把握していた。Tuesdays and Fridays always get me down——などと口ずさんでしまいたくなる。

 ここまで繰り返されると、もう怖くて待ち合わせ場所には行けない。ひょっとして詩都香の反応などどうでもいいのだろうか。

 肩を落としつつその手紙をしまい込み、次の一通を開ける。

 名前が記されていたことにホッとした。記憶にない名前ではあったが、文面から相手の見当もつく。

 末尾の「文化祭を楽しみにしています。」という一文まで目を通してから、詩都香はこれも封筒にしまい直した。どうやら今すぐにどうこうという話ではないらしい。

 そして最後の一通。これだけが場違いだった。

 今日投函された他の二通に限らず、恋文やそれに類する封書は、紙質であったり、デザインであったり、ときにはシーリングワックスであったり、何らかの工夫を加えた封筒に入っていた。詩都香の目を惹きたいのだから、当然だろう。

 ところがこの一通は、なんとも無愛想な白封筒なのである。

 宛名は「高原詩都香さま」、裏面に署名はない。

 わずかに警戒しながら開封すると、一枚きりの便箋の半分にも満たない本文が目に飛び込んできた。

「はぁ!?」

 最初の二行で詩都香は思わず声を上げてしまい、口元を押さえた。

 続きに目を走らせる。


「やっほー、詩都香。

 涼子です。

 せっかく万年筆買ったんで、さっそく手紙を書いてしまいました。

 こういうのもたまにはいいよね。

 で、ですね。今日、映画を観に行きませんか?

 勇気を出して誘ってみます。お返事くれますか。

 あらあらかしこ。


                           河合涼子」


「何があらあらかしこじゃ……」

 詩都香は嘆息してから携帯電話を取り出し、メールを打った。

『何あの手紙? どういうこと?』

 返事はすぐに来た。あらかじめ文面を準備して詩都香からのメールを待ち構えていたと見える。

『実はね、今やってる映画の監督の次回作に出演することになってて。見てないってのもなんだし、せっかくだから詩都香も誘って観に行こうかなって。放課後だと十六時四十分のと十八時三十分の回があるけど、どっちがいい? あとついでにご飯でも食べようよ。』

 詩都香の送った疑問文には「今朝わざわざこっちまで投函しに来たっていうの?」という含みもあったのだが、涼子は気づかなかったようだ。あるいはそんなわかりきった疑問に答えるつもりがないのかもしれない。

 詩都香は少し考えてから返信の文面を打った。

『十八時三十分で。言っておくけどわたし映画には少しうるさいよ。』



 ※※※

 (いずみ)恵真(えま)ことノエマ・フォン・ゼーレンブルンは少し緊張しながら学校の正門を抜けた。

 一人ではない。かといって、双子の姉と一緒でもない。

 隣を歩くのは、同学年の中学生としては背の高い男子生徒。

 高原琉斗(りゅうと)——ノエマにとっては敵対陣営に属する魔術師の弟にして……初恋の相手。

 その恋は現在進行中である。少なくともノエマの方は、少なからぬ懊悩の末にこの片想いの継続を心に決めていた。

 一時帰国から日本に戻った後、何度かこうしていっしょに下校した。ノエマと違って交友関係の広い琉斗は共に帰る相手に不自由しないだろうに、わざわざ時間をとってくれている……気がする。

 つい先ごろ、琉斗の態度によって酷く傷つけられた経験のあるノエマは、余計な期待を抱かないよう自戒していたが、それでもやはり心臓の鼓動が高まってしまうのを止めようがない。

 はたから見れば、たまたま行先が同じ方向だから連れ立っているのかと思うほど、会話の盛り上がらない二人であった。この年頃の男子の半分がそうであるように、琉斗は女子といるからといって多弁になるタイプではなかった。ノエマの方はもともと寡黙なタチである。

 今日も、その日あった出来事を報告し合うと話題が尽きた。なにしろ席が隣同士なのだから、一日に起こった出来事にそうそう違いがあるはずがない。

 何もしなくともいっしょにいるだけで心地よいというほど、二人の関係は進んでいない。ノエマが何か言わねば、と気を揉んでいるうちに、琉斗が先に口を開き、プロ野球がどうしたこうした、というような話をした。

「来年こそはCSに進出して突破してくれると思うんだよな」

 彼の話は広がることなく終わった。スポーツに関する知識を持ち合わせていないノエマには、相槌すらロクに打てなかったことが無念だった。彼の方だって野球になんか興味ないだろうに、という申し訳ない想いもある。きっと琉斗も手探りで話題を探していたのだ。

