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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第二章「偶像と背中の煤けたその相棒」Des Idols rußig rückige Schwester.
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2-10

 数時間後に迫ったゼーレンブルン姉妹との果たし合いについて伽那(かな)に確認してから、詩都香(しずか)は帰宅した。

 それから、弟の琉斗(りゅうと)と晩の食卓を囲んでいる最中に尋ねてみた。

「ねえ琉斗、河合涼子って知ってる? 一応アイドルらしいんだけど」

 琉斗は箸を止めて詩都香の顔をまじまじと見つめた。

「あ、知らないか。ならいい……」

「何言ってんの、お姉ちゃん?」

 琉斗の顔には、驚きを通り越して憐憫に近い色が浮かんでいた。「知らないわけねえだろ。ていうか、その訊き方からすると、お姉ちゃんは最近まで知らなかったっぽいな。お姉ちゃん達みたいな人種だけだぜ、知らないのなんて」

 さりげなく酷いことを言う。

「有名なんだ?」

「有名だよ。デビューしてまだそんなに経ってないけど、今年一番ブレイクしたアイドルなんじゃないかな」

「ふーん」と生返事をする姉に、琉斗は渋い表情である。

「ったく、女子高生が売れっ子アイドル知らないとか、そんなんでいいわけ?」

「いいも何もないでしょ。あまり興味ないんだから」

「少しはアニメと特撮以外のテレビも視ろよな。こっちが心配になるわ」

 なぜそんなことで弟に心配されなければいけないのだ、と憤慨する詩都香をよそに、琉斗は立ち上がってテレビのリモコンをとってきた。

 液晶画面に映し出されたドキュメンタリー番組が、即座にバラエティに切り替わった。

 数人の芸能人が街中を歩く番組だかコーナーだかに、食事を続けながら詩都香も視線を向ける。

 詩都香とて、別にバラエティ番組や流行のドラマ全般をくだらないと思っているわけではない。こうして流れていれば視るし、楽しくも思う。ただ、他にもっと好きなことがあるだけなのだ。

「んで? なんで急に河合涼子の話なんか——あ、そういや俺、前に見かけたことあるわ」

「どこで? 西の方?」

「いや、近所。あの制服って目立つよな。オーラもばんばん出てたし、ありゃ間違いなく本人だな」

「涼子ってこっちに来たりもするのか」

「マグ学に通ってるんだから西の方に住んでんのかな? ま、こっちの方が買い物とかする場所多いし、新幹線も停まるし、来ることもあるだろ」

 その口ぶりから、涼子がこの京舞原(きょうぶはら)市に住み聖マグダレーナ学院に通っているというのは、広く知られた情報であることが窺えた。ユキが特別なわけではなかったようだ。

「涼子が有名だってのは京舞原限定? それとも全国区?」

「全国区。俺だって別に地元のアイドルだからって覚えたわけじゃない。むしろ後で知って、おいマジかよ、ってなったわ」

 詩都香は小さく頷いて諒解の意を伝えた。

(となると、普段の活動の中心は東京か。専属のマネージャーがついてるってことは、たしかに売れてるんだろうな。でも——)

「でも、それならなんでここに住んでるの? 実家がこっちって感じでもないし、一人暮らしするなら東京じゃない?」

「あん? いや、俺は実家がこっちなんだと思ってたけど、違うの? ——ていうか、なんでお姉ちゃんが涼子ちゃんのことそんなに気にすんの?」

「たまたまよ」

 正直に友達になったと答えてもよかったのだが、詩都香は誤魔化しにかかった。「涼子ちゃん」呼ばわりになった琉斗のこの様子では、紹介してほしいなどとねだられかねない。

「このあいだ、街中でわたしも見かけてね。一緒にいた魅咲(みさき)が『あれ河合涼子だ』なんて言うから、少し気になって」

「ふーん。まあ相川先輩や一条先輩なら知ってるわな。ていうか、知らなかったお姉ちゃんにびっくりだぜ。本当に二十一世紀のJKかよ。白亜紀辺りで頭の中止まってんじゃないの?」

