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放課後の魔少女——楽園は次の角に  作者: 結城コウ
第八章「真夜中過ぎのシンデレラ」Aschenputtel nach Mitternacht.
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8-23

※※※

「くそっ……こんな……」

 運がいいのか悪いのか、わからなかった。

 咄嗟に張った防御障壁で建物の崩落を切り抜けられたのは、たしかに運のよいことだったのだろう。

 床やら天井やら壁やらとともに、詩都香(しずか)はどことも知れぬ部屋に落ちた。いや、部屋なのかどうかも不明である。暗くて全体を把握することはできなかったが、周囲一面を瓦礫に囲まれた、十メートル四方ばかりの空間だった。わずかに辺りが見えるのは、上方のどこかに隙間があって月と星の光を通しているからだろうか。

 その片隅で、彼女は脂汗を垂らしていた。

 墜落した詩都香を追うようにして降ってきた建材の破片。その一部が防御障壁を破壊し、彼女の左腕を飲み込んだ。

 巨大なコンクリートの塊に挟まれた左腕が抜けない。おまけに、押しつぶされた当初は激痛が走ったのに、今は感覚を鈍らせつつあった。

 前腕の中ほどから先がどうなっているのか、詩都香にはまったくわからなかった。骨折で済んでいたら、それこそまだしも幸運な方だろう。

 念動力(テレキネシス)を使ってどかそうとしても、瓦礫の山は動かなかった。攻性魔法は使えない。下手をすると全体が再崩落して、今度こそ押しつぶされる。

 そしてなお悪いことに……。

 もぞもぞ、と動きが背後で上がった。

 この空間にもうひとりの人物がいることは、魔術師としての感覚でわかっていた。その人物が目を覚ましたのだ。詩都香は息を殺してその気配を窺った。

「メールド……! ケ・セティル・パセ……」

 ぼそぼそとした声が外国語で悪態を吐く。フランス語だった。

 ジャックだ。

 何の因果か同じ空間に落ちてきたのだ。

 しかも、詩都香以上に運のいいことに、自由に動けるようだ。

(おかしいでしょ。なんでわたしの方がこんなことになってんのよ。神様とやらがいるんだったら、日ごろの行いをもっとちゃんと見とけっての)

 と、自分の日ごろの行いを棚に上げてムシのいい八つ当たりをする間にも、状況は悪化の一途を辿る。

 ジャックが立ち上がった。

 今はまだ、おそらく彼は詩都香を見つけていない。暗闇の中で状況把握に努めている。

 そして――彼は動きを止めた。詩都香がジャックの立場でも、次の行動はひとつしかないのだ。

 ジャックの息遣いが静穏なものになっていく。

(ああ、もうっ! やっぱり〈モナドの窓〉を開く気だ……)

 そうなったらたちどころに見つかる。

 発見のときを少しでも遅らせるため、詩都香は必死に鼓動を抑えようとした。

 この状況で見つかったら、詩都香には嬲り殺しにされるほか何もできない。あるいは、一撃で殺してくれるだろうか。

(いや、諦めるな。……ほら、聞こえる。涼子の声だ。涼子の思念だ。……みんなわたしを探してくれている。魅咲(みさき)も、伽那(かな)も……ノエシス、も? なんであの子が?)

『詩都香、どこ!? 涼子だよ! 私、生きてる! 詩都香のおかげだよ。詩都香、会いたいよ……!』

『生きてるんでしょう? 返事しなさいよ、あんた!』

『〈モナドの窓〉は閉じないでよ、詩都香』

『ヴォー・ビスト・ドゥ? いちおう翻訳しておくと詩都香どこ?』

 細かい位置は特定できないものの、思念の波はそこかしこから届き、詩都香の精神の中で反響した。

 わたしはここだよ、と返したかった。

 だが、そうすれば即座にジャックに発見されるだろう。

(諦めるな。何か……)

