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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第二章「偶像と背中の煤けたその相棒」Des Idols rußig rückige Schwester.
13/114

2-3

※※※

 十月二日水曜日の放課後、詩都香はバスで(なか)京舞原(きょうぶはら)に向かった。

 文化祭実行委員会の方には外せない用事があると伝え、欠席させてもらった。

 ホームルームが終わった後すぐに文化祭準備室に行ったところ、まだ生徒会長の唐渡凛と実行委員長の畠山司しかおらず、二人の最上級生相手に詩都香は緊張してしまったが、欠席の申し入れの方はすんなりと承諾された。

 昨日美容室で整えてもらったばかりの髪を軽やかになびかせて向かう先は、河合涼子の部屋である。

 (おとな)う旨のメールを事前に送ると、涼子からはすぐに返信があった。

『こっちは全然OKだよ。何時頃になりそう?バス停まで迎えに行こうか?』

 詩都香は遠慮し、ひとりで涼子のマンション目指して歩いた。一昨日は夜だったし道順も違っていたのだが、場所がわからないということはない。

 中京舞原は厳密な意味での地名ではない。

 九郎ヶ岳(くろうがたけ)丘陵地帯によって東西に分けられる京舞原市だが、その境界はかなり曖昧で、しかも丘陵地帯を含む東西どちらとも言いがたい地域もある。その地域が、便宜上中京舞原と呼ばれてきた。戦後の経済成長期に同名の駅が開業してからは、地元では地域名として定着している。

「やっぱりマンション多いな」

 何度めかの角を曲がりながら、詩都香はそんな感想を抱いた。

 坂道と集合住宅の街、といった風情だ。後発の地域なので、町割りは東と同じく概ね碁盤の目状にはなっているが、九郎ヶ岳に近いため高低差が大きく、地図で見るよりも入り組んで感じられる。涼子が『うちわかる?』と念を押して尋ねてきたのも頷けた。

 それでも詩都香はすぐに目的地に到着した。

 “ニデグレット中京舞原”——一昨日世話になった涼子の住むマンションだ。十五階建てで地下駐車場も具えた堂々たる佇まいだ。

「白鷺の巣、ね」

 エントランスをくぐりながら詩都香は呟く。

 ぱっと見で意味をとりづらいその名前の空回り感から、開発業者の意気込みが伝わってくるようだ。

 エントランスの左手には管理人室があった。

 その窓から顔をのぞかせた初老の管理人が軽く会釈する。見ない顔だと思われているだろうが、制服姿の自分が他者にあまり警戒心を抱かせないことを、詩都香も経験上知っている。

