8-20
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「とっつにゅー!」
伽那が威勢よく右手を上げた。その手には白い包帯が巻かれている。
その伽那を脇から支える魅咲は、我知らず口元を綻ばせた。
空元気でも元気は元気だ。心が軽くなる。
お互い、目立つ傷には応急処置をしておいた。全ての負傷箇所に手当を施すには制服のポケットに詰め込めるだけ詰め込んできた医薬品ではとても足りず、しかもそれらの大半が戦闘で失われていたのである。
入り口のガラスドアを、拳のひと振りで破壊してやる。
「詩都香の居場所は……あ、ええと、四階にいるってさ。涼子は下。どっちから行く?」
「涼子さん」伽那が即答する。「詩都香は――ほら、感じるでしょう? 負けないよ。涼子さんを助け出したって伝えてやれば、きっと詩都香も思い切り戦える」
魅咲は頷いた。
「そうだね。じゃあ、地下だ」
「涼子?」
しぶしぶといった態度でふたりの後に続くノエシスが、首を傾げた。
――そうか、こいつは、詩都香が誰を助けようとしているのかさえ聞いていないのか。
「話せば長くなるけど、河合涼子。アイドルの。あんたも知ってるでしょ?」
そう言う魅咲の胸の中に、微かな自慢がなかったとは言えない。
「かわいりょうこ……って、えええッ!? あの河合涼子!? あんたら知り合いなの!?」
魅咲からすれば今さらなその驚きが愉快だ。
「そうだよ」
「ちょっと待って!? あの河合涼子でしょ? じゃあ、じゃあ、『エーテル・ドライブ』の三井くんとの関係が本当のところどうなのか、知ってるってわけ!?」
三井博信は、今度涼子が主演を務める映画の相手役で、一部でふたりの関係がどうとか取り沙汰されている。ノエシスは魅咲が呆れるくらいにミーハーなようだ。
「それは本人に聞いたらいいよ。てか、あんた三井好きなの?」
「もう、大っファン! 噂が本当なら、河合涼子どうしようかと思ってた」
とんでもないことを言う。
「あー、そういや河合涼子はなぜか京舞原市に住んでるって話だった! でも詩都香の知り合いだなんて、ちょっと予想外」
詳しい。こいつは十年日本を離れていた帰国子女の魔術師ではなかったのか。星空から降臨したときのそら恐ろしいまでのミステリアスさはどこへ行ってしまったのか。
「……えっ、ちょっと待って? 河合涼子が捕まってるってことは、ひょっとして三井くんもここに捕らわれてるの!? 何が起こってるの、いったい!?」
勝手に盛り上がるノエシスに、魅咲は伽那と顔を見合わせ、笑ってしまった。
妄想も大概にしとけ。
こうして感情を素直に表出してしまうところが、ノエシス・フォン・ゼーレンブルンという少女の魅力なのだろう。詩都香は警戒しているようだが、魅咲も伽那も、結局のところ彼女を憎めないのであった。
「三井くんはたぶん間違いなくいないと思うけど、涼子はここの地下に捕らわれている。で、涼子がこのままだと、映画も撮れないでしょ? きっと三井くんも悲しむと思うんだ。だから、あたしたちは涼子を助けに来た」
でもね、と魅咲はそこで言葉を切り、ノエシスの反応を窺った。
「でもね、エレベーターとか動かないかもしれないし、どうやって地下に行ったらいいのか。ほら、あたしも伽那もボロボロでしょ?」
嘘はない。伽那を右側から支えながら、魅咲も左脚を引きずっている。二人三脚のような形になっていた。詩都香と同様に車中で確認してきた見取り図によれば、地下への通路は二基のエレベーターしかないらしい。それが動かない場合、どうやって地下に降りればいいのか、思案のしどころだった。
「それじゃあたしがやる。要は地下に降りればいいんでしょ?」
乗り気になったノエシスに、魅咲と伽那はそれぞれ心中で喝采を上げるのだった。
エレベーターは入り口の真正面にあった。カゴは一階にあり、電力も生きていたので難なく中に入れたが、階数指定のボタンが上階のものしかない。
「それじゃ、やるか」
ノエシスは魅咲と伽那の間に割って入るようにして、ふたりの片わきに手を差し入れた。
「やるって、どうやるの?」
「二人分の体重を支えるのはしんどいから、着地は自分でやってね?」
「わたし、そんなに重くないよぉ?」
穏便ならざる言葉の、変なところに引っかかった伽那が、唇を尖らせた瞬間、
「ていっ!」
ノエシスが下方に赤い攻性魔法を放ち、床をぶち抜いた。
突然襲ってきた自由落下の感覚に、魅咲と伽那は仲よく悲鳴を上げた。
着地の直前になってノエシスが飛行の魔法を行使し、勢いを殺してくれたものの、魅咲と伽那は尻もちを突いた。
「いたたー。ったく、今日お尻痛めてなくてよかったよ」
「わたしもぉ」
「それで、次は?」
ノエシスは二人の恨みがましい視線にも、どこ吹く風である。