 琉斗は少々図に乗り出したようだ。せめて昭和だろう、なにが白亜紀だ。

「……琉斗、あんたずいぶん詳しいじゃない。テレビは勉強が終わってからっていつも言ってるのに。勉強、ちゃんとやってるわけ?」

「ズリぃ。そっちから話振ってきたくせに」

 琉斗は箸を突きつけるようにして抗議する。

「ていうか、あんた、涼子のファン?」

 詩都香が尋ねると、琉斗は一転して視線を天井に向け、少し考え込んだ。

「まあ、ファンかな。少なくとも好感度は高い。地元民なわけだし、応援はしてる。ラジオも始まるっていうし、勉強しながら聴くわ」

「勉強」にことさら力を入れて、琉斗はそう答えた。

 おお、とこれまで知らなかった弟の一面を知った詩都香は口の中で唸った。

 姉と違って素直なところのある琉斗は、異性のアイドルのファンであることを堂々と口にできるらしい。好きな男性芸能人を尋ねられる度に「山寺宏一」と答えることにしている詩都香には、気恥ずかしくてとても口にできない。もっとも、若い男性タレントに興味を抱いたこと自体あまりないのだが。

 それにしても、こんなに身近に涼子のファンがいたとは。

 ——いや違う、逆だ。

 涼子が、こんなに身近にファンがいるようなアイドルだったことに感嘆すべきだ。先に友達として知ったせいで、どうも感覚が狂う。

「つーかさ、そう言うお姉ちゃんこそ、さっきから涼子ちゃんのこと知り合いみたいに言ってないか? 一度見かけただけなんだよな?」

(おっと)

 油断していた。

「実は友達。同い年だしね」

「マジ!?」

 琉斗が勢いよく身を乗り出す。

「嘘に決まってんでしょ。アホですかあんたは」

「……なんだよ、まったく」

 琉斗は気が抜けたように腰を下ろし、秋刀魚の解体にかかった。

 ちょろい弟でよかった、と追求をかわした詩都香もテレビを視ながら箸を動かした。


 食後、だらけた姿勢でソファに座ってテレビを視る琉斗に、詩都香は洗い物の手を止めて声をかけた。

「今日はこの後出かけるから、先にお風呂入って寝てていいよ」

 琉斗は顔を詩都香の方にめぐらせた。

「また? 夜遊び?」

「そんなとこ」

「高校生になったからって、夜出歩きすぎじゃね? 補導されたりしねーの?」

 琉斗のそんな懸念もわかる。

 高校に入ってから——と言うより魔術師になってから、詩都香は頻々と夜に出かける羽目になっている。今回のように〈リーガ〉の魔術師と戦うためであったり、ときには危険な〈夜の種〉を討つためであったり、と理由は様々だ。

「心配されるようなことはしないわよ。魅咲の家に行ってくるだけだし。お父さんには内緒ね」

「へーい。つーかお姉ちゃん、高校入ってから変わったよな。前はもっと、地味で生真面目な優等生って感じだったのに」

「地味は余計でしょ」

 そう唇を尖らせてみせる詩都香だが、以前の自分は弟からも優等生に見られてたのか、と改めて思い知らされた。彼女自身は真面目だとも優等生だとも思ったことがないというのに。

 なんだかんだ言って、一番自覚しているのは、「地味」という点だったりするのだ。

「お姉ちゃんさ、何か悩みとかある?」

 いつの間にか詩都香の顔に視線を寄越していた琉斗から出し抜けに尋ねられて、とっさに返す言葉を見つけられなかった。

「……どうして?」

 答えにもなっていない。琉斗の疑問を肯定したも同じだ。

「別に」

 そう言ったきり琉斗はぶすっと黙り込み、テレビ画面とのにらめっこに移った。

「あんたの成績が一番の悩みだわ」

 そう冗談を飛ばしてやったが、琉斗は反応を見せなかった。

 詩都香はどこか気まずい想いを抱えて洗い物を再開した。



「さて」

 詩都香は書き終えた手紙から目を上げた。

 時刻は二十一時半。頃合いだ。

 クローゼットの扉を開き、中の品を検める。

 大きなとんがり帽子に黒マント。マントのポケットに収納されたサイコ・ブレード。

 帽子とマントには詩都香自身の髪が編み込まれていて、ブローチとリボン飾りにあしらわれている黄紫水晶(アメトリン)に籠められた魔力と魔法により、物理的にも魔術的にも極めて堅固な防具と化す。

