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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第一章「ネズミ捕り娘はピアノを弾く」Die klavierspielende Rattenfängerin.
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1-1

「ありゃ、またか」

 九月三十日月曜日の朝、下足箱に外履きを放り込もうと蓋を開けた高原詩都香(しずか)は、中にあった物を見つけてひとり呟いた。

「お? モテますな、高原さん」

 ひと足早く靴を履き替えていた相川魅咲(みさき)が、詩都香の様子に気づいて面白そうにやって来る。

「他人事だと思って、ったく」

 詩都香の手の中にあるのは、白地に花柄のワンポイントが入った小洒落た封筒。ご丁寧にも蝋で封がしてある。

 ラブレターか、それに準じるものであることは確実と見えた。

「今回はどっちかねぇ」

 魅咲が詩都香の手の中を覗き込む。

「見りゃわかるでしょ。ほぼ間違いなく女子よ」

 夏休みが終わり、水鏡(みかがみ)女子大学附属高校——通称“ミズジョ”——の校内は文化祭に向けた慌ただしい活況に包まれていた。文化祭実行委員会の一員である詩都香も各部活やクラスに派遣され、進捗具合などをチェックさせられている。

 詩都香はどちらかと言えば人見知りのタチだ。相手の顔を見て話すのは大の苦手で、他人の顔と名前を一致させることにかけては人並み以上に遅い。知らない人の輪に入っていくのにも大きな困難を抱えている。

 そんな詩都香が入学直後のホームルームで文化祭実行委員に立候補したのは、昔からしばしば他薦によって就かせられているクラス委員の役職を避けるためだった。

 詩都香とて自分の容姿が他者にどのような印象を与えがちであるかについては、ある程度理解している。

 飾り気のない顔立ちと愛嬌に乏しい物腰は、絵に描いたような優等生である。

 おまけに、本気で努力して臨んだ入学試験の結果、入学式で新入生代表の挨拶をするハメになった。

 このままではまたクラス委員に選ばれてしまうのは必至と思われ、それを回避するために、実質的な活動期間が短く、最も楽と思われた文化祭実行委員に立候補したのである。

 しかし、誤算は大きかった。

 クラスや部の垣根を越えて活動する文化祭実行委員は、知らない人物と会う機会がとにかく多いのである。

 おかげで、九月に入ってから詩都香が接触した人間の数は、それまでの五ヶ月間のそれよりも何倍も多いという事態になってしまっている。

 それがまた、予想外の副産物をもたらしてもいた。


「詩都香ってば、またお手紙もらったの?」

 教室に入るなり、一条伽那(かな)がとてとてと歩み寄ってきた。

 詩都香がトイレの個室で封筒の中身を読んでいる間に、魅咲が伝えたようだ。

「やっぱ女子だった?」

 と、こちらは伽那の後についてきた魅咲。

 詩都香はうなずいた。

「うん、女子。三年生」

「何て?」

「かいつまんで言えば、わたくしの“エス”にしてあげてもよろしくてよ? みたいな」

 詩都香は溜息交じりに答えた。

 エスとはこの学校に残る戦前からの遺制とも言うべきもので、英語のsisterの頭文字から取られた隠語である。つまるところ、女子同士の大変親密な関係もしくはそうした関係にある者を指す。

「相変わらずだねぇ。何て答えるの?」

「いつも通り。文化祭が終わるまで保留」

 きっぱり断りたいところではあるのだが、文化祭を成功に導くことが至上命題である実行委員としては、余計なトラブルの火種を抱えるのも避けたい。それに、詩都香の気を惹きたいがために企画に熱心になってくれるかもしれない、という散文的な打算もあった。

 入学以来、狭い交友関係に閉じ籠ってきた詩都香だが、文化祭実行委員として各所に顔を出すようになってからはにわかに顔が売れ、このように妙にモテるようになってしまったのである。

 ミズジョは共学化されて日が浅く、女子の方が圧倒的に多いため、詩都香に交際の申し込みをしてくるのも大半が女子だ。詩都香が相手からどういうタイプと認識されるかはマチマチで、今回のように妹系と見られることもあれば、「お姉様と呼ばせていただけませんか?」などというとんでもない手紙を受け取ってしまうこともある。

「もう女の子相手でもいいんじゃない?」

 伽那が無責任に笑う。

「アホか。わたしにそっちのケは無いっての」

「とか言って、男子からのも断ってるじゃん」

 と、今度は魅咲。

「だって怖いじゃない。よく知りもしないのにつき合うだなんて」

 同性は論外として、異性とつき合うというのも、詩都香にとっては未知の領域である。

「詩都香ってば乙女なんだから。いーなぁ、あたしもそれくらいモテてみたいわ」

 魅咲が芝居がかった溜息を吐いた。

(よく言うわ、自覚ないんだから)

 詩都香は内心呆れてしまう。

 魅咲の方が詩都香などよりよほどモテる。しかも、ちゃんと異性に。しかし本人が幼馴染にベッタリだから、表面化しないだけなのだ。

 詩都香とて——そう詩都香とて、特定の個人と懇意になることに興味がないわけではない。ただ、そうすることに対する不安もあり、人見知りな性格もあり、自分への自信のなさもあり、どうしても一歩踏み出すことができないのだ。

(わたしって、このまま一生独り身なのかなぁ……)

