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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第三章「みつけ鳥、あなたは私を見捨てない?」Fundevogel, verläßt du mich nicht?
27/114

3-6

※※※

「というわけで、ごめんね、由佳里(ゆかり)

 十月六日の日曜日、午前八時前。

 詩都香(しずか)たちは待ち合わせ場所の九郎ヶ岳駅前に集合した。

 早朝からの活動だが、全員時間には几帳面な性格なので、三人が三人とも集合時間前に現地に到着している。

 ——そう、三人。

「松本由佳里さんですよね。河合涼子です。よろしくお願いします」

 涼子が初対面の由佳里に挨拶する。

「あ、どうも」涼子の自己紹介を受けた由佳里はまず頭を下げ返し、「高原さんのご学友の松本由佳里です」と彼女らしからぬ怪しい敬語で名乗ってから、きょとんとした顔で首を傾げた。

「ええと……?」

 笑顔のまま固まり、涼子とその傍らの詩都香を交互に見る。

 混乱が見てとれる。その反応から、真面目な眼鏡少女の由佳里も涼子のことを知っていたことが窺えた。

(知らなかったわたしって、ひょっとして絶滅危惧種のレッドデータガール(RDG)なのか?)

 由佳里に倣うように小首を傾げる詩都香だった。



 ——昨晩涼子が詩都香に提示した“交換条件”とは、今日の撮影行に連れていってほしいというものだった。

「だって、詩都香が写真撮ってるところ見たいじゃん。あんだけ語ったんだしさ」

 う、と詩都香は返答に窮した。

「……仕事は? 忙しいんじゃないの?」

 変化球で逃げようとする。

「そりゃまあ、お仕事はあるけど、夕方まで向こうに行けばいいし」

 綺麗に打ち返されてしまった。

「明日は部活のお仕事で知らない子も来るし、わたしの好きに撮影できるわけじゃないから……今度じゃダメ?」

 力のない直球も、

「大丈夫。私、初対面の子と仲よくなるの結構得意だよ。それに、次のそんな機会に私の予定合わせられるかわからないもん」

 フルスイングの餌食となる。

 さらに涼子は——

「ていうか詩都香、私と出かけるのイヤなの?」

 バントの構えで揺さぶりをかけてくる。

「べっ、別にそんなんじゃ」

「傷つくなあ。友だちだと思ってたの、私だけだったんだぁ……」

「だからちがうってば!」

 覿面に動揺してしまう詩都香であった。

「じゃあ、連れてってよ」

 バスター。

「……だって、心の準備が要るもの、涼子みたいな子を友だちだって紹介するのは」

 涼子は小さく笑った。

「友だちって言ってくれるんだ。ありがとう」

 その憂いを帯びているようにも見える微笑に、詩都香の胸はちくりとした。

 しかし、そこで涼子は表情を一変、しくしくと泣き真似を始めた。

「でもやっぱり傷つくなあ。この間まで普通に接してくれていたのに、私が芸能活動やってるって知った途端に距離を置こうとするなんて。本当の私は何も変わってないのに」

「何言ってんの」詩都香はかぶりを振る。「ドゥ・ヴィルスト・フォア・ダイネム・フロイント・カイン・クライト・トラーゲン?」

「え?」

 せっかくの泣き真似もどこへやら、涼子がきょとんとした顔で聞き返す。

「『君は友の前で裸でいたいと思うのか?』——ニーチェの言葉。わたしたちは誰の前でも服を着ている。仮面をかぶっている。“本当の自分”なんていうのは存在しない幻想。涼子は別の服に着替えてわたしの前に立った。それだけのこと」

