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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第四章「鉄の棺」Der eiserne Sarg.
32/114

4-4

 その晩、いつものように魅咲(みさき)と落ち合った詩都香(しずか)は、涼子との出会いについて説明させられた。

 魅咲は詩都香が痴漢に遭ったことを知っているので、隠し事は最小限で済み、スムーズに語り終えることができた。

「ふーん、あの話にそんな続きがあったんだ。でもどうしてあのとき話してくれなかったの?」

 腕組みをして魅咲が、少し恨めしげに問う。

「あのときはこんなに親しくなるだなんて思わなかったもん」

 詩都香は涼子の交友関係を知らない。学校の友人や事務所のスタッフ、それから芸能界の同業者に業界人に無数のファンたち——きっと詩都香には想像もできないほど多くの人々に囲まれているのだろう。詩都香はその中の一人に過ぎないのかもしれない。

 だが詩都香の基準では、涼子はもう十分に親しい友人だ。

 魅咲はさらに質問を重ねた。

「でも、アイドルと会ったなんて恰好のネタじゃない。なんであんたはどうでもいいこと話すのは好きなくせに、自分語りは控えめなのかねえ」

「どうでもいいことって……。それに、わたしは知らなかったし」

 魅咲は怪訝そうな顔をした。

「何が?」

「だから、涼子がアイドルやってるってこと」

「おおう」魅咲は大げさなほど驚いてみせ、それからこくこくと頷く。「そっかぁ。あんたそうだもんね。まったく。今どきの若者じゃないみたい。P−T境界の生き残りか何かか」

 せめて戦中派の生き残り、だろう。何がP−T境界だ。詩都香は口をへの字に結んだ。

伽那(かな)にも話していい? ていうか、すごく聞きたがってた」

「痴漢のことうまく誤魔化してくれるんならいいよ」

 伽那はああ見えて時折いやに鋭い洞察力を見せることがあるが、魅咲なら上手にやってくれるだろう。

「ん。財布とスマホを落として困ってた詩都香を助けてくれたことにする」

「わたしがすっごく間抜けみたい。……まあいいけど」

 ふと、そこで会話が途絶えた。

 魅咲は腕を組んだまま斜め上方に視線を向けている。

「魅咲?」詩都香が先にしびれを切らした。「いいよ、それで。わたしもストーリー練っておくし。涼子にも根回ししておくから」

 正直者とは言いがたく、それどころか不本意にも周囲から嘘の名手と見られている詩都香だが、嘘を吐くのは好きではない。特に、積極的に人を騙すための嘘は。

 魅咲はなおもしばらく沈黙を維持した後、幾ばくかの逡巡の色を含んだ眼差しを詩都香に向け直した。

「ううん、考えてたのはそのことじゃなくてね。あたしが口出しすることじゃないってのは重々承知してるし、本当はこんなこと言いたかないんだけどさ、ま、アドバイスというか独り言というか……」

