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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第二章「偶像と背中の煤けたその相棒」Des Idols rußig rückige Schwester.
11/114

2-1

※※※

 十月一日は衣替えの日だ。

 なにも馬鹿正直に十月一日からやらなくても、九月三十日が月曜日なんだから、そのタイミングで衣替えってことにしてくれればいいのに、などと不満タラタラだった詩都香(しずか)も、今ではその形式主義に感謝している。涼子がクリーニングに出してくれるという痴漢に汚された制服は、仕上がり後もしばらくクローゼットで眠らせておくことができそうだ。

 心機一転。今日からは冬服になる。天気がぐずついているのは残念だが、考えようによっては冬服でよかったと言えるかもしれない。

 どちらかと言えば過去を引きずりがちな性格の詩都香も、おかげでどうにか気持ちを切り替えられそうだった。

(夏服よりもポケットの膨らみが目立たなくて便利よね)

 つい荷物が増えがちな詩都香にとっては、これも重要なことだ。

 そんな風に、昨日よりはだいぶ回復した精神状態で、足取りも軽く学校に向かう。

 同じく登校する生徒たちでごった返す学校前の道に差し掛かったとき、校門脇の塀にもたれかかるようにして立っている、見知った人物が目に止まった。右側で束ねられた髪が、ぷらぷらと所在なげに揺れている。

 人待ち顔のその姿を認めた途端、詩都香は「あ」と小さく声を漏らしてしまった。

 相川魅咲(みさき)だ。

 今まですっかり忘れていたが、昨晩は魅咲とも約束があったのである。それを詩都香は連絡もなしにすっぽかしてしまった。

 魅咲の方も詩都香に気づいたようで、塀から背を離して歩み寄ってくる。

 立ち止まった詩都香は心の中であたふたしながら魅咲への言い訳をひねり出そうとした。

 魅咲が詩都香の眼の前までやって来る。

 何も考えつかぬまま、詩都香はほとんど反射的に頭を下げた。

「ごめん!」

「ごめん!」

 謝罪する自分の声に、異物が混入していた。

 思わず上げた視線の先に、上体を折った魅咲のきょとんとした顔があった。

「なんで魅咲が謝るの?」

「そりゃこっちの台詞。謝るのはあたしでしょ?」

 二人はこれまた同時に首を傾げた。

「えと、魅咲、まずあんたから話してくれる?」

 そうしないと路上で互いに針路を譲ろうとするときみたいになってしまう、と考えて詩都香は魅咲を促した。

 先を譲られた魅咲の語ったところによると、昨日は珍しくベッドに横になって読書をしている内に眠ってしまったのだという。詩都香が迎えにきても起きなかったのではないか、ともう一度魅咲は謝罪した。

 詩都香はほっとした。魅咲に待ちぼうけを食わせたのではなくて、本当に安堵した。

「——そうだったの。ええと、ごめん魅咲。私も昨夜行かなかったんだ」

 魅咲も肩の力を抜いた。

「あー、そうだったんだ。よかったよ、詩都香に無駄足踏ませたんじゃなくて」

 二人はこのところ毎晩のように会っていた。

 とはいえ時間をあらかじめ定めてではなく、現状では魅咲よりも忙しい詩都香が魔法の箒に乗って空を飛び、魅咲を迎えにいく。魅咲の方は詩都香の開いた〈モナドの窓〉の接近を感知してから、家を抜け出して近くの雑居ビルの屋上に向かい、そこで詩都香と落ち合う——このような手はずとなっていた。

