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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第三章「みつけ鳥、あなたは私を見捨てない?」Fundevogel, verläßt du mich nicht?
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3-2

 写真部の部室は、文化部棟一階東端の暗室の隣にある。

 普段の詩都香(しずか)は郷土史研究部の部室のある三階くらいにしか用がないので、文化祭実行委員になっていなかったら、一階の奥になど立ち入る機会もなかっただろう。

 こんな部もあるのか、などと左右に並ぶ部室群をきょろきょろ見ながら、(やなぎ)の後に続いて薄暗い廊下を進んだ。途中には郷土史研究部の宿敵——と奈緒が勝手に言っている——歴史研究部の部室もある。郷土史研究部は、はるか昔に歴史研究部から分かれた部員たちによって創部されたのだそうだ。

 写真部の部室の前に着いた。

 扉の上の嵌め殺しの窓から蛍光灯の光が漏れている。たしかに活動中のようだ。

 柳が扉をノックし、さらにそれに飽き足らず大声で呼ばわる。

秋葉(あきば)〜、いるんでしょ〜!」

 詩都香が柳の一歩後ろで待っていると、ややあってドアが開いた。

「はいはい、いますとも」

 出てきたのは、大柄で短髪の男子生徒だった。いかつい風体が熊を連想させた。あまり写真部というイメージではない。

「柳か。珍しいな。——お、こちらは?」

 丸っこい形の大きな目が柳に、次いで詩都香に向けられる。

 威嚇されたわけではないのに、詩都香は思わずさらに半歩下がった。

「よっす、秋葉。文化祭実行委員会でーす。企画の進捗具合を見にきましたー。こっちは一年の高原ちゃん。可愛いからって食べちゃダメだからね」

 柳がそう答えると、秋葉と呼ばれた男子生徒は「食わねーよ」と苦笑してから、ドアを押さえたまま後ろに下がって二人を通した。

「ま、どうぞ」

 柳は秋葉に向かって軽く手を挙げ、詩都香はお辞儀をして部室の中に足を踏み入れた。

「お邪魔しまーす」

「失礼します」

 先に立って入室した柳がすんすんと鼻を鳴らした。

「なんか酸っぱい」

 詩都香も入った瞬間に気づいていた。

「酢酸ですね。現像に使う薬品です」

「お酢? お酢で現像するの?」

「まあ、そうですね。正確には停止液。あまり食欲をそそる臭いではありませんけど」

 部室は郷土史研究部と変わらない広さだった。郷土史研究部では書架が立てられているスペースに、こちらでは大型の防湿庫が据えられている。ホワイトボードにはL版の写真が何枚か貼ってあり、小さな本棚にはアルバムが何冊も立てかけられている。

 部屋の構造として唯一他と異なるのは、入って左手の壁に穿たれたもう一つのドアだった。

「あっちは暗室」

 秋葉がそう説明してくれた。

 酢酸の臭いは、暗室から漏れてきたのが滞留しているのだろう。

 と、暗室の方に目を遣った拍子に、部屋の奥にもう一人部員がいるのが詩都香の目に止まった。

 女子生徒である。規定通りの緑色のリボンから、一年生と見える。顔に見覚えはない。違うクラスの生徒のようだ。セミロングの髪を二つの三つ編みに束ねているのは、ファインダーを覗く際に邪魔にならないようにだろうか。

 長机に向かって座り、文庫本を読んでいるが、闖入者二人を無視しているわけではないようで、時折柳の方にこっそりと視線を向けている。

 そこで詩都香が見ているのに気づいたのか、瞳が小さく動き、詩都香の顔に向いた。

 詩都香は小さく頭を下げた。

 女子生徒の方も頭を下げ返して、文庫本に目を戻した。やはり、あまり歓迎されてはいないようである。

「せっかく活動申請書出しといて二人だけ?」

 拍子抜けしたように柳が言う。

「他の部員たちは撮影に出てるよ。戻るのは昼かな」

 と、秋葉は部屋の真ん中に長机で形成された島を指す。

 見れば通学カバンやリュックがいくつか椅子の上に置いてあった。ここに荷物を置いてめいめいの撮影現場に向かったということらしい。

「今から撮影なんて大丈夫なの? 遅れはないって聞いてるけど」

「大丈夫、大丈夫。共通テーマの写真はもうプリントしてある。今撮ってるのは自由展示の写真だ」

 写真部は文化祭で写真の展示をやる。詩都香の読んだ申請書によれば、共通テーマは「夏の於母影(おもかげ)」だそうだ。十月に入った今からでは、於母影探しも難しいだろう。