 詩都香は焦れた。

「何? えらく歯切れが悪いじゃない」

「あー、うん。なんていうかさ、涼子との関係、あまり深入りしすぎない方がいいんじゃないかな、って」

「どうして?」

 詩都香は驚いて尋ねる。

「あ、別に関係を切れとか、仲良くするなとか言うんじゃないよ? 適切な距離とか、そんな感じ?」

「だからどうして?」

 二度目の借問には、あるいは軽い反発も含まれていたかもしれない。

「だってさ、やっぱり住む世界が違うよ、詩都香と涼子じゃ」

「涼子だって普通の子だよ。普通のいい子」

 間髪を入れぬ詩都香の反論に、魅咲は目を伏せた。

「そりゃ、涼子がいい子……普通のいい子だってのはわかるよ? あたしも仲良くなりたい。でも、だから心配なの。詩都香が深入りして傷つかないか、って」

 詩都香には意味不明だった。魅咲が苦労して言葉を選んでいるのがわかった。

 つまり、まだ核心に踏み込んではいない、ということだ。

 今度は詩都香が意図的に黙り込んだ。

 その沈黙に詩都香が納得していないのを感じとってだろう、魅咲が言葉を重ねた。

「涼子は普通の子——いいよ、それで。でも、あんたは?」

 う、と詩都香は先ほどとは異なる意味合いで絶句した。

 アイドルである涼子を「普通」と言い張ることはできても、詩都香自身は断じて「普通」ではない。

 彼女は魔術師なのだ——それも、世界的な魔術師の組織に敵対する。

「……ずるい」

 詩都香はそう絞り出した。

「ずるい。それは反論不能じゃない」

 たしかに詩都香と涼子は住む世界が違う。

 でもそれを言われると、詩都香はこの先友人を作れないことになる。

 魅咲は表情を緩めた。

「ごめん、こんなこと言うつもりじゃなかった。それに、何を言ってもあんたが聞かないのはよく知ってるのに」

「ひとをわからずやみたいに」

「——だからさ、さっきのナシ。もし涼子が困ってて、あんたしか助けられないなんてことがあったら、助けてあげて。魔法でもなんでも使っちゃってさ。——ん、おしまい。帰ろ?」

 魅咲はそう言って一方的に話を打ち切ると、地面に横たえてあった箒を手にとった。

「たまにはあたしが飛ばそうか?」

「いいよ。あんたの操縦怖いし」

 詩都香は魅咲の手から箒をとり上げた。

 夜間飛行の最中、魅咲のぬくもりを左半身に感じながら、詩都香は考える。

 さっきの魅咲の嘘はお粗末だったな、と。

 だけど腹立たしくはなかった。詩都香のことを心配しての嘘だったということがわかるからだ。

 それでもなお、あまのじゃくな詩都香は忠告に従うつもりはなかった。

 むしろ、だったら涼子から拒絶されない限りとことんつき合ってやろうじゃないの、などといっそう固く決意してしまうのであった。

 ——魅咲の懸念はいつか現実のものとなるかもしれない。そのとき自分は耐えられるだろうか。

 そんな弱気を内に含んだ決意ではあったが。



 ※※※

 詩都香の腰に片手を回したタンデムの体勢で、思わず溜息が漏れそうになっていたことに気がついた。肺腑に取り込んだ空気を細心の注意を払って少しずつ鼻腔から放出する。

 ——バレてない。

 ——いや、きっとバレてるだろう。

 相川魅咲は心の中で今度こそ深々と溜息を吐いた。

 厄介な親友である。

 危なっかしくて放っておけないのに、恐ろしく鋭敏で、そのくせ不器用で、他人から気遣われるのが得意ではない。

 魅咲の性分上、詩都香の世話を焼かずにはいられないのだが、そうする度にひどく神経を使う。

 しかも、先日痴漢の相談を受けたときにもそうだったように、魅咲は今の自分のポジションを手放すまいとするあまり、言いたいことの半分も言えずじまいに終わるのだ。

 魅咲は本当のところ、詩都香が最も反発するであろうことを言おうとしていたのである。

 ——あんたにはアイドルの友人なんて重荷になるよ、と。

 だが、言おうとしたところで先回りされた。

 涼子は普通の子だ、と。

 おかげで魅咲は結局のところ何も言わないも同然になってしまった。本来であればいくらでも利いたはずの会話の軌道修正もできぬままに。

 いや、詩都香はおそらく、魅咲が何を言わんとしていたかを察知したことだろう。そして今はそれに反発を感じていることだろう。

 となれば魅咲は、事態をかえって悪化させたということになる。

 (やっぱ口下手だなぁ、あたしって)

 詩都香の言い分もわかるのだ。

 涼子はいい子だ。大抵の人と仲良くなることに自信のある魅咲でさえ、今日涼子と打ち解けるまでの時間のあまりの短さに驚いたほどである。

 涼子はいい子だ。さらには交際上手で、どこかしたたかささえ感じさせる。

 詩都香の親友として過不足ない。

 だからなおのこと、彼女が芸能人でさえなかったら、と思ってしまったのだった。

 ただでさえ、文化祭実行委員として慣れぬ人間関係に割って入り、神経を擦り減らされているのだ。芸能界などという異世界の住人との親しい接触は、詩都香をさらに参らせてしまうかもしれない……。