 魅咲は詩都香がやって来る前に眠ってしまったと思い込んでいたようだ。

「でも、どうして?」

 と尋ねられ、詩都香は少し迷った末に結局真実を話すことにした。

「……ここじゃちょっと」

 周囲は同じ学校の生徒でいっぱいだ。魅咲以外の耳に触れさせるのは気が進まなかった。


「おおお、詩都香もとうとう大人の階段を上っちゃったってわけかぁ」

 文化部等の裏で、詩都香が昨日痴漢に遭ったことを話して聞かせると、魅咲はそんな反応を示した。

 詩都香は顔をしかめた。

「ちょっと、茶化さないでよ。本当に気持ち悪くて、死ぬほど怖かったんだから」

 魅咲は視線を上方にさまよわせた。

「えーと……? 怖かったろうねぇ、辛かったろうねぇ。よしよし、野良犬にでも噛まれたと思って忘れなさいな。あたしが慰めてあげるから——こう反応すればよかった?」

「なんだその言い草は。……でも、たしかにそれもイヤだな」

「だいいち、前に伽那(かな)が痴漢に遭ったって言ってた時、あんたも似たような茶化し方してたよ?」

 それを言われると、詩都香も反論できない。

 そしてまた、魅咲相手だったら、下手に言葉を選んで慰められるよりも、茶化され笑い飛ばされる方がずっといいような気もしてくるから不思議だ。

「……ん、ごめん。さっきので正解。魅咲に慰めてもらうなんてまっぴら」

「それも引っかかる言い方だけどなぁ。んで?」

「んで? ……ええと、茶化してくれてありがとう」

「違うでしょ。犯人はどうしたの? 鉄道警察に突き出してやった?」

 いつの間にやら魅咲の両の瞳が憤怒に燃えていた。

 その剣幕に、詩都香の方がたじろいでしまった。

「ご、ごめん。逃げ出すので精いっぱいで。相手の顔も見られなかった」

 思い出すと自分がひどい臆病者のように思えてきた。

 魅咲の怒りは解けなかった。

「違うわよ。あたしはその痴漢に怒ってんの。あーくそっ! 報いを受けさせてやりたいな」

 魅咲は右拳を左の掌に打ちつけた。

 詩都香はそんな風に自分のことで怒ってくれる魅咲を眩しく感じた。

「ごめんね。私がもっと勇気が持っていれば……。でも、動転しちゃって」

「だから詩都香が謝ることないって。あんたのせいじゃないんだし。あたしは体験したことないけど、声も出せないって気持ち、わかるよ? それにつけ込む奴が許せないの。——ああもう。今日辺りあたしがその電車に乗り込んでやろうかな」

 とんでもないことを言い出す。

 詩都香は慌てて止めた。

「やめときなさいよ。体触られて、それで犯人捕まえても、何の得もないって」

 魅咲ならたしかに痴漢に遭っても現行犯逮捕できそうではある。それにあの犯人を捕まえることで、この先別の女性が被害に遭うことを予防できるかもしれない。

 それでも詩都香は嫌だった。魅咲が昨日の自分のように卑劣な男の手で体をまさぐられるなどというのは、絶対に我慢ならなかった。

 魅咲はちらっと詩都香の様子を窺ってから、ふ、と笑みを浮かべた。

「冗談だよ、冗談。あたしの体のおさわりなんて、そんな奴の社会的生命と釣り合うほど安くないもん」

 それからその笑顔にいたずらっぽい色が強まる。

「それで、詩都香はどこまで触られちゃったのかな?」

「んなっ!?」

 詩都香はいっぺんに赤面してしまった。

「あーあ、清純派の詩都香の体、あたしだって触ってないとこたくさんあるのに。なんかやっぱ腹立ってきたぞ?」

「ちょっと! やめてよ! もうバカ!」

 これ以上相手にしてはいられない、と詩都香は踵を返して校舎に向かって歩き出した。

 それでも、昨夜のことを思い出してモヤモヤしていた心が軽くなったのを感じた。

 これはたぶん、相手が魅咲だからだ。

 他の人に同じような態度をとられたら、きっと腹を立てるか、気落ちするか、悲しくなっていたことだろう。

 不幸な出来事ではあったが、得がたい友人を持っていることの幸せを、詩都香はあらためて噛みしめるのだった。


※※※

 詩都香の後を歩きながら、魅咲はささやかな溜息をこぼした。

(なんであたしってこうなんだろう……)

 被害に遭ったことを語る詩都香の暗い顔を思い出してしまう。震えるその唇を。

 それに、詩都香のスカート。魅咲たちの奨めもあって高校入学を機に膝上丈にしていたのだが、今日は少し長めに、ちょうど膝が隠れるくらいにまで下げている。

 その気持ちが痛いほどわかった。

 本当は、手をとって慰めてやりたかった。

 普段クールを気取っている詩都香が、この手のことに関していかに免疫を持ち合わせていないかは、魅咲も重々知っていたのに。

 その一方で魅咲は、詩都香の一番の理解者を自負している。詩都香が魅咲にいかなるポジションを求めているかもよく理解していた。

 友の憂ひに吾は泣き、吾が喜びに友は舞ふ——そんな間柄だけが友情ではないことも、自分と詩都香の友情がそうでないことも、理解していた。

 だけど、それでいいのだろうか。それだけでいいのだろうか。

 詩都香は傷つきやすく、脆い。それでいて、意地っ張りで弱みを見せまいとする。

 それなのに、魅咲はどうしても今の立場から抜け出ることができない。それどころか、今回のような態度をとって、さらにその立場を固めてしまう。

 詩都香を変えてやりたい——そう望んでいるのに。

 なのに魅咲は、また余計なことを言ってしまうのだ。

「ねえ詩都香。さっきの話、伽那にも聞かせていい?」

 詩都香は足を止めることなく険しい目つきで振り返った。

「絶対にやめて」

 だよね、と苦笑した魅咲は足を速め、詩都香の隣に並んだ。

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