魅咲はいましがた落ちてきたエレベーターシャフトを見上げた。
「入り口があっちだから……こっちだね」
魅咲も、全部というわけにはいかなかったが、建物の間取りをある程度把握していた。
エレベーターシャフトの外扉は簡単に開けられたが、最後の関門は、エレベーターホールから地下空間に通じる大きな扉だった。合金製で、電子錠によって鎖されている。
適当に番号を打ち込み、ダメ元で自分の虹彩を読み取らせた魅咲だが、もちろん扉はぴくりとも動かなかった。
「開かねー。普段ならぶっ壊してやるのに」
こんこん、と扉を叩き、感触を確かめる。満足に力を出せない体が恨めしい。
「どいて、魅咲。わたしがやる」
伽那が扉めがけて両手を突き出した。
魅咲は慌てて制止した。
「待って、伽那! あんた両手怪我してるでしょ? 魔法撃っちゃダメ。……それに、ほら、今のあたしたちには正魔術師様がついていますし」
「はいはい」
魅咲の視線を受けたノエシスが、一歩前に出て扉に片手を向ける。
衝撃波も攻性魔法も使わなかった。扉の向こうの状況がわからないためだろう。
強烈な念動力の作用を受け、みしみし、と耳障りな音を立てて、扉がひしゃげていく。
「ほら」
扉の一部が破断し、人ひとりが十分にくぐれる隙間が空いた。
「はー、すげー。さすが正魔術師様」
「ったく、調子のいい。……あとはまあ、ふたりで何とかしてよ。あたしはここで待ってるから」
「どうして?」
「勢いでここまで来ちゃったけど、そういえば東京支部から手出し無用って言われてるんだった。まあ、中にあたしのこと知ってるヤツがいるとも思えないけどさ」
「あらら。――でもあのミシェルってのは、あんたのこと知ってるみたいだったけど?」
「それがちょっと謎」
腕組みするノエシスに、伽那が満開の笑顔を向けた。
「ありがとね、梓乃ちゃん」
「ふん。さっさと行きなさいって」
無愛想な言葉とは裏腹に、まんざらでもなさそうだ。
伽那、魅咲の順に、扉の隙間をくぐる。
「なんか、都合のいいところで障害物を斬るだけ斬って去っていくゴエモンみたいだったねぇ」
「しっ、聞こえるよ。涼子を助けたら、帰りもあの子に頼ることになるかもしれないんだから。ヘソを曲げられても困るって」
小声で伽那をたしなめる魅咲も、くすり、としてしまった。あまりに的確な言い様だったからだ。
「またつまらぬものを斬ってしまった」
それでついつい魅咲も、声色を使ってしまう。
伽那はぷふっ、と噴き出した。
「ま、あのいいわけを信じておいてやろう」
「いいわけ?」
「今日の梓乃は私服だったでしょう? しかもけっこうオシャレしてた。どこか遊びに行ってたのかもしれない」
「……? そうだね、可愛かった」
「あんたにゃ縁遠い感覚かもしれないけどね、だからこそ、アイドルと対面するのって気後れするんだよ。今になってそれに思い当たっちゃって、心の準備が必要なんでしょうよ」
扉を破壊したノエシスが、ふと自分の服装に目を走らせたのを、魅咲は見逃さなかった。
「え? よくわかんない」
これだからお嬢様は、と肩をすくめる。
地下空間は広大だった。
おまけに光量不足だった。
わずかに漏れてくるのは、頭上の一角からの光。見上げると、右手の壁面の上方の一部に、窓が設けられている。
あれがオペレーションルームか、と魅咲は当たりをつけた。
限られた視角では人影は見当たらなかった。
光に微かに照らされ、闇の中にそびえる巨大な構造物があった。
「あれが〈ブルーメ〉ね」
「不気味だね」
隣の伽那がぶるっ、と身震いする。
横から見たシルエットは、巨大でいびつな砂時計を思わせるものだった。どっしりとした基部から次第にくびれていき、半ばほどからまた広がっていく形状。
図面によれば、上から俯瞰すれば幾枚もの襞構造が複雑に重なり合い、開ききっていないバラの花弁にも見えるはずだ。まさに「花」。
が、今は〈ブルーメ〉に用はない。
ふたりにとって用があるのは、それに繋がれているカプセル〈カイム〉の中の涼子だけだ。
〈カイム〉はすぐに見つかった。〈ブルーメ〉の偉容の傍らで、おもちゃのように小さく目立たなかったが、場所は図面のとおりであった。
〈カイム〉のところまでたどり着き、ひとつ頷き合ったふたりが、手分けして開け方を調べようとしたところで、
『逃げて!』
――脳内にその声が響いた。
ほぼ同時に、ノエシスが地下空間に文字どおり飛び込んできた。
「相川! 一条! 防御障壁! 全力で!」
そう言うが早いか、滑空するノエシスは魅咲と伽那を押し倒し、〈カイム〉ごと包み込むように防御障壁を展開した。
わけのわからぬまま床に転がった魅咲だが、頭上の――〈ブルーメ〉の方から聞こえてくる音と光に、事態の一端が飲み込めた。
慌てて防御障壁を張る。伽那の障壁も同時に展開された。
〈ブルーメ〉が爆発した。