「よくわかんないけど、明日連れてってくれるの? 私はそれが聞きたい」

「……わかったわよ。向こうに訊いてみるから」

 詩都香は渋々承知した。

 さっそく買ったのだという防湿庫に驚き呆れながら、ボディと何本かのレンズをそこからカメラバッグに詰め込んで部屋を辞す詩都香に、涼子は別れ際にポツリとこぼした。

「でもさ、さっきのは少し寂しい考え方だね」


 家に帰ってから、由佳里にメールで尋ねた。

『明日、友だちがいっしょに行きたいって言ってるんだけど、連れてきても大丈夫?』

 返信はすぐにあった。

『もちろんです。相川さんか一条さんですか?』

『別の子。明日紹介するから』

 涼子の名は出さなかった。由佳里が涼子のことを知らなければ意味がないし、知っているのであれば信じてもらえなさそうな気がした。

 それにやはり心の準備が必要だったのである。



「高原さん、あの人って、河合涼子さんですよね?」

 “あの人”こと涼子から少し離れた場所で、由佳里が声をひそめて尋ねてきた。

「そう名乗ったでしょ」

「そういうことじゃなくて。あの……アイドルの河合涼子さんですよね?」

「どうもそうみたい」

 詩都香の答えを聞いた由佳里は、いったん涼子の方に目を遣り、それから詩都香に顔を向け直した。

「なんて言うか、高原さんって底知れないですよね。アイドルと友だちなんて」

 詩都香は胸の前で小さく手を振った。

「偶然だから。偶然知り合っただけだから」

 涼子が二人の方をちらっと見た。如才ない笑顔を浮かべている。きっと、こんな反応をされることに慣れているのだろう。

 ——偶然だから、と詩都香は心の中で繰り返した。


 今日の目的地である九郎ヶ岳丘陵地帯に向けて進発してから、詩都香は涼子に尋ねた。

「んで、フィルムは買えたの?」

 涼子が携えているのは例のCLEである。コンパクトデジタルカメラを使えばいいものを、涼子はこれを使いたいと言い出したのだ。

 レンズの持ち主にしてボディの借り主でもある小宮山時菜には昨日の内に伺いを立てていた。

 返答は『いいよ。というか銀塩布教のために興味のある人にはどんどん貸しちゃって。でも、高原さんもちゃんと使ってね。』というもの。又貸しの心苦しさのみを感じていた詩都香には、「銀塩布教」というのは考えもつかない言葉であった。

 ただし、フィルムは自力調達してもらうことになっていた。ささやかな最後の抵抗と言えるが、詩都香もフィルムを余らせているわけではない。

 詩都香の問いに対して、涼子は力強く頷いた。

「ん。柿沼さんが昨日東京のヨドドノで買って今朝届けてくれた」

「迷惑な……」

 柿沼に同情してしまう。

 昨日この話が出た時点で、市内のカメラ店は閉店していた。今日は今日で、午後から手芸部に行かなければならないという由佳里の都合に合わせて、早朝に出発することになっていた。いったいどこからフィルムを買うつもりだろう、と思っていたのだが。

「ほら、これでいいんだよね? 135って書いてあるカラーフィルム。一番いいの買ってきてって頼んじゃった」

 歩みを止めることなく、肩にかけたバッグから涼子が小さな箱を取り出す。

 詩都香はそれを受け取った。

「うん、これでだいじょう——って、ISO感度50? うげ」

 詩都香は手の中のフィルムを見て呻いた。

「どうかした? これじゃマズいの? 写らないとか?」

「いや、写る。写ルンですけど……これ、リバーサルじゃん」

 専門店で売られているフィルムの中には、一般的なネガフィルムの他に、リバーサルフィルムというのがある。それを注意するのをすっかり忘れていた。柿沼も知らなかったようである。

 陰画の形で現像され、プリントする際にはそれを逆転させて印画紙に焼き付けることになるネガフィルムに対して、リバーサルフィルムは、見たままの光景がそのまま現像される。ポジフィルムやスライドフィルムとも呼ばれる。プリント必須のネガと違い、リバーサルフィルムは現像したものをルーペやスライド映写機で鑑賞するのが一般的である。

 撮影の仕方はネガでもリバーサルでも変わらない。適切に撮影されさえすれば、リバーサルはネガよりも鮮やかに仕上がる。

 だが、ネガフィルムはプリントする手間や費用がかかる一方で、その際に調整することができる。リバーサルは現像したフィルムそれ自体がいわば完成品である。誤魔化しの利かない一発勝負だ。とりわけ露出に関してはシビアで、いわゆるラチチュードが狭く、ネガであれば救いようがあった写真でも、黒ツブレや白トビを起こした失敗作となりうる。値段も一般的なネガフィルムの倍はするため、相当慎重に撮らなければならない。

 詩都香もリバーサルフィルムは使ったことがなかった。注意を忘れていたのも、自分が購入する際の選択肢に入っていなかったからである。

 CLEの露出補正機構は二分の一段刻みの上下二段。TTLダイレクト方式の露出計を内蔵しているとはいえ、単体露出計が欲しいところだ。

「扱いが難しいってことね。いいじゃん、燃えてきた」

 詩都香の懸念もどこ吹く風、説明を聞いた涼子はニヤリとする。

「そういえば、由佳里はどんなカメラ持ってきたの? あれ? どうかした?」

 詩都香のリバーサルフィルムについての説明を聞いていた由佳里は、すっかり無口になっていた。

「いえ。なんか、高原さんが急に呪文のようなものを唱え出したもので……」

「呪文て。もう由佳里まで」

「その気持ちわかる。マニアってそういうとこあるよね」

 涼子まで同調する。

「おい。あんたはそれを解説してもらいに来たんだろ」

 詩都香は遠慮なくツッコんだ。

 そうこうしている内に、三人は九郎ヶ岳の登り口の一つに到着した。“フューゲル”という名の、老夫婦が経営する喫茶店がその目印である。ロッジ風の外観がまことにそれらしい。