「ああ、ごめん」と、柳が詩都香を振り返る。「こっちは写真部の部長の秋葉。一応あたしのクラスメート。このごっつい手でカメラなんかいじれるのかしらね」

「柳、お前、フラッグシップの一眼レフや中判カメラを見たことないな? 箸より重たいものは持ったことありません、なんて華奢な手で扱える代物じゃないぞ?」

 詩都香は秋葉にも頭を下げ、「高原詩都香です。今日はよろしくお願いします」とよそゆきの声で挨拶した。

「こちらこそよろしく。高原さん、ポートレートのモデルとか興味ない?」

「は?」

「スケベ」

 詩都香は困惑の表情を作り、柳が唇を尖らせた。

「何をう。健全な写真だろうが。というか別に柳でもいいんだけど」

「『別に』『でもいいんだけど』で誰が承知するかっての」

 その遠慮のない遣り取りに、二人の仲の良さが窺えた。詩都香の立ち入る隙間がない。

 少し所在ない気持ちを抱えていると、柳と秋葉が準備の話に戻った。

「パネルの方は?」

「レイアウトは考えてある。自由展示の写真の出来具合によっては少し変わるかもしれないけど」

 秋葉はそう余裕を見せるが、詩都香の記憶が確かなら、写真部の企画は展示だけではなかったはずだ。

「写真、見せてもらってもいいですか?」

 遠慮がちにそう尋ねる詩都香に、秋葉はとんでもない、と首を振った。

「ダメダメ。それは当日までのお楽しみ。あ、よかったらそっちのカメラでも見ててよ。開けて触ってもいいから。興味ないかもしれないけど、たまには古いものをいじってみるのも楽しいよ」

 なにやら大人同士の会話の間遊んでいるように言いつけられる子どものようだが、古いものを見る楽しみはレクチャーされるまでもなく知っている。詩都香は防湿庫の前にかがんだ。

(お、ハイマチック。こっちはニューキヤノネットか)