 頭を下げ返してから、ホールを仕切る扉の横に設えられたインターホンに目的の部屋番号を入力した。

 ややあって、応答があった。

『詩都香? もう着いたの?』

 涼子の声だ。

「あ、早すぎた?」

『そんなことはないけど、道わかりにくくなかった?』

「ううん、別に」

『そう? ——あ、ごめん、今開けるね。入って』

 オートロック錠が動作音を立てた。

 詩都香は「お邪魔します」とインターホンに向かって断りを入れてから、エレベーターホールに進んだ。

 詩都香が十一階でエレベーターを降りると、涼子が目の前に立っていた。わざわざ部屋を出て出迎えてくれたらしい。

「いらっしゃい、詩都香。ていうか部屋番号よくわかったね」

「よくわかったも何も、一昨日来たばかりじゃない」

 涼子に先導されて通路を進みながら詩都香は答える。

「そりゃそうだけど、それで覚えられちゃうんだ? 羨ましい記憶力だな。——さ、上がって」

 解錠し扉を開けた涼子に促され、詩都香は二日ぶりにその室内に足を踏み入れた。

「お邪魔しまーす」

「されまーす」と軽口を叩きながら続いて戸口をくぐった涼子が、チェーンロックをかけた。女子の一人暮らしだけあってセキュリティ意識が高いようだ。

「冬服だね。それにちゃんと美容室行ったんだ」

 リビングに移り、ソファに腰を落ち着けてから、涼子はまずそうコメントした。

 すごいな、と詩都香は思った。制服はともかく、髪の方はそれほど手を加えてもらったわけではない。

「お前が思っているほど他人はお前を見ているわけではない」とこれまで自分に言い聞かせてきた詩都香だが、少し認識を改める必要があるのかもしれない。

「昨日が衣替えの日だったから。涼子のとこは?」

 髪のことには触れずにそう応じると、

「うちも。月曜にやってくれればいいのにね」

 涼子は芝居がかった動作で肩をすくめた。形式主義は聖マグダレーナ学院(マグ学)も変わらないようだ。

「あ、そうだ。ごめん、それで思い出した。借りてた服、昨日クリーニングに持っていったんだけど、まだ少しかかるみたい」

 例のゴスロリ衣装である。

「あー、わざわざクリーニング出してくれたんだ。どうせ着ないんだから、そのまま返してくれてもよかったのに。こっちも、金曜日までかかるってさ」

 お互いに相手の服をクリーニングに出すというねじれた構造に、二人はくすっ、と笑い合う。

 そこで詩都香は持参した紙袋から箱を取り出した。

「あの、この間はどうもありがとう。これ、つまらないものだけど」

 昨日、美容室からの帰り道に洋菓子屋で買っておいた焼き菓子の詰め合わせだ。

 こんなお礼の仕方は他人行儀でよそよそしいかとも思ったが、自分と涼子は一度会ったきりなのだと考え直し、携えてきたのである。

「こんな気の遣い方しないでよ。でもありがとう。それじゃ食べよ?」

 受け取った涼子はさっそく包み紙を剥ぎ、箱を開けてテーブルの上に置くと、席を立った。

「今お茶淹れるから」

「あ、おかまいなく……」

 詩都香の遠慮など聞き入れるはずもなく、涼子は部屋の隅の小棚に向かった。中にはティーセットが収められ、天板の上には電気ポットが置かれている。

 涼子がお茶の仕度をしている間、詩都香は所在なく部屋のあちこちに目を遣った。

 よく整理された部屋だった。何もかもがあるべき場所に収まり、掃除も行き届いていて、埃ひとつ見当たらない。

 女子高生が一人暮らしをする部屋とは思えないほどであった。パーフェクトメイドのユキが管理する一条邸にも引けを取らない。

「粗茶ですが」

 そう言って涼子がサーブしたのはティーバッグの紅茶だった。ある意味では言葉通りである。

 カップの中身をひとすすりし、勧められるままに手にとった菓子を開封してから、詩都香は再度室内を見渡した。

「部屋片付いてるね。すごいな」

 家事を一手に引き受けている詩都香だが、なかなかここまでは手が回らない。これほど片付くのは、月に一度設定している大掃除の直後くらいであろう。

 が、涼子は詩都香の感嘆に芳しい反応を示すことなく、咀嚼中だったマドレーヌを飲み込んでから答えた。

「だって、業者に頼んでるもん」

 おお、と詩都香は唸ってしまう。

 部屋の掃除を業者に——中流の高原家では生まれることのない発想だ。そんなことをするくらいなら、詩都香がよりいっそう掃除に精を出し、浮いたお金を小遣いとして要求するだろう。

「お金持ちなんだね」

 などと口を滑らせ、その不躾さにハッとなった。

 涼子は気にする素振りを見せなかった。

「う〜ん、まあね。私のお金じゃないけど」

 そりゃあ親のお金なんだろうけど、と詩都香は胸の内で呟いた。

 しかしながらその割に個性に乏しい部屋のようにも見えた。

 大画面の液晶テレビ、無地の分厚い遮光カーテン。室内を柔らかく照らすひと揃いの間接照明器具。ふかふかの絨毯に、今座っている応接セット——どれも上等の品であるし、全体的な調度の統一もとれている。今手の中にある白地に青の図柄が描かれたカップにも、よく見ればマイセン窯の剣の紋章が入っていて、それに気づいたときには落としたら一大事、と手が震えそうになった。

 それでも、と詩都香は訪ねたことのある友人たちの私室を思い出す。

 魅咲(みさき)はあれで乙女な趣味をしており、部屋の内装はパステルカラーずくめだ。

 宏壮な邸宅にいくつもの部屋を与えられている伽那(かな)も、そのそれぞれを独特のセンスで飾っている。そしてそれを整理しようとしないので、しばしばユキからお小言を頂戴しているらしい。