「二人とも、朝ご飯食べた? そこのお店寄っていかない?」

 と、涼子が提案する。

「わたしは食べてきた。由佳里は?」

 詩都香は一家の母親代わりという立場上、日曜であろうと平日と変わらない朝の日課をこなす。

「わたしはまだです。コンビニで買おうかと思ってたんですけど、この辺無いですね」

「んじゃ、詩都香はコーヒーでも飲んでてよ」

 涼子はさっさと店の中に入ってしまう。

 詩都香と由佳里もそれに続いた。

 店内には他の客がいなかった。老後の楽しみとして悠々自適にやっているそうなので、マスターの表情は呑気なものである。

 四人掛けのテーブル席に着くなり、三人が三人ともモーニングセットを注文した。

「あれ?」向かいに座る涼子が詩都香の顔に訝しげな視線を送る。「詩都香、食べてきたって言ってなかったっけ?」

 やはり言われてしまうか、と詩都香は小さく顔をしかめた。

「そうだけど、一人だけコーヒーってのもね」

 そこへ由佳里も隣から口を挟んだ。

「合宿のとき思いましたけど、高原さんって結構食べますよね。びっくりしちゃいました」

「そういうこと言わないでよ。あ、そうそう。さっきの続き。由佳里のお父さんのカメラってどんなの?」

「ええと、こんなのです」

 バッグごと借りてきたというカメラを、由佳里が机の上に置いた。

「あー、これか」

 某社のフルサイズミラーレス。ISO感度の上限は409600。詩都香が今しがたCLEに装填してやった感度50のフィルムとは十三段の差がある。つまり、CLEではシャッター速度を一秒にしなければならない三脚必須の状況でも、八千分の一秒の高速シャッターを切れてしまうということである。

 無論、むやみに感度設定を上げればいいというものではないのだが、この驚異的なスペックは大きくアピールし、それまでコンパクトデジタルカメラ以外使ったことのない層にも受け入れられてヒットした。

「由佳里のお父さんって案外新しもの好きなの?」

「そのケはあるかもしれません」

 と由佳里は笑った。

「触っても大丈夫?」

 向かいから涼子が由佳里に声をかける。

「データは抜いてあるって言ってたので、大丈夫ですよ。えと、河合さん……」

「涼子でいいよ。敬語も要らないから」

 涼子は手に取ったカメラをいじりながら言う。

「ダメダメ、この子は誰に対してもこんな感じなんだから」

「詩都香がそれ言うと違和感あるなあ。……んで、この感度設定って何?」

 雑談を交えながらモーニングをつつき、コーヒーを飲み終える頃には、涼子と由佳里もだいぶ打ち解け、「河合さん」も「涼子さん」になった。

「涼子さんっていい人ですね」

 涼子がトイレに立っている間に、由佳里が詩都香にそうコメントした。

「有名人なのに全然気どったところがないですし。気配りも上手ですし」

「そうね。庶民派を狙って演じているって感じでもないしね」

 これまで詩都香が遠慮して立ち入れなかった生活の内情についても、ずいぶんと聞けた。

 あのマンションの部屋は事務所が買い上げたもので、家賃はかからないのだという。都内への通勤はマネージャーの柿沼の車で。都合が悪いときには新幹線を使い、そのための回数券も支給されているそうだ。

 至れり尽くせりの待遇。詩都香とは住む世界が違う。

「それにしても、高原さんずいぶん仲いいんですね。会話もポンポンって小気味いい感じの掛け合いで。まるで相川さんや一条さんといるときみたい。友達づき合い、長いんですか?」

「ううん」詩都香は少し考えてから首を振った。「まだそんなに長くはないかな」

 長くないどころか、まだ出会って一週間も経っていないということに、あらためて驚かされる。

「お待たせ。そろそろ行こうか」

 涼子が戻ってきた。

 詩都香と由佳里も、顔を見合わせてから立ち上がった。

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