 またしばらくの沈黙の後、埋葬された遺体を掘り返すように、琉斗はスポーツの話を続けた。

「ドイツだとサッカーだよな。ブンデス。向こうではどうだった? スタジアムに観に行ったりしたか?」

 ノエマは首を振った。

「ううん。うちはスポーツ観ない家庭だったから」

 応援するとなればどこのチームだろう。行ったことのあるシュトゥットガルトか。それとも地理的にも近く、ブンデスリーガ一部で戦っているフライブルクか。

「高原くんはどこ応援してるの?」

 せっかく話を振ってくれたのだ、と思い直してノエマは尋ね返した。

「俺は一応地元のクラブ。人気も実力もパッとしないけど」

 京舞原にサッカーチームがあることを、ノエマも知ってはいた。テレビのローカルニュースで取り上げられることもあるからだ。が、琉斗の言う通り、現在のところ下部リーグに低迷しており、いくらなんでも県内にクラブが多すぎるのではないか、といった声も上がっていると聞く。

 しかし、やはりそれ以上のことを知らないノエマに話を広げる術はなく、「来年は頑張ってくれるといいね」で終わってしまった。琉斗といっしょでなかったら、自分の不甲斐なさに唇を噛んでいただろう。

(私も姉さんみたいに雑誌とかテレビとかでもっと情報に触れた方がいいんだろうな……)

 いつも思う。

 だが、生まれつき生真面目な性格のノエマは、姉のノエシスほど要領よく振舞うことができない。宿題やら授業の予習・復習やらを片づけないと落ち着かないし、帯びた任務のことや自分の出自などについてあれこれ考えてしまう。そうしている内に、テレビのゴールデンタイムは過ぎてしまうのだ。

 おまけに、会話には不自由がないとはいえ、帰国子女のノエマは語学上のハンデを負っている。若者向けの雑誌などは、ときに彼女の語彙力を超える。一度ノエシスにあれこれ尋ねたところ、

「そんなのフィーリングで……ああ、感覚的に理解しなよ」

 などと呆れられてしまった。“フィーリング”まで言い換えられてしまい、その心遣いに痛み入らされたものである。いやはや、まったく。

 と、そこで琉斗が「悪い」とひと声かけてポケットから携帯電話を取り出した。メールらしい。立ち止まって画面を一瞥し、溜息を吐く。

「またかよ」

「迷惑メール?」

「いや。もっと迷惑なメール。姉貴から。今日は遅くなるから、晩メシ適当に食えってさ」

 琉斗の姉の詩都香(しずか)が文化祭の実行委員としてなかなかに多忙であるということは、ノエマも伝え聞いていた。

「そういうときって外食なの?」

「ああ。後で姉貴が金くれるけどさ。でもどうすっかなあ……」

「もしかしてお小遣い足りない?」

 不躾に訊いてしまったが、琉斗に気を悪くした様子はなかった。

「五百円くらいしかねーわ。どっかで弁当かな」

 独りで食卓に向かってコンビニ弁当を広げるというのも、十四歳の中学生としては寂しい光景である。しかも、ノエマは妙な成り行きで一度いっしょに食事を作ったことがあるから知っているのだが、詩都香はかなり料理が上手だ。その分落差が大きいだろう。

「どっかで食べて行こうか? 私が出すから」

 少し緊張して誘ってみたが、琉斗は首を横に振った。

「いや、今から食ってもどうせ夜には腹減るし」

 もっともだ。

「それに、こんなこと言うとなんだか怒られそうだけど、お前に奢ってもらうっていうのもなあ」

 琉斗には古風で保守的なところもあるらしい。ひょっとして自分は失礼なことを口にしたのではないか、と今さらながらにドキッとしたノエマは片手を振った。

「ううん、奢るんじゃないよ。詩都香さんからお小遣いもらったら返してもらうし。——でもたしかに今食べて帰っても仕方ないのかな。……あ」

 そこで大胆なことを思いついた。

 ——彼を家に呼ぶというのはどうか。

 ゼーレンブルン姉妹の住むマンションと高原家は近くはないが、自転車にでも乗ればそう遠いというほどでもない。それに、以前から温めていたプラン——姉の不在時に食事を作りに行く、というもの——に比べると、心理的なハードルが低かった。家にはノエマの姉のノエシスもいるので、二人きりになるということがない。

 だが、ノエマは決断まで長くかけすぎたようだ。

「あ」で止まっていたノエシスの言葉の続きを待っていた琉斗が、ややあってからこちらも「あ」とひと声上げた。

「悪い、ちょっと待っててくれ」

 琉斗は再度携帯電話を取り出した。今度は通話だ。

「もしもし? 珍しいな、すぐに出るなんて。——ああ、俺、俺。——は? 俺だよ。琉斗だよ。息子の声忘れたのかよ。——流行ってねえよ、いまどきオレオレ詐欺なんてよ! だいいちディスプレイに名前出るだろうがよ」