 それに対して涼子の部屋には、住人の趣味や個性が希薄なのだ。まるでモデルルームに居抜きで住んでいるかのような印象が拭えないのである。

 そんな部屋の中で、目立つものがひとつある。それに目を留めた詩都香は、思わず立ち上がり、テレビに近づいた。

「これ——」

 テレビ台の上に立てられたフレームの中の、2L版の写真。

 赤いロードバイクと、傍らに立つサイクリングウェア姿の人物——ばっちりと決まったその姿から、有名な選手なのかと思ったが、よく見ると涼子本人だった。直前まで走っていたのか、上気した顔に疲弊の色が窺えるが、やり遂げた、というような表情。ヘルメットを小脇に抱え、背景は日の傾いた水辺。

「どこで撮ったの?」

「ああ、琵琶湖。レイク・ビワ」

「なぜ言い直した。行ってきたの?」

「今年の夏にね」

 そう答える涼子も、少し懐かしげな視線を写真に向ける。

 琵琶湖、自転車、そして記念写真とくれば——

「もしかして、ビワイチ?」

「うん……そう」

 涼子は照れたような顔を手にしたカップに落とす。

「南湖も?」

 ビワイチ——琵琶湖一周には、北湖と南湖をまとめて回るルートと、琵琶湖大橋を渡って南湖をスキップするルートがある。両者の距離にはおよそ四十キロの差がある。

「ん、一応。暑くて大変だったけど」

「すごーい。一日で?」

「前日に新幹線で京都入りしてから、夜明け前に大津に入ってなんとか一日で。暗い中の山越えはかなり怖かったよ」

「逢坂越え? それとも小関越え? ていうか京都から大津までは輪行でもよかったんじゃない?」

「小関越え。私も大津までは輪行するつもりだったんだけど、ちょうど琵琶湖の花火大会と重なってて京都にしか宿とれなかったんだよね。それで翌朝は始発よりも早く現地入りしないと、私の脚力じゃ一日で一周する自信なかったし」

 と、そこで涼子は怪訝そうに「ん?」と眉根を寄せた。

「……なに? 詩都香ってばなんか詳しくない? もしかして詩都香も自転車乗るの?」

「まあ、そこそこ……」

 詩都香は遠慮がちに答えた。

 なんとなく、涼子は自分よりも上級者なのではないか、という意識が働いたからである。

 詩都香も夏休みに山梨県を皮切りに県境を越えたサイクリングなどをやっているのだが、琵琶湖一周と体力面で比較できるかはともかく、わざわざ近畿まで遠征したという涼子は素直にすごいと思った。それに、乗っている自転車もかなりグレードの高いものだ。

「じゃあさ、今度サイクリング行こうよ」

 涼子が身を乗り出す。

「いいけど、涼子についていけるかどうかわからないよ? わたしが乗ってるのってクロスだし」

「富士山の周り一周とかどうかな?」

「そりゃ無理だ。せめて箱根越えくらいで」

 夏休みには箱根を越えて静岡県にも行った詩都香だが、行きの上りで脚を使い果たして、観光も何もせずに電車で帰ってきてしまった。でも涼子と一緒なら、もう少し距離を伸ばせるかもしれない。

「箱根越えかぁ、いいね。私もその内挑戦してみたいと思ってたんだ。いつにしようか?」

 涼子はかなり乗り気だった。

「文化の日が終わってからがいいな。わたし、文化祭実行委員とかやってるから、文化祭まではちょっと忙しいし」

 涼子はカレンダーを睨んだ。

「十一月初旬以降ね。おっけ。スケジュール調整してみる」

 そう言って革製のシステム手帳を開き、ペンケースから取り出した銀色のボールペンでメモをとる涼子。

 その手元がちらりと見えた。

 文字を判読するいとまはなかったが、スケジュール帳はことごとく埋まっており、どこかの企業のエグゼクティヴもかくや、といった具合だった。きっと、詩都香よりも涼子の方がはるかに忙しい。

「あ、わたしの方は融通効くから涼子の都合に合わせてくれてもいいよ」

 と、詩都香は慌てがちに付け加える。

「ん、ありがと。でもまあ、紅葉シーズンの方がいいよね。少し日程考えてみるよ」

 涼子が手帳をパタンと閉じ、ボールペンをそっと卓上に置いた。

 そのペンを見て、詩都香は眉を上げた。

 カランダッシュのエクリドール。軸に刻まれた文様は限定品のものだ。

 システム手帳の方も、詩都香は詳しいわけではないが、ファイロファクスだろう。

 詩都香も少々値の張る万年筆を所有していたりするが、ボールペンにまで金をかけることはできない。手帳は数百円で買える国産のものだ。

 そのペン触らせてもらっていい? と言うのをこらえ、お茶を飲み終えてから席を立った。

「あ、それじゃわたしはそろそろ」

「え? まだ早くない? もっといようよ」

 涼子が引き止めようとする。

「ううん、実は今日は弟に美味しいもの作ってあげなきゃいけなくて。このところ帰りが遅くて、なかなか手の込んだご飯食べさせてあげられなかったし、一昨日心配かけちゃったし。昨日は昨日で美容室行ってたしね」