 それから、サイコ・ブレードを身に具わった魔力で起動させる。

 果物ナイフ程度の長さの、仄赤い刀身が形成された。〈モナドの窓〉を開いていない限り、長剣として起動させることはできない。

「ん、大丈夫そうね」

 なにぶんにも古い魔法道具だ。戦場に向かう際にはいつも確認することにしている。

 最後に長柄の箒を手にとった。

 少し前に郷土史研究部の副部長、初瀬(はつせ)佐緒理(さおり)から譲り受けた魔法の箒である。借り物なのか貰い物なのかはよくわからないが、佐緒理が何も言ってこないのをいいことに、貰ったものと都合よく解釈している。

 マントと帽子を身につけ、琉斗がいきなり入ってこないように部屋の鍵をかけてから、詩都香は精神感応(テレパシー)波を放った。

『魅咲、準備はいい?』

『いつでも』

 西南三キロ地点から、すぐに応答があった。

『伽那、行くわよ?』

『今起こします』

 西北西九キロ地点から、想定外の思念が返ってきた。

『は? ユキさん? えっと……』

『起きました』

『詩都香、もう時間……?』

 時間だよ、と思念を飛ばしてから、ユキの感知力に舌を巻くと同時に少し落ち込んでしまう詩都香だった。

 伽那の魂を名指ししてダイレクトに精神感応波を飛ばしたつもりだったのに、すぐそばにいるとはいえユキにキャッチされてしまった。まだまだ収束が甘いようだ。

『一条伽那、〈モナドの窓〉を開きまーす』

 どこか眠たげな伽那の精神感応波。

 六、七分後に『開きましたー』と追加で受信してから、詩都香も〈モナドの窓〉を開く準備をする。

『高原詩都香、〈モナドの窓〉開放始め』


 全ての時間と次元を含めたこの世界と双子の関係にある“異界”——流産の宇宙。

 この異界には、いかなる空間も時間も、次元もない。

 存在するのはただ、それらになるはずだった質料——“可能態(デュナミス)”、すなわち混沌そのもののみである

 異界に通じる唯一の通路は、生物の魂に刻まれた破孔、〈モナドの窓〉。

 この世界の魔術師たちは、〈モナドの窓〉を意識的に開くことによって、異界から混沌を招来する。

 そしてその混沌に、この世界における存在の素たる“現実態(エネルゲイア)”の素子を加えることで、理論上ではこの世界の一切の法則を越えた奇跡の業——魔法が行使可能になる。


「ふぅ……」

 〈モナドの窓〉を開いた詩都香は軽く息を吐いた。

 時計を見れば、〈モナドの窓〉を開くのにかかった時間は六分と少々。このところは最短四分強で開けるようになっていたので、今日の調子はあまり良くないのかもしれない。

(やっぱり疲れてるのかな)

 〈モナドの窓〉の開放も含めた魔術師の力は、多分に精神状態に影響される。集中力を欠いては、魔法を使うことはおろか〈モナドの窓〉を開くことさえできない。

『開放完了』

 詩都香が魅咲と伽那の二人にそう思念を送ると、『そんじゃあたしも〈モナドの窓〉開くね』という魅咲からの応えがあった。

 それから詩都香は、片手で保持した箒の柄をお尻の下に当て、魔力を込めた。

 手から流し込んだ魔力を柄に伝わらせ、穂の形に沿うように噴射させるようなイメージ。

 最も離れた伽那が最初に飛び発ち、続いて詩都香が飛行手段を持たない魅咲を迎えに行き、三人が合流してから戦場となる東山に向かう手はずになっている。

 右手を軽く動かして、念動力(テレキネシス)で窓を開ける。

「パワー・セット……ブラスト・オフ!」

 箒の柄につかまり、詩都香は窓から飛び出した。

 このかけ声もそろそろネタ切れかも、などと考えながら。

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