 最近のデジタル一眼レフの入門機もある。やはり楽しい。

 詩都香がごそごそやっていると、背後で柳が秋葉との会話を続けていた。

「この辺の写真、カラーじゃないのね。昔の?」

「いや、今年の春の。カラーはここの設備じゃ現像できないから」

「薬品も手に入らなくなってますしね」

 詩都香はカメラを見ながら思わず口を挟んだ。

「そうそう。規制が厳しくてね。だから今は僕らももっぱらデジカメ写真を街のお店でプリントしてもらってる」

「じゃあここの暗室は飾りなの?」

「企画申請書くらいちゃんと読んでこいよ。文化祭の企画に『現像体験』ってあるだろ? ここのカメラを貸し出して、モノクロフィルムの現像やってもらうの」

 ああ、だからコンパクトAEカメラが多いのか、と詩都香はひとり納得する。

「だってあたしはどうせカメラのことなんてわからないもの」

「わかる奴派遣しろよな。ったく、これだから文実(ぶんじつ)は」

「でも、それなら結局この暗室は一年に一度使うだけ?」

 柳の問いに、秋葉の口調が少し弁解がましくなった。

「一応、毎年春に新入生を対象に現像実習をやっている。それに、三年と一年にはフィルムにこだわる部員も——」

「フィルムのラチチュード特性も知らない人たちに習うことなんてありませんでしたけどね」

 と、そこで部屋の隅から声が上がった。

「……あの子。一年の小宮山」

 詩都香もそちらに目を遣った。

 例の、文庫本を読んでいた女子である。さきほどのおとなしそうな第一印象は消え失せて、頑固者といった風情だ。

 その気の強そうな眼差しが詩都香に向く。

「ちょっと、そこの文実さん。そのカメラ結構高いんだから、変にいじって壊さないでよ?」

「あ、ごめんなさい……」

 なぜか矛先を向けられた詩都香は、慌てて手にしていたローライ35シンガポールを戻す。本国ドイツ製に比べるとシンガポール製のローライの中古相場は一段落ちるが、決して高校の部活の備品として安いわけではない。

「まあまあ、小宮山。文実さんに許可出したのは僕だし、そうカリカリするなよ」

 小宮山は少し面倒な性格のようだが、部長の秋葉はなかなか大人だった。嫌な顔ひとつせずに場を取りなそうとしてくれる。

「部長さん、それならこのエルニカ触ってもいいですか?」

「どうぞどうぞ。——いいよな、小宮山?」

 秋葉がそう問うと、小宮山は目だけで頷いた。

 二年生同士の会話が再開される。それを余所に、詩都香はカメラの電池室を開けた。

(うは〜、やっぱり)

 対応する水銀電池はとっくに生産中止となっている。その代替品としてサイズの違う現行のボタン電池が詰められ、残る隙間にアルミ箔を丸めたスペーサーが噛ませてあった。これで動くのだから、往時の機器は寛容と言うべきか大雑把と言うべきか。

 変な感心のし方をしつつ、詩都香はファインダーを覗いた。

(あれ?)

 ファインダー内の二重像がおかしい。

 距離計連動式のカメラは、一眼レフとは異なり、レンズを介した光景を見られるわけではない。ピント合わせも、三角測量の原理で、ファインダーの中央部に投影された二重像をレンズのピントリングを調整しながら合致させる方式だ。

 その二重像が、きっちりと合わない。上下にわずかにずれてしまう。

 立ち上がった詩都香は、部室の窓際まで寄り、レンズの焦点を無限遠に合わせた。その状態で窓からグラウンドの片隅のポールを覗く。

「あ、やっぱり」

 一致すべき二重像が、左右にもずれている。

「何がやっぱりなの?」

 と横から声をかけられ、詩都香はぎょっとなった。

 小宮山が隣にいた。

「……小宮山さん。ええと、このカメラ、距離計がずれてます。ほら」

 詩都香がカメラを渡すと、小宮山もファインダー越しに窓の外を覗き、ちっ、と舌打ちした。

「ほんとだわ」

「もしこのカメラも文化祭当日貸し出すのなら、初めてレンジファインダー機に触れた人はストレスを感じるんじゃないでしょうか。慣れている人なら、その場で距離を読んでピントを合わせられるでしょうけど」

「わかってるわよ。部長、ちょっと出てきます。三脚借りますね」

 すっかり柳との雑談に移っていた秋葉にそう断ると、小宮山は工具箱と三脚を抱えて部室を飛び出していった。

「何しに行ったの?」

 柳が首を傾げる。

「レンジファインダーの調整。この部屋からじゃ無限出しはやりづらいし、三脚立てるには少々狭いしね」

「さっぱりわからないんだけど。高原さんはわかるの?」

 話を向けられ、詩都香は小さく頷いた。

「まあ。一階のここからじゃ視界が遮られますので、屋上ですかね」

「君もカメラやるの?」

 秋葉に問われた詩都香は首を横に振った。

「少しいじったことがあるくらいです」

「屋上では演劇部が発声練習してるわよ。迷惑かけてるんじゃないの?」

 柳が難しげな顔を作る。

「大丈夫だと思うよ。小宮山の調整は速くて精確。無限遠の調整くらいなら迷惑なんてかける間もなく終わるさ」

「だといいんだけど」

 と柳はまだ納得していない様子で詩都香を横目で見た。余計なことを、と思っているのかもしれない。

 詩都香は身を小さくした。

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