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今週は土曜日にも仕事がある。
午前九時前、制服姿の詩都香は校門をくぐった。
早くもグラウンドでは運動部が練習を始めるところだった。
水鏡女子大学附属高校のグラウンドは、面積こそ広いが、その設備はお世辞にも立派なものとは言い難い。
二つのコーナーに設けられたバックネットを使い、野球部とソフトボール部が敷地の半分で練習し、移動式のフェンスで区切られたもう半分は男女のサッカー部が占有している。
共学化とともに新設された男子野球部——ミズジョでは単に“野球部”と言った場合は女子野球部を指す——は、薄氷川の河川敷ででも練習しているのだろう。
(琉斗がこの学校の男子野球部に入ったら面白いな)
今ではすっかり帰宅部員が板についている弟の琉斗だが、小学校時代にはリトルリーグに所属していた。強豪ぞろいの県大会でもまずまずの成績を残している。ブランクがあっては大した選手にはなれまいが、ミズジョの男子野球部ならそれなりに活躍できるかもしれない。
(ま、あいつの成績じゃ合格は無理そうだけど)
琉斗が三年生になったら少し勉強を見てやらなければ、と使命感を抱く詩都香だった。
土曜の朝だというのに、校内にはちらほらと生徒の姿があった。
運動部の多くは前夜祭に出し物をするか模擬店を出すかといったところなので、今のところこうして普段と変わらぬ練習をしているが、文化部の部員はそうもいかない。各種大会や全国高等学校総合文化祭に出るような部活でない限り、彼らにとってはこの文化祭こそが最大の“本番”ということになるのだ。
張り詰めた空気に、ヒリヒリと肌を炙られる想いがする。とは言え詩都香も、この雰囲気は嫌いではない。
文化部棟一階の文化祭準備室に入ると、メンバーはまだ半分ほどしか揃っていなかった。
「おはよう、高原さん」
室内に足を踏み入れた詩都香に、さっそく挨拶をする女子生徒があった。
「あ、おはようございます、会長」
生徒会長の唐渡凛である。
「ごめんね、せっかくの土曜日なのに」
「いえ、どうせ家にいても暇ですから」
よそゆきの低めの声でそう応じてから、一礼して定席へ向かう詩都香。
その後ろを凛がついてきた。
凛は詩都香に対して妙にフレンドリーだ。全校の信望も厚い凛にしてみれば、文化祭実行委員会のヒラである一年生の詩都香など、取るに足らない存在だろうに。
「高原さん、ありがとうね」
その凛に突然お礼を言われ、詩都香はまごついた。
「ええと?」
何かお礼を言われるようなことをしただろうか。
「吉村さん、昨日来てくれたわ。高原さんが言ってくれたおかげ」
「あ、行ったんですか、部長。でもわたしは何もしてませんよ。どうせいつもの気まぐれに決まってます」
奈緒は昨日の昼休みに、放課後の部活に出られないかもしれない、と言っていた。が、委員会の仕事を終えた詩都香が部室に行ってみると、当たり前のように展示の指揮を執る奈緒の姿があったのである。生徒会の方にも出ていたとは思いもよらなかった。
もちろん、詩都香が火曜日に奈緒に言ったことがどれくらいの効果を上げたのか、知れたものではない。
「仲いいのね」
「は?」
予想外の凛の言葉に、詩都香は尋ね返してしまった。
「ううん。吉村さんのことをそんな風に言う人ってあまりいないから」
たしかに奈緒は強烈なパーソナリティを具えていて、男女問わず人気が高い。教師陣の間にも信頼を得ており、次期生徒会長候補の一人と目されているとも聞く。
「それに気まぐれで十分よ。昨日も颯爽と現れては、溜まっていた仕事をシュビドゥバッと片付けて、『では私は部活があるので』なんて。なんかもう、デキる女って感じ」
その擬態語はどうなんだ、と思ってしまう詩都香だが、合点がいった。
凛が詩都香にフレンドリーなのはきっと、奈緒と親しいと思われているからだ、と。
委員会の開始時刻になった。部屋の中ほどにいた委員長の畠山司が、三年生と二年生の副委員長に声をかけて一緒にホワイトボードの前に進み出る。
「じゃあ、とにかくありがとうね、高原さん」
凛も前方の自分の席に向かう。そこには既に“三つのしもべ”が控えていた。
「そろそろスペースの配分とタイムテーブルも決めなければいけません」
司がそう宣言すると、二人の副委員長がホッチキス留めされたプリントの束を配った。
詩都香にも見覚えがある。文化祭期間中の、各スペースのタイムテーブルだった。
「今配ったのは、九月の頭に配布したのと同じです。見ての通り、スペースと時間帯の希望でバッティングしているところがあります。みなさんには、各企画に変更の打診をしてもらっていますが、これも来週中には結論を出さなければいけません。パンフレットの印刷をお願いしている水鏡女子大学の印刷所にも言われていますしね」
司たち男子生徒は、女子とは違い、水鏡女子大学を“上の大学”と呼ぶことが少ない。彼らの進路にとって、女子大学は“上”でもなんでもないからだ。
“半女子校”における男子と女子の意識の差は、こうした点にも表れている。三年生になると、今まで低空飛行を続けてきた男子生徒の成績が、セーフティネットが設けられている女子に比べて大きく伸びると言われている。
司は続けた。
「あくまでこれは企画の申請があった七月時点の希望に基づいています。例年通りならそろそろ、準備が間に合わないと判断しての申請取り下げが出てくる頃です。それで今日からはスペースと時間のすり合わせと、最終的な意志確認に入ります。ここで取り下げのなかった企画には、是が非でも当日まで間に合わせてもらうことになります。これまで見てきた企画の中で、危なそうなところはピックアップしてあります。今日からさっそく三年生がそこを重点に回りますので、二年生は“優良物件”の方をよろしくお願いします。一年生は二年生の補助を。今日活動申請が出ている部活はホワイトボードに掲示してある通りです。赤と黄色で囲っているのが遅れの目立つところ。三年生にはそこを回ってもらいます」
あくまでも丁寧語を崩さない司だが、よどみのない口調に有無を言わせぬ迫力がある。さすがはわたしが認定した韓信、と詩都香は感服する。
三年生が分担を決めて部屋を出て行った後、二年生が残る企画の中から希望するものを言い合う。そうやって担当する企画が決まった二年生委員が、裏返された名札を一枚ずつ引き、そこに記された一年生委員の名前を読み上げる。
できるだけ不公平のないように、と定められたペアの組み方である。もう少し踏み込んで言えば、一年生委員の中であぶれ者を作らないように、という配慮であり、積極的にペアを組みにいく方ではない詩都香などはこの方式に感謝している。
「高原さーん、あたしとー!」
何人めかに、詩都香の名前が呼ばれた。声の主は柳美紀という二年生の女子だ。
「はい」
立ち上がった詩都香は、柳のもとに向かう。
それから二人は連れ立って準備室を出た。
「どこに行くんですか?」
と詩都香が尋ねると、柳は足を緩めることなく答えた。
「写真部」
おや、と詩都香は眉を上げる。
なにやら写真に縁のある一週間だ。