 相手は東京にいる父親のようだ、とノエマは察した。

「あ、それでさ、父さんいつ帰ってくるんだっけ? ——もう少し早くなんねえ? 超速で片づけてさ。——ああ、お願い。そんでメシ連れてってくれよ。——うん、お姉ちゃん遅くなるっていうからさ。——情けねえこと言うなって。気持ち悪い親父だな。ほら、たまにはお高い店とか連れてってくれよな。——ああ、そうそれ。男メシ、男メシ。——死語だぜ、たぶんそれ。中年が流行りコトバ無理して使うなよ。それと言っとくけど、男メシっつっても牛丼とかで誤魔化さないでくれよな。——ああ、それじゃ。仕事頑張って片づけてな」

 琉斗は激励の言葉を最後に通話を切り、ふう、とひと息吐いた。

「待たせて悪いな。何とかなりそうだよ」

「お父さん帰ってくるの?」

 思惑が空振りに終わったノエマは、少し落胆しながら尋ねる。

「ああ。そういやそろそろかなって思ってたんだ。助かったよ。まだわかんねーけど」

「わからないって?」

「まだ仕事残ってるんだとよ。元々は今日の夜中に帰ってくる予定だったらしいんだけど、早めに上がれるように頑張ってくれるってさ」

 聞きかじった知識やクラスメートとの会話では、この年頃の子供にとって父親というのは煙たいだけの存在だそうだが、高原家の家族仲は良好と見える。

「今晩お父さんが帰ってこられなかったら?」

「そんときゃコンビニ弁当だな」

 そう答える琉斗の口調からは、先ほどまでの悲愴さが消えていた。

 そのときはうちに来ない? とノエマはよほど提案しようかと思ったが、見送った。それで結局後になって琉斗から断りの連絡が入ったら、彼の父親が約束を守ったからなのか、それとも彼自身にその気がなかったからなのか、きっと悩むことになる。

 そんなノエマの胸中も知らず、琉斗は続けた。

「にしても親父も困ったもんだよ。姉貴のメシが食えないからってがっかりしてやがる。挙げ句の果てに『詩都香は明日俺の弁当作ってくれるのかなあ』だってよ」

「明日東京に戻っちゃうの?」

 ノエシスは少し驚いた。

「らしい。今回は衣料品の交換だってさ。——なんかさ、親父は職場で姉貴の弁当を同僚に見せびらかしてるらしいんだわ。そんで、今晩メシ作らないと、明日の弁当に残りを入れたりすることもできないだろ? それで心配になってるらしい。でもそんな心配必要ねえんだよな。あの姉貴にとっちゃ、文字どおり朝メシ前だよ」

 琉斗の姉自慢が始まった。ノエマにとってはあまり愉快な話題ではないが、安心もする。

 少なくとも彼がこうして喋ってくれている間は、退屈な女と思われずに済む。近頃のノエマは、そう思われることを何よりも恐れていた。

 好きな人といっしょの時間は大切で楽しい。だが、片想いの少女にとっては戦場でもあるのだ。

 話が詩都香のことであれば、ノエマもいくらかは交ざることができる。だけど、そうやってお喋りしながら薄氷川にかかる橋の西詰まで歩いて琉斗と別れた後、ひとりで家路を辿りながら、やはり彼女は肩を落とした。

「頑張らないと……」

 もっと、いっしょにいて楽しい、って彼に思ってもらえるようにならないと。

(でも……)

 彼の好みはまだよくわからない。

 いや、琉斗の初恋の相手——残念ながらそれはノエマではない——を知ってはいるのだが、とてもああはなれない。

 例えばもし……もし、である。もし彼が今のノエマを好ましく思っているとしたら、変わろうとするのは余計なことなのかもしれない。

 こんな弱気がしばしばノエマの心に忍び寄る。そしてその都度彼女は自分に言い聞かせるのだ。

(ううん、私が変わりたいんだもん。今の私が変わりたいと思う私。それはきっと高原くんも肯定してくれるはず)

 まずはこうして物事をポジティブな方向に捉える癖をつけることだ、とノエマは考えている。

 そしてその勢いのまま、決断へと滑り込もうとする。

(いい、ノエマ? 次に今日みたいなチャンスが来たら、そのときこそちゃんと誘うのよ?)

 ぐっ、と握り拳に力を込め、ノエマは足を速めた。

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