 息を殺しながら、周囲の闇を切り開いて手段を探そうとする。肩関節の可動域をいっぱいに使い、見える範囲で。

 やがて、それが見つかった。鈍く光る円筒状の魔法道具。

 ――サイコ・ブレード! いっしょに落ちてきたのか。

 詩都香は急いでそちらに手を伸ばし、念動力を作用させた。

 サイコ・ブレードの柄がかたかたと震え、宙に浮かび、手元に引き寄せられる。

 これがあれば、ジャックともしばらくは渡り合える。

 キャッチしようとした詩都香の右手が掴んだのは、埃っぽい空気だけだった。

 同時に詩都香は知った。ジャックがすでに〈モナドの窓〉を開いていたことを。

 闇を切り裂く赤い光。サイコ・ブレードが起動された。

 その光に照らされて、詩都香は絶望に硬直する。

「お前か、高原」

 光刃を手にするジャックは、頭から血を流していた。

「ボン・ソワール、ムシュー……」

 後が続かなかった。思えばそもそもにして、彼のファミリーネームを知らない。

 詩都香は肩が外れそうになるのも無視して、彼に相対した。今の自分が動けないことを、彼に悟られてはならない。

提案が(ジュ・トゥ・フェ・)あるんだけど(ユヌ・プロポジシオン)――」

「黙れ。お前の下手なフランス語など聞いていられん」

 ジャックがサイコ・ブレードの切っ先を突きつけてきた。

 詩都香は一歩下がる。が、それ以上はとても無理だった。左肩の関節が今にも外れそうに痛んだ。そうでなくとも、左肩は負傷した箇所なのだ。

 ひと振りで自分を殺すことができる武器を持った相手と対峙するというのは、こんなにも怖いものなのか。口の中がひどく乾いた。

 その不自然な動きが、ジャックに詩都香の状態を悟らせてしまったようだ。

「なるほど」

 にやり、とジャックが笑う。珍しいことだった。

 詩都香は右手に念動力を集中した。ジャックが攻撃態勢に入ったら、すぐさま衝撃波を放てるように。

 ジャックが詩都香の右手を見る。お見通しだ、と言わんばかりだった。

 両者の対峙は、長くは続かなかった。

 ジャックが動いた。

 詩都香は衝撃波を放った。

 ジャックはこの破れかぶれの一発を左手で霧散させた。

(〈ピケ・アンヴィジブル〉! 左腕が折れているのにまだ使う余裕があるっての!)

 目を見開く詩都香。その左外腿を、ジャックの右手の振るったサイコ・ブレードが焼き裂いた。

「ぎいっ……ゃぁあああああぁぁぁァァッ!」

 決して深い傷ではなかったが、昨日の拷問から起算しても最大の苦痛だった。超高熱の刃で焼き切られるというのは、これほどの痛みなのか。

 左肩が外れそうになるのにも頓着せず、膝を突きそうになる。汗が頭頂から顎先まで滴り落ちた。

「いいな。アンジェラの気持ちもわかる気がする」

 恨み骨髄に徹する詩都香の悲鳴は、感情を表に出さないことを自らに課しているジャックにすら、愉悦をもたらすらしい。

 左脚に力が入らない。詩都香は震える右脚一本で体重を支えていた。

「……はぁ、はぁっ。――わっ、わたしを殺しても、あんたはわたしの仲間たちに八つ裂きにされるからね」

「かまわん」

 ジャックは涼しい顔だった。

 我ながらなんという小者めいた台詞だったことだろう、と詩都香は半分がた痛みに占拠された意識の中で反省した。

(違うでしょ)意志が固まる。(わたしはそういうのとは違うんじゃなかったの? ほら、追い詰められたときに自分がどんな態度をとるか、ずっと考えてきたじゃない。そうよ――)

 しぶとく見苦しく生きようとするのも、詩都香としてはアリだった。そうしたキャラクターたちを責めようとした覚えはない。

 そして、そんなことを考え出すと、本人にも信じがたいことに、生きるか死ぬかの瀬戸際で、不思議と冷静になれた。

(わたしは違う……わたしは違う。怖くて腰を抜かして泣きわめいているようなヤツとは、私は違う……!)

 命乞いも含めて、もう他の手段は見つからなかった。

 そうなれば、彼女のとれる行動はひとつしかなかった。

 背筋を汗が滝のように下る。先ほどとは違い、痛みのためだけではない。

(……覚悟完了! 当方に迎撃の用意……はないけれど)

 詩都香をさらにいたぶろうというのか、ジャックの次なる切り込みは、少々緩慢だった。

 人間の関節構造を把握しているのかすら怪しいそのひと振りを、詩都香は難なくかわし、ついでに、痛む左脚を軸にして膝を入れてやった。

 あまりにも弱々しい一撃。これで事態が好転したわけではない。二、三歩後退したジャックも、つまらない抵抗としか考えなかっただろう。

 ――大違いだ。

 詩都香はその間に攻性魔法の準備を終えていた。

「ほう。撃ってみろ」

 ジャックが仁王立ちになる。

 言葉とは裏腹に、その両の踵が浮き、左右どちらにも跳べるような体勢を整えていることに、気づかぬ詩都香ではない。互いに先読みの力を持った魔術師同士。おまけに、今は詩都香が圧倒的に不利だった。