「ああ」と涼子は頷いた。「大変だね、お母さん代わりも。その内詩都香にご飯作ってもらいたかったんだけど、無理そうかな」

「……別にそれはやろうと思えばできるけど。——涼子はご飯どうしてんの? ケータリング?」

「外食かコンビニ。一人暮らしらしいっしょ」

「それならその内作ってあげる」

 詩都香がそう言うと、涼子は「ありがと」と笑った。

「弟くんに彼女さんでもできたら詩都香も少し肩の荷降りるんじゃない?」

「ないない。まだ中二だし。——あ、でも」

 脳裏に無愛想な金髪娘の姿が浮かぶ。

「……近い内にできるかも」

「おお。そうなればめでたいね。詩都香は?」

「は?」

「詩都香はどうなの? 弟くんより先に恋人作って姉の威厳守れそう?」

「なっ、何をバカなことを……。だいいち、わたしに彼氏いるかどうか、涼子は知らないでしょ」

 動揺した詩都香はせっかく上げた腰をまたソファに下ろしてしまった。

「あれっ、いるんだっけ!?」

 涼子も顎を突き出すようにして上ずった声を上げた。

 その驚きようには、詩都香もさすがにむくれてしまう。

「……ええ、いませんけどね。できる予定もございませんけどね。同性にしかモテないようなしがない人間のわたしには、そんなことはとてもとても」

『デイヴィッド・コパフィールド』のミコーバー氏のようになってしまった詩都香に、涼子はけらけらと笑い声を立てた。

「あはははは、なにそれ。詩都香、絶対モテそうだけどなあ。ていうか、同性って、女の子にモテるの?」

「それがさ、聞いてよ……」

 涼子の策略にまんまとはめられ、詩都香は最近の身の周りに起こったことを聞かせてしまうのだった。


 予定より一時間近くも遅れて涼子の部屋を辞した詩都香は、中京舞原駅から電車で帰ることにした。

 涼子は駅まで送ってくれた。

「電車に乗るの、もう大丈夫?」と訊かれるかと思ったが、涼子は気配り上手でそんなことはおくびにも出さなかった。詩都香とて、いつまでも電車怖い、とは言っていられないのだ。

 二人はただ、楽しくお喋りをして別れた。

 幸い何事もなく東京舞原駅に着き、バスを待ちながら、詩都香はこの遅れをどう取り戻そうかと思案を巡らせる。

(さて、手が込んでいるように見える手抜きメニューには何がいいかな)

 などと。


 十月二日、水曜日、曇時々晴。

 やっぱり人間勤勉であるべきですよ。今日の分を昨日入れたのが効いたのでした。

 クリーニング屋さんに急ぐようお願いしたけど、どうしたって仕上がりは週末になるって。がっかりしていた私に、そこでサプライズ。

 詩都香が来た。

 メールをもらって、今日の予定を急いでキャンセル。昨日頑張ったのが効いた。

 詩都香は全然迷わなかったみたい。一度来ただけで、その上一昨日はあんなに動揺していたのに。

 あの観察力と記憶力、少しヤッカイかも。私ってば、口を滑らせやすいからな〜。

 詩都香は、最近女の子にモテて困ってるって話をしてた。

 さすがミズジョだなって感じ。エスって何? みたいな。

 でも、うちもなかなか伝統ある女子校だし、そういうのあるのかも。それっぽい子いるし。

 私もその内女の子に告白されたりして。

 そうなったら困る……けど、ちょっと面白いかな。

 それで、「私にはもう決まった相手がいるから」なんて。

「誰ですか?」とか追及されたら、詩都香を連れてくるの。

「この子が私のエス」って紹介したら、きっと相手は納得してくれるだろう。

 どう? この子に勝てる? うはは、恥ずかしい。

 ま、その時もっと楽しみなのは詩都香の反応だけどね。

 ゼッタイ面白い。

 ……などとニヤニヤする私、気持ち悪。

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