 そんな風に悲観してしまう詩都香だった。


 ホームルーム後、帰り支度を中断した詩都香は、部活に行こうとしている伽那に声をかけた。

「伽那、今日もまた寄らせてもらっていい?」

「いいけど。詩都香も熱心だよねえ、あんなに嫌がってたのに」

 詩都香はクラス企画の劇の中で、不本意にもピアノとバイオリンを演奏することになっているのだ。しかも、文芸部所属の伽那もその一員であるところの脚本担当者たちが悪ノリして、かなり難度の高い曲が指定されている。

 それで三日と開けず伽那の家に練習しに行っているのである。

「だって、本番でしくじったら恥かくのはわたしなんだし。もうキャストが覆らないんなら仕方ないじゃない」

 ピアノもバイオリンも心得があるのでそれなりの演奏はできるつもりであるが、あくまでもそれなりである。本番でアガることも考慮すれば、練習の段階で完璧に弾きこなせるようになっておきたい。

「うちはアップライトしかないしさ。グランドピアノがある伽那ん家がうらやましいわ」

「そんなに違うもんなの?」

「全然別。ユキさんの調律も完璧だし」

 “ユキさん”とは伽那付きの家政婦である。伽那の世話から一条邸のセキュリティの統括までこなす大変な女傑で、詩都香も頭が上がらない。

「もう十分に上手いと思うけどなあ。あの指の動きを見てるだけで、わたしなんか目が回っちゃいそう」

「ダメダメ。まだ日によってバラつきがあるでしょ? いつでもベストに近い演奏ができるように練習しとかなきゃ」

 本当は伽那にもよくわかっているはずだ。ピアノは「たしなみ程度にしか」弾けないという伽那だが、さすがお嬢様だけあって耳は確かなようで、「今日は調子悪そうだったね」などと伽那から言われてしまうような日には、たしかに詩都香自身納得のいく演奏ができていないのだ。

「わかった。そんじゃユキさんにも話しておくから」

 そう言って教室を出ていく伽那を見送ってから、詩都香は荷物をやっとまとめ終えた。毎日大荷物なので時間がかかる。

 いったん下ろした腰を再び上げるのが億劫に感じられるのは、きっと疲れているせいだろう。

「よっこいせ、っと」

 机に両腕を突っ張るようにしてやっとお尻を浮かせたところで、

「今日も委員会か?」

 後ろから声をかけられ、詩都香は振り返った。

 背の高い男子生徒が立っていた。

「あ、誠介くん……」

 相手を認めた詩都香は、今のおばさんじみた掛け声を聞かれてしまっただろうか、と少し決まり悪く感じる。

 三鷹(みたか)誠介(せいすけ)——詩都香のクラスメートで、ある意味では頭痛のタネ。

 誠介は詩都香の後ろの席に座った。席の主の田中は二つの部活と一つの同好会に所属する多忙な身、もう教室から出ていってしまっていた。

「忙しそうだな」

「まあまあね。誠介くんこそ部活いいの?」

 詩都香は椅子に横座りになり、上半身を誠介の方へ向けた。

 誠介は数少ない親しい男友達の一人だ。彼と話すときはあまり緊張せずに済む。

「よくはないんだが……。一応原稿は出してるし」

「展示の準備の方は?」

「順調であります、実行委員殿」

 そうおどけてみせる誠介だが、実態は知れたものではない。

 誠介がまったく似合わない文芸部に入ったのは六月も半ばのことだった。

 幼少のみぎりから武道を始め、体を鍛えてきたという誠介は運動神経抜群で、運動部に入ればどの競技でも主力になれそうなのに、少しもったいような気もする。が、誠介が運動部に入って青春の汗を流すというのも、なんだか違うように思ってしまう勝手な詩都香だった。

「ま、今日はバイトなんだ」

「ああ、あの子のとこ」

 誠介はどこぞの事業所で事務補助のアルバイトをしている。そこの中学生の娘から懐かれているようで、一緒にいるところを詩都香も何度か目撃している。

「あ、そうそう。このあいだの映画のチケット、結局どうした?」

 詩都香は十日ほど前に、映画のペアチケットを持ってきた誠介に誘われた。部活の合宿を控えていたため断ったのだが、誠介はもう公開期間の残っていないそのチケットを、詩都香の手作り弁当のおかずを対価に置いていったのだった。

「あー、あれ。琉斗にあげちゃった。観にいったみたい」

「一人で?」

「ううん、女の子と」

 誠介は意外そうな顔をした。

「えっ、マジ? 誰? 俺の知ってる奴?」

 いやに食いつくな、と詩都香は少し訝しんだ。

「いや、知らない……あ、一度会ったことあるかな。ほら、先々週カラオケに行った日、カフェの外で琉斗と一緒にいるのを見かけたって言ってたでしょ。あの子」

「あー、あのハーフの子か。なに? あいつらってできてんの?」

 どういうつもりだよ、と付け加える誠介。詩都香の方こそ、どういうつもりで発せられた言葉なのか聴きたいところだった。

 だが誠介は詩都香の追及の気配を察したのか、腕時計に目を遣って席を立った。

「おっと、ほんじゃそろそろ行くわ。よっこいせ、っと」

「あ……うん……」

 やはり聞かれていたのか。詩都香は意気を挫かれてしまった。

 教室から出ていく誠介の後ろ姿を見送ってから、詩都香も鞄を手にし、今度こそ無言のまま、意識して軽やかな動作で立ち上がった。

 まだ少し早いだろうか。

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