「あんたこそ、かかってきなさいよ。それとも怖いの? こんな状態のわたしが」

 そう挑発すれば、ジャックが慎重になるのはわかりきっていた。

 だが、それでも彼は、侮辱されたことを捨てておけないのだ。

 続く数瞬の詩都香の精神は、時間を超えていたのかもしれない。極限の集中の中で、ジャックの動きも自分の動きも、呆れるほど緩慢に見えた。

 ジャックがサイコ・ブレードを振りかぶり、踏み込む。

 詩都香は攻性魔法を放つことなく、身をかがめてかろうじてこれを避ける。

 空振りしたジャックが手首を返し、前とは軌道を変えて刃を振り上げる。

 斜め下から斜め上へと伸びる逆袈裟を、詩都香は左肩を軸に半円を描くように動くことで回避する。

(さらば、左!)

 ――斬線に唯一、左腕だけを残して。

「う、ぎぃッ……!」

 覚悟完了していたとはいえ、前腕を半ばから断ち切られるというのは、言語を絶する痛みと……喪失感だった。

 だが、詩都香はひるまない。

 痛みが脳を灼くのとほぼ同時に、再度袈裟懸けにサイコ・ブレードが振るわれる。

 腕の切断という致命的な一撃を与えたという昂揚からか、それとも軛を解き放ってしまったことによる焦慮からか、雑なひと振りだった。

 そして、その刃を、

「ぐっ……。いっっったぁい……ッ」

 詩都香は左手で受け止めた。

 ジャックが驚愕に声を上げた。

「ばっ、バカな……」

 もっともだ。防御障壁を張ったとしても、サイコ・ブレードの斬撃が受け止められるはずがないのだ。

 たったひとつ、彼のお得意の〈ピケ・アンヴィジブル〉を除いては。

 ――幻肢という現象がある。

 四肢のいずれかを失った負傷者が、後になっても、失ったはずの手足の痛みを感じる、というものだ。

 詩都香が利用しているのは、まさにそれだった。

 つい先ほどまでそこにあったはずの、繋がっていることが当たり前だった左手を、しかし現実にはもう断ち切られていた前腕から先を――

 詩都香は「在るもの」として観念していた。

 そうすることで彼女は、その観念のもとに念動力で作った左手で斬撃を受け止めていた。

「まさか、腕を切り落とさせることで、私の〈ピケ・アンヴィジブル〉を再現……!?」

「そのまさかよ! ファントム――! ……ええと」

 技の名前が咄嗟には思いつかなかったが、彼女の失われた左手は、たしかに彼の攻撃の刃を掴んでいた。

「なめるなタカハラあッ!」

 掴まれ動かせなくなってしまった魔法道具から手を離し、ジャックが再攻撃のための距離をとろうとする。

 まったく、想定どおりだった。

 ジャックは失念していたのだろうか。

 それとも、左腕の切断で霧散させてしまったと考えたのだろうか。

「さんをつけろよデコ助野郎!」

 詩都香はとっくに右手の攻性魔法を準備していたのだ。

「〈ハイパー・メガ・ランチャー〉!」

 右手の人差し指の先から、白い粒子ビームに変換された魔力の束が伸びる。

 咄嗟に防御障壁を張り、身をひねってかわそうとしたジャックは、やはり大したものだった。

 だが、詩都香の必殺魔法は急ごしらえの障壁を食い破り、彼の右の肩口を吹き飛ばした。

 彼はひと言も発することなく、きりもみしながら床に叩きつけられた。

 詩都香は左肘の下を押さえ、彼の様子を見守った。それから、左脚を引きずって近づき、腰の辺りをひとつ蹴飛ばしてやる。

 ジャックは完全に意識を失っていた。

「ざまぁみろ、クソったれが」

 そう罵ってやるのがせいいっぱいだった。

 半ばから切断された左腕に右手をやり、よろよろと後退し、膝を突く。

 念動力が消え、光を失ったサイコ・ブレードが床に落ちた。

 今度こそ一歩も動けそうにない。

 横ざまに倒れ込みながら、詩都香は涼子のことを想った。

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