終-7
「あら、思ったよりも大人数ですね」と言うユキに、ノエシスは「えへへ、お世話になります」と恥ずかしそうに頭を下げた。そんな態度をとる彼女を誰も邪険に扱えないのは、詩都香自身承知している。
「泉さん、ですね。妹さん――恵真さんの方には以前お目にかかりました」
「ええ、泉梓乃です。妹がお世話になりました。エマからも聞いてます。でも、あの子の表現力じゃ、ユキさんのことをきちんと描写できていなかったようですね。実際に会うと、話に聞いていたよりもずっとお綺麗です」
「あらあら、お上手ですね」
そしてこれまたユキと初対面の涼子が詩都香に耳打ちしてきた。
「これがユキさん?」
「そうだけど?」
涼子の真意を把握しつつ、詩都香はいたずらっぽく小声で訊き返した。
「芸能界でも見たことないよ、こんな怖いほどの美人さん」
「褒め言葉ならいいけど、『怖い』ってのは禁句だからね。ユキさんってば、信じられないくらいのデビルイヤーだから」
「岩砕くの?」
「カッターなのにね。じゃなくてイヤーだってば。……ていうか、なんであんたそんなことは知ってるの? MSとVFの区別もつかないくせに」
「何それ?」
「あー、さっきから聞こえていますよ、詩都香さん」
ユキがじと目を向けてくる。涼子はびくっと背筋を伸ばしたが、詩都香にとってはじゅうぶんに想定されていたことだ。
「それから、河合涼子さん」
「はっ、はい!」
涼子は気をつけの姿勢をとった。
「だいたいのところは先ほど伽那に電話で伝えたつもりですが、伽那からはちゃんと伝わっていますでしょうか」
ユキも伽那の情報伝達能力には不安を抱いていると見える。
「は、はあ。でも、あまりにも驚かされて……。ユキさん、どうして――?」
どうしていろいろ知っているのか、とも、どうしてそこまでしてくれるのか、とも、どうして一介の家政婦がそんなことをできるのか、とも受け取れた。
「私があなたを応援しているから、では納得してくれないでしょうね。あなたの事務所の社長さんと私は古くからの友人なのですよ。もうしばらく会っていませんが」
「えぇッっ!?」
涼子が大きく開いた目で、ユキの顔をまじまじと見る。
彼女のその驚きには、ふた様の意味が込められていたことだろう。涼子の所属事務所の社長とユキが知り合いというのは詩都香にとっても初耳で驚いたが、涼子からすれば、二十歳そこそこと見えるユキが、「古くからの友人」というのも意外であろう。
「ご存じでしょうか、社長さんが京舞原市の出身だということ。その頃に知り合ったのです」
詩都香は驚くとともに納得もしていた。なるほど、そういう背景があれば、不便を承知しつつ現に京舞原に住む涼子が社長の隠し子だという噂の補強材料になったにちがいない。
涼子はひとつ頷いた。
「ええ。だけど、社長が上京したのはもう二十年以上前の話……。それからほとんど帰っていないって」
「ですからなかなかお会いする機会がなかったのですよ」
涼しい顔で言われた涼子は、ちらっ、と周囲に視線を配った。
周りにいるのは魔術師だらけ。となればユキについても、そういうことなのだ、と無理矢理納得するほかなかったのだろう。
「今回の件で、私のことを思い出したようですね。連絡をもらい、ここに来る途中で会ってきました」
ユキはそう言い、スーツのポケットからスマートフォンを取り出した。
涼子が息を呑んだ。
「それ、私の……。柿沼さんの車に置いてきたのに」
「彼女からことづかってきました。落ち着いてからでいいから、連絡がほしい、と」
ユキの手からスマートフォンを受け取り、ぎゅっと抱きしめるように胸に押し抱く涼子の姿。それを見ていたたまれなくなった詩都香が、つい伽那に向かってこぼした。
「やっぱりユキさんって底知れないね」
「亀の甲より、ってヤツだよ」
伽那は至極真面目な顔でそう言うのだった。
「伽那」
ユキが嫌そうな顔で伽那をたしなめる。
今日の彼女が運転してきた車は、さすがにいつものスポーツカーではなく、大型のSUVだった。
なんとなく成り行きで、後部座席の前列に詩都香と魅咲が、後列には奥からノエシス、伽那、涼子が座を占めた。
「伽那」車を出すなり、ユキが口を開いた。「よくやりましたね」
「まあね。よゆーよゆー」
そんな台詞が後ろから上がると、たはっ、と隣の魅咲が吐息をこぼした。
二人もかなり危うい戦いを経たことは、怪我の具合から察せられた。
「それでさ、今晩どうする?」
下り道を踏破して麓に着くなり、その魅咲が車内の面々を見回す。
「どう、というと?」
詩都香は首をほぐしながら尋ねる。
「せっかくこうしてみんなで群馬まで来たんだしさ、どっかに寄って遊ぼうよ。明日は――ていうかもう今日かな?――日曜日だし、東京とか」
「魅咲さん、高校生が夜遊びは感心しませんよ」
運転席のユキがルームミラー越しに一瞥をくれる。もう夜遊びの時間すら過ぎているのだ。