 ——そこで魅咲の思考ははたと立ち止まった。

(……何だ? あたしってば、矛盾してるじゃない。何を考えてるんだ)

 この内向的で引っ込み思案な友人を狭い世界から連れ出してやりたい——そう彼女はつねづね考えてきたのではなかったか。

 ならばひょっとすると、この成り行きはまたとないチャンスなのかもしれない。

 それにもかかわらずなぜ戸惑っているのか、と魅咲は自分の心を訝しんだ。

 しばし考え込んだが、今すぐには結論が出そうにない。

 ——だから彼女は、また誤魔化しにかかるのだ。

「……あんた、ちょっと腰回りに肉ついた?」

 腰にめぐらせた右手を探るように動かすと、詩都香は「ふぎょっ!?」と珍妙な声を上げた。

「失礼な! わたしは食べても太らないし!」

「そういう油断が後々の悲劇を生むんだって。代謝が落ちたとき悲惨だよ?」

「気をつけてはいるってば」

 実際のところ魅咲としては、詩都香はもう少し肉をつけた方がいいと思っているのだが。

「とか言って、男子の一部からあんたのお弁当何て呼ばれてるか知ってる? 『詩都香ちゃんのドカベン』だよ? 男子のお弁当並ってビビるわ」

 初耳だったのか、詩都香の顔色が変わった。

「何それっ? ていうか、しょっ、しょうがないでしょ。うちには琉斗もいるんだから。同じサイズにしないと、おかず作りとか不便だし……」

「お弁当のサイズが違ったらおかず作りに不都合なんてことないでしょ。コロッケやハンバーグなら二つ用意して、一つ半を琉斗のお弁当に、残りの半分を自分のに入れればいいでしょ。あたしだってやってるよ、そんなこと」

「おやおや〜?」詩都香がしてやったりと振り返る。「どこでやってるのかな、そんなこと?」

「あ、いや、なんていうか……」

 魅咲はへどもどしてしまう。

 家事下手を公言する魅咲だが、一学期の後半からは幼馴染の三鷹誠介のために弁当を作っているのだ。ただし、プロの料理人である自分の父親が作ったことにして、である。事実今でも半分強は魅咲の父親が作っているのだが、一品か二品であった当初から比べると魅咲自身が作る品の割合もだいぶ増えている。

「誰かにお弁当作ってたりするわけ?」

 詩都香がニヤニヤとしながら追い打ちをかける。

「んなわけないでしょ。あたしは料理とか作ったりしないし」

 魅咲はぷいっ、と顔を逸らした。

 とんだ猿芝居である。詩都香も事情を察しているはずだ。

(ああ、結局あたしってこのポジションが心地いいのかなぁ)

 やいのやいの言い合う二人を乗せて、箒は街の灯へと吸い寄せられるように空を翔けた。



 ※

 十月七日、月曜日、晴れ。

 でかっ! ボールペンとは違うわ。

 詩都香って意外にいいセンスしてる。というより、私に似合うのってことで考えてくれたんだろうな。

 綺麗なオレンジ。ずっと見てても飽きない。

 ——相川魅咲に一条伽那。いい子たちだった。

 ちゃきちゃき活発な魅咲とおっとりマイペースな伽那。詩都香にはお似合いだなあ。

 ……詩都香は結局私のことどう思ってるんだろう。

 明日ひと押ししてみるか。

 Dolce Vita——ドルチェ・ヴィータ。「甘い生活」って意味だって。

 今の私にはぴったりだ。

 以前には考えられなかった甘い生活。

 忙しくて疲れたりするけどね。

 でも、きっとここが私の楽園イル・ミーオ・パラディーゾ

 なんてね。ちょっとイタリアづいてみました。

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