「だいいち、あたしたちこの格好だよ?」
と、後ろからノエシス。
ところどころ黒ずんでいるだけの当のノエシスはまだマシな方で、詩都香たち三人の着衣はボロボロである。涼子にいたっては、検査服のようなものを羽織っているだけで、下着さえつけていない。
しかし魅咲は抗議を一蹴した。
「でしょー? どのみちこんな格好じゃあたしたちみんな家に帰れないと思うんだ。だから、今晩は東京に宿をとって、明日の朝ユキさんに服を買ってきてもらってさ、遊んで帰ろうよ」
この格好じゃ帰れないので今夜は一泊してユキさんに服を買ってきてもらう、から、遊んで帰る、にはだいぶ大きな隔たりがあるように思えた。その提案にも一理はある……のだろうか。
「私、東京はちょっと……」
涼子がおずおずと発言する。
「あー、そうか。業界の人とどこで出くわすかわからないもんね。それに、涼子にとって東京はお仕事の街だし。……じゃあ、横浜で」
「わたし、横浜はこないだ行ってきた。年に何度かは行くし」
勝手に話を進める魅咲に、今度は詩都香が言う。
「とか言ってあんたが行くのは関内だけでしょ? それに、この時期になんて行ったことないでしょうに」
「失礼な! 来年こそはこの時期まで試合やってくれるわよ!」
そんな風にまぜっ返しながらも感心する。魅咲は悪い子を買って出るいい子だ。彼女が口火を切らなかったら、京舞原までの三時間、気まずい沈黙のドライブが続いていたかもしれない。
「来年こそは、って何のこっちゃ」
悲哀に満ちたファンの叫びに、後ろで涼子の声が上がる。
「はあ、仕方ないですね。みなさん、ご家族には連絡しておいてください。心配しているでしょうから」
運転席の保護者が折れた。
調子のいいことに、ノエシスがぽんと両手を鳴らした。
「わ! あたし、横浜って初めて!」
どっと沸いた車内で、一斉にスマートフォンが取り出された。
『今日も伽那のところに泊まるから。あんた、ご飯は何とかできるんでしょ?』
あの謎の料理のこともある。少し意地悪に素っ気ないメールを弟の琉斗に送ってやった。
魅咲もノエシスも、ほとんど同時に送信を終えたようだ。
詩都香は後列を振り返った。
「ノエシス、約束はこれでいい?」
「だーめ。二人っきりで」
それを聞いた詩都香は、はぁ、と大袈裟な溜息を吐く。とはいえ実のところ、予想した答えだ。
後ろを振り返ったのは、涼子の様子を窺うためだった。この中でひとり家族を持たない涼子の。
その涼子だけがいつまでも操作を続けていた。
――心配は要らない。
涼子には待っていてくれる人がそれだけたくさんいるということなのだから。
〈了)
最後の一話だけまた長いブランクを挟んでの投稿となってしまいました。
まずはお詫びを。
完結までやたらと長くかかってしまった今作は、執筆期間中に現実に置いていかれてしまった部分があります。
第一に、物語中に出てくるアイテム、デルタ社製の万年筆ドルチェビータ。実は2018年春にデルタ社は廃業していますので、それ以前にしか新品は手に入らないことになります。
次には、わずかに言及される某野球チーム。まさか作中人物の期待通りCSを突破して日本シリーズに進出するとは、ファンの皆様には失礼ながら、あの箇所を書いた時点では予想しておりませんでした。
そうすると本作の舞台は2017年以前ということになってしまいますが、もちろんこれは架空のことですので、そのつもりではありませんでした、とだけ弁明しておきます。
また、シリーズ開始の時点(2014年)で、とりあえずカレンダーは5年後のものにしておこうか、などと考えたため、実のところ本シリーズの暦は今年(2019年)のものになっています。が、もちろんこれも2019年を具体的に念頭に置いているわけではありません。
本作はラノベシリーズでいう第2巻のようなつもりで書きました。ほとんど完結済みであった1巻を膨らませ、次の展開へのバトンを渡すようなエピソードです。とはいえ、もともとの構想よりも大きく膨らんでしまい、時間がかかってしまって申し訳ないことになりました。本来であれば、ヒーラー役が欲しいな、くらいのつもりで筆を起こしたのですが。
よって次作の展開の種を、特に終章に散りばめてしまったため、消化不良になっております。これが気になって、最終話を投稿するのをずいぶん長い間ためらってしまいました。
次作について。
今作であまり出番のなかった誠介ともみじのコンビに、次回ではひとまずスポットを当てたいと思っていますが、こちらはもう少しお待ちいただくことになるかと思います。
並行して執筆していたものは、前書きの時点で予告していた中世ものでも何でもなくなり、これまた現代日本を舞台にしたSFのような体裁の何か、ということになりました。こちらの方がお届けできるのは早くなりそうです。
では、また何らかの形で。




